2014年12月31日水曜日

家族のありよう

昨日は娘の手作り料理をいただきました。もちろんイタリア料理です。キノコとコンソメとチーズを使ったリゾット、鳥のもも肉にオリーブをあしらったメイン料理です。ワインをは栃尾産です。その前に買い物に長岡に行きました。夫は満車の駐車場で待機、娘と外人婿殿と私はイタリア料理の材料を買いに、買い物が終わったら、夫に電話する事になっていました。ところが買い物途中で、私は携帯を持ってこないことに気がつきました。今年最後の本当に最後の失態と、笑い飛ばしていたところ、夫が私たちを探し回って、ようやく見つけたとのこと。駐車券を渡すために、駐車料金をただにしてもらうためでした。大晦日に必要な材料も買い揃え、次に立ち止まったところはスイーツのお店。タルトを購入することに、代金を払い、前にある総菜屋さんを見ているとスイーツのお店の若い方が、スイーツを持って来てくれました。お金は払ったのですが、品物を持って来ることを忘れていました。またまたやってしまったこのドジで間抜けな母を見て、みんなは大爆笑です。さておき、イタリア料理は日本の料理と出てくる順序が逆です。リゾットを食べ、メインを食べるのですから、結構お腹いっぱいになります。夕食を食べ終わり、日本語でしりとりや、有名人を当てるゲームをしました。国が違っても、家族です。この先私たちが一緒に過ごせる時はどれくらいあるのでしょうか、15回くらい会えるのでしょうか?それでも家族です。離れていても、会えなくても、家族です。

2014年12月30日火曜日

いつもこのブログを読んでいただきありがとうございます。

ブログを書き始めて、
私のありのままを書き続けてきました。
たくさんの方に読んでいただき、本当に嬉しく思っています。
ブログとフェイスブックではたくさんのお友達に出会え
不思議な縁を強く感じております。
豆撰にとっても飛躍挑戦の年でした。
新しい油揚げへの挑戦そして「おてがみれしぴⅡ」の作成
することができたことは皆様のおかげと心より感謝申し上げます。
新年豆撰の営業は1月4日より営業させていただきます。



2014年12月23日火曜日

雪雪雪雪・・・曇り

天気予報の雪マークはどんな記号より重要です。
雪だるまに雪がたくさん降っているマークを見ると
心が沈みます。
曇りマークに半分雨のマークだったら小喜び。
曇りマークなんて最近おめにかかれない。
もちろん、ここ一週間は雪のマークしか見ていない。
今週末は娘夫婦が帰国です。
1年ぶりの再会です。
無事に飛行機が飛び、成田に着陸してくれることを
今から願っています。
「遠き落日」三田佳子さん、三上博史さんの映画を思い出します。
あの時代とは違って、メール電話の普及で安否の心配はありませんが
母が子を想う気持ちは同じです。
そして、娘に伴侶がいることも大きな安心材料です。
「お父さん、28日は私は仕事だから御寿司頼んでおくね」と
夫から送ってもらった車の中での会話は雪のことから
徐々に娘のことに変わってきています。指折り数える母です。



2014年12月22日月曜日

俺は人間の世界がわからない

「お母さん、何でまた、2時から起きているんですか?」
「雪が気になってね、マメあなたもお腹すいたでしょ、どうぞ」
「ええっ、お母さんまだ夜中だけどもらって良いの」
「良いわよ、気にしないで」
「・・・・・・。なんだかお母さん優しい、変だ!
だからさ、俺はいつも想っているんだよ、人間様は神様より偉いらしいじゃないか、
間違った事が命に別状あるわけでもないのにさ、許さないだろ、
いつもは、お母さんは意地悪な人だと想っているけどさ、今日の2時起きには
ちょっとかわいそうだね、夜中に洗濯機も動いていたし・・・・・・」
「何マメ、ぶつぶつ言ってんの、まだ早いけどストーブつけてやるからさ
そこのソフアでおやすみ」
「おお、遂に、お母さんの頭は壊れたかもしれない、お父さん~!」

2014年12月18日木曜日

実母の朗読

先日の村田裕之さんの記事をヒントに
今日は認知症の実母に
昔話のタイトルをいくつか私が話し
その中でどの昔話が好きかと聞いて見ました。
すると「浦島太郎」とこたえました。
早速プリントアウトしてやり
実母に音読を進めました。
12行程度の文章ですが
思った以上に難しい漢字が含まれていました。
それでも
なんなく音読する母でした。
「亀に跨り 」と読む母に「こんなに難しい字なのに、認知症には見えないね」と
私がつぶやくと、スタッフのHさんが
「おばあちゃんは忘れるだけです、ボケていません」と
言ってくれました。
母が完璧に朗読したこととHさんの言葉に
少しへこんでいた心が支えられた ようです。


2014年12月17日水曜日

私の感じた「ゆめはるか」



お花にも、動物にも、そしてもちろん人間にも
それぞれの「想い」がたくさんあるはずです。
生まれたばかりの赤ちゃんは両親、祖父母、叔父さん叔母さん
たくさんの人から愛しまれます。
母の胸に抱かれる赤ちゃんは多くの人に見守られ、人生の道を誰でも歩き出すはずですが、たくさんの夢と希望の道へ進むはずの道に、大きな石でその道が行き止まりになったら人は
「どうして、私の道だけが」と泣き叫ぶでしょう。この映画「ゆめはるか」に、その「どうして」を探り、どうしての先にある多くの方々の悲しみを「さくら」に表現した五藤監督の「想い」と
私の想う「ゆめはるか」を重ねてみました。
陸上選手として希望でいっぱいだった主人公「はるか」の病気は大変な病気です。
両親のせつなさが伝わってきます。そして、はるか自身の「想い」は葛藤の連続です。
生きたいと思う自分と、もう生きられないと思う自分から
両親への「想い」と心が変化していったのではないでしょうか。
家族のためにそして自分のために、入院し治療しなければと心が動いたのでしょう。
そして、私はこの映画の中にもうひとりの主人公をみつけました。
一番私が感動したのは、はるかと対照的な少女「未来」の「想い」です。
未来は自分の命の期限を知っているのですから・・・・・・。
未来はとても真が強く、とても優しい少女だと思いました。
桜の咲く季節に対する未来の「想い」は
もしかしたら、次におとづれるはずの桜の季節を見ることは出来ないという想い、未来の切なさが胸にしみ、涙がとまりませんでした。
一枚の桜の絵と重なる桜風景描写には「モノクロームの少女」「ゆめのかよいじ」の2作と共通する
五藤監督の「想い」が込められていると強く感じました。
監督が表現したかったのはこの「想い」ではないだろうか。
ちょっと振り返ると誰にも思い出すことがあるはずです。助けたい命、祈って、願って、目を閉じると涙がこぼれ落ちてしまう、大切なわが子、大切な親、大切な友人
それぞれの生かしたかった、たくさんの人たちの想いをさくらに描く。
そして、画像の中で、主人公はるかの命を救ったのは、はるかの生きようとする力と医師、看護士さん、家族のそれぞれの想いを「生きる」ことに「未来」へとつないだのは、
生きてほしかった、今も会いたと想うたくさんの方々の気持ちを伝えたかったのではないでしょうか。そこに、五藤監督の「想い」を感じました。

主人公は「はるか」かもしれませんが
この映画は「はるか」「未来」その他映画に登場していない
たくさんのたくさんの方へ「生きてほしかった」と
天国に召された、母に子供に、友人に宛てたお手紙であり
困難を乗り越えようと頑張る方々へのメッセージだったように感じました。
最後に私の娘は生きています。元気です。でも、この映画の中の
数秒画像の中に出てくる「先生はこの子を治すことが出来なかった」と看護師がはるかに語った娘の友達がこの世を去ってから長い年月が過ぎました。思い出すことも少なくなりかけていたこの頃でしたが、この映画によって
私の心の中に戻って来てくれました。

2014年12月16日火曜日

脳の衰え

4日前から探しているデジカメの充電器がいまだ見当たらない。
土曜にお出かけする前に探していたのだが
あきらめて、東京へ。
せっかくの孫親共演?の写真もとれず
心の中では「がっかり」でした。
そして栃尾に帰ってきて探しまくりましたが
やはり見つからない。
とうとう私は決意?
夫に充電器を買ってきてと依頼。
すると「型が古いからないと思う」と言われました。
「じゃあ仕方ないから新しいの買ってきて」と私。
これは、認知症の方がレジで支払い勘定ができず
大きなお札を出すのと同じ現象。
ああ、さっきブログで読ませていただいた記事は
私への警告かもしれない・・・・・・。
ご参考にhttp://bb.hiroyukimurata.jp/hint/5478/
こちらの記事はテレビでもよくお見かけする
栃尾出身の村田裕之さんのお話です。

2014年12月15日月曜日

孫親参観を体験

土曜日は長岡出身の五藤利弘監督作品「ゆめはるか」の初日上映を
保育園時代に担任させていただいたSさんと夫と一緒に観ました。
映画は「想い」がテーマのように感じています。
想いとは人と人をつなぎます。
想いとは生きている私たちとわけあって天国に召された人をつなぎます。
想いは命の限り精一杯生きることだと思っています。
もし、このブログを読んでくださっておられる方が、「ゆめはるか」をご覧いただけたら
とても嬉しいです。
それぞれの想いがきっと心に響くと思います。
さて、その映画はもちろんでしたがもう一つの「想い」を見つけてきました。
それは、Sさんの息子G君が老人ホームで「踊り」を披露しました。
踊りを見る事を夫に話すと「そうか、祖父母になるんだな」と
祖父母経験のない私たち夫婦は願ってもない体験をさせていただきました。
踊りの始まる前に「Gから先生に手紙だってさ」とSさんから封書を渡されました。
その手紙の書き出しが大きな字で「れいこせんせい」と書いてありました。
その書き出しに大きな「想い」を感じ、嬉しくなってメガネが曇ってしまいました。
一生懸命書いてくれたお手紙、踊りの内容が書かれていました。
踊りを私が理解できるようにと書いてくれた一枚の手紙は私の宝物になりました。

2014年12月14日日曜日

世界一強いのは、ネズミでなかったかも?

お日様は世界一強いですね。
いいえ、雲さんにはかないません。私を隠してしまいます。
雲さん雲さんは世界一強いですね。
いいえ、風さんです。私を吹き飛ばしてしまいます。
風さんは世界一強いですね。
いいえ、壁さんにはかないません。いくら私が吹いてもビクともしません。
壁さんは世界一強いですね。
いいえ、ねずみさんにはかないません。
私はねずみさんにかじられてしまいます。

お日様が笑っていた東京から
新幹線事故の為、新幹線運休・・・見合わせ中・・・・・・。
12時過ぎの新幹線の乗ることが出来ました。
新幹線から眺める窓の外は、「晴れ」冬とは思えない景色。
新幹線遅れがまるで嘘のようでした。
ががーん、なんじゃこりゃ?
トンネルを抜けると・・・のちょっと手前から雪景色。
さらに、トンネルを抜けると雪景色ではありません。
窓の外は、真っ白くて何も見えない恐怖の世界。
湯沢を過ぎ、長岡、湿った雪の大群は重そうでした。
栃尾に無事到着すると、屋根には人が・・・・・・。
雪おろしが始まっていました。

ねずみさんにお聞きします。
世界で一番強いのはあなたですか?
それともお日様ですか?

2014年12月12日金曜日

生きていることの大切さ

47年前になるのでしょうか
私の祖母は肝臓癌だったようです。
その時私は13歳。
妹は幼稚園年長児でした。
そして、生まれたばかりの従妹は生後1ケ月に満たない赤子。
寒い寒い日でした。
家族、親戚の大人たちは病院に集り
私は妹と生まれたばかりの赤子をおんぶして
家にいました。

寒い家の中で、仏壇の前に座り、ろうそくの灯りをつけ
手を合わせました。
もちろん、祖母の命を救ってくださいと、
みたことのない先祖様にただただお願いをしていました。
妹は私の真似をして、私の隣に座り、手を合わせていました。
赤子は私の背中で泣き続けます。
私にとって、とてもとても怖い暗闇の時間でした。
どれくらいの時が過ぎたのでしょうか
母が私たちを迎えにきました。
病院の部屋には親戚が一同に集り、祖母を囲んでいました。
「おばば、死じゃあだめだよ、馬鹿馬鹿馬鹿・・・。」と泣き叫ぶ私に
「・・・・・・。」言葉にはなりませんがうなずいていました。
それから、父に「こんな夜遅く、みんなに迷惑をかけてはならないから帰ってもらうように」
とやっとやっとの小さな小さな言葉を並べました。
私は父に家に帰り、家で待つようにと言われ、赤子をおんぶして、妹の手を引き
家に戻りました。
夜中になり
そりに乗った祖母が帰ってきました。
祖母の葬儀はもう一人の妹についで2回目の経験でした。
きっと、明日2回目の映画「ゆめはるか」を観に東京へ行きます。
このことが祖母を振り返ることのきっかけになっているようです。
命の限り精一杯生きなければなりません。

2014年12月11日木曜日

一枚の絵に重ねる想いは

突然、叔父がやってきました。
この油揚げの絵を持って来てくれました。
早くに亡くなった私の大好きな叔母の夫です。
頭は白くなり、背の高い姿に、少し腰にその年齢を感じさせていました。
叔父は叔母が生きている時から、絵が大好きで描いていました。
でも、叔母が亡くなってからの方がたくさん描いているようです。
「どうだ?礼子ちゃん上手に出来ただろ!」と
箱から取り出す絵は豆撰の油揚げでした。
クレパスで描く油揚げに、亡き叔母を想い出し
ひとつひとつ色を運んだ様子が伝わります。
撰んだお皿には、すこし寂しさが感じられました。
クレパスで自分の想う色を塗りながら
叔母と一緒に過ごした30年を振り返っているのでしょう
楽しかった日々辛かった日々
そして、叔母が亡くなって13年・・・・・・。
叔母に対する、夫として姪としての想いは同じだと思います。
何年過ぎようが、「もう少し生きていてほしかった・・・・・。」と想いを共有したかった
叔父の気持ちを考えると、涙がにじんでしまいます。

2014年12月9日火曜日

雪国の竹

栃尾の街は山々に囲まれています。
そして、山々には各集落がたくさんあります。
集落にあるほとんどの民家は崖や崖の下の狭い平地に建てられていて、その崖には竹藪があります。
雪の重みで竹は大きく曲がります。だから崖の竹はまっすぐのものがありません。
倒れる竹を防ぐために、先人たちは〔私の父も〕春、竹の子が伸び、まだ枝が出ないうちに竹をゆすり、竹の頭を振り落とし、背を低くし竹の倒れるのを防ぎます。
今では竹の手入れをする人が少なくなりました。

栃尾の冬がはじまり
この風景を眺めると
雪国の竹は雪国の根性そのもののような気がしてきます。
長い冬の雪の重み
降りしきる雪を踏みしめる
そして歯をくいしばり、長い冬のトンネルから
見える春を待つのですから・・・・・・。

高台にある家から道に出るまでは坂道
その坂道を両親は何回もかんじきをはき
道つけをしてくれました。
学校に行く前、学校から帰る前
父ちゃん、母ちゃんありがとう
遠い昔、昔のはなし。

2014年12月8日月曜日

猫のこころ

「お母さん、何?冷蔵庫を開けたり閉めたりしてんだよ」
「マメには関係ないでしょ」
「ふーん、そうかな、俺は一日ここにいるんだぜ、俺はみんなのこころをみているんだぜ」
「・・・・・・・。」
「だからさ、昨日おかあさんがおばあちゃんに味噌はどれをつかえばいいかって聞いていただろ、それなのに、お母さんは冷たい言葉で、私が出しておきますからって・・・・・・」
「そうよ、その味噌が見当たらないから探しているの、もう黙ってあっちへ行ってよ」
「ふーん、そうか、じゃあ教えないよ、味噌はおばあちゃんがタッパーに移し替えたんだよ、
人のこころとはそういうものさ!」
「何にブツブツ言ってんの?」

「お父さん、昨日出した味噌しらない」
「ばあさんがタッパーに入れ直していたぞ」
「えっ・・・・・・。」
「だから俺は一日中みんなの心を観ていると言っただろ、お母さんは人のこころが読めないね」

2014年12月7日日曜日

猫の目線

「お母さんに言いたいんだよな
俺が耳を後ろ向きにして、みんなの話を聞いているのは
お母さんが意地悪だからだよ
口では言わないけど、心の中は見え見えさ

夕べ料理したのはおばあちゃんだぜ
90歳なのにがんばって
きんぴら、煮菜、打ち豆と一生懸命頑張っているんだ
朝起きてきて、キッチンが汚れている、同じ場所に食器がしまわれていないくらい
なんだっていうんだよ
たいした問題じゃないさ
生きていくのに、それほど重要な事じゃあないだろう
戸が開いていたくらいであきれたような顔しなくて良いじゃないか
お母さんの方がよっぽどの忘れ物名人だろ
何回お父さんからお弁当届けてもらったと思ってんだよ
まあ、小さな事はどうでもいいさ
縁があって一緒にいるんだからさ
それより、お願いだからおれの食事だけは忘れないで!
お母さん、お願いします。」

「わかっているわよ、私だって優しいお母さんになりたいと思ってんの。
マメに言われたくないよ・・・・・・。」

2014年12月5日金曜日

昭和38年大雪

まだ夜のあけない栃尾の朝を
窓から眺める、街燈に照らされる道には白いものがありませんでした。
田んぼと屋根に少しだけ雪の妖精は下りてきていました。
雪が積もらずほっと胸をなで下ろしながら街燈の灯りをみつめ

昭和38年の豪雪を思い出しました。
栃尾は盆地です。
市外に抜ける道は峠を越えなければなりません。
車の数も少ない時代です。栃鉄も封鎖でした。
もちろん、除雪車などありません。
こしき、かんじき、しゃべるのみが除雪道具でした。

家々は雪の中にすっぽり埋まってしまいました。

屋根に積もった雪を下ろす場所さえなくなるのですから・・・・・・。
50年以上前のことを思い出しながら
50年は長かったのか短かったのか
今まで生きてきた道のりより
今から歩く道のりの方がはるかに短いでしょう・・・・・。

そして、この大雪のこの写真の大変さを経験しているのに
この写真を引き出して見つめると
懐かしさだけでなく
なんだか、しあわせだったと想えるのは何故でしょうか・・・・・・。

2014年12月4日木曜日

嬉しい書き出し

夕べ遅くに、メールが入っていました。

夜遅くの帰宅だったようです。
メールの内容は、「(私が送った物が)届いていました。」
と御礼のメッセージでした。
書き出しがいつも「先生」なのです。この先生の意味は
ニックネームみたいなものです。
本来の意味とはまったく違いますので
私を誤解しないで下さい。
そして、今朝夫と家族と一緒に朝食を食べながら
「ねえ、世の中には先生と呼ばれる人が多いけど
本当に様々だよね、政治家も先生だしね・・・・・・」
「お前みたいな間違い字だらけのブログかくやつもいるからな」と
夫から明確な解答をもらいました。

さあ、今日は豆撰も大忙しです。
この大忙しもまた楽しい一日のはじまりなのです。
若い人の邪魔にならないようにがんばります。


年末年始配達「栃尾の油揚げ冷凍ボックス」受付ております。

2014年12月2日火曜日

揚げたて宣言。

最新の冷凍技術で
お店の味をそのまま
お届けします。
豆撰の新ギフト「揚げたて冷凍ボックス」は
「3D冷凍」で揚げたてつくりたてのあったかいうち
瞬間冷凍をかけます。
その結果
・ふんわり大豆の香りがひろがる揚げたての味が味あえます。
・長期保存が可能で、賞味期限を気にせずいつでもご家庭で楽しめます。
・霜がつきにくい冷凍だから解凍してもうま味が逃げません。

年末年始にお届けできます。(12月30日から1月5日)
「冷凍ボックス」お届け日のご指定もできます。
ご予約締め切り日は12月20日とさせていただきます。