2015年12月31日木曜日

サウンドオブミュージックへの想い

大晦日、一番に観た映画はサウンドオブミュージックです。
最初に観たのは15歳。
初演は1965年だから11年後に観てから、
実に46年の歳月が過ぎたことになる。
中学3年の私が、長岡のグランドで観た記憶がよみがえる。
最初のシーンは素晴らしい山の風景である。
右から左に移動する画像の美しさは
いずれ紹介予定の豆撰と栃尾の動画のようだ。
この映画が進むに従って想い出す。
この映画は私の夢であり、目標となったからだ。
マリアがフリップ大佐の子供達に接する姿を見て
保母になりたいと想った。
子供達に辛い時はうたって、踊って、笑える
仕事がしたいと想ったのです。
実際は映画の世界とはと違って、歌の下手な私。ピアノが弾けない私の
苦労と努力は大変なことでした。
そんな遠い昔を思い出しながら、15歳の自分の純な心に感傷的になりました。
エーデルワイスを歌うトラップ大佐は結構若い。ハンサムである。
15歳の私には、おじさんに見えたのも無理ありません。
第二次世界大戦を背景に
大佐の信念は、今だから理解でき、感動できます。
大佐の婚約者の貴婦人の目線と表情に助演女優の
貫禄を感じ、修道院のいたずらに
思い出し笑いをすると私。
この映画の歌のメロディーを口ずさみ
子供達と歌ったドレミの歌を懐かしむ。
大晦日に観るに、なんとなくふさわしい映画だった。
子供達に必要なものは、愛である。

来月には劇団四季サウンドオブミュージックを観る。
映画と舞台の違いを感じてきたいと思っています。
今日に二作目は…….?あとで。

2015年12月27日日曜日

親不孝のわたし



豆撰に必要なものを急いで取りに行きました。
妹の家です。
私の生まれた家です。
父が眠っています。

玄関を開け、必要なものを取り
急いで立ち去ろうとする私に

「ほら、礼子、サザンカがきれいに咲いてるだろ、そんげん急がんても
みていけばいいねか」と
寂しそうに私を引き留める声がしました。

仏壇に手を合わせることもせず
お水を上げることもせず
帰ろうとした親不孝の娘

サザンカの花が囲いの中で窮屈そうに
咲いている
雪の降らない土地だったら
おもいきり手足を伸ばし
咲くことが出来るのに

雪国に生まれ育った宿命と親不孝の自分に
涙がにじんでしまいました。


2015年12月24日木曜日

映画「花蓮」にはもう一つ大きなテーマがあるのでは・・・・・・。

映画「花蓮」にはもう一つ大きなテーマがあるのでは・・・・・・。
茨城のレンコン農家、栃尾の米つくり農家
全国の抱える農家の問題はTPPを含め、とても深刻だと思います。

土浦の蓮田が続く風景を車窓から眺め

蓮の花の咲くころを想像すると、素敵な気持ちになりました。
栃尾の棚田の黄金の絨毯が風になびくと
稲の香りがただよい
心が和みます。

しかし、近年はいろいろな農業問題から
跡継ぎ問題とそれぞれの抱える問題は大きい。

栃尾で兼業農家をしてきた我が家でさえ米つくりを今年でやめることにしました。
栃尾の棚田は一体いつまで守れるのでしょうか
茨城のレンコン農家はどうなのでしょうか
「花蓮」の中に登場する両親の気持ちの変化は
ここにもあったのではないでしょうか
息子がレンコン農家を継ぐならば、
タイ人のお嫁さんを祝福しなければという両親の気持ち。
栃尾の農家にも外国からお嫁に来ている人がいます。
茨城のレンコン農家でも同じなのではないかと思ったのです。
農家の後継ぎ問題はこれから栃尾も茨城も
日本の農家の大きな課題を映画の中で投げかけていたのではないでしょうか。


米つくりをやめると 決意した夫は
「娘が帰ってきて 田んぼするわけないからな・・・。」
とつぶやきます。
私は夫の虚しい気持ちを知りながら

「アメリカに行っている娘が出来るわけないでしょ」と
強い口調で返答するのです。

私と同じ立場の人も多いのではないでしょうか
親として観る「花蓮」、主人公の立場として観る「花蓮」
優柔不断な青年に「こんなへなちょこはダメ」と思う方
年齢を問わず多くの人が自分の立場で観る「花蓮」はどうでしょうか
映画は観る人によって、あらたな物語が生まれるのかもしれません。

 http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14508591355652


2015年12月18日金曜日

一日って24時間?

12月も半ばを過ぎました。
朝から夜遅くまで仕事が続き
少し、息切れ状態です。
まったく家庭の仕事はできません。
なんとか毎日やることは
朝食作りとお洗濯。
そしてお風呂掃除。
冷蔵庫の中も、戸棚も
気になりますが、仕方ありません。
目をつむっています。
それでも夫が夕食を作ってくれるので
本当に助かります。

大晦日からのお休みは
お掃除をすることに決めました。
それから、映画を見て、本を読んで・・・・・・。

去年は娘夫婦が帰国していましたが
今年は婿殿のお国へ帰ります。
ちょっと寂しい感じがしますが
あちらのご両親も首を長くして娘夫婦を待っていることでしょう
今年は私たちが我慢しましょう。

それにしても一日の過ぎるのは早すぎです。
このスピードで過ぎたら
あっという間に
玉手箱から煙が出てしまい
私はおばあさんになってしまいそう

スローモーションになったら、それも困ってしまいそう。

時間ってその時その立場によって早くなったり、遅くなったり
不思議です。




2015年12月16日水曜日

認知症なのか天然ボケなのか

3ケか月に一度の診察
待合室で実母の血圧をはかる。
普段微笑むか、うなずくか、声をなるべく出さないように
脳が命令しているはずの母
「痛い、もういい、やめてくれ」と
待合室のみんなに聞こえそうな大きな声を上げる。
「ちっとばかだから我慢しんばんろ」と小さな声でささやく私。
血圧を測り終え待合室の椅子に腰かける。
なかなか椅子までたどり着かない母(2メートル弱) 
つい、
「もっとスタスタと腰をのばして歩いてよ」と
母は耳がとおいので ちょっと大きな声をかける。
ようやく?私の隣に座るとその隣に車いすの老婦が
母に声をかけました。
「長くつは歩きにくいですよね、おばあさん。
年をとるとわかりますねえ」と母に話しかけ私の顔をみて
ニッコリ。
ああ、きっと私はなんて意地悪な娘と思われただろうか・・・・・・・。
次に、私はトイレに行きました。
すると隣から「戸があきません。どうしたらいいですか」と叫ぶ声。
「ちょっと、待ってください。ひらくと書いてある方へレバーを上げてください。
そしたら縦に長いつかまり棒を引いてください」
「あきました。ありがとうございました 」と70歳くらいの
婦人でした。
このトイレは折り畳み式のドアだったのです。
その間、母に私のバックみていてねと頼んでおいたのです。
母はバックの紐に、しっかり手をかけて待っていました。
認知といえど、結構しっかりしてんじゃん。

母は昔から天然のところがあって
私たち姉妹は認知症に気づくのに少し時間がかかったのでした。
今日の母は認知症なのか天然ボケなのか? 

写真は病院の中庭でみつけました。
忙しい合間のホットなきもちにさせていただきました。


2015年12月13日日曜日

海難1890を観る

歴史が動いているような映画でした。
1890年明治中期にトルコから明治天皇謁見の旅。
600人もの船員を乗せ、和歌山の紀伊大島へ流され座礁する。
その座礁前の船の中の様子は
トルコ人の陽気で心の温かさが伝わる。
一方、島では人の良い医師田村と許婚を亡くしたハルが
島民のために働く姿、そして島民の心根を描く。
この船内と島の映像が交互に動くのです。

トルコ人の上官とボイラー操縦士の友情
医師田村とハルを交えた島民の生活・・・・・・。
そこからは、もう大変です。
交互に動いていた歴史が合体するのですから。
トルコの座礁船から島民の精一杯の助け
我を捨て、生きている人を助ける島民の心。
傷ついた船員たち・・・もう涙が止まりませんでした。
この場面からは目を覆い、あふれる涙を必死でこらえて
スクリーンの中に入り込んでしまいました。
トルコ人を救った島民の真心は、海軍大尉ムスタファの
心を開かせます。
海で死んでしまった許婚をムスタファに重ねるハルの心情。
映画の中の海のきれいなシーンが涙をこらえられなく私の
胸にささるのです。

やはり、私はここでも娘を想わずにはいられません。
国が違えども「真心」が通じ合えば、助け合い、愛し合うことが出来るのですから。
生き残った船員の帰国
最後に帰国する海軍大尉ムスタファの胸の内
計り知れない「命」の形見「月と太陽」を海に投げ込むシーンは
考え深いものがありました。
涙が乾かないうちに
第二部に入りました。
1985年のイランイラク戦争場面。
ムスタファとハルが時を経て再会するのです。
私は勝手にそう決めつけたのです。
フセインの攻撃シーンになると、今度は海外生活の長かったNさんを
想像していました。
きっと、この戦火を潜り抜け生きてこられたのだろうと
そう思うと、また涙が止まらなくなりました。

日本人がトルコ人を真心で助ける、トルコ人が日本人を真心で助ける。
そこには駆け引きが全くない。宗教も資源も全く関係ない。

涙の瓶を受け取るベギールの妻の号泣。小道具の使い方に
胸が高鳴るのでした。


田村演じる内野聖陽とハルの演技もいい。そして村長演じる笹野喬史
俳優陣の熱い演技に絶賛でした。

いつか、紀伊大島に行ってこの「想い」をふたたび
あの海で感じてきたい・・・・・・。





2015年12月12日土曜日

保育士の問題

今から27年前は現役の「保母」を職業として
社会福祉法人の保育所に勤めておりました。
保育園の給与が低いから、保育士を辞めたり、資格があっても
他の職についてしまう・・・・・・。問題が取り上げられているようです。
確かに、ハードな仕事の割には、少ないお給料だったかもしれません。
でも、
今から思えば、20歳そこその私には、はじめてのお給料は大金でした。
父に4万円を家計の足しに差し出していたほどです。
そして、手元に2万円以上も残るのです。
こんな嬉しいことはありませんでした。
だから私にとっては、お給料が少ないとは全く考えたことがありませんでした。
だんだん年数を重ね、それなりの昇給もあり
楽しい保育園生活でした。
年中さん年長さんと過ごす保育園生活は
忙しいけれど満足感、充実感のある仕事でした。
私にとって、一番苦しかったのは?ピアノくらいでした。
毎日2時間くらい練習をしていました。
娘が生まれてからも・・・・・・。今思うと、育児放棄だったかもしれません。
今となっては、お給料のことも仕事量も大した問題ではなく
楽しかった懐かしい日々となっております。
さて、問題の・・・・・・
確かに国の補助金は少なすぎます。
補助金の中から人件費を割りあてられているのですから
当然、ベテランの保育士の多い保育園は財源がなくなります。
だから、お給料は低くおさえられるのでしょう。

子供たちのお世話をする仕事は
大学の先生より大変だと私は思います。
はじめて、親から離され頼れるのは保育士なのですから
保育園では母親のようなものです。
つまり、人間形成において一番大切な時期だと思います。

措置児に対する補助金を増やすことは将来の日本を担うこどもたちを育てる
手助けなのですからとても重要なことのはずです。
金額で仕事の価値が変わるとは絶対にありえないはずですが
お役人様のお給料に比べたら
差があり過ぎます。

仕事ってなんでしょう
苦しいけど頑張って、何か成果が感じることが一番

今朝はスタッフのこどもが歯医者さんに行くから
時間まで
私の仕事の邪魔をしながら?手伝ってくれました。
そして私に
「ねえ、ママ最初まちがっていたろ?」
「そりゃあ、最初はだれでもそうよ」と応える私に
なんだか満足そうにニヤッと・・・・・・・。

こどもの心はいいものです。




2015年12月8日火曜日

「おてがみれしぴⅢ」の苦労話




「おてがみれしぴⅢ」がようやく刷り上がりました。
8月から取り掛かり4ケ月かかってしまいました。
今年で3年目、そして3冊目。
正直「おてがみれしぴⅠ」、「おてがみれしぴⅡ」は
伝えたいものが頭の中にいっぱい詰まっていて、
こうしたい、あれも入れたいと想いが
次々に浮かんできました。
でも、三冊目になると
何を伝えたいのか、何を伝えるべきかとても
悩みました。
編集を依頼しているS さんに相談。
娘に相談。
よーしこれで決定と決めても
大変なことばかり重なりました。
それでも編集がお仕事のSさんとデザイン部門の娘の
やりとりの
(東京とアメリカとちょっと時差があり大変だったはずです・・・・・・)
おかげでなんとか完成にこぎつけました。
制作にあたっての苦労と言えば
レシピの写真撮影担当の私たち夫婦にもありました。
「おてがみれしぴⅡ」からは夫に撮影を依頼。
私は作って盛り付けをして…撮り終えると
Sさんと娘に送ってみる。
すると、ふたりともなかなかOKを出してくれません。
挙句の果て、FBお友達のNさんから
丁寧なご助言いただいたり、
ああ、ああ、もうだめだこりゃ・・・・・・。と嘆き。
それでも、再度、再々再度の挑戦は続きました。
その結果、なんとかみなさんのOKを
いただくことになりました。
撮影時の集中力を保つことはサザエおばさんには
とても難しいことでした。

その結果、このちいさな本の「想い」をつくることは
苦しかったけれど、とても楽しかったのです。

有名なお友達に寄稿のお願いをしたり、
素敵な絵を描いていただいたり
夜遅くまで校正点検をしてくれたスタッフ、

本当にたくさんの方の応援と協力によって
完成した「おてがみれしぴⅢ」は
今まで以上に愛おしいのです。 

ちいさな本なのに大きな輪が広がっていくような
気がするのです。
読み返すたびに涙がにじんでしまうサザエおばさんでした。



 豆撰栃尾の油揚げご注文いただいた方に
「おてがみれしぴⅢ」をお届けさせていただいております。
 

2015年12月5日土曜日

杉原千畝を観る

映画「杉原千畝」を観る。
まず、冒頭に昭和30年の外務省が映る。
終戦後、10年の時を経て杉原を探しに来るシーンからはじまる。
すぐに場面は切り替わり、北満州鉄道所と
交渉に関する緊迫状況。
杉原は日本のシンドラーのはずなのに
なんだか、情報網をめぐらす、
日本のスパイのようである。
彼を愛するイリーナの前で銃殺が起こる。
杉原の意に反したとはいえ、残虐な日本軍と
杉原に憤りを感じる。が場面は、
たんたんと第二次世界大戦に進む。
「シンドラーのリスト」と重ね、映像が進むが
毒殺、虐殺の場面が少なかったので
目を閉じることはなかった。

外交官の任務と責任。軍人の任務と行動。
何が正しく,何が間違っているのか
あの時代に口に出したり、行動したら
命の保証はなかっただろうに・・・・・・。
その人間の弱さをはねのけ、6000人のユダヤ難民を
自分の意思で救った杉原千畝と奥さん、
そしてその周りの人々に
心が救われる映画でした。
千畝を演じる唐沢寿明の表情が、流暢に話す外国語よりも
映画の中で光ってみえました。
軍人を演じる難しい役柄を小日向文世が演じる。
大使、船長などの脇役の存在が映画を
盛り上げていたようです。
風景がヨーロッパ、ソ蓮、中国と世界をかけまわり
いつもより、スクリーンが大きく感じました。
イリーナの助けた夫はユダヤ人。
そして、終盤に届けられたイリーナから杉原へ
届けられた手紙の 真意が深いような気がした。
ここで監督は何が言いたいのだろうかと
考え込んでしまいました。
最後に息子のセリフ
父杉原が「今度はどこに行きたい?」と尋ねる。
答えは「日本、まだ行ったことがないから」には
胸が熱くなりました。

 映画の中で何回も聞こえてくる
「世界を変えたい」という杉原千畝の言葉が
心に響きながら映画館を後にしました。





2015年12月4日金曜日

五藤監督撮影最終日

   




(五藤利弘映画監督動画撮影より)

動画撮影最終日は
もちろん、豆撰の工場内とお店です。
この日はお天気もよく
とても穏やかな日でした。
工場には監督しか入りません。
どんな雰囲気の中で、カメラは何を
とらえているのだろうか
いままでは監督の後ろを歩いていたので
何となく、伝わるものがありました。
しかし、今回は私はこの指定席、事務所で
仕事をしていました。
のぞいてみたい気持ちを抑えて・・・・・・。
工場を撮り終えると、お店の雰囲気、
はるなちゃんとしのちゃんを撮影。
「自然に笑ってください。お客様の顔を見てください」と
優しく声をかける監督。
でも、豆撰のスタッフはコチコチのガタガタ・・・・・・。
社長へのインタビュー・・・・・。
無事終了となりました。
この模様は「おてがみれしぴⅢ」にも
掲載しております。

私がついて回らなかった工場の中の一部が監督さんから送られてきました。
社長の顔、社長は妹の夫です。
とても穏やかで社長というより職人の顔になっていました。
工場では社長と妹の微笑む顔が私にはとても嬉しかった。
いままで、私を含め3人で会社の切り盛りを
してきましたが、送らってきた動画写真をみて
26年の歳月は苦しかったけど頑張ってきて
よかったと心から思えるのでした。
ここまで一生懸命、汗まみれになり頑張ってくれた
スタッフのそれぞれの顔も素晴らしいものがあります。
怒られながらも豆撰についてきてくれたことに
感謝しなければなりません。
みんなのおかげなのですから・・・・・・。

さあ、私はこの先ちょっと息を抜き邪魔にならないように
あまり口出ししないように
豆撰を見守っていけたらいいと心から思っています。

    監督の後を歩く紀行4はこれでおしまい!

2015年12月3日木曜日

監督の後を歩く紀行3




  (監督動画撮影より)


前回からのつづき

朝日村の豆畑の撮影を終えると
組合長さんのご案内で アユの簗場へ連れて行っていただきました。アユを食べながら農業の話。
この先一体どうなるのだろうか
若者の農業離れ
このことについては私も何も言えません。
夫一人での米つくりには限界があり
今年を最後に米つくりは知り合いの方にお願いしたのですから・・・・・・。また監督さんも
「僕も農家の長男なんですが・・・・・・」と
すまなそうに苦笑いをしていました。

朝日村を後に栃尾へ
夕暮れ前に「杜々の森の湧水」撮影。
お天気も良くなかったので
杜々の森はいつもより暗く、その暗さがなんとはなしに
寂しくて、私はその場を離れ遠くから
カメラをのぞく監督を見ていました。
同じ場所で立ち止まりカメラをのぞいたり
遠くをみつめています。
ご自分の中で何かをイメージしているように感じました。

数年前に栃尾で撮影された「モノクロームの少女」や
「ゆめのかよいじ」 の想い出を振り返っているかのようで
そおっと、そおっと・・・・・・。
翌朝の城山、棚田
特に石積みの名残を撮影する姿は
遠く離れた場所で監督の後ろにいる私にも
何かが伝わるのです。

石積みは親より先に亡くなった子供たちの替りに
私たちが一年に一度積む
この風景は私にとっては 胸が苦しくなるのです。
あれから35年・・・・・・ともちゃん、かよちゃん元気にしていますか
私の心の中ではあどけない3歳と6歳のおしゃまなかわいい
女の子なのですから。保育園で一緒に遊んだね。

栃尾の風景の中に想いがあります。
想いの中にあぶらげもあります。
栃尾の春夏秋冬をあぶらげとともにお届けしたいから・・・・・・。
                              つづく

2015年12月1日火曜日

監督の後を歩く紀行2




(この写真は監督さん撮影動画より)

前回のつづきから
人面の大豆畑の撮影途中に小雨が降りはじめました。
私は傘をさし監督の邪魔にならないように
少し離れた豆畑を散策、監督はレンズが雨にぬれないように注意しながら撮影を続けていました。
しばらくして、「はい、では行きましょうか」と
栃尾の豆畑撮影から案内人となって朝日村を目指しました。
なぜ新潟産にこだわったのかまた、ここまでの苦労話を聞いてもらったり、
映画の話をしたり
このころ、丁度監督さんのおすすめ映画を
何本か見ていましたので話しは尽きませんでした。

高速を降りて目的地へ・・・・・・
毎年毎年大豆の視察にきているのですが
そこは、サザエおばさんです。
「あら?どっちだったかしら?」
結局、生産者さんに電話をして迎えに来ていただくはめになりました。
組合長さんのご案内で広大な豆畑撮影がはじまりました。

普段はニコニコ顔の監督が真剣な表情に変わります。
ここでも私は邪魔をしないようにひとり豆畑を観察・・・・・・。

朝日村と栃尾の大豆では大人と子供の差があります。
作ってきたキャリアの違いと
面積の違い

この広大な朝日村の豆畑を見て
栃尾の豆もいつか、朝日村に負けないように
たくさん採れたらいいなあと思う。


畑の中での移動も結構な距離となります。
そこで監督はトラックに乗って移動、移動しながら撮影をしておられました。
後でお聞きしたら
「やはり、揺れて無理ですね」と笑って・・・・・・。


(この2枚は私のデジカメより)
                                                つづく

2015年11月29日日曜日

監督の後を歩く紀行1






以前から「栃尾の油揚げの出来るまで」を
動画にして、ホームページに載せたら
皆さんが喜んでくれるのではないだろうか
このちいさな田舎街で
一生懸命がんばって「あぶらげ」づくりをしている
ことをつたえられないだろうか
そして、ネットのご注文も増えるのではないかと・・・・・・。

栃尾を舞台に二本の映画を撮った
長岡出身の五藤利弘監督とは
FB友達でした。
まさか、映画監督さんが「豆撰」にお見えになるとは
努々思いませんでした。
そうそう、先日プライベート訪問で私たちを
驚かせた有名人ご夫妻のように
 「僕、五藤です」と会釈して、ほほ笑んだ顔は
今も鮮明に覚えています。あれから3年目を迎えます。
そんなご縁で今回だめもとで
「豆撰の想い」を動画にしていただけないかと
お仕事の依頼をしました。
第一回目は「栃尾の大豆畑」
と「村上の大豆畑」撮影です。

夜中に東京から車で走り疲れているだろうに
そのまま、夜がまだ明けない、雨模様の朝、
「今日は雨だから、無理でしょうか」
「いえ、せっかくですから行ってみましょう」と監督の言葉に
人面三内原に監督のおともをして向かいました。

豆畑の向こうは守門岳です。
私が育った家も守門岳が正面にそびえ立ちます。
豆撰の正面からも守門岳が見えます。
栃尾の豆畑から物語は9月末日に始まったのです。
                              つづく

(写真は五藤監督動画より) 





今がチャンス! 11月ふるさと割商品です。







 

2015年11月25日水曜日

まさかの出来事

妹のささやく声
「れい、今お店にAさんとHさんがきているよ」
「えっ?」
「お忍びだって、シーって言われた」
そういわれても、おばさんは見ないわけにはいかないので
そっーと厨房からのぞいてしまいました。
妹はすかさず
「店長がお話させていただけますかって言っているのですが・・・。」
「どうぞ」と言われ
興奮してお店に、
質問したいのに質問できず
反対に
「あぶらげはどうして有名なのですか」と
質問を受けました。
この質問にしどろもどろのサザエおばさん。
普段では考えられないくらい上がって上がりまくってしまいました。
プライベートとのことをお聞きしたので
高鳴る心臓を抑え抑え・・・・・・

超超超有名人の来客に
大騒ぎの夕方でした。
ちなみに、
「どうして、豆撰をお知りになったのですか?」とサザエおばさんが質問すると。
「ネットでさがしたら、一番有名だったので・・・・・・」
なんて嬉しい事をおっしゃるのでしょうか

プライベートですから
公表できませんが
私たち豆撰にとっては忘れられない記念日になりました。

2015年11月24日火曜日

三姉妹のお母さんになっていました。

先日も訪ねてくれた、ちかちゃん。私が出かけて留守だったので.
再度豆撰に来てくれました。 
お父さんが65歳で亡くなったこと、
兄弟妹が一生懸命看病したことを
話す、ちかちゃんでした。

私が知っているちかちゃんは明るくって、活発で
踊りと歌が大好きな保育園園児でした。
ご縁があって4歳、5歳の時保育園でお世話をさせていただきました。
私が保育園を辞めると知って。6年生になったばかりのちかちゃんは
「松組」さんのお友達を連れて我が家に遊びに来てくれました。
その後、高校生になると、なんと豆撰にアルバイトに来てくれました。
それからは20年も過ぎて・・・・
美人ママになって、三人のかわいい娘を連れてやってきたのです。
「あぶらげは美味しいね、美味しいね」と何回も娘たちに
訴えるのです。
娘たちは「美味しい、ママも食べて」と私に気を使っているのです。
嬉しいやら、ちかちゃんが大人になったんだと自分の年を振り返ってしまいました。
あどけなく、私のものまねばかりしていたころが
頭に浮かんできました。
私が風邪をひいて、切なそうな顔をしていると
「先生、休んでいていいよ、私たちだけで踊り練習ちゃんとやるから」と
踊りだけでなく、「金のがちょう」劇も、楽器も先頭をきって指導していました。
まるで、助監督のようだった。

こんな風に時々昔の子供たちが「先生」と呼んでくれる。
今では、豆撰のおばさんですが
保育園に勤めていてよかったと心から思えるのです。

私が70歳になっても80歳になっても
会いにきてほしい・・・・・・。

2015年11月22日日曜日

霧に包まれた朝





昨日はたっぷり睡眠の充電をしたから
娘と話したかったけど
彼女はお友達とお出かけでした。
ロサンゼルスに行っているとか・・・。
夜遅くにメールが二本入っていました。
ありがとうと感謝の気持ちで、ふっすらと
目の前がくもってしまいます。

車で出勤です。
自宅の裏山はもやがかかっていて、寒い朝です。
金沢橋から栄町にかけて
もやはだんだんとすごいことになり、豆撰あたりになると
10メートル先は真っ白で遠くは見えません。
車から降りると
今年一番の冷えを感じました。
お掃除をしているうちにお日様の光が
格子戸を通り抜けお店に射しこんできました。
「今日も、生きている。頑張ろう」と思えてくる・・・・・・。

2015年11月18日水曜日

起終点駅 ターミナル

毎日毎日続く雑用と
「おてがみれしぴ」つくりで
私の頭も心もいっぱいなところでした。どこかで息抜きをしないと
前に進めないような気がして
思い切って「起終点駅 ターミナル」を昨夜観てきました。
はじまりの雪景色は見慣れた風景です。
降りしきる雪は寂しさを強くしてしまいます。
9月に観た五藤利弘作品「雪の中のしろうさぎ」を思い浮かべました。
変わる場面場面に、憂いを感じる風景、懐かしいピアノの音色が、とても似ているのです。
そして、登場人物の少ないことにホッとする。
ほとんど、鷲田完治を演じる佐藤浩一さんの感情表現です。
寡黙な表情つくりが三国連太郎さんによく似てきたなと思いました。
ここでも親子の遺伝子の強さ、引きあうものを感じます。
ラストの想いはここにも映っていました。

映画のはじまりは女性である私には
少し不愉快でした。机の引き出しに潜んでいる息子の写真。
愛する子供と妻が存在しているのに
昔の恋人と暮らしたいなんて、なんてダメな男。
このダメ男をしょっぱなから許さない私。
ところが若い本田翼さんが演じる椎名敦子が登場すると
ダメ男はなんだかいい人になっていくのです。
ここでも、「やっぱり」と初老の私が見え隠れしてしまいました。
それでも、脚本の素晴らしさでしょうか、いい人になっていく鷲田完治を
もう、私の中では完全に許していました。
過去の女性を演じる小野真千子さんがなぜ鷲田の目の前で死を選んだのか
そこは、映画だけでは読み取れない・・・・・・。
完治の離婚を覚悟させる気持ちの強さはが一本の万年筆から伝わる。
その強さにこたえられない、女性をうまく表現している小野真千子さんは
素晴らしい、女優さんでした。
男と女の違いはどこにあるでしょうか
女は相手がどんな人であろうと、一度好きになった人なら
許してしまう心の広さがあります。特に私のことですが・・・・・・。
そこに行くと、男は意外といじくじいじくじと頭の中であれこれ考えて
判断しない。おまけに人を許せないのです。そんな人に限って
優しい人がいるようです。
そのひとりが鷲田完治なのかと思う。
夫婦、親子、恋人
それぞれが駅に立つ時は終わりであり、始まりなのでしょうか
とても心が落ち着く素敵な映画でした。



2015年11月16日月曜日

きれいな朝。



おはようさん、あなたたちも
お引越しね。
ここは朝陽があたってとてもいい場所ですよ。

冬が来る前に、雪が降る前に
あなたたちも手当をしてもらい、よかったですね。
なんて、きれいな朝でしょうか。
お母さんは嬉しいわ。

おはよう、みなさん!
頑張ってお勉強してきてね。


私の朝がはじまりました。

 

2015年11月12日木曜日

しわにも幸せが刻まれる


義母は90歳です。
小学校時代から、父親について守門岳中腹まで
炭焼きに行ったそうです。
ぼいをしょい焼きあがった炭をしょっての日々だったと
話します。その途中で父親はイワナをとってくれるのだそうです。
イワナの炭火焼きは最高のおやつだったと
遠い、遠い80年も前を振り返る笑顔はしわの数に重なります。
それから18歳頃になると、埼玉の軍事工場に働きに行ったそうです。サイレンが鳴ると防空壕に入る日々、戦闘機の音は思い出したくないのでしょうか、あまり話そうとしません。
終戦を迎え、はじめて会った人と結婚。そして私の夫を授かり
ました。農家でしたので田んぼや畑仕事はおてのものです。
義母の手も足も私の2倍くらいあります。
冬になると、機の修正の仕事に行っいました。
とにかく働き者で料理上手でした。煮物や漬物の味は義母の味ですから
海外から年に一度帰ってくる娘は「ばあちゃんの作ったものが一番美味しい」と言います。その一言で、義母はまたどんどんと作るのです。
今日は朝活で夫と畑に行き、帰ってくるなり収穫した菊をせっせと
むしっています。
義母の顔を見ていると
この人は家族のために生きてきた人だと心から感じるのです。

 

2015年11月10日火曜日

地元で公開された映画「花蓮」を観る

何回観るのだろうか
5回目だったかもしれないと
指を数える。
観るたびに感想が変わっていく。
特に今回は、上映前に陽子役の女優さんと話すことができた。
その女優さんの名前は浦井なおさん。
背が高くて、髪は肩に届きそうな長さである。
髪の長さが何となく陽子を思い出させる。
それは女心のようなものです。
ショートだったら気持ちがはっきりとしている。
ロングだったら、私はあなたが一番好きよ。と言っている。
セミロングはとても複雑な気持ちの表れなのかもしれない。
あなたが好きです。でもあなたを好きになってしまった私を私は嫌いなのです。
……と陽子の気持ちになりきるおばさんは私。
なぜだろうか
花蓮に感情が入らないのだろうか
湖畔をバックに映る画像は美しく、花蓮も美しい女性である。
そして、花蓮の方から去っていく切ない気持ちに哀しさを感じ
涙してもいいはずなのに。そうはならない。
回数を重ねるたびに、陽子に力が入る。
陽子は本当の気持ちを素直に表現しているのだが
この浦井なおさんはもっと深い陽子の気持ちを演じていたのではないだろうか
と思えてならなかった。それは陽子、これでいいの、これが私の選択でいいのと
迷っている女心かもしれない。

蓮根の風景はとても広く果てしなく続く大豆畑のように。

雨模様の風景ではあったが
この蓮が緑になり、やがてきれいな薄いピンク色の花を咲かせることを
想像したら、心まできれいになりそうに思えてくる。
きっと、いつか観てみたいと思った。

栃尾の映画を2本と茨城の映画は五藤利弘監督作品です。
このご縁が何かでつながったらいいなあと思いました。

豆撰の栃尾の油揚げとレンコンであぶらげハンバーグを作ってみました。
ハンバーグの中身は美味しい茨城のレンコンがいっぱい詰まっています。






2015年11月9日月曜日

東京と茨城へ小旅行

11月7日は私の61歳のお誕生日でした。

自分の人生を振り返ってみると
不思議なことに苦しかった、辛かったこと
もう生きていることさえいやだとおもったことなどが
たくさん私のアルバムに刻まれているはずなのに

まるで忘れたかのように
楽しい想い出だけがよみがえりました。
それには大きな訳がありました。
お誕生日に吉祥寺のベルギービールのお店で
私はお友達とご一緒して
楽しい時間を共有できたからです。
想い出話は尽きませんでした。保育園時代のこと
無我夢中で毎日を子供たちと過ごした日々は
私の人生のなかで一番の想い出仕事でした。
利益を生まなければ会社が傾く今の仕事とまったく逆なのですから
何をして子供たちと遊んだらいいのだろうか
遊びの中から子供らに何を感じてもらおうかと
とにかく、遊びのことばかり考えていた青春時代でした。
そして、ご縁があって仲良くしてもらっている若いお友達の中で
おのぼりさんの私を心配してくれる人たちに囲まれ
幸せのお誕生日を迎えることができました。
11月8日は
海外から日本に戻られたお友達との再会でした。
もう一人、栃尾出身のお友達
それから私たち夫婦を茨城から長岡まで車で送って下さった
新しい一番若いお友達との楽しいお食事会。
茨城の湖魔女さんたちとのふれあいはもう笑いの渦でした。
小旅行はお友達再会そしてお友達作りの楽しい人生の1ページを作ることができました。

 吉祥寺のベルギービールさんでいただいた豆撰の油揚げは
塩味でとてもおいしかったです。



2015年11月6日金曜日

四角な船を読み終えて

この小さな文庫本は
たくさんの書物の中にひっそりとはさまれていた。
表紙はもちろん、めくるページは焼けて茶褐色に変色していました。
送られてきてから3か月くらいになっていました。
いっぱい送られてきた箱の中から
私が最初に手にした本は
この井上靖著「四角な船」でした。
昭和45年から46年に連載されていたようです。
本をめくるたびに
送ってくれたSさんの心に触れるような気がしてなりませんでした。
読み進めていくと
自分とノアの方舟を本気で作ろうと考えている甍と重ねたり、新聞記者丸子と
Sさんを重ねたり、時代背景が私の青春時代だったことも
この本を読み進めるには丁度良かったようです。
時々本の中に出てくる、必要な人間、優しい人間とはいかなる人間なのかと
自問する。
また人間の幸せとは、何もかも進化した道具にい漏れている世の中に
果たして本当にあるのだろうかと
考えさせられる場面も多い。
45年はまだまだ今に比べたら、それほどではない。車も電話もそう簡単に
手に入らない時代なのだから・・・・・・。
読み進めるうちに
この作者は洪水が起きることを予測していたのかもしれない。
その、大きなものは東北の津波、それからもっと考えねばならない
福島原発。きっと何かを予言していて、甍は狂人でもあり、狂人でもない
二面性を描いたのであろうか
最後の最後まで結末が読み取れなかった。
まさかの甍の死であった。
夢で船を造ろうとしたのではない。人間を守るため、地球を守るために
船が作りたかった心のうちがとても美しく描かれていたように思う。

そして、狂人であろうがなかろうが人間はいつか死と直面しなければならない。
人間が生きていくのに大切なことは何かを問う小説のような気がした。

この本を送ってくれた主はどんな想いでこの本を読んだのだろうか
私の言えることは、ただ一つ
生きましょう、なにがあっても・・・・・・。







2015年11月5日木曜日

厚い封書が机の上にありました。






厚い封書が机の上にありました。

封書の裏を見ると、おとといお越しになられた元栃尾高校のK先生でした。
とても不思議に思いました。K先生ご夫妻は長年豆撰に通ってきてくださる豆撰ファンの方です。
でも、いつもごあいさつ程度です。
この日も
「先生、お久しぶりですね。」と声をおかけし
奥様と目を合わせました。
最近は先生はお越しにならず、奥様だけでお買いものをしていただいていたからです。
背の高い先生の背中が少し前かがみになったように感じました。
帰り際に「この本いただいていいですか」とおてがみれしぴを手に
私に聞いてきました。
「はい、先生ぜひ読んでください。」と私。

この何気ない会話はこの厚い封書を見るまで
忘れていたことです。
いただく当てのない封書です。悪い事が脳裏にすぐ浮かんでしまいます。
発送を間違えたのかしら?美味しくなかったのかしら?
ドキドキしながらハサミで丁寧に封書の端を切りました。
長い長い手書きのおてがみと書が入っていたのです。

「おてがみれしぴⅡ」を読んでのご感想と
私、そして豆撰スタッフへの励ましの言葉でした。
最後に「おてがみれしぴⅢ」を待っています、と結んでありました。

封書の中にはあふれんばかりの愛情と励ましの言葉でした。

k先生ありがとうございました。






2015年11月1日日曜日

魚沼が生んだ素敵な方のブログが嬉しくて

みなさんご存じの大桃美代子さんのブログを見つけました。
栃尾を舞台にした五藤利弘映画監督作品2本に出演されています。
栃尾で映画の舞台挨拶があった時に
初めて、生の大桃美代子さんを拝見しました。
超綺麗で若い!
笑顔の優しい方でした。
まさか、まさか豆撰の油揚げをブログに載せてくださるとは
努々思いませんでした。
びっくりとありがとうと感謝と
あらあらどう表現したらいいでしょうか?
いつか、豆撰であつあつの揚げたてを食べていただきたいと思っています。

ここにそのブログをシェアさせていただきました。


2015年10月31日土曜日

新幹線特急券のゆくえ

昨日は名古屋への出張でした。
行きはよいよいです。
新幹線を乗り継ぎ、地下鉄2本を乗り継ぎ
その間、駅員さんに2度質問しました。
最終駅は市役所です。
どうにかこうにかたどり着きました。
さて、目的地はどこになるのかと、案内板を見ていたら
なんと、同じ書類を持っている青年に出会いました。
これはラッキーでした。
おばさんパワーで
「私も同じところに行きます。ご一緒させてください」
とお願いしました。
最初は怪訝な表情でしたが、とにかく一緒に目的地に行くことができました。
そして、おばさんパワーを発揮して、
「お昼は、もう食べましたか?」と尋ねたら
「いいえ」とのことでした。と言うことで会場のレストランに入りました。
若い青年は、食事を一緒にすることでリラックスできたのでしょうか
いろいろなことを質問してきました。
青年は、沖縄産のマンゴ販売からたくさんの種類の果物を手広くやっている方でした。
お互いの家族のことまで話はとんとん進み、楽しい時間を共有できました。
ここで間違わないでください。
いつも知らない人におばさんだからと言って声をかけているのではありません。
今回が初めての経験でした。
やみつきにならないように心がけます。
無事会議も終了し、急いで東京へ・・・・・・。
息子のような存在のSさんと食事、その後ホテルまで送ってもらいました。
疲れていたせいかいつもは4時前に目が覚めるのですが、時計は5時を指していました。
お風呂に入り、身支度を整え、忘れ物がないか確認を2回して
東京駅に向かいました。
7時の新幹線に乗ろうと改札口に切符を入れたら
戻ってきてしまいました。
あまり丁寧でない女性の駅員さんに
「お客さん特急券がないでしょ」ととがめられ・・・・・・探しまくったのですが・・・・・。
もう時間がないのであきらめ、再度特急券を買い、急いで新幹線座席に腰を下し
鞄の中から本を取出そうとしたら、鞄の中のポケットから特急券が 顔を出していました。
娘にメールしたら、「さすが礼子さんだね、サザエも顔負け」と答えが返ってきました。

nagoyano

2015年10月29日木曜日

壁紙ってなあに?

映画監督のTさんとのメールやり取りの中で、ある写真が話題になりました。
そこで、私は「その写真を持っているかもしれません、探してあったら送りますね。」と
返信。
すると・・・・・・
「壁紙にしていたのでしょうか」と質問されました。
我が家は壁紙の部屋は娘の部屋だけである。
娘の部屋はまっ白い壁紙である。
ほかの部屋は全部白壁だから・・・・・・。
その写真を飾った部屋はない・・・・・・?。
返信ができませんでした。
豆撰に来て若い子に尋ねてみました。
「ねえ、ねえ家には壁紙ないんだけどさ・・・・・・?Tさんから壁紙にしていたのでしょうか?
って聞かれたんだけど、何のこと?」と聞いてみました。
「礼子さんのブログかFBの壁のことだと思いますけど」と答える若い子の
心の中は笑っていました。
「そうなのね、それって専門用語?Tさんに聞かなくてよかった」と
今度は私ひとりで大笑いしました。

2015年10月27日火曜日

私の記憶

新聞をあまり読まない私ですが
読売新聞の編集手帳だけは目を通すようにしています。
今日はとてもいいお話でした。
学生の時に出会った本について書かれていました。
井上靖の「北国 」の中に
比良のシャクナゲと題する詩集が編集者の方にとって
深い想い出のような記事でした。
比良のシャクナゲは行ったことも見たことまありませんが
この記事を読みながら
遠い昔を思い出しました。
40代後半だったのだろうか、年齢が思い出せない。
夫とふたりで白馬登山をした時です。
私にとって、本格的な登山デビューでした。
前日に白馬麓に宿泊し、雪渓を歩く計画でした。
当日の天気は、生憎の雨でした。
登山口には登る人とあきらめる人で大騒ぎ状態。
私は、なかなか連休が取れません。
豆撰の3日間の夏休みを利用した、一大決心だったのです。
登山口に同年齢の大阪大学の先生家族と出会いました。
「登りますか?諦めますか?」とお互いに決断できずに
いました。結局その先生家族も休みが取れない、この機会を逃したくなと言うことでした。
今思えば、とても無謀なふた家族でした。
雪渓は崩れた個所があり、迂回路を廻りました。
谷から流れる洪水は橋を見えなくしてしまいました。
雨のために、景色などまったく見えないのです。ようやく山小屋についたと思ったら
そこは避難小屋でもなく…私たちはその小屋の前 で持参した三角ちまきを立って
ずぶ濡れのまま食べました。それでも食したことで少し元気がでて
休まずにまた歩き続けました。頂上手前の山小屋にたどり着いた時の
安堵感は言葉にあらわせません。
体を休め、頂上に見える私たちの宿泊する山小屋をめざしまた歩きました。
たどり着きストーブで体を温め、荷物を乾かす。ビニール袋につめた
着替えまで濡れていました。
そして、一晩を過ごし、翌日は雨ではありませんでしたが視界は悪く
霧の中です。
頂上で絶賛することもなく尾根を歩きました。時々霧がひくと
チングルマなどの野草が広がっているのです。
その花の美しさは下界にはない何百倍も美しいのです。
それから、たぶん乗鞍を目指して下山したと思うのですが・・・・・・。
その山までが私にはきつい、きつい。背丈を超えそうな石を上っては下りなければならないのです。
その山はシャクナゲの山でした。
「お父さん、これみんなシャクナゲだよね。これが咲いたらどんなにきれいかしら?」
と叫ぶ私。
それまでは、一歩一歩が重くて前に進まなかったのです。仕事の辛さを思ったら
こんなことくらい我慢できる。頑張らなければ。いやもう二度と来ないぞ。と心と体の葛藤と限界を感じながらの下山だったのですが・・・・・・。
咲いていないシャクナゲの山は私に想像させる力がありました。
頭の中で描くシャクナゲの花は目の前に、私の後ろに映って見えるのでした。

今ならこんな無謀なことは決してしません。
でも、この時の記憶をたどってみると
この仕事につき栃尾の油揚げを作りながら、大変な毎日を過ごしたことが
昨日のようによみがえってきました。
きっと、神様がシャクナゲの花を私に見せてくれたのです。
頑張りなさい。人生はこんなものではないのです。ひとつひとつ
乗り越えるために、あなたは生きているのですと・・・・・・。

今もその続きの人生です。




2015年10月26日月曜日

介護の問題

90歳の義母は90歳の夫を介護しています。
今年に入ってから急に認知症の症状が進みました。
私は実母を看ているので、進行具合や症状を理解することはできます。
義父がひとりで着替えをすると、後ろ前が反対になったり、
食卓に並んだものを順番に食べられなくなったりしています。
今朝はデザートから食べていました。
時々は夜と朝が逆にもなります。
もともと会話を楽しむ方ではない性格の上
男尊女卑が昭和になっても、平成になっても変わらない。
男社会人間の義父でした。
夫婦とは愛情が感じられなくても成り立つものです。
義母にとっては自分の一部のようなところがあります。
なんで、どうしてできないのか
バカになったのか・・・・と認知症を認められない日々が続きました。
それでも、最近は
仕方ないというようになりました。
週3度のデーサービスの身支度すべて90歳の義母が
頑張ってやっています。
気丈な性格の義母は私にはほとんど何かを依頼することはありません。
洗濯、掃除も自分でやります。
私の方が、家庭のことはほとんどしない。しないというより
できないといった方がよいかもしれません。
20歳から働き続け、今日も明日も働くでしょう
だから、私は老老介護の大変なことを感じながら
なるべく、あたらずさわらずの鬼嫁状態です。
 どうか、義母が今のまま元気でいてくれますようにと
願いながら・・・・・・。
 


栃尾の油揚げの読み方は?
栃尾では「あぶらげ」といいます。
朝に、夕にあぶらげは食卓に並びます。

 


2015年10月25日日曜日

るろうに剣心をみる

初めて観る映画でした。
残念なことに映画館ではありませんが
私が想像していた映画とは全く違っていました。
幕末の時代背景の中で
生きることは何かを訴えているような映画でした。
動と静が絶妙に計算されている。
主人公の動きに戦いと言うより、爽快なリズム感とスピード感は観る人を引き込む。
悪役の香川照之は
どうして、あんなに憎々しい演技ができるのだろうか?
俳優と役柄は違うはずなのに、もう嫌いと言いたくなる演技力である。
少しオーバーなのは歌舞伎役者でもあるからなのか・・・・・・。
アクションにも今までの時代劇と違って、動きの中に美があるようだ。
結構、登場人物の白黒がはっきりとしている映画である。
イエス、ノーのはっきりしている外国の方にも受けるような気がしたのは
私だけなのだろうか。
後編もあるらしい。見逃さないようにしなければならないと
思った。若者に影響力が強い映画かもしれないが
還暦過ぎの私にも面白い映画だった。 

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2015年10月23日金曜日

あの日の今頃

11年前。
あの日は今日よりも寒かった。
工場はお掃除中、
ドカーンと揺れる。豆撰の座敷の戸が2メートルくらい飛んだように思えた。
ヤマトのお兄ちゃんが集荷中、豆撰の屋根の瓦がバシャン、ガガガガーと
ものすごい音を立て落ちる。
事務所のパソコン、本はちらかり・・・・・・。
私は水害で家を失った。神様は今度は豆撰まで奪ってしまうのかと
絶望の淵にたたされたのです。
余震の大きさに我を取戻し、
工場の電源をすべて切るように指示し、みんなでスーパー駐車場に避難する。
携帯は全くつながらない。何が何だかわからない恐怖でその場から動けなくなる。
7時をまわって、ようやく揺れがおまっていることを確認して
みんなを自宅へ返す。
夫と連絡が取れた時は
お互いに大丈夫だったことに胸をなでおろす。
新築中の我が家は明日 は建前のはず・・・・・・。
それから、夫は役所に飛んでいく。
この日から私たちは仮設の我が家で
枕元にはリュック、寝間着は着ない、ジャージで寝る。
水害の教訓から準備はよかった。
100年に一度だと言われた水害から3か月で大きな地震を体験してしまった。

これ以上の災害参事はないのではと思った。
あの津波が来るまでは・・・・・・。

今、生きていることに感謝しなければならない。
そして、生きることを大切に思わなければならないはずである。





2015年10月22日木曜日

質問はどうでもいいの、早く食べさせてくれえ!





東小学校の2年生7人

豆撰の見学に!
まずは何が知りたいのか?子供たちに聞いてみました。
「あぶらげはどうやってつくるのですか?」
「豆乳プリンはどうやってつくるのですか?」
私は、丁寧に順番にわかりやすく説明しようと努力しているのに
子供たちにとって、作り方はどうでもいいのです。
早く、あぶらげが食べたいだけなのでした。
少しだけ工場を見学して
あぶらげを食べることにしました。
「おいしい!お弁当が食べらんないな、でもいいや」と
お口にいっぱいあぶらげを詰め込み、満足な顔。
同伴のお母さんも満足そうでした。
夕方になり、子供たちは家に帰り、お母さんにあぶらげの美味しさを伝えたのでしょう!
あるお母さんが子供と一緒にお店にやってきて、
「あげたて、食べさせてください」とお越しになりました。
嬉しい一日でした。

豆撰の栃尾の油揚げはいろいろなところで笑顔を作っているようです! 

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2015年10月21日水曜日

やるしかないでしょ!

悩みがあると
気の弱い私はつい逃避しようとする癖がある。
気分が悪く、なにをやっても空回り。

帰宅すると、すぐに夕飯を食べ、後片付けは夫にまかせ
私の逃避場所は布団の中。
すると、すぐに眠りにつくのですが
4時間すると目が覚めてしまいます。
時計を見ると、2時なんてことが数日続くとさすがに
気持ちだけでなく、集中力にかけてしまいます。
ということで作業中に私の頭部に梯子がどーんと強打する。
目から火が出て
「きゃああああ!」とものすごい悲鳴を上げてしまいました。
氷で冷やしたものの、大きなたんこぶが出来てしまいました。
それからです、私の気持ちが変化したのです。
理由はわかった。しかし、どうしたらいいのか対策方法がわからないのです。
頭部強打によって
神様のお告げがあったようです。
対策方法をわからないからどうしようと思ってはいけない。
その方法を探すことは苦しいことではない。むしろ楽しいことだと思いなさいと・・・・・・。
なるほど、神様の強打贈り物は
私にいろいろな方法を教えてくれました。
まだ完全ではありませんが、苦しいと思わないことにしましょう。
せっかく、神様のお告げの大きなたんこぶをいただいたのですから・・・・・。

10月のふるさと割商品について
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2015年10月19日月曜日

友とゆったりふたり旅

















遠くの山の下に雲海が広がる朝、小出の手前上条から只見線に乗って
気の合う友とふたりでローカル線の旅をする。
途中JRバスに一回乗り換える(路線工事のため)が後はゆったりと渓谷を見ながら
ビールを少しいただき、のんびりと語いを楽しむ。ほとんど無人駅である。
列車に乗ってから自己申告で切符を買う。改札口に切符の受取人もいない。
まるで別世界のようなのどかで、平和な空間である。
毎日仕事に追われている自分がおかしいとさえ思える。
列車が止まる旅に、窓の外で手を降る農夫。カメラを向けている観光客もいる。
鉄橋だ鉄橋だ楽しいなと歌う童謡を思い出す風景。
只見線で会津若松まで行くことができるのだが、帰りは只見止まりのため、会津柳津を最終に決める。SLが駅に展示されていた。
古いお寺までは10分。紅葉が綺麗だった。あわ饅頭を買って帰る。
夕日に照らされた車窓の景色は
朝と違い、日の暮れる速さが、ふたりを淋しくさせる。
この景色の先にふたりは近づいている冬をイメージしてしまう。
雪国の少女?である。
楽しい旅も、終わりに近づく。只見に着いたら、待ち時間が2時間ある。
温泉に入り夕食をとり、おしゃべりはつきない。
その後上条へ戻り、待っていたのは私の車一台だけ。
夜道を走らせ我が家に到着する。
新幹線の旅と違い、車窓から見ると自然は最高の癒しの贈りものになった。
階段のない駅、線路は二本。途中から線路は一本。
便利でないことがこんなに、人を幸せにしてくれる。
また来ようねと約束して、友とわかれる。
ぶらり、のんびりは最高だった。