2014年5月31日土曜日

大脱走

 


 我が家で一番の散らかしやさんは猫の「まめ」です。
お天気の朝は家中が猫の毛だらけがめにつきます。
ダスキンをかけても、ふわふわと飛んでいきます。
窓を開ければ、出てはいけないことを知っていながら
様子を伺い、「まめ」は脱走を試みます。
幾度も私に見つけられ、叱られても懲りることなく・・・・・・。
ついに、先ほど脱走成功。しかし私も負けません、
リールを持ち、猫の首にしっかりと、とりつけて庭に出しました。
すると、お日様に透けたポピーが風にゆられ
ゆっくり首を振っています。
夫の手入れした庭を眺め
気持ちの良い朝を楽しんでいます。

2014年5月30日金曜日

腰痛に悩まされ、歩くことに


ここ数日、極度の腰痛に悩まされています。
パソコンに向かっての長いこの姿勢が悪化の根源だと思っています。
夕べはなかなか眠れず、普段は厄介にならないお薬に頼ってしまいました。
今朝は、「今日は歩いて豆撰にいきます」と朝食を済ませ早々と自宅を出ました。
土手では桑いちごをみつけました。
遠くから見上げる城山、映画館があった場所、野菜売りのおばさん
集団登校の子供たち・・・・・・。
あっちこっちとまるで子供のように
わき見をしながら歩きました。豆撰には30分の遅刻です。
妹は「なんぎかったの」と遅い出勤に心配していたようです。

朝の風景はさわやかでした。

2014年5月29日木曜日

大手術

どうも座りが悪いので、夫は包丁をもってきて、ばっさり根元から切りました。
そして、植え替えました。
人間も、悪いところを切除したら、完全復活なんてできたらいいです。
物体のあるものはそれでも、その可能性はありますが・・・・・・。
心の病はばっさりができない。

2014年5月27日火曜日

甥っ子が帰ってきました


甥っ子が教育実習のため、昨日栃尾に帰ってきました。
栃尾に戻ってくるたびに、彼は大人の顔に近づいてきます。
「おばちゃん、帰ってきたよ」と豆撰にいる私のところに
挨拶にきました。
生まれたばかりのころは母もお茶屋をやっていたので
時々、豆撰の事務室に預けられていました。
体が大きく、いつも座布団からはみだしていました。
野球少年だった彼も今年で大学卒業です。
親に似なくて、叔母(私)に似て?優しい子になって・・・・・・。
どんな先生を目指しているのだろうかと
彼の後ろ姿に「がんばれ」と応援の気持ちを伝えました。

2014年5月25日日曜日

私の大好きな栃尾のひとつです。


 栃尾の美術館が出来るまでは、秋葉神社の上に小さな森があり
桜が咲き、子供たちはお弁当を持って遠足を楽しみました。
その小さな森に並べられた観音様。今は美術館に替ってしまいました。
それぞれの観音様は栃尾の歴史を見続け、
これからも私たちを見守ってくれるのでしょう。
私の大好きな栃尾のひとつです。

2014年5月24日土曜日

久しぶりのお天気です

 


城山へハイキング予定でしたが
風邪をひき、無理はしないことにしました。
今頃、ミヤコワスレが綺麗に咲いているはずなのですが
体調がよくなったら行くことにします。
田植えの稲が少し伸びて朝陽を浴び
きらきら光っています。我が家の2階窓からのぞいた、たんぼです。

2014年5月22日木曜日

椅子もあり、お花もきれですが、でも・・・・・・。




 木で作られた手つくりベンチは少し色あせていますが

なんとなくいい感じなのです。
その周りを芝さくらが囲んでいます。
通るたびに、ステキな場所だなあと思うのですが
このベンチには座れません。お花を踏んだら大変ですから・・・・・・。
人生には、こんな場面がいっぱいあります。
例えば、ニュースで学校教育に私には考えられない「タブレット」が
ひとりひとりに渡され、教育者も子供たちも「タブレット」のもつ
勉強に対する効果を説いていました。
果たして、子供たちにとって「本当に座れる場所」となるのでしょうか?

2014年5月21日水曜日

老々介護

義父は89歳、歩くのに大変です。
高齢のせいもあり、足が上がらなくて、すり足で家の中を歩きます。
外出は電動自転車を使います。
その義父が、自宅の玄関階段から落ちてしまいました。
顔に擦り傷、体中が、たぶん打撲で痛いはずです。
でも、大正生まれの戦争体験者はとにかく頑固です。
「どこが痛いの?大丈夫?」と聞いても
「どこもいとおない」と自室に閉じこもっています。
本当は足腰が痛いのでしょう ・・・・・・。
トイレも大変です。お風呂も大変。
それを介護する義母はとても大変です。
大正生まれの頑固じいさんを見るのには
愚痴がでます。お国の制度である介護施設など死んでも行くはずありません。

はじまったばかりの介護に今からちょっと憂鬱です。




2014年5月19日月曜日

おーい雲よ、どこいくの?



 
 中学生の教科書だったか
「おーい雲よ、どこへ行くんだ?その山越えて・・・・・・。」
と夢わくわく、希望に満ちた詩が載っていたような気がします。
そして、その詩が好きだった。
でも、誰の作か、内容も思い出せません。
それでも、私が生まれた山の家から、栃尾の守門の山と空を見ると
いつも思い出すのです。

2014年5月17日土曜日

長野ではじめての経験


 妹は仕事で長野へ。
私は実母と母の妹を連れて善光寺様お参り
お願い事がたくさんありました。
こんなにたくさん願ったことはありません。
一番最後に夫の健康をお願いしました。これでいいのかな?
妹の会議終了まで4時間あります。
老婆2人を連れての長時間・・・あっちみたりこっち見たり
さあ、写真でもとりましょうとしたら
またまた、やってしまいました。赤ランプ表示です。
バッテリーがないと
ご連絡を頂戴しました。
仕方ないので、携帯に切り替え・・・あら、これもあまり長くはもたなそう・・・。
お参りしてお土産を見ても、まだまだ会議終了には何時間もあります。
思いついたので、小布施に行くことにしました。
タクシーでは1時間くらいとのこと。
お金もかかるからバスにしようとしたらバスは小布施行きはなし。
ところが善光寺下通りから長野電鉄が走っているそうな
さっそく、行動してみました。うす暗い地下鉄のような、誰もいない。
すると電車の乗り場は地下なのですが
走り始めるとすぐに地上でした。
各駅停車でゆったりと電車にのり、私はいつものように居眠りをしてしまいました。
小布施について栗ようかんと抹茶を頂き・・・・・・。
老婆は疲れ気味。妹をお店の前のベンチで待つこと1時間でした。

2014年5月16日金曜日

東京へ行く前の出来事!

友達と東京へ昨日のことです。
さて、お出かけ用のバックにお財布を移し換えようとしたら
財布と携帯とデジカメがない???
約束の時間まであと10分しかありません。
部屋中を探し回り、その結果豆撰に忘れたんだと
思いなおし、友達と一緒に豆撰に向かいました。
ありました。!
やれやれ・・・・・・。

2014年5月14日水曜日

生まれた所は竹林に囲まれていました

 

 筍のシーズンも、もうじき終わりになります。
私たち姉妹が生まれた山の家は竹林に囲まれています。
7.13水害で家だけは残りましたが、
崖の竹林やケヤキの大木、松などは、すっかり崩れ落ちてしまい、
庭の面積も以前の半分になってしまいました。
それでも
山の家に上る道の両側と山の家の後ろにある山には竹林が残っています。
山の家の正面は守門岳です。
竹林に囲まれ、守門を見て育った20年を懐かしく思っていると、
「おーい礼子」と亡き父の呼ぶ声が聞こえてきた朝でした。


2014年5月12日月曜日

私と鬼はハーフハーフ

 
義母は早起きです。
でも、鬼嫁は義母の朝食作りを奪ってしまいました。
鬼嫁にしたら、何十年も私たち家族のために朝早く起きての家事から
解放してやらなければと思う気持ちと
私の台所を散らかされるのいやだと言う気持ちと
ハーフ、ハーフなのです。
今朝も私はいつものように朝食を作ります。
すると、義母は庭からこのお花を摘んできて
「仏様にあげようとおもって、きれいだろ」と私に話しかけてきます。
「そうだね、きれだね」と社交辞令の挨拶をするのは鬼嫁。
義母は私と一緒に台所に立ったり、おしゃべりがしたいのに・・・・・・。
「あなたは本当に鬼嫁ね、年寄りを邪魔にするから
あなたも、いずれ娘から邪魔にされますよ。」と鬼嫁にささやく私。



2014年5月10日土曜日

相棒を観る

朝活一番は田植えの苗運び。
約1時間。
その後は「相棒」を観に出かけました。
9時10分上映…なんとか間に合いました。
内容については
お金がかかっている映画だなあって思いました。
娯楽番組としてとらえると
水戸黄門風ですから
問題は解決。
しかし、原発問題としてとらえたら
これまた、難しい難問。
さて、この映画はどっちを重視しているのだろうか?


2014年5月9日金曜日

曇り空

 朝起きて、くもり空だと
心も曇りがち・・・・・・。
昨日は見たことのある方、そしてなんだか懐かしさえ
感じさせるお客様、思い出せないけど・・・・・・。
軽く笑顔で会釈する私。それに応えて
優しい微笑みを浮かべるお客様。
接待やお品物のご注文は若いスタッフがやっていました。
私はお帰りの際、顔を出し
「ありがとうございました。またお越しください」と
声をかけました。
いったん、お客様は豆撰の外に出られたのですが
すぐに戻られ
「私、タズ子ちゃんの友達なのよ、山の家へよく寄せていただいたのよ」
「タズ子ちゃんがいなくなったから、みんな寂しがっているわ、来月70歳の集まりがあるのよ」
なるほど、私にはなんだか、愛おしいお客様に見えたはずです。
よく覚えていませんが、きっと私は叔母と一緒に
何回も山の家でお会いしていたのでしょう。
もうじき、叔母の13年忌です。私は叔母よりも3年長生きしました。


心が晴れますように黄色のチュウリップを載せました。

2014年5月7日水曜日

根曲がりたけの収穫


 この根曲がりたけはお汁が一番です。そして栃尾の油揚げは欠かせません。
くせがなく、コリコリとした触感がおいしいです。

連休も無事終了し、安堵。
ホームページをご覧になって、遠く石川県や埼玉県からお越しのお客様、
いつもの常連のお客様、そして広告をご覧いただき、新商品「オリーブオイルで揚げた栃尾の油揚げ」をお召し上がりにおいでくださった方々、本当に本当に本当にありがとうございました。
皆様の「おいしい」の一言が一生懸命頑張ってよかったと私たち豆撰スタッフの励みになりました。
これからも、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

2014年5月6日火曜日

家族の思い出作りに豆撰を選んでいただきました

豆撰の社長が東小学校の野球チームを指導していた時
教頭先生をしておられた方が
何年ぶりかで「孫たちの思い出作りに、今日は栃尾の油揚げの本物を食べさせたいと思って
埼玉からやってきました。野球を一生懸命教えてくださっていた方が豆撰のご主人様だったと思い出して思いきってやってきました」と話されたました。
あつあつ油揚げを召し上がられ
子供たちは「おいしい、おいしい」を連発。
美味しいを繰り返すお孫さんを優しいまなざしで見つめておられました。
秋葉公園や127段の石段を登ることも想い出になるのではと
おすすめしました。
お帰りの時も「とても良い、思い出作りができました。ありがとうございました」と
おっしゃって豆撰を後にしました。
きっとこの先生が豆撰の油揚げを思い出してくださったのは
油揚げの美味しさだけでなく
豆撰の社長が一生懸命子供たちに野球を指導していたからかなと
思いました。

2014年5月5日月曜日

同じことを何回もいう年は還暦からか?

 還暦のお祝いに行ってきました。
懐かしい顔が120人位集まりました。
みんな集まったら280人くらいの今では考えられない
人数だったのですが・・・・・・。
一度も同じクラスにならない人も多くいます。
60歳となると「あれ?あの人だあれ?」と頭の変化と体の変化に
見分けがつきにくい・・・・・。
近況報告や昔話に花が咲き、時間の過ぎるのも忘れてしまいました。
もっと、話をしたい方が大勢いらっしゃっていたのですが
なかなか120人となるとみなさん一人一人とは話せませんでした。
そして、アルコールのせいもありますが
さっき聞いたばかりの話を同じ人が繰り返しておしゃべりしたり
同じ質問を繰り返すのです。
あら、あら、順調に私たちはみんな同じに年を重ねてきたんだと変な安心感。
70歳のお祝いはどうなる事やら?

2014年5月4日日曜日

私はわたし

 豆撰の仕事関係の方々はきまって、私のことを
「えっつ、B型ですか、みえないですね」と
おっしゃいます。
私を知り尽くしている、夫、娘、友達は
私の血液型に妙に納得します。
娘はB型でなかったことをひそかに喜んでいるのです。
自分を取り巻く人間関係には本当にいろいろな方がおられ
その方から見られる「私」もいろいろです。
私はそのいろいろがわたしだと思っています。

人生60年なんて、本当に短くて
嬉しいことより、辛いことの方が多かった。
でも、雨の日も、雪の日もお日様が隠れても
必ず数日後にはお日様は顔を出します。
お日様は、地球に住む、全ての動植物に
「泣きたい時は泣きなさい、いつか涙もかわきますよ。泣きたい時は
私にお話下さい」と私を慰めてくれました。

 豆撰では
お知り合いのお花やさんがゴールデンウイークに間に合わせてくださった
お花も笑って皆様のお出でをお待ちしております。

2014年5月3日土曜日

今から60年前はどんな年だったのだろうか

 私の60歳の誕生日はまだ先ですが
明日は還暦の御祝い?です。
昭和29年生まれの仲間たちです。
栃尾市として誕生、私の人生初の仕事場である
善昌寺保育園誕生の年でもありました。
29年の年は映画も盛んで
「二十四の瞳」
「七人の侍」そして私の大好きな「ローマの休日」も上映されていました。
どの映画も、もちろん制作から15年以上過ぎてから観た事になります。

素晴らしい映画は年代を超え、感動を与えてくれるようです。
 怖い事故もこの年だったようです。
ビキニ水爆実験です。日本の第五福竜丸が不幸にも遭遇 してしまった。
この事故を知ったのは福島原発がきっかけでした。
私はこの年になるまで真実を知らなかったのですから
自分ながら、あきれてしまいます。
 電話もない、テレビもない、塾もない、今からは想像できない「ない」もの
いっぱいでした。きっと、明日は「ない」ものが懐かしく、10年に一度
いえ、それ以上お会いしていない同級生たちと語り合うことでしょう
楽しみでもあり、ちょっと恥ずかしい気もしております。

2014年5月2日金曜日

越後交通100周年

越後交通100周年の旗を掲げ走るバス。旗は赤いラインの前に貼ってあります。
昔は、栃尾から見附の町を通り、長岡まで1時間以上かったような気がします。
私が一番最初に乗ったバスは三輪自動車だったような?まだ、馬が荷物を運んでいたようなかすかな記憶があります。


100年前はバスは走っていなかったと思うのですが・・・・・・。
きっと栃尾と長岡を結ぶ汽車「栃鉄」から始まり、 電車の時代、
それから電車が廃止になりバスの時代になったのではないかと思います。 
 越後交通さんの100年の歴史の中には、栃尾人の生活を支え、
たくさんの想いを作ってきてくれたと思います。
新緑のトンネルですれ違うバスがなんとなく愛おしく感じられた一瞬です。

2014年5月1日木曜日

この花の想い出


 叔母の人生最期の年でした。
この年の正月は病を押して沖縄旅行を決行したのです。
叔母夫婦そして私と娘の4人旅行でした。
叔母の進行は思ったよりも早く、脳に転移した腫瘍のせいで
歩行が困難でした。
また、骨転移で肩の痛みと腰の痛みで相当難儀だったと思います。
それでも、叔母を連れて行きたかったのは
沖縄の青い海と空を見せてやりたかった。
叔母と一緒に旅行して、私の想い出にもしたかった。

私と娘は、車椅子を押しながら
何回そっと涙をぬぐったことでしょう。
そして、宮古島の海を見つめる叔母の目には何が写ったのでしょうか?  

 それでも、沖縄で私たちを迎えてくれた「ブーゲンビリヤ」の花は
叔母の背丈を超える大きさと
ピンクの笑顔いっぱいでつつんくれました。
叔母は花の前で嬉しそうにポーズをとりました。
だからこの花は「叔母」の花なのです。
今年はいつもより早く咲いたようです。
天国から見えますか?