2016年3月31日木曜日

アメリカの中の砂漠










高速道路を、とにかくひたすらに走り続けます。片道4、5車線です。車道は車の島ができるようです。そして走る車は、トヨタ、ホンダ、ニッサンと日本車が目につきます。もっとも車に興味のないおばさんにとって、日本車意外見分けがつかないのですから、仕方がありません。時々、日本の車会社が道路沿いに目につきます。これはまさに、日本経済の頼みの綱なのでしょうか。
また、途中では日本では見たことのない、大規模な風力発電にまたまたびっくり仰天でした。

さて、広大な敷地、広大な風景の途中、「パルム.スプリング」で休憩と昼食をとりました。レストランは典型的なアメリカスタイルのお店。ハンバーガーをみんなは食べました。私は前日に連れて行ってもらった「メキシコ料理」がきいて、野菜サラダにしました。夫のハンバーガーは日本の3倍、肉の厚さも3倍です。アメリカ人のでかいことに納得!レストランの庭に大きなサボテンや珍しい花が咲き誇っています。気候の違いと植物の差を痛感。我が家で咲くサボテンは赤く、可愛らしい。
ここのサボテンは100倍もあるようでした。ちょっとかわいらしさがない?
それからは、ジョシュア.ツリー国立公園へ進みます。砂漠のイメージはラクダと砂でしたが、ここは石の山とジュシュアの木(本当はユリ科らしい)が永遠に続く砂漠でした。
東京都の1.5倍もある広大な面積にただただ驚くばかりです。果てしなく続く砂漠の地はまるで宇宙のようです。この水のない広大な地域砂漠に施設を作り 原住民を追い出したのは、この国の資源の豊富さと傲慢さなのだろうか。人間の贅沢はきりがない。贅沢が文化を作り出し、経済優先社会を作る。それはそれで便利です。水、電気のない生活などもうできないのですから。
でも、この自然を目の前にすると、一年単位で物事を考えている自分の愚かさに気ずくのです。何億年前から、生まれては壊されています。いつか、きっとその繰り返しの中で、生き物にとって何が大切かわかる未来があってほしいと願いながら
砂漠の真ん中で、広いルームで眠る、小鳥のさえずりと、椰子の木の間から昇る太陽。
一生で一番の贅沢でした。

続きはまた。日本に戻ったら写真もアップしますので是非もう一度ご覧ください。


2016年3月29日火曜日

おひさしぶりです、おげんきですか?











お久しぶりです、お元気ですか?ブログをご覧いただいてくださる皆さまへ。

実は、前にも幾度か投稿させていただいております、私のひとり娘は訳あって、イタリアの人と結婚、そして今はアメリカ西海岸に住んでおります。そこで、初老夫婦は娘夫婦に会いに来たというわけです。日本を出発して早、一週間が過ぎます。普通の観光旅行とは違います。初日は、娘夫婦の住むベニスビーチからサンタモニカまでの浜辺を2時間くらい歩きました。砂浜では様々な格好をした様々な人種の方が、ビーチバレーや、日焼け、、スケボーなどを楽しんでいました。この地は雨が月に一度くらい降るか降らないそうです。雪国、それも豪雪地区の栃尾からみたら、まるで夢の世界です。この天候がここの地の人を、少しくらいのことでくよくよしない、今日できなければ明日があると思わせるのでしょう。雪国生まれの雪国育ち、それも61年も過ごしてきた気質、性格の私には、なんとも羨ましい限りです。時間に追われ、おまけに家族とはいえ義父母に気を使う自分は、なんなんだ?と首を傾げたくなります。特に一番私が感じたことは、子供達の顔です。子供達は外で遊びます。サッカーをはじめ、からだを思いっきり使い、意気揚々とした顔です。
この子らは塾なんか行きません。子供同士で体と体でふれあい 、社会性を身につけ、いろいろなことを体験しているのだろうと想像します。日本人の子供達は、勉強というものに押し付けられ、のびのび感がないように思えるのは私だけでしょうか?塾に行くことが特別な時代に育った私です。もちろん塾なってものにはいきませんでした。その代わり勉強はできませんでしたが……。子どもの心が育つ、経験や体験に勝るものは勉強だけではないはずです。遊びの中で育つはずです。と私の持論です。そして、思うのです、受験勉強や、塾通いより、もっと大切なことがあることに気づいてほしい。未来を支えるのは子供達なのですから……。

初日ベニスビーチを歩いて

続きはまた

2016年3月21日月曜日

鶴に願いを込めて


目が覚めたら
夢を思い出しました。
お友達が私を向こう岸で手招きしていました。
夫に話すと
「お前を呼びに来たんじゃないか」と
私は二度と会うことのできない友に会えたから
それが夢でも嬉しかったのに・・・・・。

夕べの話がきつかったのかもしれません。
あれこれ考えて、父のこと、叔母たちのこと。
抗がん剤は嫌です。
私はしたくない。
でも、家族の立場になると
話は違ってきます。
もしかしたら、奇跡が起きるかもしれませんから。

仕事をしながら
今日一日その人のことを考えていました。
どうして、働くことをやめなかったのだろうか
定年はとっくに過ぎていたのに
どうしてが何回も頭の中で廻るのです。

ぽかんとしていると
残りの、使えない紙が目に入りました。
なんとなく
鶴を折りたくなりました。

二羽折りました。
その人とその人の奥さんに思えてきました。

あきらめていた気持ちが、
頑張って、精一杯生きてほしいに変わっていました。

お手紙に添えてみることにしました。

2016年3月20日日曜日

栃尾のおいしい手みやげ






豆撰の「おいしいもの」を

集めました。
栃尾の油揚げ屋なのに、
豆乳プリンをはじめ
あぶらげロール巻
豆乳と卯の花で作ったチョコケーキなど
お酒のおつまみから
洋菓子にお惣菜・・・・・・。

お友達にご両親にお子さんに
健康にきずかった
贈り物探しをしてみませんか

栃尾の春も顔をだしはじめています。
ふきのとうにあさずき、ぜんまい、わらび
自然の中には笑顔がいっぱいです。

アツアツのあぶらあげと栃尾の春探しに
お越しください。お待ちしています。


2016年3月18日金曜日

桜道はゆめのかよいじ







この道を通って、小学校に通いました。
西谷川の堤防を歩いて
桜並木を通りぬけ、中庭を通りすぎると
大きな正門が東と西に分かれているのです。
正門のところにも大きな桜の木があったような
気がします。
今は総合体育館の裏手に数本あるだけです。
老木になり、木々の肌はちょっとかわいそうです。
この老木は100歳に近いのだろうか、それとも
100歳を超えているのだろうか 
桜の年齢を考えながら
自分の年を振り返る。
最近振り返ることがちょっと多いなと思う。
桜が咲き始めたら
栃尾の桜めぐりをしようと思います。

大野園、城山、栗山
泉の老人ホーム 

一番のお気に入りは
表町、昔の岩神、和光写真屋さんと
種屋さんがあった、大橋のたもとの桜
枝振りもよくって器量よし
この桜の木の下を大名行列が通る。
ゆめのかよいじかもしれない。

今年は桜の方が早すぎてしまいそう・・・・・・。


2016年3月17日木曜日

春のお彼岸




お彼岸の入りです。
日頃、亡き父に手を合わせることも
年々少なくなりました。
「おはよう
ごめんね」
とお線香とおだんごとおはぎをあげてきました。

父は悪性リンパ腫、前立腺がん、腎臓摘出と
次から次へと、いろいろな種類の病気に
罹って、
家族に、その中でも母に苦労をかけっぱなしだった
せいか、闘病日誌には「母さんありがとう」の
言葉が一番多く書かれていました。

その母もここ数年認知症で覚えていることも
だんだんすくなくなりました。
先日妹が
「じいちゃんって、いやなひとだったね。おこってばっかいてさ」
と母に言っていました。
すると、母は
「いいひとだった」と
ほほ笑むのです。

年月の過ぎるのも
忘れるのもよし


お彼岸に父を想いだし、数か月の命だった妹、
大好きな叔母を想いだし・・・・・。

この過去帳を広げてみました。






2016年3月16日水曜日

栃尾の朝





今朝は刈谷田川を流れる音に励まされて
豆撰への道のりを歩きました。
この川から音とともに
舞い上がる癒しの空気は
マイナスイオンなのだろうか
いつもの仲よし鷺は夫婦なのだろうか
私の足音に気づくと
パタパタと羽を動かし、しばらくすると
スーイスーイと飛行していく。
頭の上から聞こえるセキレイの歌もいい。

この刈谷田川沿いで
寝ころんだ少年のことが
頭に浮かぶ
少年は苦しかった辛かったと
今日まで想っていたけれど
それは間違いだったかもしれない
この、川沿いで癒されていたのかもしれない

私はこの道を歩くと気持ちがいい。

2016年3月13日日曜日

「きみはいいこ」…に想う

栃尾オリナスでの上映
「きみはいいこ」
主演は尾野真千子さん、高良健吾さん

予備知識がほとんどなく、幼児虐待をテーマに
撮られた映画であること。主演は尾野真千子さ
んくらいの知識でこの映画を観ました。
彼女の魅力はNHKの朝ドラ「カーネーション」で
発見していました。
淡々と表情を変えずに話す演技に自然とひかれ
たのです。今回も彼女ならではの、心に秘めた役
のうまさとすごさを感じます。親から虐待を受けて
育った母親、同じことを繰り返す。
もっと、ひどい場面があるのかとドキドキしながら観
ていましたが想像よりもはるかに優しかった。
尾野さん演じる母親の友達の
セリフが何回か繰り返えされます。
「うちのこになろうか?」
と虐待を受けている子供にわざと話かけるシーン
は胸を刺すのです。

虐待こそ見られなませんでしたが、父子家庭になっ
たこどもたちの悲惨な日常をかつての保育園で見
ていた私です。お風呂も入れてもらえません、洗濯
もしてもらえません。髪の毛は伸び放題です。
「せんせい、せんせい」と抱っこを要求する
あどけない笑顔を思い出すのです。
異臭が鼻を突き、私は膝の中に子供抱きながら
顔をそむけたこともありました。保母失格です。
夏になればシャワーをして、着てきたものは洗濯をし
てやりました。いくら父親にお願いしても、仕事と子育
ての両立は難しく聞き入れてもらえないのです。
こんなひどい父親に父親の資格があるのだろうか

それでも、こどもは居残り保育を終え、父親が迎え
に来ると「パパ、パパ」とそれはそれは嬉しそうに
笑って父親の腕にぶら下がるのです。
これが親子ってものなんだと若かりし私が経験した
ことでした。

小学校教師役の高良健吾さんも
素直で伸び伸びとした演技を見せていました。
教師と一人の少年の関わりが私には一番苦しく、
心に重くのしかかってきました。
父親は母親の再婚相手です。仕事につかず、
ぐうたら亭主でしょう。
子供には食事も満足に与えない、5時までは家に
帰ってきてはいけない、おそらく虐待されているの
でしょう。新米教師の葛藤の中で、彼はひとつの良
いことを発見するのです。
「家族の人に抱いてもらうことが宿題です」と
頭をなでられたり、頬を寄せ合ったり、抱きしめられ
ることはスキンシップであり、幼児教育から学童低学
年教育にはとても大切な愛の薬だとは思います。
しかし、この映画の中で、監督は何が言いたかった
のでしょうか
少年には少年を抱きしめてくれる家族がいたので
しょうか
30人学級ならば30人がそれぞれの事情があるは
ずです。正しい事がもしかしたら正しくなかったか
もしれないと宿題を出した日から登校していない
少年が気になって気になって仕方なかった。
だから勇気をだして少年の家の戸をたたいたので
はないだろうか、この監督の意図するところはまだ
つかめていません。ただ、私も若い頃の失敗が
よみがえるのです。
月曜日の朝
「さあ、今日は昨日どこに行ってきたかな?お父さん
お母さんと楽しかった思い出を描きましょう」と
言ったのです。すると、そっと私のところにやってきた
女の子、「わたし、どこもいかん、だって父ちゃんも
母ちゃんも田んぼ」と友達は遊園地や公園、デパート
に行ってきた楽しい話ばかりしているのですから・・・。
映画の中に若き日の自分が映って見えました。
この教師は何に気づいて、少年の家の戸をたたいた
のでしょう ・・・・・・。

2016年3月12日土曜日

豆撰の栃尾の油揚げ!ディズニーランドへ



豆撰の油揚げ!ディズニーランドへ出発!
和食のお店に「ねぎ」と「鰹節」をお供に
登場しているようです。
今日はそのメニューのポップをつくりをしました。
焼き方にこだわり、角度を考え
なかなか、思うように撮れません。
カメラのシャッターを切るのは夫です。
あぶらげの離し方、ぼかし方、
ちょっと違うのではと小さな声で
ぶつぶつ、つぶやくのは私です。
そして、
次に醤油をかけるからと連射で!
うーん。まあいいか。と妥協。
ディズニーランドへで、
皆様の目に止まり、皆様のお口に届きます
ようにとお願いしています。




2016年3月11日金曜日

ご無礼をお許しください

作りたての「栃尾うどん」が入荷しました。
お店に早速並べようと、棚の整理をし始めたら
1年前のお葉書を見つけました。
そこには、「栃尾の油揚げを送っていただき
ありがとうございました、
筍と一緒に煮ておばあちゃんにお届けします・・・・・。」
とお礼の内容でした。
私はそのお葉書が嬉しくて
お店に掲示しまま1年。
お返事を書くことを忘れていたのです。
なんて、失礼なことをしていたのだろうかと
自分が情けなくなりました。
パソコンで早速住所を確認したら
お返事も出さない豆撰なのに
それからもご注文を頂戴しておりました。

申し訳ございませんでしたのおてがみに
豆撰のスタッフの写真を添えてお許しを願うことに・・・・・・。

2016年3月10日木曜日

嫁と妻と娘

朝、リビングの掃除の際に、見つけた電気料金の
メーター表何も見ずにもちろん、ごみ箱に捨てました。
すると朝食を終えた義母が
「大事な紙じゃあないのか、ごみ箱にぶちゃってあった
見てくれ」と夫に差し出すではありませんか。
私は黙っていると
「○○円かかってるんだな、わかったからいらん」と
夫が義母に答えていました。
義母はたまたま、ごみ箱の中身が見えただけだった
のでしょうに。
ごみ箱の中まで点検されるとはと腹を立てる意地悪
な嫁になる私です。
ただ、この嫁の良いところは
それに対して異議申し立てをしないことです。

運動不足を解消するために
今日も自宅から豆撰へ歩くことにしました。
午後から、車に乗ってこないので、町へでかけるのに
歩こうかと玄関を出たところ
マイカーがあるではありませんか。
夫が乗ってきて、歩いて自宅に帰ったのでしょう。
夜は遅くなるから私が歩いて帰るには大変だから
と、親切心のはずなのに、悪妻は、早くお酒が飲みたい
からで、私を迎えに来るのが嫌だからと思ってしまう。
ただ、この妻の良いところは
夫に私の真意を語らず黙秘し続けます。

ブログを書いていると



いつものように認知症の実母が事務室にやってきました。
妹と母は「あかとんぼ」と「月の砂漠」を歌っています。
私の後ろから聞こえるふたりの歌声に涙がこぼれます。











2016年3月9日水曜日

あの日、3月11日から「小さき声のカノン」

長岡アジア祭映画
鎌仲ひとみ監督作品「小さき声のカノンー選択する人々」

映画にもいろいろな種類の映画が存在します。
アジア祭映画の中で一番重かった映画です。
興味と言うより、私たち日本人が真実を知り
受け止め、これからどう考えるべきかを
問うこの作品の感想が一番最後になってしまいました。

3月11日、あの日の東北地方を襲った大地震。
大地震の映像に、深い悲しみ。流される家、車、人。
中越地震の前に大水土砂崩れで我が家を失った私
でさえ目を覆いたくなるテレビ画像が今も焼きついて
います。
しばらすると、当時ドイツで仕事をしていた娘から
悲痛な電話とメール攻撃を受けました。
福島原発はメルトダウンしている。
水の注入を躊躇している東電はお金だけを考えている。
報道が間違っている。
娘の友達は、早く両親を迎えに行きなさい。
などなど・・・・・・。
ドイツの報道と日本の報道のあまりにも違うのに
私の心は張り裂けそうでした。
東電が認めようが認めなくても
あの建屋の映像を見せられたら、だれだってメルトダウン
していると思ったのではないでしょうか。

「小さき声のカノン」に登場するこどもたち
若い世代のご両親の叫びをどう受けたら
いいのでしょうか?チェルノブイリとの対比。
今、症状がなくても、次の世代に放射能は悪魔になって
現れるのですから。
私の死後にしか事実は伝えられないのでしょう。
20年30年100年1000年
その廃棄物はいつになったら消えるのでしょうか。

この映画をみながら、背中がぞっとする。
そして、ふと思いだしてしまいました。
大地震の2ケ後に、娘の卒論研究のために被災地を
回った2日間。
ふと、不安がよぎって私は愕然としました。

この不安は福島の人たち、その他多くの日本人の
声なきカノンなのではないでしょうか 
では、私たちは何をしたらいいのですか
教えてください。



2016年3月8日火曜日

「ゆめはるか」から

長岡アジア祭の二日目は
五藤利弘監督作品「ゆめはるか」

この映画は私には、とても想い出深い映画です。
そして、4回目の「ゆめはるか」を観ることができました。
以前にもこの映画についてブログを書いたことがあります。
今回はその時から1年半近く過ぎています。
その1年半の間に
私は友人を失い、私のことを子供のように思ってくだ
さった方を失いました。お友達に願望のお孫さんも
生まれました。たった1年半の間にも
命が誕生したり、消えたりします。
生きていればこその悲しみと喜びを味合うことが
出来るとつくづく思います。

そんな日々を過ごしてからの「ゆめはるか」は
以前に観た「ゆめはるか」とは違って、なんだかゆとりの
心で再度観ることができました。

今回はセリフの中に「何」が言いたいのだろうかと

考えながら進む映像を追っかけたり、
追い越したりしていました。

縁があって私の娘と娘の友達が写真として
映画のスクリーンに映し出されるシーンがあるのです。
その一枚の写真をみると
以前は亡くなった娘の友達がかわいそうでかわいそうで
なりませんでした。

でも、今回はその私にとって想い出のシーンに涙は
ありませんでした。
「生まれてきてよかったね 」という気持ちに変化していました。

短い命でも「生まれてきてくれて、ありがとう」とご両親は
思っておられるのではないだろうかと・・・・・。

五藤監督の亡くなられたお母さんの描かれた絵が
ナースステーションに飾られて、映像で写されています。
お母さんはもしかしてこの映画の中の「未来」の気持ちで
絵を描き、逝ったのだろうか・・・・・・。

ひとつひとつ丁寧に観ていくと
映画の中には「あなたに会えてよかった」のサブタイトル
を勝手に作る私です。
そして、
この映画のあとに知った私の心臓の音。
少し手入れが必要とお医者さんに言われました。
小さな、簡単な治療です。
お医者様は「治りますから」と明るく、優しく私に言って
くださいました。
せっかく、神様が治りますと言ってくれたのです。
私のこれからの人生
さあ、どの道を歩きましょうか
少しゆっくりと歩こうかな?
と刈谷田川沿いを歩き豆撰にたどり着きました。






2016年3月7日月曜日

筆子その愛 -天使のピアノー





平成19年度児童福祉文化賞受賞作品

監督「山田火砂子」氏
主演 「常盤貴子」さん

この作品は前から気になっていた映画でした。
でも、観るチャンスに恵まれずにいました。
そのチャンスを長岡アジア祭が届けてくれました。
入場する前に100ページほどの本をいただきました。
その表紙は映画のタイトルの「筆子その愛ー天使
のピアノー」と書かれたモノクの白い本です。
私はこの映画のポスターのこの字が気になってい
ました。


さて、映画のはじまりは
裕福な家庭に生まれ、有力な藩士の娘として教養と
美貌に満ち満ちた若い時代を過ごす筆子、絶対にふ
れることのできない別世界のピアノの存在、最初の結
婚、女性教師としての活躍、常盤貴子さんの演じる鹿
鳴館時代の雰囲気を観ていると、ふと私の中に嫉妬心
とは違うのですが 、裕福と貧乏の違いが頭をよぎり、
熱演されているサト役の渡辺梓さんに感情が走るのです。
ここが私の悪い観かたなのです。全部観終わると、
映画のはじまりに感じたこの感情を恥じてしまいました。
内容については、ぜひご興味のある方は映画そして本
をご覧ください。

筆子先生の愛は無償の愛です。
再婚した夫石井亮一先生の愛も無償です。

そして、この作品を手がけた監督「山田火砂子」氏は
親としての目線と監督としての目線で
人に感動を与える映画を撮り終えたのでしょう。 今、想像するよりもはるかに差別されていた時代
障害児をまとめて、白痴と言った時代に、
無償の愛で慈しんだ筆子さん
に対して、ちっぽけな愛情さえもてない自分が情けない。

保育園に勤めていた時に3人の知能に遅れのある子
どもたちとかかわりました。
遠くの記憶がよみがえってきます。
お昼寝なのに、あばれてお昼寝ができません。
私はしっかりと布団の上から、彼らが飛び出したり、
他の子の迷惑にならないようにと押さえこむのです。
言葉のでない子に対して、先回りしてやったり・・・と
今思えば失敗ばかりでした。
私のもやもやと障害のある子を救ってくれたのは
映画の子供たちと同じ、子供たちでした。
私のように、口と手を先に出さず、子供たちは保母
以上の優しさで導くのです。それ以来私は自分の
役割を子供たちにお願いしたものです。

そして、映画では映しきれない部分を本が解説してく
れます。ベテラン俳優の演じるすべての俳優さんと
同格に演じた多くの子供たちに
「ありがとう、素晴らしかった」と伝えてやりたいと
思いました。


この題字を書かれた俳優の小倉一郎さんにひかれた
理由は映画の中の役が。この題字にあふれていたから
だと思いました。









2016年3月5日土曜日

母親として妻として嫁として

週末の予定を一方的に話す妻と嫁役の私。
「今日は仕事に行きます。
夜は映画を妹と観ます。お夕飯はいりません。
明日はお友達と午後から映画を観に行きます。
だから2日間、お夕飯はいりません」と話す。
夫も義母も、この妻と嫁役はみせかけであり
本物ではないと、やや呆れ顔。
では、母親役は見事に演じているかと言えば
これまた、昔から子育ての大半を祖母と夫に
依頼してきました。
それでもこの3役の中で一番力を入れてきたのは
母親役です。
私なりには娘の自主性を尊重し、海外に飛び出しても
人様が思うほどの寂しさもなく、むしろ彼女の海外暮らしは
私の狭い世界感を広げてくれています。

と言うことは 私は母親として妻として嫁としての三役の
どの役も演じきれず・・・・・・。
私は私だとばかりに、この道を歩いているようです。
豆撰へ歩いてきた道、これからの豆撰への道に
終わりはないかもしれないと
日本アカデミー賞の放送を観ながら思っていました。






2016年3月4日金曜日

霧につつまれて


夕べは
コトコトコトと振動する自分の音で、なかなか寝付くことができず、
赤ワインを少し口に含みました。
すると、暖房スイッチの音がする5時まで
ぐっすりと眠ることが出来ました。
窓の外を見ると
街灯に照らされた家並みが霧につつまれていました。
今日は良いお天気になりそうと確信して
歩き出しました。
刈谷田川には鷺が大きく見えます。
心の中で「おはようさん」と声をかけました。
雪解けの水の音はごうごうと私の背中を
押します。金沢橋あたりに来ると、
遠くはまったく見えませんでした。
それでも、私の右側を照らすお日様に
心があたたかくなります。
金町通りには、いつものあの坊やが
ニッコリと私に微笑む。
お互いに「おはよう」と手を振る。

そして、4月になったら高尾山に登ると約束した、
お友達家族を思い浮かべながら少し急ぎ足。
豆撰に到着すると楡原方面は幻想の世界でした。
さあ、がんばって仕事、仕事。





2016年3月3日木曜日

Kさん Lさん Mさん

三人の美女がお揃いで
豆撰に油揚げを食べに来てくださいました。
バスから降りて、格子戸をあけると
すぐに、「こんにちは」とさわやかな
そしてボリュームのある大きな声 は赤いコートがお似合い
のLさん。背が高くて足が長くてびっくり仰天。
ああ、アカペラで歌ってほしかった。

サスペンスでおなじみの女優の Kさんは上品な笑顔。

そしてMさんのスタイルは抜群でした。
チビでおデブの私はもう三人様の引き立て役にもってこい!

揚げたてのあぶらげがテーブルに並ぶと
「うわあ!これ一人が一枚食べるの?まあダイエット中だけど
明日からにしましょう」
薬味には、塩サンショウと豆撰オリジナルねぎみそと油揚げの
専門だし醤油の三種類を取りそろえました。
「私はサンショウが大好きなの 」と大喜びのLさん。
次はねぎ味噌で食べてもらうと
「これ一番美味しいかも」
「ではこの順番でワン塩、ツーお醤油、スリーねぎ味噌、
でいただきましょう!」と三人様のあぶらげを頬張る笑顔に
感謝感激でした。
本当に美味しい美味しいと目をまるくして大喜びしてくださるのです。それも残さずに!おまけにオリーブオイルで揚げたあぶらげも
「あら、これちがう、さっぱりしていてイタリアンみたい」とKさん。いろいろな食べ方があるのねと食レポなさって、お買い物をされて、お帰りになられました。ねぎ味噌もちゃっかり調達され・・・・・・。

私がカメラを向けるとニッコリポーズをとってくださいました。
写真は店頭に飾ってあります。
さて、はて、いったいどなたでしょうか? 
 

2016年3月2日水曜日

ゆれ動く心とやる気のふたり

61歳を過ぎ62歳に向って歩き出している今日この頃。
認知症の実母を見るたびに
私の中の自分と実母を比べています。
75歳頃からはじまった認知症は緩やかではありますが
確実に進んでいます。
75歳までは14年しかありません。
14年後の自分を実母に重ねると、14年後に認知症が
はじまるのだろうか?
いえ、そうならないために脳トレをしなければと焦る自分と
ふたりの自分が葛藤しています。
そしてひとりの私は
ここまでなんとか頑張ってきたのだから、この辺で好きなこ
とをして楽しみなさい。とわたしの脳に送信するのです。
ところが今朝
妹が美味しい紅茶と搾りたて豆乳で作ったお茶?を
飲みました。
その美味しい事にびっくりでした。
甘くて、紅茶のほんのりとした渋み?は大人の味です。
紅茶もいつもの紅茶ではありません。お友達からいただいた
ものです。
ティパックではなく本場の紅茶です。ロンドンの香りがしました。
英語が読めない私。この紅茶は本場物であり、
飛び切り美味しいものであると脳にインプットしているのです。
そして、妹と味合うお茶に話が弾むのです。
お店を少し広げて、豆乳カフェ を作ろうか?
そうね、それはいいよね。
1坪2坪広げて、負担にならないようなお店つくりしたいね。
Hさんに描いていただいた絵のように、相談してみようかしら?
豆乳の美味しさは絶対に豆撰が一番だしね。
と「ソヤミルク・ティ」を飲みながら夢が広がっていくのです。
この夢を見るのも61歳のもうひとりの私なのです。
ふたりの私の葛藤に悩む私です。



2016年3月1日火曜日

監督と俳優





面白いことに気がついた昨日のアカデミー賞授賞式。

毎年、それほど関心が強いわけではありません。
今年は、特別に気になったようです。
誰が主演男優賞をとるのか?と誰しもが期待に胸を躍らせていたように私も・・・・・・。
アメリカに住む娘に、まだかと催促、ソワソワの私でした。
よくよく考えてみたら
オスカーを手にした映画は宣伝しか見ていません。
娘は2か月くらい前に観賞、「お母さんには無理かも」と一言。
映像がたぶん生々しくて、残虐なシーンは私には耐えられない
と言っているのでしょう。

そして、私はどうか受賞できますようにと祈っていました。
つまり、私は観てもいない映画の中の俳優の演技を想像し
彼ならば、素晴らしい役作りをするであろうと思っているのです。
自閉症の役は観ていませんが、その後の苦悩から這い上がり
ながらの作品のいくつかを観ています。
今回は5度目のチャンス!
作品は「レヴェナント」主演はデカプリオに栄冠。その瞬間
観ていない映画に私はひとりで
「やったあ」と拍手していました。
監督の「あなたがレヴェナントです」と俳優をたたえるやりとりに胸がいっぱいになりました。
監督と俳優そしてその仲間たち創る映画は是非見なければならないと思っています。
映画とは不思議なものです。映画を観る人にも物語をつくらせるのですから・・・・・・。魔法のようです。 
映画っていいものですねと誰かの声が聞こえてきました。