2014年8月31日日曜日

ミスサイゴンを観て

昨日は感動の日でした。
レミゼラブルを3回観、感動した私にとって
ミスサイゴンは絶対観たいミュージカルの一つでした。
新潟講演は願ってもないチャンスです。帝劇まで行かずにすみますから・・・。
市村さんのエンジニア役は・・・病気で代役の筧さん。
演じているのではない、エンジニアそのものでした。きっとどなたが演じても同じだったことでしょう。
他のキャストの方も同じです。
舞台と客席が一つになるこの感動の余韻は数日続くことでしょう。
でもちょっと一言
戦争は愛を引き裂きます。そして、どのストーリーも
対外、女性がその被害にあいます。

何故、女性は愛を貫き、好きな人を待つことが出来るのに
男性には待つこと、愛し続けることができないのかと・・・・・・。
戦争という大きなテーマを取り上げた名作の数々に共通しています。
おばさんにとっては
ちょっとまってよ、愛し続けてくださいと18歳の娘心になり真剣に考え込んでしまいました。


2014年8月30日土曜日

夫45年と6ケ月目の自由

ある意味、日本の社会の一員として
公務員として
長年働いてきた夫に
御苦労さまの言葉をたくさんたくさん
胸のポケットに詰め込んでいます。
仕事を全うした夫に敬意を表しています。
ところがその一方で
この先どうなるの?
毎日がサンデーをどう過ごすつもり?
ともう片方のポケットにしまっておいた「虫」が
ウジウジと動き始めています?

2014年8月29日金曜日

通勤途中で見つけたいいもの



道路にチョークのらくがきをみつけました。
この場所は人間や犬しか歩きません。
チョークは雨が降ればきれいになります。
この、らくがきは誰がしたんだろうか?
小学生の2、3年生かしら?
この家にはこんな小さな子供たちが住んでいるのかしら?
女の子かしら?
と私の頭の中では二人の女の子がスカートの裾を押さえながら
楽しそうに、歌いながら描いていました。

2014年8月28日木曜日

モミジの手

私の横にあなたは眠る
あなたのモミジの手をそっと人差し指でなぞり
1本2本3本4本5本
あなたはがにまたに足を開きます
両足を右手でそっとつつみます
真綿をつつむようにやさしく
私はあなたの赤い頬に雫を落としました

生まれてきてくれてありがとう
お母さんにしてくれてありがとう
天国で少し白くなったあなたの髪の毛を数えています







2014年8月27日水曜日

回路がまたつながってしまいました

昨日から、実母の様子がおかしかった。
普段、何も感じない、何も話さない人が
古いアルバムを見ては
「みんな知っている、こうしてとっておけばいいなあ」
などアルバムに貼ってある、黄色の古ぼけた写真をみて
昔を思い出していました。
お彼岸の時も、こうした現象がありましたが
その時依頼です。
さて、今日はまたいつもの実母に戻っているかと思いながら
豆撰へ。
すると、身支度を整えた実母が豆撰に来て、
「あぶらげ3枚くれんか、Iさんのとこへいかんばん」
痴呆になる前は毎日のように遊びに行っていたお宅の事です。

痴呆はまだらぼけと言いますが、
子供の私にとって本当に不思議なことです。

2014年8月26日火曜日

あの桃が食べたい

実母は、いつの間にか
怒る事をしなくなりまた。もう5年位でしょうか?
一日中黙って、豆撰と隣の自宅の往復を繰り返します。
少し手が空いたので、「ばあちゃん、コヒー飲むかの?」と
言ったら
小さな声で、少し笑いながら
「あそにある、桃が食べたい」と・・・・・・。
まるで保育園園児のようです。
細かく切ってやると、美味しそうに食べました。

2014年8月25日月曜日

もうすぐ終わりが近づいています

暑い暑い、
夏は続いております。
でも、山も畑も田んぼも、秋の準備です。
花もタネをつけています。
夏から秋へ・・・・・・。

夕べは栃尾の夏祭り
豆撰の裏山で花火が打ち上げられました。
実母に
「昨日の花火見た?覚えている?」と尋ねると
うなずいてみせる実母。
いえいえ、覚えているはずはないけど・・・
「そう、良かったね」と応えてやりました。

2014年8月24日日曜日

ミニのヒャクニチソウが整列しました。

朝庭を巡り、整列しているヒャクニチソウをみつめると
夫のきっちり性格がお花にまで影響しているように
並んでいました。
もう少しで35年の夫婦生活です。親よりも長く一緒の屋根の下で生活しています。
雨の日も、風の日も、雪の日も
笑った日々、泣いた日々、怒った日々
いろいろです。
変わらないのはただ一つ
夫の教育?効果なく私はきっちり性格にはなれない
マイペース人間!

今日の刈谷田川の水の音は丁度良い流れ

丁度良い仕事、丁度良い人生が送れたら
丁度良い。

2014年8月23日土曜日

いつか傷が癒えますように

広島災害画像を毎日見続けていました。
災害で家を無くした私たち家族にとっては他人ごとではありません。
でも、心の中に残っている災害映像は、年々薄れていくのです。
そして、薄れてしまう記憶はとても複雑な記憶に変化しています。

過去となった自分の災害と現在災害で苦しんでおられる方の違いに
自分でも不思議くらい気持ちに大きな差を感じております。
何も出来ない、しようとしない自分に呆れているのです。

だから、昨日までは、映像を見ても涙があふれることはありませんでした。
でも、今日幼い兄弟を見送る仲間たちの号泣する映像には
涙があふれ、とまりません。
願うことは一つです。地すべりの想定される場所への「投資」事業はやめてください。
地滑り地域への対策強化を望みます。

2014年8月22日金曜日

モノクロの思い出

昨日、亡き叔母の家に立ち寄りました。
すると、叔父が寂しそうな顔で一冊のアルバムを私に託しました。
アルバムは1960年叔母中学3年生の時です。
日光への修学旅行の写真。
叔母たちと私と、私の祖母、従妹達の写真。等々。
アルバムをめくるたびに、昔の思い出がよみがえります。
叔父の寂しさが伝わります。恐らく叔父は私より先に叔母の元へ旅たつことを想定して
このアルバムを大切にしてくれるであろうと
私に託したのでしょう・・・・・・。



2014年8月21日木曜日

予定のない最後の休日

私の3日間休日は読書に励むと意気込んだものの
2日とも、読書なし。
弁解すると読みたかった本が手に入らず・・・・・・。
私の相棒が運よく探してくれました。感謝。
今日きっと届くだろうと期待していますが
「東京裁判」の本です。
どうも翻訳本らしい、はて私に理解可能か?
届く前に少し不安。
さて、今朝の散歩は降ってきそうな空模様に途中から近道しました。
平の鎮守様上り口から
霧の中の幻想?写真を撮りました。
最後休日は実母の子守りです。
さてどうなることやら?

2014年8月20日水曜日

朝の散歩

お日様がようやく顔を出し始めたころ
平から大川戸を通りすぎ、菅畑を上って、約1時間歩きました。
通勤に歩くいつもの道と違ってなんだか新鮮な気分です。
栃尾の工業用水の取水堰をながめ、昭和が過ぎ、平成になり
栃尾の織物工場の衰退と時代の変動を感じないわけにはいきません。
競って、機織りをしていた活気のある街は静かな街に・・・。
でも、自然は違います。静かな街、雁木通りをあるけば
不思議な気持ちになります。たんぼ道は最高の美術館です。
とんぼ、蝶は最高の舞いを見せてくれます。
野鳥さえずりを聞きながら歩く道はオーケストラのようです。
この自然の音、風景の美しさがわかるまでには何年かかった事でしょうか

2014年8月18日月曜日

お盆のご来店ありがとうございました。

 今年は長岡花火が土曜、日曜だったせいか
8月1日から豆撰は大賑わいでした。
豆撰で「アツアツ油揚げ」をお召し上がりになられる方の「美味しい」の一言
は、豆撰スタッフの大きな喜びとなり、励みになりました。
本当にありがとうございました。
お盆には、ふるさと栃尾に帰省された方々のご来店
本当にありがとうございました。
豆撰フアンの皆様ありがとうございました。

明日8/19から8/22まで豆撰のお盆休みです。
スタッフ一同、リフレッシュして23日のご来店をお待ちしております。









2014年8月17日日曜日

目覚ましは風の調べ

夜明けの風が
開け放った窓から流れ込む
枕カバーのしみ

風の調べが私を覚めさせた朝です。
ゆうべは、いろいろなことを考えてたら眠れなくなりました。
夜明け前に少しうとうとしたようです。

窓の外には異常なほど雀が泣いています。
さあ、あと2日頑張ると私の夏休がやってきます。
いつもの私に戻ってがんばりましょう。

2014年8月15日金曜日

記憶の中の戦争

亡き叔母の誕生日は、昭和19年7月です。
私の祖父は戦争に勝つようにと叔母の名前に「勝子」と命名したかったらしいです。
勝子の名前に反対したのは母親である、私の祖母と聞いています。
栃尾からも戦争に駆り出される人は多かったようです。
口には出さないけど、女性たちにとって戦争は死への場所だったのでしょうか
それでも勝子と命名したかった父親の気持ちは「戦争に勝つ」ことが
全てだったのでしょう。
哀しい全てです。
それから10年が過ぎ私が生まれました。
私の記憶があるのですから3歳以上だったと思いますが
栃尾の街に片足で白い着物に黒帯をしめ、松葉杖で体を支え、首からは
賽銭箱をぶらさげている人を時々見ました。
まったく、意味がわかりませんでした。
祖母は私にそばに行ってはいけませんときつく注意しました。
何故、足がないのか?まだ幼い私には、知る由はありません。
ただこの頃、こうした偽善者もいるような事を祖母は私に話していました。
また、農家である我が家には
お米を分けてくださいとやってくる人もまだまだたくさんいました。
この記憶が私の中の戦争でした。

2014年8月14日木曜日

気心

昨日は豆撰に、たくさんのお客様がお出でになり、大忙しでした。
そんな中、今年も作るぞと張り切っている?
(実は迷宮入り)の「おてがみれしぴ2」の打ち合わせをしました。
長岡東口に彼を迎えに行き、栃尾の豆畑見学、すがばたけで昼食をとり
その後は実家の山の家で打ち合わせというより相談をしながら
いろいろな話をお互いにしました。
再会して1年ちょっとなのですが
やはり彼の子供のころを知りつくしている?ことがお互いの
距離感を近づけているのでしょう。これが気心が知れているってことでしょうか?
気取らなくて良い、今はやりの言葉、「ありのまま」の私で
彼と会話出来ることはとても幸せです。
あっという間に時間は過ぎます。もっともっと話をしたかったのですが

彼はお墓参り、私は豆撰に急ぎました。

さあ、今日もがんばってお客様をお迎えしましょう!
アツアツの油揚げや新しい味のプリンなど、取り揃えて皆様をお待ちしております。


2014年8月12日火曜日

ゆめのかよいじに続くでしょう

久しぶりに、歩いて豆撰へ
8月7日の石積みから歩いていませんでした。
誰もいない川に積まれた石積みを立ち止まって、しばらく見つめていると・・・・・・。

刈谷田川にて草に寝転んで
空を見上げても
心の寂しさは
変わらないから
スギナの青は
苦かったのですか?

先日出会った方の詩が頭の中で冴える。
この詩の「苦かったですか?」はなんとも言えない寂しさが私の心をしめつける・・・・・。
寂しい顔をしないで

それぞれの「想い」がつまっている 川辺を歩く私。
時が過ぎれば
想いは「ゆめのかよいじ」に続くかもしれない・・・・・。




2014年8月11日月曜日

ほおづきの想い


豆撰にお越しのお客様がこのほおづきをみて
とても感慨深そうに
「ほおづきは提灯の代わりなんですよね。だから仏壇に飾りますね」と語りました。
東京方面から栃尾にあるお墓参りにいらっしゃいました。
「ご主人様は亡くなられて何年ですか」と私が尋ねると
「7年です」とおっしゃいました。
毎年ふるさとの栃尾に帰省されていた元気のいいご主人の顔が浮かびます。
ご両親のお墓参りの帰りに、いつも豆撰にお立ち寄りいただいておりました。
そして今度は奥様とお子さん達がご主人のお墓参りです。
お盆の行事は生きている人が亡くなった人を迎えにいく・・・・・・。
そして、15日まで家族と共に過ごす。
私も私の家族だった人を想い出し
語りましょうか?
姉ちゃん、父ちゃん、おばばさま、まり子・・・・・。
涙があふれてきます。


2014年8月10日日曜日

小さな旅は大きな心の財産

被爆ピアノコンサートの翌日はTさんを交え、フェイスブックでお知り合いなった
お二人の方と私たち夫婦の5人で昼食会でした。
お二人は長岡花火の翌日に豆撰にお立ち寄りいただいていますので
私はお顔を存じ上げていました。
また、栃尾にゆかりのある方お二人ですので
どう説明したらよいでしょうか
とても、自然にお話が出来きます。
ずっと以前から存じ上げていたかのような雰囲気の中で、次から次へと話は尽きることがありませでした。私の知らない事が話の中にポンポンと出てきます。
新鮮さとこの年になるまで知らなかった恥ずかしさと・・・・・・。
それぞれが、現在住むところは違っても、 ふるさと栃尾への想いは同じかもしれない・・・・・・。
そして今回の小さな旅から・・・・・・。
「戦争はやめて下さい」「みんな仲良くしましょう」と奏出る被爆ピアノの優しさに触れることができ、
栃尾の仲間たちと語りあえた事は心の財産かもしれません。







小さな旅は大きな想い出作りが出来ました。その1




8/8の被爆ピアノコンサートは「よみうりホール」でありました。
東京駅から地下鉄に乗り一駅の大手町にてSちゃんと待ち合わせ。
地下鉄に乗るまでは順調です。
さて、待ち合わせの出口はどこ?
ウロウロ・・・・・・スタスタ。
階段を下り始めると、頭の上で私を呼ぶちょっと驚きの声。
あら?そこ?下まで降りてまた上って、Sちゃんと無事合流。
事前に下見をしてくれていた彼について歩く私たち「ど田舎者中年夫婦」の
心の中はこれで安心しました。
会場に着くと同時にもう一人のT氏から携帯に電話が入り、会場入り口で待っているとのこと。
これで、私はまたまた安心。
大きな会場に被爆ピアノがひかえめに置かれてありました。
ピアニストの方々によって奏でる音は、終戦の年にまだ生まれていなかった私を
連れていくような、不思議な空間を感じました。
演じる高校生の歌には、まるで戦没者や被爆者、戦争経験者の魂が宿っているような
感動。そして、ピアノの奏でる音は控えめに、人の心に響くのです。
それは、69年前の怖い経験から
「優しいピアノ」になったような音色なのです。
人は辛いことをたくさん経験すると、人の気持ちがわかり優しくなるのと同じなのかなと思いました。コンサート終了後に、ご縁があって「被爆ピアノ」の持ち主で全国を回っておられる矢川さんとお食事をさせていただきました。これもT氏のご配慮です。感謝感謝。
そこでは、いろいろな、お話をお聞きすることができました。
そして、被爆ピアノは私に、「伝え続ける大きな想い」を持っていらっしゃる矢川さんと合わせてくれたような気がしました。小さな旅は次の日へ続きました。
写真は被爆ピアノが私たち夫婦を靖国神社へ導いたようです。

2014年8月8日金曜日

小さな旅

今日は東京へ出かけます。
原爆が投下された被災地から、奇跡的に助かった「ピアノコンサート」
に行きます。
東京では私の幼い?友達Sちゃんが待っていてくれます。
そして、もうひとり仕事の都合で、昨日まで未定だったTさんも
ご一緒できるようになりました。
随分前から私は、このコンサートを楽しみに心待ちしておりました。
でも、本音はSちゃんとTさんとご一緒できることかもしれません。
いい音楽、いい映画、美味しいもの・・・・・など共有して楽しめることが
おばさんの楽しみです。
それから、土曜日は私の休日です。東京に一泊するので
強引に夫を説得して一緒に行く事になりました。
わがままを聞いてくれる夫にも感謝しています。

2014年8月7日木曜日

想い出と石積みの世界







我が家の周りは新興住宅街?ですがまだまだ田園風景を楽しむことができます。

玄関を出てすぐ目の前に緑の絨毯が広がります。稲の背が伸びたと感じたのは2、3日前なのに
もう、稲の穂が見えました。数日の猛暑でいっきに成長したようです。
稲の中から、ザワザワ、カサカサって・・・・・・。バッタが稲の中でかくれんぼを楽しんでいるような音です。

自宅から豆撰までの距離は3.5キロくらいです。
その途中、「世界のスズクラ」と言われた織物工場の脇を通りぬけます。少しおんぼろに見えます。
なんだか、栃尾の街の衰退のようで、少し寂しいです。
川向こうの家並みのその上は「城山」が見えます。
青い空と白い雲と城山の緑のコントラストはとても気持ちがいい。
100回以上、何回城山に上ったことだろう・・・娘と園児と夫と。
その時の想い出が浮かんできます。
ケヤキの道を通り抜けた小路の先に15年上って通った保育園の石段が見えます。
石段の手前には「ころり地蔵様」が・・・
そうそう、ちょっとお願いしなくっちゃあ。誰の?決まっているでしょ。
歩くと本当にいろいろなことが浮かんできます。未来のことより、どうしても過去のことの方が
たくさん、たくさん浮かんでくるのでしょうか?不思議です。

さて今日は 「石積み」の日でした。

子供たちも大人もいなくなった川原には、積まれた石だけが取り残されていました。
川原に下りると、積まれた石の高さが低いものを見つけました。
なんとなく、小さな石の塔を見つめていると33年前のあの日の小さな命・・・・・・。
ともちゃんは、ほっぺが落ちそうなくらい真ん丸い顔で少し、はにかんで私をみつめます。
かよちゃんはお姉ちゃんらしく、ともちゃんの隣で微笑んでいます。
きっと、二人の姉妹は天国で美人姉妹ってみんなから慕われていることでしょう。
そっと、手をあわせて「ともちゃん、かよちゃんお元気?・・・・・・。」




2014年8月5日火曜日

どなたのお墓だったかしら?

お盆も近くなって・・・
朝食前にお墓のお掃除に行きました。
お墓に行く前に分家のお墓があります。
今では分家には主がおりません。
「お父さん、あとでいいから、この草だけ刈ってね」と私の背丈ほどある
草を指差し頼みました。
お墓のまわりのツゲの剪定をしてもらい、私は草取りを終えたころ
夫は「向こうの草を刈ってくる」ということになり、
私はお墓の石磨き・・・やれやれ終了。
夫も終了、では帰りましょう・・・・・・。
「きれいにしくれてありがとう?????何お父さんこのお墓ちがうじゃん、この隣だよ」
「おまえがここだって」
「お墓の後ろに名前あるでしょ、気がつかなかったの?」
やれやれと思ったのに・・・・・・。
「でもさ、ご利益あるわよ、誰だかわかんないけど、お墓の中で
手をあわせているわよ」と私。
夫婦は似てくるものです、私に夫は似てきたのでしょうか?

2014年8月3日日曜日

復興と感謝

長岡祭りといえばもちろん「花火」そして「フェニックス」です。
中越地震復興から10年目、多くの悲しい出来事は
花火に癒され、復興への力がわいて来るようです。
あの日は仕事もほぼ終わりに近づき
後片付けをしていました。
突然の大きな衝撃に全身が振るえました。
お店の屋根の瓦が音を立て崩れ落ち、パソコン、本棚は飛び散り
立ちすくみ、泣き叫びたくなりました。
それでも、スタッフを守らなければなりません。
電気とガスの元栓、動力を切るように指示し
みんなでスーパーの空き地に逃げ込みました。
それぞれの顔からは血の気が引き、言葉も少なくなりました。
余震がかなりおさまってきたので
各自にくれぐれも注意して帰宅するように・・・後片付けについては後から連絡する事にしました。
さて、今度は自分も帰らなければと思ったその時、夫からの携帯電話がつながり
「大丈夫だったか」との言葉に涙があふれた事を思い出しました。

さて、お蔭様で豆撰も長岡祭りの影響は大きく、たくさんの方々からお出でいただきました。
遠くは千葉のお客様、FBのお友達
ご近所の方々ありがとうございました。
暑い中、栃尾にお越しいただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
栃尾の町並み雁木通りや秋葉神社などは
地味な観光スポットですが
私の大好きな栃尾です。油揚げを食べて栃尾散策を楽しんでいただきありがとうございました。

写真は杜々の森の湧き水です。




2014年8月1日金曜日

長岡花火

長岡祭りが今日から始まりました。
豆撰にお越しのお客様も平日にしては
とても多く、アツアツの油揚げや冷たく冷やした「ざるとうふ」をお召し上がりいただくと、
「美味しい、美味しい」の声に
暑くても頑張っていることが報われているようです。
長岡花火も中越地震から復興10年目とあって盛大なイベントが計画されているようです。
皆様、長岡祭りにお越しの際は
お時間がございましたら「豆撰」にお立ち寄り下さい。
アツアツの油揚げと冷たい「ざるとうふ」をご用意しております。
また、新発売コーヒー豆乳プリンも店頭にて販売、お召し上がりいただけます。
豆撰はこちらです。→http://mamesen.jp/map/