2014年9月30日火曜日

お世話になったYの妻です。

2歳くらいの女の子を連れて、豆撰にお買い物のお母さん。
何だか私の顔をじっとみつめ
「この子はパパの子です」
「パパはYです。私はYの妻です。」と女の子のお母さん。
私はしばらくきょとんとしてしまいました。
何故なら私の頭の中ではY君は3歳なのですから・・・。
「あら、そうあのY君がお父さんになったのね。」と私。
いつもお買い物に来てくれていたようですが、
私が出会ったのは初めてでした。
お店をしていると、時々こうした場面に遭遇するのです。
とても嬉しいのですが
子供たちはいつの間にか大人になってしまって
私の頭の切り替えがうまく出来ないのです。保育園児だった子供たちなら
すぐに、気がつくのですが
奥さんとその子供さんとなると、頭の中で回路がつながるのに
数十秒かかってしまいました。
そして、この子は私の孫みたいってこと?
私には孫はいませんが、やっぱり私は孫のいるお年ってことですね。
自分では若いつもりなのに・・・・・・。

2014年9月29日月曜日

楽しい秋みつけた

 通勤途中は楽しい秋がいっぱいです。 ハナミズキの実は真っ赤。葉はもう色あせてしまって
ちょっぴり、残念。
スズクラさんの前を通ると寂しい。
今月20日に工場閉鎖したようです。たくさんの人がこの道を歩いていたのに、

たくさんの車が駐車場せましと並んでいた事が、昨日のようによみがえってきました。
草薮の中から聞こえる虫の音まで、ちょっぴりさみしいそうに聞こえてきました。

金沢橋を渡り、東小学校前ではランドセルをしょった子供たちが
一列に並んで歩いています。小さい声で恥ずかしそうに
「おはようございます」と挨拶してくれた子供たち。
小学校前にはコスモスの花とサトイモ畑。
のんびり、のどかな栃尾風景に心が嬉しくなりました。
東小学校を過ぎ、グランド脇を歩いていると
イチョウの実がいっぱい、いっぱについていて
またまた、嬉しくなってしまいました。

栃尾の朝は楽しい秋でいっぱいでした。

2014年9月28日日曜日

母の誕生日を忘れていました。

母の痴呆が始まったのは亡き父が病にたおれた頃です。
症状の一番は買い物に行っては同じものを買う。
マヨネーズが5本も6本もあります。
そして、片付けが出来なくなる。
2番目にはお料理をしなくなりました。
大好きな生花も書もやらなくなりました。
父が他界した7年前は
少し、しゃんとし気丈に振舞い
「私が仏を守らなければなりません」とお悔やみにいらしてくださった方に
話しておりました。
それから、2年一人暮らしが続き
言動も行動もさらにおかしくなりました。
昨日のことを覚えていられないのです。
母は痴呆になる前から、少し天然ボケのところがありましので

〔今のわたしのように・・・・・・。〕
あまり私たち姉妹は気にとめなかったのです。
それから・・・徐々に進行し、薬投与になってしまいました。
「どうしたの?忘れたの」と聞けば
「年だがんに忘れるこて」と 答える母です。
意地悪な私は「ばあちゃん、何年生まれだっけ?」といつも
確認していたのに・・・・・・。
そして、昭和6年9月27日と答えることできていたのに
私は9月27日を忘れていました。そして母も昨日が9月27日と言う事を忘れています。



2014年9月27日土曜日

悪戦苦闘の一日

長年お付き合いいただいている
カメラマンさん,ある事情で
豆撰のおてがみれしぴ第二弾の写真を撮っていただくことが出来なくなりました。
ががーーん!
頭をハンマーで殴られた感じでした。
一体どうするの?礼子さん?
娘に相談しました。
簡単明瞭
「お父さんに撮ってもらえばいいじゃない、
どうせ暇なんだからさ」との返事。
「ええっ?撮れっこないでしょ」と私。
「勉強したらいいじゃない、この機会にシルバーカメラマンになれば」と娘。

やるしかないか
悪戦苦闘をして今日で3日目です。
お知り合いの方よりアドバイスをいただき
どうにかこうにか、なんとかなるかな??????
乞うご期待?ください。
おてがみれしぴ2弾は11月完成予定です?
こんなに?多くていいのかな?
不安と心配のこの頃です。

2014年9月25日木曜日

雨です。傘をさして歩きました。

台風の影響で今朝は「雨」です。
雨の日は歩いての通勤は考えた事がありませんでした。
傘を手に持つと、肩がこってしまうからです。
朝食をすませ時計を見ると7時17分でした。
窓から外を見ると「小雨 」でした。
そこで 、即決断、歩きました。


雨に濡れている コスモスが雨の雫で頭がとても重そうです。
「雨で大変ね」と声をかけると
「小雨は大丈夫です。元気の水ですよ」ってささやいたように聞こえました。
このささやきを聞くと、あら不思議?頭の中に昨日までは思いつかないことが
浮かんできました。
小雨くらいなら、負けないで頑張って歩こう!
やっぱり、歩く事は老廃しつつある脳に刺激を与えてくれるようです。

もうじき、豆撰恒例の年に一度の感謝祭がやってきます。
今年は25周年記念の年です。
いつもよりも、盛大に皆様に感謝の気持ちをお届けしたいと
企画しました。
ご近所の方、お友達、少し遠方の方も是非豆撰におこし下さい。
お待ちしております。

2014年9月23日火曜日

ひとりくらしはさみしい

母は昨日もやはり叔母の家に泊りました。
肉じゃがを用意して待っていた夫には申し訳なかったけど
私は90歳の義父母に気を使わずともすみますから
叔母の家に泊ってもらうのは
ラッキーなのです。
60歳を目の前にして90歳の義父母に気を使う事は
私の一日の中で一番のストレスのようです。
ここで言い訳ではないのですが
義父母はとても優しい人です。
それなのに、不思議な感情が私を支配します。
さて、今朝義母の作ってくれた「おこわ」を持って
叔母のところへ・・・・・・。
「おばちゃん、ありがとうごめんね。おこわとおはぎを持ってきたから
朝食べてね、それからお夕飯は今日も3人で美味しいもの食べにいくよ」
と私のささやかな感謝の気持ちを伝えると、
叔母は飛び跳ねて、手をたたき「うれしい」と言いました。
ひとりくらしは寂しいのです。

2014年9月22日月曜日

秋のお彼岸

お彼岸さえも忘れた実母。
月に一度くらい、脳のスイッチが入ることがあります。
今は、脳は眠ったままです。
眠ったままの脳でも
感情回路は残っています。
妹が京都に出かけたので、実母を私が預かることになりました。
仕事を終え、一人暮らしの叔母をさそって
先日紹介していただいた見附のお店に3人で出かけました。
食事を終え「今日は和子さんがいないのだから、うちにとまらんばんよ、おばちゃんちとどっちがいい?」と問う。「こっち」と叔母の方を見る実母。
私の家には義父義母が同居していることはしっかりと
記憶していて、遠慮があるのでしょう。
「そう、そうだね、おばちゃんにお願いしようか」と私。
叔母がすぐ近くにいてくれることは
とても、ありがたいです。感謝感謝。
「おばちゃんありがとう」

2014年9月19日金曜日

靴下ばらばら事件


靴下は右足を入れる方と左足を入れる方で一対になり一足となります。
出かける時に靴下をはきます。
帰宅するとすぐに靴下を脱ぎます。
若い頃は、必ず風呂場の洗濯籠に入れていたのですが
最近は部屋の椅子やら、階段の踊り場にひょいと置いてしまうようです。
朝洗濯をはじめる時に、拾い集めた靴下を
昔は手洗いしたものの
今では横着になり、洗濯機の中に放り込みます。

さて、洗濯終了、籠にいれて物干し場に行き
洗濯バサミに止める。
ところが片方がない?
どうして、片方が ないの?

まあいいわ、仕方ない!

今朝、寝室の掃除をしていたら、ベットの脇におちているではありませんか
どうして?



2014年9月16日火曜日

ハザかけは想いでぼろぼろ


トラックに積み上げた稲を乾かすためにはぜ場にかけます。
はしごに上るのは義父の仕事。
夫は高く稲を投げます。
私は夫に稲を渡す係り。

子供の頃も稲を渡す係りは私。
「私も、投げる」と駄々をこね、挑戦するものの
稲は父のところまでは届かず落下。
「ダメだ」と叱られ、また稲を渡す係り。

今では、稲を渡す係りは必要なくなりました。
コンバインという賢い機械のおかげです。

刈谷田ダム近くで見つけたこの風景
稲のにおいには亡き父のにおい・・・・・・。

2014年9月14日日曜日

生きていたら84歳のお誕生日

土手を歩きながら

9月14日、今日は亡き父の誕生日です。
昭和4年生まれの父は
栃尾実業高校卒業を前にして
教員になることを進められたそうです。
当時は、大学に行かなくても小学校の教員になることが出来た時代だったようです。
でも、その当時脳溢血で寝たきりになっていた祖父は
農家である長男が教員になることに猛反対だったそうです。
やっと、農業に専念できると、父の卒業を心待ちにしていたようです。
だから「馬鹿者」と怒鳴られ、教員への夢は閉ざされたと聞いていました。

甥っ子は来春大学卒業を迎えます。野球少年だった彼の夢は
体育の先生になることです。
本来なら、豆撰の第一後継者なのですが、亡き父の願いは叶わなかったことを
思い出し「豆撰の後を継ぎなさいとは言えないね」とつぶやく私。

そして、生きていてほしかった。84歳の誕生日。
父の愛した甥っ子と みんなでお祝いをしたかったよ。とあふれそうな涙をこらえました。


父74歳姪っ子の成人式に撮った写真です。
この後、天国へ。

2014年9月13日土曜日

無計画

朝からだらだらした時間を過ごしていました。
それでは、時間の無駄です。有効に使わないといけません。
まずは、川口にある道の駅?に行き、食品を買うことに。
次に小千谷でおそばを食べましょう。
その次は山古志から半蔵金に抜けて黄金の田んぼ撮影をしましょう。
お蕎麦屋さんを調べ電話番号を書き込んだメモも忘れないように持ちました。
さあ、出かけましょう。
ここで夫婦の会話。
「距離がないから私の車で行こうよ?ガソリンもかからないし」
「ああ、いいよ」
と出かけ、しばらく走ると私の車には
ナビがないことに気がつきました。
なんのためのメモだったのか?
今日の一番の笑いでした。
買い物を終え通り道のお店でお昼。
続いて山古志へ向かいましたが、あいにくの曇り空・・・
半蔵金あたりになると、雨。仕方ないから自宅へ。
夫は昼寝、私は先週見損ねたNHK大河ドラマを観る・・・
「あら、晴れてるじゃない、道院へいこうよ」となり
道院へ、
グレステン手前の広場に小さなクライミングを発見。
挑戦しましたが、写真の通りここまで。
キャンプ場には結構な人が集まって、カヌー体験?
そこで、ある人に出会いました。
「あら?kちゃんのお母さん」と声をかけてしまいました。
「えっ?私kです」
私は保育園時代に私のクラスの子供だったkちゃんをみて、
kちゃんのお母さんと間違ってしまいました。
「私はあの頃の母の年を越えちゃいました」と・・・2回目の大爆笑!

道院は萩の花が丁度良い具合に咲いていました。秋の始まりでした。

2014年9月12日金曜日

大きな鶏冠は?

朝夕の通勤距離はあわせて7キロくらいです。
時間は片道45分 くらい。
ゆっくり歩いているわけではありませんが
目に止まるものがあれば、その場で立ち止まります。
今朝は、この赤いケイトウの花が目に入りました。
歩きながら
娘がお祭りでもらってきた鶏のことを思い出しました。
「大きくなったら、たまご産むって叔父さんがいっていたから、
飼っていいよね」ともらってきた可愛い黄色のひよこ。
だんだん大きくなって・・・あら、頭に大きな赤い 鶏冠が・・・。
コケッコッコーと大きな声で鳴き始めました。ご近所迷惑になり、
たまごは絶対産まないし・・・・・・。
仕方なく娘が学校に行っている間に
大きくなった鶏には脱走兵になってもらうことにしました。
あれから25年以上の時が過ぎています。
赤いケイトウの花を見つめて、ひとりほほ笑みました。
そして、ごめんね鶏さん・・・・・・。


2014年9月10日水曜日

小さなお家

一度観ていましたが、無料で栃尾オリナスで上映されたので
二度観をしてきました。
二度目となると、とても理解しやすい。
栃尾の風景が前半と後半に映し出されます。
雪の風景、稲の実る風景。五藤監督映画を思い出します。
登場人物はさほど多くもなく、赤い屋根のお家はセットらしい。
豪華なキャストと宣伝費 にお金がかかっているだろう・・・なんてせこい考え。
過去と現在の入り混じった映画ですが・・・・・・。
奥さん時子 と女中演じるタキの無言の表情
ふたりの愛に気がついているのかいないのか、だんな様の部下板倉の表情

見る側の、それぞれの考えですから。
原作は読んでいないので、その辺が少し曖昧ですが・・・・・・。
もし、タキが板倉想って、生涯結婚しなかったとしたら?
タキが奥さんから預かったお手紙を板倉に渡さなかった罪は
大きいのか?
答えは見つからないけど、奥さんの息子が大きくなり、車椅子で語る母親への
想いのシーンはたまらなく切なくなりました。
一回目の時よりこの最後の場面は悲しく切なく
涙がにじんでしまいました。

2014年9月8日月曜日

伊勢参りのお宿は鳥羽

伊勢から鳥羽まではバスに乗って移動しました。
海岸沿いを走り、山を越え鳥羽へ
到着したお宿は
小高い丘の上にありました。曇っていたので
夕陽を見ることは出来ませんでしが
お宿ですれ違うスタッフ全員に「いらっしゃいませ」と声をかけていただき
お客様目線での対応に嬉しくなりました。
夕食も飛び切りのご馳走ではありませんでしたが〔予算もあります〕
私たちには十分なお料理、野菜が結構多かったのは私たちを満足させてくれる
大きな要素でした。
最後に釜飯を炊いていただいたのですが、「ひとつで十分です」と私。
すると「おむすびにしてきます。お夜食にお召し上がりください」と仲居さん。
お布団を敷き終わると、おむすびが2個、ラップに包まれ、竹篭に入り、その上には
かわいい水引がかけられていました。
心配りは、旅のいい思い出になりました。
朝はいつものように起き、湾に下りてお散歩。たくさんの蟹の出迎えにびっくり。
朝早いスタッフに出会うと「おはようございます。お早いですね」とみんなが
声をかけてくれます。声をかけられるのはとても嬉しくなります。
朝食を終え、窓ぎわに立つと
「曇っていて残念です。本当は知多半島が見えるんですよ」と
またまた、声をかけていただきました。
曇りのため、湾巡りは中止し、伊勢に戻り、外宮を拝観し、また食べ歩きの続きをしました。
よく肥えるわけです。
お土産を買ったり・・・・・・。
さあ、バスに乗って伊勢駅へ行きましょう!
「あら?あら、ない、ないない」と騒ぐ私。
「馬鹿か、お前は、どこに忘れたんだ」と烈火のごとく夫。
伊勢巡りの証拠をおさめた、デジカメを逃がしました。〔失くした事です〕
やれやれ、おかげ横丁に戻りました。
ありました。
良かった良かったの小旅行はこれでおしまい。




2014年9月7日日曜日

さあ、この日の目的内宮へ


昼食を終えて、足はおかげ横丁へと続きました。
中でも、ダントツ人気は「赤福」です。
長蛇の列と、赤福を食べる人の多さにびっくりです。
いくら、お腹がいっぱいといっても
やはり、ここは「食べるのみ」です。
3個入ったお番茶つきの赤福をいただきました。
いつものことなのです、食べ終わってから、デジカメで撮るのを思い出すのです。
おかげ横丁で「赤福」を食べたことに意義があります。人と同じことをすることです。〔笑〕
この通りはとにかく、食べ物が多い、海の幸、松坂牛、しゃれたカフェ
おとうふのアイス、このアイスはもちろん試食のつもりで食べました。
お土産のお店もびっしりと並んでいます。伝統芸能〔神様のため〕の和太鼓の演奏もありました。



さて、いよいよ目的地へと
今年は20年に一度の式年遷宮です。
私の60歳還暦の祝と夫の退職祝の2つを記念して伊勢神宮に来た事と20年に一度の式年遷宮の年にお参り出来たことに「特別の価値」と勝手に思っている小旅行なのです。
しかし、2千年の歴史を私なりに紐をといて行くと・・・知らなかったことだらけでした。この歴史については、伊勢で買った本「伊勢2千年ものがたり」を帰りの新幹線で斜め読みしたからです。
この歴史的な事項については、ここに記する能力に欠ける私ですから省きます。
20年ごとに取り替えられる鳥居の前で行く人帰る人がお辞儀をしています。
私も、人様を見習って、お辞儀をしてから記念写真 を撮りました。

2014年9月6日土曜日

念願の伊勢参り

金曜日の朝一番の新幹線で東京へ、東京から名古屋そして伊勢へと電車に乗っていく、小さな旅をしました。
お昼をまわって、伊勢駅に到着。
実は念願のお伊勢参りのわりに、伊勢神宮や伊勢についての知識はゼロに近かったのです。
私も夫も下調べは全くしなかったため、駅に着き、真っ先に観光案内マップを探しました。
観光順路らしい地図を手に・・・外宮から内宮へと続く・・・・・・。
しかし私たち夫婦にとって神様より先にお昼を食べる方を優先し、おかげ横丁に行って
まず美味しいものを食べることにしました。
ゆっくりと探せばいいものを、お腹が空いていた私たちは真っ先に、入り口から石畳の先に見える
「松坂牛」のしゃれたのれんをみつけ、昼食の場所を決定しました。
数量限定のセットは庶民には高かったので、夫にそのセットを、私はワンランク下げた松坂牛重にしました。ははーんやっぱりです、私の松坂牛は量が多い、しかし夫の少ない松坂牛に比べたら硬い。失敗です。量より質にするべきでした。
おかげ横丁を一通り拝見?してから内宮へ。
古事記が伝える神話のはじまり、
2千年変わりなく存続している神宮の姿は、世界的にも例がなく、奇跡と言えるファンタジーの世界へ・・・・・・。今日は疲れていますので
詳しくは後日にします。
ちなみに、松坂牛は小さな選択ミスですが
今日は帰り際に大きなミスをしてしまいました。

2014年9月4日木曜日

ドングリの旅


いろいろなことを考えながら歩いていると
どんぐりごろころの
2番を想いだし歌っていました。

どんぐりころころ
どんぶりこ
しばらくいっしょにあそんだら
やっぱりおやまがこいしいと
ないてはどじょうをこまらせた

保育園に勤め、オルガンを弾き、子供たちと一緒に歌った詩とは
ちがって、 今は
東京に住む方や
外国に住む方のふるさとの想いを
感じたような・・・・・・。 ちょっと涙がにじんでしまいました。

2014年9月3日水曜日

どんぐりころころ

どんぐりころころ
どんぶりこ
おいけにはまってさあたいへん
どじょうがでてきてこんにちわ
ぼっちゃん
いっしょにあそびましょう

庭のどんぐりの木にぼっちゃんの実がつきました。
秋の気配です。