2014年12月17日水曜日

私の感じた「ゆめはるか」



お花にも、動物にも、そしてもちろん人間にも
それぞれの「想い」がたくさんあるはずです。
生まれたばかりの赤ちゃんは両親、祖父母、叔父さん叔母さん
たくさんの人から愛しまれます。
母の胸に抱かれる赤ちゃんは多くの人に見守られ、人生の道を誰でも歩き出すはずですが、たくさんの夢と希望の道へ進むはずの道に、大きな石でその道が行き止まりになったら人は
「どうして、私の道だけが」と泣き叫ぶでしょう。この映画「ゆめはるか」に、その「どうして」を探り、どうしての先にある多くの方々の悲しみを「さくら」に表現した五藤監督の「想い」と
私の想う「ゆめはるか」を重ねてみました。
陸上選手として希望でいっぱいだった主人公「はるか」の病気は大変な病気です。
両親のせつなさが伝わってきます。そして、はるか自身の「想い」は葛藤の連続です。
生きたいと思う自分と、もう生きられないと思う自分から
両親への「想い」と心が変化していったのではないでしょうか。
家族のためにそして自分のために、入院し治療しなければと心が動いたのでしょう。
そして、私はこの映画の中にもうひとりの主人公をみつけました。
一番私が感動したのは、はるかと対照的な少女「未来」の「想い」です。
未来は自分の命の期限を知っているのですから・・・・・・。
未来はとても真が強く、とても優しい少女だと思いました。
桜の咲く季節に対する未来の「想い」は
もしかしたら、次におとづれるはずの桜の季節を見ることは出来ないという想い、未来の切なさが胸にしみ、涙がとまりませんでした。
一枚の桜の絵と重なる桜風景描写には「モノクロームの少女」「ゆめのかよいじ」の2作と共通する
五藤監督の「想い」が込められていると強く感じました。
監督が表現したかったのはこの「想い」ではないだろうか。
ちょっと振り返ると誰にも思い出すことがあるはずです。助けたい命、祈って、願って、目を閉じると涙がこぼれ落ちてしまう、大切なわが子、大切な親、大切な友人
それぞれの生かしたかった、たくさんの人たちの想いをさくらに描く。
そして、画像の中で、主人公はるかの命を救ったのは、はるかの生きようとする力と医師、看護士さん、家族のそれぞれの想いを「生きる」ことに「未来」へとつないだのは、
生きてほしかった、今も会いたと想うたくさんの方々の気持ちを伝えたかったのではないでしょうか。そこに、五藤監督の「想い」を感じました。

主人公は「はるか」かもしれませんが
この映画は「はるか」「未来」その他映画に登場していない
たくさんのたくさんの方へ「生きてほしかった」と
天国に召された、母に子供に、友人に宛てたお手紙であり
困難を乗り越えようと頑張る方々へのメッセージだったように感じました。
最後に私の娘は生きています。元気です。でも、この映画の中の
数秒画像の中に出てくる「先生はこの子を治すことが出来なかった」と看護師がはるかに語った娘の友達がこの世を去ってから長い年月が過ぎました。思い出すことも少なくなりかけていたこの頃でしたが、この映画によって
私の心の中に戻って来てくれました。

0 件のコメント: