2016年4月30日土曜日

「追憶の森」を観る

内容もわからずに、ストレス解消に「追憶の森」を観ました。
登場人物は極少ないのですが、内容のある、心に響く映画でした。まだご覧になっていない方はここまでに。
富士山の麓の撮影とアメリカの撮影が入り混じっていました。
主人公が目指す森はどこかで観たような記憶がありました。私もこの作品とともに記憶の森を一生懸命に辿っていました。それは長岡の映画監督「五藤利弘」作品「鐘楼のふたり」の記憶です。確か4年位前の作品だったような気がします。自殺の名所?樹海が撮影現場だったような?「鐘楼のふたりに」の内容とやや似ています。死に急ぐ人を止まらせる、若いふたりは「追憶の森」で表現されていた、渡辺謙さん演じる、スピリットだったと思うのです。そして、先日観て、感動した「レヴェナント」と重なる森のシーン、洪水のシーン。そして、霊については、とてもよく似ているテーマのような気がするのです。それは私自身が不思議な験していたからです。今から10年前、父は仏間で永遠の眠りに入っていました。でも魂は個体となった父の周りに存在していたのです。その魂は蝶になって私にささやくのです。
「水が、大変だから、早くきておくれ」と……。気になって、夜明けと、ともに個体となったはずの父に会いに行きました。すると、父の枕元にある花びんの下の畳がびっしょりと濡れていました。花瓶の底にヒビが入っていたのです。というとても不思議な体験をしていたから、私は密かに霊を信じ、私には霊感ありと思っているのです。(笑)
というわけで、今回の映画は3作品同時進行、礼ちゃんの追憶の映画でした。
映画のラストはとても心が和みました。

連休期間限定で豆撰にて販売しています。
筍あぶらげ寿司!

2016年4月29日金曜日

連休初日は寒い一日でした。


栃尾の春祭りは雨のために中止になってしまいました。
前の日から準備をされていた方々の落胆はどれほどだったことでしょう。
朝から、寒い風が吹き、冬物のコートがいるほどに温度は下がりました。連休初日は最悪かしらと
お店のお掃除をはじめたら、次から次へとお客様のご来店で、お掃除も中断してしまいました。また、油揚げの揚げたて、あぶらげコロッケは大人気でした。なかでも2歳のお子さんとおじいちゃん、おばあちゃんの家族づれに私たちは大喜びでした。大きな声で、何回も何回も「美味しい」を連発。イチゴのプリンにも「美味しい」を連発してくれたのです。こんなに嬉しいことはありません。豆撰のマスコットにしたいくらいに笑顔のかわいいお子さんでした。遠くからわざわざ豆撰に寒い中お越しいただいたお客様に感謝感謝の一日でした。明日、午後1時からは「おぼろすくい」、「筍ご飯稲荷寿司」も限定販売の予定です。是非、栃尾へ豆撰にお越しください。もしお天気になれば栃尾の山々は薄緑色に染まって、春の香りが漂ってくるはずです。
さて、明日も元気に頑張ります。

2016年4月27日水曜日

手作り弁当、愛情をかけて





私は面倒なことが苦手です。自分のお弁当を作るのに、手間暇かけたくないのです。

認知症の母の分も作ることがあるのですが、至って簡単にさっさとあまりものをお弁当箱に詰めるだけです。そのせいか、母は私が作ったお弁当を決まって残すのです。
そこで、今朝は考えました。まず、子供のお弁当のように彩りを考えてみようと赤はトマト、黄色はいつもより、甘い玉子焼きにしました。筍の煮付けは食べやすいように細かく切りました。白いんげんの甘煮に山芋の酢漬けを少し入れてみました。ご飯は海苔をまき、食べやすいように小さくしました。こんな風に母のためにお弁当を作ったことは一度もありませんでした。いつも、あまりもの・・・・・・。
それでも「作ってやってんだから」と言う情けない娘の私。
さて、お昼も過ぎた12時半。ふたつのお弁当をひろげ、お番茶を用意しました。すると、なんと母が「もういい、いらない」と言わずに、全部食べたのです。私は踊るような気持ちになりました。嬉しくて嬉しくて、スタッフのところに飛んで行き「ねえ、ねえ、ばあちゃんが、お弁当みんな食べたのよ」と話しました。すると「愛情ですね」と答えが返ってきました。
そうです、私は母が認知症を患っているのに、愛情を持ってお弁当を作ったことがなかったと反省しました。85歳の母です、私が豆撰で働けるうちは、お弁当作りを頑張ってみよう!と思います。

このバラは私の誕生日に届いた小さな鉢植えでした。それを、丹精込めて夫が咲かせてくれました。今日は2つの嬉しいことに感謝しました。

2016年4月26日火曜日

母の日…遠い記憶

母は父の従姉の子供である。つまり私の祖母は父の叔母さんの子供である。
少し母と父は血がつながっていることになる。私は時々、父の母に祖母の母の家に連れて行かれるのです。その人はとても私をかわいがってくれました。というのは私が行くと、ナルトと大きな卵が入ったうどんを出してくれるのです。お腹がいっぱいでも、子供の私には御馳走なのです。卵だけ食べて残してしまい、父の母は私の替りに謝っていました。その人は私の曾おばあさんだったことは、いつ頃わかったのか覚えていません。だいぶ大きくなった、中学の頃かもしれません。そして、私の母は双子だったので、妹の母は私の曾おばあさんに育てられたそうです。
認知症になる前によく話していました。自分はH家の子供だと思っていたが、ある日突然、私の曾おばあさんの子供から、「お前はここのうちの子ではない」と言われ、母はそのことが、とても悲しくて悲しくて、泣きながら自分の家に帰ったそうです。小学生に上がる前だったそうです。
遠い記憶です。母の母、つまり私の祖母が88歳を過ぎ、病についた時に祖母の母はどんな人だったと尋ねたことがありました。祖母は「町の子だったから、百姓は一切しないで、機を織っていた。だから、私が田んぼも畑も一生懸命やった」と目を閉じて話してくれました。もっといろいろ聞きたかったのですが、祖母の具合は悪くなり、寝たきり状態になりました。母は姉妹と交代で祖母の看病をしていました。私は母を車に乗せて、祖母の家に行った日です。母は玄関から、すぐに仏間に行き手を合わせるのです。 何を祈ったのか尋ねると「爺さんに、はようばあさんを迎えに来てとねごうた」と、祖母は瀕死の状態なのに母はなんて冷たい人だろうか私は思いました。
あれから30年以上が過ぎ、私の母も85歳です。認知症を患ってから、10年が過ぎようとしています。
母の母、母の母の母と3代の母の記憶をたどってみました。3代の母の血は私の父方の血も流れているのです。生前父は母に苦労ばかりかけていたけれど、母はそんな記憶も薄れ始め、「お父さんはいい人だった」と言います。
そして、私は父の仏壇に手を合わせ「いつでもいいからね」とつぶやくのです。



母の日に豆撰の豆乳プリンと栃尾の油揚げの詰め合わせ
「ありがとうセット」はいかがでしょうか?
今月末日までご予約いただいた方には10%割引でお届けいたします。

2016年4月25日月曜日

私が私らしくなって・・・?

健康保険限度額適用認定証が届きました。
これで高額医療が受けられます。お昼休みに実母を連れて、病院へ手続きに行きました。
田井の湯手前から若葉の芽が伸び、、新緑に様変わりしていました。春を感じながら、少し弾んだ声で「山がきれいね、ばあちゃん芝桜もきれいだよ」と実母に話しかけますが、実母は知らんぷりです。お昼を一緒食べようと回転寿司に入り、春握りセットを注文しました。でも、会話にはなりません。悲しいかな、私も会話することをやめてしまいました。病院へ寄って手続きを終え、これで一安心です。きっと私のカテーテル治療は相当のお金がかかったはずです。そう思うと日本の健康保険に感謝です。
さて、ついでに、退院の日に借りてきたDVDを返して豆撰に戻り、再び仕事を開始しました。
しばらくすると、新しく替えた「アイホン」がピロロンと鳴りました。夫からの電話でした。「お前、DVD返しに行ったんだろ、電話がかかってきて中身が入っていないってさ」とあきれたように話す夫。
あらあ…。やってしまった。いえいえ、まったくもって元の私に戻っただけでした。

この新緑の香りとふんわり 大豆の香りひろがる栃尾の油揚げをぜひ食べにきてください。

2016年4月24日日曜日

ガラケーからアイホンに変えて四苦八苦


説明書があったからと言って、解読できるわけではないのだが、文字入力はなんと「ひらがな」である。ABCもよくわからないおばさんではあるが、日ごろ慣れているアルファベットの方が入力しやすい。しかし、こいつの入力は小文字は打たなくてもすぐに変換してくれる。一番若いスタッフのHさんが頼みの綱である。だから、おばさんはガラケーが一番好きだって言ったじゃない。それなのに、妹もHさんもガラ携はダメです。強く強制され、今日に至る。アイホンを買い求めてから、数日放置。これでは意味もなく、私の脳みそは生まれた時からカラカラと音を立てていたのに、今さら新しい事が覚えられるのだろうか?こんなに小さいのに、こいつの頭脳は私の何億倍かしれない、ああ、宇宙との距離と同じかそれ以上である。そうそう、近頃では感情表現の出来るロボットもできたそうな、一人暮らしの老人の良きパートナーとなるらしい。世の中どんどん変わって、もうついていけない。アナログの世界が恋しい。まてよ、こんなに落ち込んでいる私をロボットはどうなだめ、励ますのだろうか?ちょっとロボット君と話をしてみたいものだ。


さて、皆様栃尾の山も里も、今が見ごろです。山桜の薄いピンクと柔らかな新芽の黄緑が何とも言えない清らかさで目と心を楽しませてくれています。もうじきやってくるゴールデンウイークに栃尾へお越しください。秋葉公園、鳩峰、雁木通り、石仏……のんびりと栃尾散策しながら、美味しいものを食べませんか?もちろん豆撰の栃尾油揚げ!豆乳プリン、おからチョコケーキなどスイーツも楽しめます。便利で美味しい惣菜コーナもあります。
また、感謝祭で好評だった「おぼろすくい」もあります。
ご家族で、お友達と、お子様とご一緒にいかがでしょうか?

2016年4月23日土曜日

レヴェナントとアメリカ

1820年のアメリカの実話らしい映画「レヴェナント」を観る。映画館のスクリーンが大きく全開する。最初から最後まで、1秒も観客をあきさせない。とてつもない映画だった。もともとレオがお気に入りの私。でも、予告による、映像やテーマに腰が引けます。残虐な場面が多いと聞いていました。もしかしたら、途中で映画代金を半分くらい返金してもらわなければならないくらい、目を覆って耳をふさぐのではないかと、観る前から、予防線を張っていました。それでも、観たかったのは自然の美しさを自然光で撮影したこと。ここが私を映画館に運んだ第一の理由です。暗闇に射す太陽の光、凍てつく森、撮影場所は温暖化のため変更だったようです。アルゼンチン・・・行ったことがない。映画を観ている間中、私はアメリカだと実は思っていたのです。先日、娘夫婦と一緒に行った砂漠を思い出しながら、アメリカの広大な自然は脅威であるが、美し過ぎると画像を追っていました。個性的な俳優が勢ぞろいです。人物描写と自然の荒涼。セリフが少ないから画像の迫力が迫ってくるのでしょうか?移民たちは原住民のすみかを荒らし、狩猟を繰り広げる。狩猟からはじまり、エネルギー問題にたどり着く現代、巨大なアメリカから小さな国日本、その他多くの国の人々は地球を壊しているのではないでしょうか。物語は自然破壊をする人間の欲に復習しているのかもしれないと思いました。それでも、この物語が残虐であったにもかかわらず、人間味あふれていたのは、レオ演じる「グラス」の愛です。父親として息子を守りたかった愛。息子の「ホーク」は父を守りたかった愛。愛の方が欲に打ち勝つこの映画に、心が感動するのです。ラストシーンに繰り広げられる残虐な憎しみ、裏切りの切なさを打ち消してくれたように・・・・・・。内容については、ぜひご覧ください。地球にいろいろな国があるように、一人一人の感想は違うことでしょう。

2016年4月22日金曜日

認知症でも母は私のたったひとりの母

元気を取り戻したはずなのに、仕事に足が向かなかった私です。それでも元気になれば、やはり仕事が気になります。お友達の「無理をなさらないで、ゆっくりと静養してください」の優しいお言葉に感謝しながらも、ちょっと豆撰へ。妹夫婦、スタッフの「よかったです」の言葉に嬉しくて、少しだけ涙ぐんでしまいました。それから認知症の母との対面。5分前のことも覚えていない母です。カテーテル治療終了後、私がベットで横たわっていると、そっとベットの脇にやってきて、ほほ笑んでくれました。しかし
そんなこと、覚えているはずが絶対にないと自信満々の私の母への一言。「ばあちゃん、私、心臓の手術してきたんだよ、もう治ったけどね」、すると母が私の顔を見て「病院に行っただろ、治ればそいでいい」と子供にかえった母が…娘を想う母になった一言。グググーと涙を精一杯こらえる私。今日はすべて忘れているようでしたが・・・・・・。
仕事の方はゆっくりと、やっています。無理をせずに ・・・・・・。
でも、もうゴールデンウイークは目の前です。みなさん!ぜひお出かけください。
お待ちしております。 




2016年4月20日水曜日

陽だまりの中であの日を思い出す映像

病室から我が家に帰っても、変わらない映像が次から次へと映し出されています。
この屋根の崩れよう……。
あの日の朝、ゴーゴーと滝のような雨。雨の音は大きな石の音。我が家に押し寄せる雨はまるで映画のようだった。家の脇には細いアスファルトの道が山に向かって傾斜している。その脇には大きな杉の木がずらりと並んでいる。50年以上の大木だった。傾斜に土嚢を積み、水が我が家に入らないように試みた。無駄。私の足もすくわれそうな勢いだ。ただ見ているだけ。成す手立てなど一つもない。諦めと不安の中での避難勧告。時計は9時を回っていたような気がします。近所の家に残っているのは老人ばかりです。私はトラックの荷台に老人たちを乗せ避難所へ。お昼の炊き出しの手伝いを終えたころ、妹からの電話。両親の住む家の庭が崩れ落ちたとの連絡が入る。私は避難所から膝よりも高い水が上がった洪水状態の道路を通り抜け、実家に急ぎました。水の勢いは私の足を奪い、前進を拒否する。それでも必死で歩き、たどり着く、豆撰。今のところ異常なし。安堵の気持ちと今度は実家はどうなのかと恐怖を抱きながら、両親の家にたどり着く。両親と妹家族はうなだれ放心状態で庭が落ち、玄関まで来た崖くずれを見ている。
声もでない。ただただ、仕方がなかった。実家がこの状態ならば、我が家はいったいどうなっているのだろうかと、引き返す。
我が家の屋根に、大きな大木が二本倒れている。瓦は傷んでいるが、なんとか家はたもたれ、朝とは違って、水は我が家に流れていない。市役所から駆けつけた夫と、遠く離れた場所から我が家を見つめる。家の中には愛猫が残されている。夫に助けて来てと叫ぶ。その時です、ドドドッ、メキメキと鈍い音。「行かないで」と夫の手を掴んだ瞬間、我が家は土砂におしだされ、潰されたのです。この瞬間は鮮明に覚えています。私の頭に浮かぶ、娘を授かり、 親子で過ごした、映像が、早送りに回るのです。
熊本の悲惨な家々、道路破壊、避難場所を見ては、どうか、地震が収まりますようにと願っております。大切な命が一瞬に奪われる悲劇。心が痛み、あの日が蘇ってきます。
どうか、気を落とさないでください。この悲しみは、消えることはないでしょう、でもいつか、きっと私たちのように心が和らぐ日が必ず、必ずやってくるはずです。諦めないでください。どうか、神様、これ以上の被害を私たちに与えないでください。
そしてどうか、もしかしたらと思えるような原発は停止してください。私たちの住む場所が無くなってしまったら、日本がなくなったら!子供達の未来はどうなるのですか?と誰に訴えたらいいのでしょうか?
一握りの欲望のために、継続してほしくない……。と願う。

2016年4月19日火曜日

映画「あん」と本屋大賞「羊と鋼の森」

退院して1日目はのんびり過ごしました。
体の調子は想像以上に良好なのに、どうしても仕事のスイッチは入りません。仕事以外に趣味のない私に何が起こったのでしょうか?いつもと同じ時間に起きていつものようにサッサとお掃除と洗濯を済ませると、どんとリビングに腰を下ろし、昨日病院帰りに買ってきた本屋大賞「羊と鋼の森」を読む。調律師の物語。とても読みやすく、次へ次へと本をめくる私。内容が、とてもさわやかである。後味の良い本で、一気読み。午前中に読み終えました。自分の仕事と重ねていたかもしれません。栃尾の油揚げ作りは、調律師の心と同じだと思ったからです。土台が全く同じだと思ったのです。あぶらげ作りは技と経験と科学的な根拠が必要です。そして、一番は心です。作り手の気持ちとでもいいましょうか。一枚のあぶらげを仕上げるには、あぶらげの心を知らないと、美味しい完璧なあぶらげはできません。一年に満足を得られるのは数パーセントです。それほど繊細な食品です。豆の質、水温、室温、による変化。奥が深いのです。生地の硬さ、柔らかさ、弾力、手に乗せた時の繊細な感覚。残念なことにその繊細な感覚はその人が感じなければ、なかなか教えられるものではありません。
この本が描いている繊細と愛は、あぶらげ作りの心と同じなのです。
  午後からは「あん」をお友達と一緒に観ました。偶然は重なり、本と同じような内容です。こちらもまた餡をとおしての愛です。ものつくりの心は素材に愛を感じられるかどうか、そして樹木希林さんの自然な表現、社会問題も含め、心に響くのです。この3拍子揃った偶然に、不思議な気持ちになりました。桜の季節から秋になり、また桜の季節が巡る。季節の中に愛が生まれる。私は……本と映画とあぶらげ作りの愛を交差させながら、もう一度しっかり向き合うべき仕事について、ちょっとだけ病気のせいにして、やる気が出るまで、好きな映画や本を読み、堆肥作りに励みましょう!


2016年4月18日月曜日

生きていればこそ

カテーテル治療を終え
部屋に戻って安堵し、迎えてくれたのは夫、妹夫婦、実母
ベットの脇で、私を見守ってくれていました。
かすかな言葉しかでない、生きてきた61年分の疲れが私の全身をおおい、「ありがとう」と囁くのみでした。
とにかく眠りに就きたかった、休みたかった。次第に意識も遠くなり 、これで全てが終わるはずだったのに、固定されたからだの緊張と腰の痛みに苦しめられ、申し訳ないと思いつつ、ナースコール。背中に手を入れてもらうこと数回、3センチくらいの隙間角度をつけて少しだけ体をずらしてもらう。すると再び嘔吐の繰り返し。
夜どうし、腰の痛みと嘔吐に苦しめられました。病室のカーテンの隙間から、うっすらと明かりが見え始めたので、夫に電話をして早く病院に来てもらうように懇願しました。
腰の痛みに、我慢に限界はあるのでしょうか。何十本の注射も我慢できました。辛かったカテーテル治療もなんとか乗り切ることができました。後はこの体が動かせたら、それでいいのです。直立不動で足には鉛のような重いものが私を押さえつけています。夫を待つ時間の長いこと、ようやく夫は病室へ、腰に手を入れてもらい、できる限りのわがままな注文をしました。朝8時半までの地獄の道も主治医の診察で終了です。
「心電図を見ていると全く不整脈はありません。よかったですね。辛い思いをさせたね」と微笑む優しい目は天使のように思えました。解き放された私の体、まな板の鯉は水に戻され生き返ったようでした。すべての先生、看護士さん、私を見守ってくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
夫は私が欲しがっていた望遠カメラのカタログを持ってきて、どれがいいかとあれやこれやと説明してくれました。遠くに見えていた、鳥たちよ、虫たちよ
しっかりと観察するからね。

2016年4月17日日曜日

心室期外収縮治療を終え

皆さまお元気ですか
私の治療日は、熊本の大きな地震日と重なりました。
多くの犠牲者、そして多くの地域の混乱損壊、交通麻痺と様々な被害に遭われているときに、私ごとのブログを書いて良いものかと、迷いましたが、お見舞いに来てくれた私の大好きな姉ちゃんの家族が「礼子ちゃんのブログ楽しみにしているから書いてね」と言ってくれたので書くことにしました。
オーバーですが、これも生きていればこそ出来ることです。
さて、病院の入院日、カテーテル治療日は前から予約して、わかっていました。
心臓の鼓動はきまった場所で電気信号を送って、その電気信号で規則正しく鼓動しているようです。
私の心臓にはその電気信号が別のところでも発信しているらしく、それが不整脈を起こしているとのこと。治療そのものは難しくないらしいが、場所が悪いと言われ、呼び出された夫とともに、「無理はしないつもりです。見つからなかったら止めます」「医師は3人つきますから大丈夫です」と言われました。
急患のためスタートが一時間遅れ、いよいよカテーテル室に入ると、私は犯罪者のように、体中にペタペタとシールを貼られました。その前には新人医師から点滴のための注射。
「ぼくが点滴をうちます」と言われました。これは内緒ですが、隣の88歳の患者さんの左手首は青くなっていました。「練習用の手」と笑って話していました。そこで私は新米先生に「練習してきてね」と頼みました。さて、いよいよ二本の針を刺します。ここでいいかどうか付き添いの医師に確認しながら、丁寧に血管を見つけて、針を刺す。ちょっと痛かったけど、大成功。二本目も成功でした。わたしは新米先生に100点を差し上げました。彼は嬉しそうに微笑みました。「先生、これから何人も何百人もの方を助けてください」と心からお願いしました。「はい」と答える彼の爽やかさに目が潤みました。話を元に戻します。私の体は狭いベットにがんじがらめに縛られ、身動きできません。主治医の他に応援に駆けつけてくれた新潟大学病院の先生も爽やかに「応援に来ましたよ」と私を気遣ってくれました。その他技師の方がモニター操作、ガラスの向こうにはテレビか映画のように、治療を見学する人たちが6人、腕を組み私の治療を凝視しています。私の置かれた横にはモニターが5台、後ろで操作するところにも2台あったような気がします。総勢16人ほどです。まな板の鯉になってしまった私。でもまな板の鯉は自ら動かないのではありません。足も手も縛られては到底動けないのは当たり前です。3本のカテーテルを首と足の付け根に入れます。その前に部分麻酔です。一場所に10本くらい打ちました。次第にその部分は麻痺し、痛みはなくなりました。さあ、いよいよスタートです。担当看護師さんも優しく声をかけてくれます。主治医の先生はことさら優しく、丁寧に順番を説明してくれます。首は左向きに固定されていたので、小さなモニターを見ていました。だんだん、緊張と不安と何と言っても腰が痛くてしょうがないのです。私の訴えに対して、筋肉を和らげる注射、次には痛み止め、と何本もの注射を受けました。時計は私の場所からよく見えます。この部屋に入ってから、まだ一時間しか経っていない。患部は見つかっていないようです。緊張のあまり私は嘔吐の連続、その度に治療は休止。吐き気止めを点滴に注入。「気分をやわらげる注射をしましょう」と優しく私を諭す主治医。4時半を回っていました。腰の痛みと吐き気がおさまって、少し眠ったようです。しばらくして、意識を取り戻すと、時計は5時半を回っていました。先生たちの声が少し変わっていました。治療場所がなかなか見つからないようです。立体画像を早く回してとかアルファとか専門用語が次々に出てきます。私は「もういいです」と心の中で覚悟を決めかけていた時、ふと思ったのです。特攻隊の人たちは帰還することができないと知りながらゼロ戦に乗ったことを。ストレスを超えた、諦めの心の中は想像の域をこえていたことでしょう。それから真央ちゃんのことを考えました。期待に答えなければならない、プレッシャー、ストレス。こんなことを無理に考えていました。それは私自身を奮い立たせるためです。局部麻酔は地獄の川を渡るようなものです。何もかもがわかるのですから。やめてくださいと叫びたい気持ちを抑える辛さ。もう耐えられないと思ったその時に、先生たちの声、ようやく患部発見。治療に入ることができました。2時半から7時半過ぎまでの長い長い戦いは終了をむかえたのです。
この後がまたまた大変!続きはまた。


2016年4月13日水曜日

ちょっとおでかけしてきます。



明日から、ちょっとだけ病院のベットでお休みします。
何のことないです4日間のこと。
今朝は、持っていく荷物を揃え、鞄につめ。
去年は娘の入院、今年は私と
大病ではないけれど、なんだか続いてしまいました。
夫に「洗濯はためておいてからした方がいいよ」と話すと
夫は「そんなの、できる」と言われました。
そうそう、夫は洗濯もお掃除もお料理もできるのです。
つまり、私がいなくても我が家は何の不自由もないということです。
これまた、なんだかさみしいことで・・・・・・。
仕事はすべて、準備よし。妹やスタッフにまかせて
少し旅行気分で出かけましょう。

帰るころは桜は散っていますね・・・・・・。

2016年4月12日火曜日

ついに、その日は訪れた・・・・・。






携帯電話に点線が二本。

メールの文字が横半分に割れ読みにくい。
電話通話とメールのみの、昔からの携帯電話です。
もう潮時と覚悟を決めて、ドコモショップに行きました。
1時間半待ちでしたが、それをカバーしてくれる、丁寧な応対。
夫と共有できるように、その方が料金が安いらしい。
夫のスマホと私が持ち歩いているipad、そして
私の携帯を追加。スマホにしようかiphoneにしようか、迷ったが
ipadとの共有もあり、操作もそれに近いとすすめられ
仮押さえをしてきました。夫名義にするには本人確認、つまり夫の契約が必要とのこと。次回の予約を入れて帰ってきました。
通話電信料金は結構抑えられ、家計負担の軽減に。でも高い。
いつまで続くだろうか?とちょっと不安。
それに、本体の高いことにびっくり仰天!
アナログ人間にとっては信じがたい高値!
これでは、人は携帯のために働かなくてはならない
便利で変な世の中です。

庭を廻ったり、歩いて豆撰に通うと
様々な植物が風景が心を癒してくれます。
なんだか二十構造の世の中に生きているみたい・・・・・・。

2016年4月11日月曜日

和食をきわめてみようかな





ここ数日、気がめいっていました。

娘に落ち込み具合を話すと、
「お母さん、写真撮ったらいいじゃない、お料理も」と
無趣味の母親にアドバイス。
うーん、そうね。趣味と実益が兼ねられたら、こんなに嬉しいことはありません。
そこで、私に合う趣味を考えてみました。
主婦業を今までしてこなかった私です。
お料理には自信がありません。でも食べることは大好きです。
そして、私の持論は「美味しいものを食べることは心もからだも健康な子供たちを育てる」です。
化学調味料、インスタント食品、農薬付けの野菜にお肉・・・愛がないお料理に、思いやりのある子は育つはずがない。
保育園勤務のころ、子供たちは手作りのプリンを食べませんでした。市販の何日も保存できるプリンなら食べるのです。今の子供たちはどうでしょうか?
とは言え、私自身共稼ぎでしたので、お料理は全部義母任せでした。義母は本当に、こまめな人で、クルミを拾ってきては保存しておき、冬になるとクルミ割りをしてくれました。この「和え物」は非常に美味しいのです。最後にすり鉢に、ご飯を入れて、おにぎりを作ってくれます。 
お彼岸になれば「おはぎ」です。数日前からあんこを作ります。小豆はもちろん自家製です。おはぎを大きなお皿に並べます。あんこの中に指を入れ、味見する娘。
共稼ぎですから、参観日や学校の行事には、ほとんど行きませんでした。豆撰をはじめてからはなおのこと。それでも、娘はぐれることなく、普通に育ったのは義母の手作り料理だったと想えるのです。保育園から帰って、学校から帰って、義母のお料理する姿を見て、味見をする娘。この愛情はどんな高価なおもちゃよりも、娘の心とからだを作ってくれたことでしょうか。
そんなことを思い出しながら、よーし真心を込めて、本物の味を作ってみよう、勉強してみようと思い立ったのです。本物の味を豆撰で提供させていただき、主婦の方が手作りしようかと思っていただけるように頑張ってみようかな・・・・・・。

今朝はその手始めに「あぶらげときひじきのご飯」を作ってみました。
砂糖をあまり使いたくないので、こさじ1だけ。お出しは、利尻昆布と鰹節。
なかなか、いいお味…。これに、緑の色があればいいかな?と娘が買ってくれた和食の本を開いて勉強しなければ・・・・・・。

2016年4月10日日曜日

どうして、こんなに涙ばかりでるのだろうか






中学校、高校の入学式は桜の開花と一緒でした。

スタッフのお子さんも、無事高校入学を果たしました。
いろいろ事情があったお子さんでしたので母親の気持ちを
考えたらもう涙がとまりません。
利発で心優しいお子さんです。彼女の成長を見守っていきたいと思います。昨日は実母のお泊り日でした。私も一緒になって8時半ころから眠りにつきました。
私が朝食の準備を終え、母を起こしにやってくると、トイレから出てきました。
それなのに母「ここはどこだ?」と私に質問します。涙がこぼれます。
母の頭はどうなってしまったのでしょうか?
母のために、食べやすいようにおにぎりを作りました。野菜を食べない母のために、いつもより心を込めて味噌汁をつくりました。
魚を焼いて・・・・・・。母はおにぎりを食べ、お味噌汁を飲みました。私たちの半分よりも、もっと少ない量です。
豆撰に母を連れて出勤です。夫は「シラネアオイ」「さくら」の植木を私の車に乗せてくれました。
夫の優しさです。いつもなら感謝の言葉さえ言えず。「わかった」の一言でかたずけるのですが、今日は「ありがとう」と言う。夫の植木をお店に並べると、また涙があふれてくる。

本当にどうして涙ばかりでるのだろうか?



さあ、今日は若い人にがんばっていただいて、時間を作り、母を連れて昨日廻った桜を愛でてきましょうか・・・・・・。

2016年4月9日土曜日

お腹がすいて、しあわせ!





朝活です。
6時半前に家を出て、大好きな場所へ夫と出かけました。
珍しく、今朝は4時まで眠ることができました。「やったあ」という気分です。
朝食の準備を終えるころ、お日様が昇ってきました。いい感じになりそうな気配。
夫をせかして、「まだ、支度していないの?」と少しだけぶつくさ言ってしまいました。
でも。お願いするのは私なので、謙虚に、謙虚に・・・・・・。
私の「想い出桜」の場所に丁度朝陽があたり、いい感じです。「お父さん、いい感じね。桜も
最高よ」とまるで子どものように喜ぶ私。土曜で人通りも少なく、道路の真ん中でも一枚、パチリと
夫はシャッターを切っていました。私の喜ぶ顔はアメリカに行って以来のこと。夫も心の中で、ホッとしているのでしょう。今日は機嫌がよい。私が機嫌が良ければ、夫も機嫌がいい。こんな単純な方程式を使うことを忘れていたなんて・・・・・・。バス停も撮り、花ももの里鳩峰へ、私たち夫婦には3月の後半、アメリカに行っていたので、雪解けから春のゆっくりな移り変わりを見ることなく、時が飛んでしまっていました。カタクリの花、水仙、見下ろす街並みには桜色がところどころ見られます。
春って本当に気持ちがいい!躍動感でしょうか?昨日送っていただいたCDの中の一枚「イン・マイ・ライフ」の効果かもしれない。それから美術館の桜を見て我が家へ帰宅。
朝活はお腹が空きました。これって、本当にしあわせってことだと思う朝活でした。

2016年4月8日金曜日

レミングスの春…栃尾から






原作/竹吉優輔氏「レミングスの夏」が映画化されるらしい。
監督・脚本は存じ上げている五藤利弘氏

眠れない夜を過ごしたせいなのか、この原作に出てくる、いろいろな家に興味がわいて街の小路などを想像していました。
でも、取手市は一度も行ったことがありません。そこで今朝は桜に誘われて、いつもの刈谷田川を下り、通称スズクラ橋を渡り、土々町の諏訪様をめざし、行ったことのない小路を歩いてみました。
自転車がやっと通れるくらいの小路です。くねくね曲がっていて、時々大きな染物工場、今では廃墟になっているビルが私を攻めてきます。朝早くて、くもり空のせいもあり、おまけにサングラスをかけて歩いたものですから、少し怖くなりました。長年栃尾に住んでいても、通ったことのない道はミステリアスな気分になり、早くいつもの私の知っている道に出たいと急ぎ足になりながら原作の雰囲気を私なりに創っていました。
土々町の諏訪様にようやくたどり着くと、ほっとして、鳥居にかかる桜を見上げます。この神社で遊んだはずのMさんの子供時代、そして私の子供時代を懐かしく思いだしていました。
小路は不思議です。自分が幼い頃から通っているところは、自分の道です。目を閉じても歩けることでしょう。でも知らない小路は怖くなるのです。 
「レミングスの夏」に登場する隠れ家は、どんな画像に変るのだろうか。
いろいろなことを考えながら、歩くと想像は勝手に進んでいました。
松葉橋にかかると、やっぱりこの桜が一番いい。「想いで桜」だと思いました。その向こうに見えるのは鳩峰の花桃です。鮮やかな桃色が見えます。小屋にかかって見えるのは桜。
お昼休みに、上ってみようかな?
さて、今日は昨日放送された「生トク」の影響でお客様がたくさん来てくれるかな? 

2016年4月7日木曜日

順番がなく、先競う春。






春はいい気持ちにさせてくれます。
どこの道を通っても、川を見ても、山を見上げても
笑っています。今年の春は不思議です。
ふきのとう、つくし、桜まで一緒です。
それだけ、今年は暖かいのでしょうね。


愛猫のマメも庭に飛んでくる小鳥を見つけては
大喜びです。
でも、鳩は自分より大きいので、見つけるとこそこそと
逃げていきます。 

 
 



2016年4月5日火曜日

想い出のさくら









昨日はアメリカから帰ってはじめての診察。

「具合はいかがですか」と先生に問われ
「なんだか、日本に帰ってきた方がドキドキするような気がします」と応える私。
先生は心臓の音を聞きながら、ひとりで納得なさっているように、うなづく。
簡単とはいえ、なんだかちょっと怖いのです。治療日、日程は新大の先生の予定をお聞きしてからの決定とか・・・・・・。待つのはやっぱり嫌だ。一応の入院手続き説明をお聞きして、診察室をでる。
夫は心配をして、電話をくれる。「ちょっと場所が悪いそうよ」先生の説明を簡単に話す。
会計を済ませ、お友達に連絡すると、病院の駐車場にいるとのこと。ひとりで先生のお話を聞き、少し心が重かったから、お友達がそばにいてくれたことは、とても嬉しかった。一気に話してしまうとなんだかすっきりしました。
それでも、夜中にコトコトと響く私の心臓で、たびたび目が覚めてしまう。5時頃になると、窓の外も明るくなり、今朝はお天気です。旅の疲れで、お掃除もしなかったので、お風呂掃除からはじめました。ちょっとずつゆっくりとすることにしました。青い空を見続けたせいか、明日なることは明日でもいいかと自分都合の思考回路が出来上がってきたようです。歩こうか車にしようかと迷った結果、車での出勤。途中で車を止め見上げるこの桜。私はよくひきつけを起こす子だったので、父におんぶされて、このお屋敷の今は駐車場になっていますが、とても立派な水色の洋館の病院によく通いました。今は亡き老先生の一言はきまっています。「また、おまえか」とおっしゃる。つまり父がおんぶして、この病院に駆け込んでくる途中で私の意識は戻っているのでした。
この洋館の門の中に大きな桜の木がありました。一本だったのか二本だったのか、ちょっと思いだせません。でも今もその桜の木はあるのです。大きく、枝振りもよく、デジカメをのぞくと、「大丈夫かい」と私の心臓を気遣ってくれていました。
生まれた時から今日まで61年間見続けた、この桜は私の想い出さくらです。
どうか、私を見守ってくださいね。


2016年4月3日日曜日

アメリカでも私はサザエ、ハプニングは連鎖する。








アメリカでの滞在が長くなってくると、やはり恋しくなるのは和食です。ベニスビーチにも日本人オーナーで日本職人のお寿司屋さんがありました。普通にマグロやウニまで揃っています。久しぶりのお寿司と日本茶です。食べないわけにはいきません。お茶のおかわりも3回、その上お味噌汁。このお味噌汁にはお豆腐がほんの少しだけ、気持ち程度に入っていました。豆腐屋の私には信じられない味噌汁ですがまあここはアメリカ、許すことにしました。その前にビールも少しいただいたのですから水分はたっぷりとることが出来ました。お寿司屋さんからホテルまでは30分くらい歩きます。

お腹もいっぱいですから、みんなで「ダイエット」と歩き出しました。すると、なんだか変です。急ぎ足になる私。「お母さん、どうしたの?」と後ろで娘の呼ぶ声。
「早く歩かなければダイエット効果ないでしょ!」と言ったものの、もはや我慢の限界!婿殿からウーバーを呼んでもらいもらいました。車に乗った時間は、3分!セーフでした。

娘曰く「人の車で洩らしたらどうしようかと思った 」と笑いながら慰めているのか、怒っているのか・・・・・・。
もう一つのハプニングは、恐竜博物館に行って、私も夫もご機嫌で考古学なんてものについて考えたり、さすが石油王国と、会場を楽しく廻っていました。すると婿殿のスマホに緊急事態発生!
アパートに何者かが侵入。部屋に設置していたアラームが鳴っているとのこと。博物館巡りは、ここで終了。すぐにウーバーを呼びアパートに戻ることに、幸い窓から入る風のせいだったようです。
一件落着でした。
さあ、最終日は夕日を見るために、海岸へ。その前にベニスビーチとなずけられた所以の川を見学。
我が家に残してきた一人息子も恋しくなった頃、遭遇したではありませんか、夫が声をかけると、どんどん近づいてきました。
「あれ?この猫変な顔だ」と猫の顔真似をして、私たちは大笑いでした。
めでたしめでたし。
それにしても、夫は動物たちといつでも仲良くできる特技を持っています。

2016年4月2日土曜日

アメリカ ベニスビーチ、サンタモニカで咲く花たち













娘夫婦のアパート前に咲くブーゲンビアにまず感激!
どの家の前にも垣根や庭が続きます。その庭の花は青い空にむかって笑っています。
歩くたびに、心がうきうきします。
何度立ち止まったことでしょうか?ここに載せたのはほんの一部です。
温暖な気候は一年中を花で飾り、嬉しさいっぱい。
雪国を忘れそうになりました。