2013年12月30日月曜日

出会い



無事に娘の結婚披露宴を終えました。
イタリアのご両親を迎えての披露宴に大活躍してくれたのは
生まれた時から今日まで仲良しの娘の幼馴染たちです。
一緒に畑で棒を持って、蛙を追い掛け回したり、田植えの苗とりには
スノーボートに入ってどろんこ遊びを楽しんだり・・高校は違っても幼馴染たちはよく集まっていました。そして、卒業式の日に、一升瓶を空けてご機嫌だった仲間たちは大人になり、イタリア語が離せないのに意気投合してご両親と何十回「乾杯」を繰り返したことやら・・・。ヨーロッパにはお互いにお酒をつぎあう週間はありません。しかし、あちらのお父さんは陽気で機転が早く、日本の覚えた風習にご満足でした。
こんなに楽しいひと時を満喫できたのもたくさんの方々のおかげです。
また、この場をもうけることができたのは、娘がイタリア人と結婚できたからです。全て縁という出会いから始まっています。
今年はたくさんの出会いで楽しいことをたくさん経験しました。

追伸、娘の幼馴染たちは最後の最後に娘と外人婿殿が残した
ご馳走をたいらげていました。

2013年12月29日日曜日

イタリア人そばと抹茶体験

朝日酒造さんの酒蔵見学にいきました。
立派な工場で私のイメージを全く超えた近代的な工場でした。
衛生面では世界のトップクラスかもしれません。
作り方についての説明は、生きているものをあつかう点では
油揚げつくりと同じ。温度、気温、原料、そして杜氏の五感の大切さ。
イタリア人にはどう伝えられたか?ワインとの違いなど?
工場見学はを終えてから蛍庵さんでそば体験。パスタ感覚で日本の味を
知ってもらいたかったのですが
そばとパスタは全く異質のものだったようです。もちろんフォークで食べました。外人婿殿は父親の残したそばを全部食べていましたから、イタリア人というより人それぞれの味覚かもしれません。彼らにとっていはイエスかノーの2つに一つです。食べられるか食べられないか。それから、抹茶体験に江口だんごさんに車を走らせましたら
江口さんの会長さんとイタリア婿殿のご両親はホテルでお会いしていたとのこと。話が3人で弾んでいました。江口さんの談話「海外に行き、外人さんから親切にしていただきました。コーヒーくらいご馳走させてください」と
「ありがとうの言葉だけでどこの国に行こうが大丈夫です」と・・・
経済や国のかけひきのない私たちにとっては「ありがとう」の言葉は最高のコミニュケーションだと私も思っています。
今日はいよいよ、内輪での披露宴?です。果たししてどうなることやら??

2013年12月28日土曜日

イタリア人と過ごす

一人娘が結婚してから初めての里帰り、婿殿のご両親もご一緒。
はじめての日本の旅を楽しみにしていたようです。
昨日は、夕食を共にしました。
和食の見た目の美しさに感激していたようです。
しかし、味については、摩訶不思議なという表情でした。
日本料理はいろいろな材料を使い、少し量を楽しむ、イタリアはメニューが少なく、たくさんの量を作る。と話していました。
日本人の鍋、すき焼き、焼肉料理には疑問をもち、なかなか理解しがたいようです。家庭で料理をするのだから、外食は完成品を食したいとのこと。
でも、「もてなし」の心はさすがと話していました。
一番困るようで困らないのは言葉の壁です。
娘がいないと、ちんぷんかんぷんです。まあ、気楽なものです。
イタリア語で4人で話されると????
さて今日はこれから朝日山さんの酒蔵見学、昼食はそばを食べます。
果たしして反応は???続きはまた明日。

2013年12月25日水曜日

引き際とは?

昨日のニュース、スケートの織田選手の現役引退におもわずもらい泣きしました。
25年前私も大きな決断をしました。
保育園の仕事に携わり15年目の年です。
豆撰で働いてくれないかの誘いがありました。
保育園の仕事を自分の一生の仕事と思っていた当時は
保育園生活引退は苦しい決断でした。
胸が張り裂けそうなくらい悩みました。
決断のきっかけは、父の言葉でした。
「頼む」このたった一言に、私は現社長義理の弟を説得し
豆撰に携わることになりました。
決断を下してから、約半年の期間は、もっとも私らしく保育園生活を楽しむ事が出来ました。
15年間の保育生活の中で一番充実していたことを今も忘れません。
それぞれの人生にはそれぞれの想いの引き際があるはずです。
苦しくっても、辛くっても、その後には新しい道があるのではないでしょうか。
私は今新しい道を歩き15年よりも長く「栃尾の油揚げ造り」を歩いています。
さて、この後はどうなることか・・・・・。

2013年12月24日火曜日

クリスマスイブの思い出

遠い昔のこと
クリスマスイブには手製のカードと何かしらのプレゼントをあなたから
いただきました。
そのカードは、災害にあっても瓦礫のなかから私は堀り探して
今も、私の秘密の箱にしまわれています。

・・・なんて思い出していましたら
夫のメール
「今日はクリスマスイブだけど何かあるのか?」・・・・


2013年12月22日日曜日

自己肯定論と否定論

朝食作りの合間に見る「寺子屋」番組
作業しながら聞いていたのでよく聞き取れませんでしたが
子供の頃に自信をつけさせり子育ての大切さを力説していたようです。
包丁を手に、自分の子育てを振り替えってみました。一人娘の
彼女には想像力を養えるように、自然の中で遊ばせたことが
唯一の成功例かと思っています。
川、山、森そして祖母と一緒に畑に行く。
畑には子供を教育するにはすばらしい素材がごろごろしています。
虫の観察、植物観察、野菜の成長・・・自然条件、科学のこと・・そして何より社会性と
丸ごと詰まった大教科書です。
勉強は苦手、運動はもっと苦手。
それでも
30歳を過ぎても好奇心と挑戦することの意欲だけは持ち続けているようです。
挑戦を続けてきたのはこの自然の教科書のおかげかと思います。
自己肯定論で行動している?その娘があと一週間で里帰りします。
今回は外人婿殿のご両親も一緒です。
喜んで歓迎したいとあれこれ
計画を立ています。
酒蔵見学、お餅つき、京都見学・・・
さあ、今年もあと数日・・がんばって栃尾の油揚げをつくらなくっちゃ!


2013年12月19日木曜日

2000円は誰のものか

今朝、洗濯機にエプロンを入れる前、ポケット〔栃尾弁ではかくし〕の点検をすると
2000円がくちゃくちゃになって現れました。もちろん私のエプロンからです。
お札をのばし、洗濯機の上に置き・・そのまま家事を続ける私。
朝食作り、サッサとダスキンかけ。お風呂の掃除、体操、アイロンかけと朝の2時間は
まるで、ビデオのはや送り。
やれやれと、パソコンの前に腰を下ろすと
夫「この2000円俺のだよな」と私が洗濯機において置いた〔忘れてはいないのです〕
大事な2000円を手にしているではありませんか。
つい、強い口調で私は「私が、あそこにおいたのです」
5000万円じゃないけど2000円は我が家にとっては重大な問題になったわけです。


2013年12月18日水曜日

夢をかなえること

スポーツ選手の偉大なヒ-ロ-達の多くは「夢はかなえるために」と語り
子供の頃からイメージして、作文、文集に載せている記事やインタビューを良く目にします。


あまりにも、世界観や価値観、能力様々なことが違いすぎるので、
「夢はかなえるためにある」なんてこと自分の事として考えた事がありませんでした。
でも、この年になり、ようやく何かが見えはじめたような気がします。
それは、小さな小さな本ですが「おてがみれしぴ」を作ることができたこと。
またこの本を作る前も後もたくさんの方から応援してもらえた事は私にとって
夢をかなえる第一歩だったかもしれません。
もう一つは夢をかなえている人が私のそばにいたことです。 これは大きな出来事でした。
栃尾の風景をバックに2作品映画を作り上げた五藤監督と知り合えたことです。
監督の素晴らしいところは、ありきたりの言葉ですが一番的確な言葉で表現するとしたら
「優しい人」です。私の夢は夢をかなえた人をそっとわきで見つめることも
夢をかなえることの一つかもしれないと思っています。

2013年12月16日月曜日

子育てで一番大切なことは

とても、仕事ができるMさん。
私は全てを安心して任せることの出来る人です。
彼女は子育てに問題をかかえています。
時々、相談を受けるのですが、専門家ではないので
的確な答えを出せないでいました。
それは、子供にとっての親や兄弟、とりまく環境によって
大きく答えは違ってくるからなんともいえないと思うからです。
しかし、今日彼女の問題息子が歯医者さんに行くからと
豆撰によりました。
私はその息子と会話を試みようと・・あれこれ聞いてみました。
すると、息子が考える暇なく、彼女が先回りして、全部答えるか
私の質問に答えさせようと、私の言った事を何回も繰り返すのです。
はっきりとわかりました。母親の先走りは問題児を作り出す大きな
要因であると・・・。

2013年12月14日土曜日

日本茶の香りは

毎日、朝と晩に食事のあとで必ず煎茶を飲みます。
母中心のお茶屋をその昔営んでおりましたが
父70歳を機にお店を締めました。

その前から、時々店を休業しては、母を連れて、ドライブを楽しんでいました。
おにぎりとお茶を水筒に詰めて。どこでも、車を止めて食事ができるから、これが一番いいと言っていました。
父は最後の入院になるであろうと察してか、入院する日の朝「栃尾の街を一周してくれ」と私に頼みました。父の目には74年の日々が栃尾の景色に映し出され、走馬灯のように
次から次へと心に浮かんできたのでしょう。
私は運転して、母は黙って車の後部席に座っていました。
昨日、お歳暮だよと届いた、日本茶をいただき
亡き父を思い出しました。
日本茶だから「想い」を感じることが出来ました。私の心の香りかもしれません。

2013年12月13日金曜日

出来る出来ないは自信の持ち方

御歳暮ラッシュになると
ひとりの仕事量が2倍くらいになってしまいます。
豆撰の現場も事務所も大忙しです。
信念はただひとつ
「おいしいものをお届けする」
一つの信念さえ頭にいれておけば
仕事はこなすことが出来るとおもいます。
そして、何事も自分に自信を持つことが大切かなと思います。
新人一年生は私の指示を確認しておきながら
ベテランが間違っていたのに
それを口に出来ず、私から大目玉をくらってしまいました。
「ベテランであろうが、社長であろうが、自分に自信をもって
行動しなければなりませんよ」と説教をしている今朝の私でした。




2013年12月11日水曜日

小さな声と大きな声のちがい

よくあることです。間違ったことをしてしまった人の声は
どうしてか小さな声になります。
その逆に間違ったことをされた人は大きな声になります。
でも、相手に間違いがあまりにも多すぎると
あきれてしまい、大きな声はだんだん小さな声になります。

2013年12月9日月曜日

もう一つの感謝

先日の東京面白旅で、35年ぶりにお会いしたT君に言い忘れたことがありました。
私の父は7年前にいくつもの癌と戦い、74歳の命を亡くしました。
その父の闘病生活中、T君のお父さんは、入院生活で落ち込んでいる父の
お見舞いに来てくださいました。
「ぼくもがんばっているんだから、がんばってください」と励ましてくれたようです。
彼の父がお見舞いに来てくれたことを私の父は本当に嬉しく思い、私に切々と訴え
「がんばらまん」と頬を赤く染め上機嫌で話てくれたことを今、私はT君にあって
思い出しました。人と人が出会うことは、本人同士だけでなく、その周りのたくさんの
方々への想いや感謝があることをあらためて感じることが出来ました。
「あなたのお父さんに感謝しています、父を励ましてくださってありがとう 」


2013年12月8日日曜日

栃尾を誇りに思えるように

豆撰では時々各地の学校からの希望で、工場見学を受け入れています。
小学生から中学生までと年齢差はあります。
それぞれの年齢にあった
質問に対し、わかりやすくスタッフは説明しています。
はじめて見る油揚げの製造工程に目を丸くして、見入っています。
そして、豆撰の油揚げの材料や流通経路を聞き、さらに驚いています。
食品作りだけでなく、ものつくりには情熱と信念そして一番大切なことは
支えてくれる人がいるからだと思います。
見学にきてくれた、この子供たちも、豆撰を支えてくれるひとりです。
子供たちが大きくなって、栃尾を誇りに思える「栃尾の油揚げ」を作り続けたいものです。

たった一枚の油揚に、それぞれに想いが
このノートはいっぱい書き込まれています。
とても、うれしい気持ちになりました。
後日、紹介させていただきます。

 

2013年12月6日金曜日

じぇじぇじぇ・・いつの間にか100000回突破してました。

東京への面白旅やら、御歳暮ラッシュで気がつくのが遅かったのです。
れいちゃんブログのプレビュー回数が12/3に100000回 を突破していました。
ほぼ、毎日書き続けた「私」を読んでいただいて、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。

さて、先日東京の満員電車の中での出来事です。
帰宅ラッシュにあって、私のような田舎者にとっては異様な風景が
目に入ります。ほとんどの方がスマホを手にしていました。掲示板、電話などの
通信機能として使用するのは、この社会ですから、ある程度は納得しますが・・・
立派な大人がゲームを満員の身動きできない状態の中、必死で指を動かす。
うーん、社会が変わったのか?本を読むのは大変だからか?それとも麻薬か?
そのうち、押されに押され私の居場所は奥へ奥へ
あら、あらご一緒の五藤監督さんの姿見えない?
キョロキョロと首を動かすと、私の背後から「僕はここにいます」と私を心配してくださる
優しい声が天井から聞こえホットしました。
内緒ですが、この光景にある漫画を思い出しました。
ああ、30年若かったら良かったのに・・・ 。

2013年12月4日水曜日

面白旅

昨日は、ハードスケジュールの行動でした。
朝早く東京に出かけ、表参道の「ネスパス新潟館」で
夕方まで、おてがみれしぴの宣伝と「ゆめのかよいじ」の宣伝。
その合間に、打ち合わせ。と大変でした。
夜7時からはモロ師岡さんのひとり芝居を下北沢の小劇場で観劇。
2時間の間、お客様を笑わせようと、もう汗だくの芝居とギターと歌。
30年の芸がびっしりと詰まっていました。手を自らさしのべてくださった
握手に、温かさと人柄が感じられてとても嬉しかったです。
その後は油揚げ愛好会・・勝手に私が名前をつけただけですが・・
6人の仲間と下北沢の「かざまん家」さんにて楽しいひと時を過ごす事ができました。
もちろん、豆撰の栃尾の油揚げとおぼろと新潟のお酒。
今回は新入りのS.Tさんも一緒でした。35年ぶりにお会いしました。
優しいまなざしに嬉しさを感じました。
そうそう、彼は足が速かったと記憶しているのですが
間違いかな?あんまり話がいっぱいで聞きそびれました。
話の中で、それぞれの方が冗談を交えながら、お互いを助けてくれる会話が
とても、嬉しかったです。

2013年12月1日日曜日

99872回・・ブログ

いよいよ、師走を迎えました。
とりとめのないブログを書き始めて、何年過ぎたことでしょうか?
そして、今日でブログのページビュー履歴、99872回。
内容は、私のひとりごと。

鬼嫁の私。
無能主婦。
仕事人間の私。
介護人の私。


学生時代から、根気もなく、勉強は大嫌い、好きな事でも
長続きしない自分を嘆いたこともありました。
40年前は入学金も払ってもらい、バスの定期を株で買ってもらい
洋裁学校へ行った私は、3ヶ月で自主退学。
次は大学行こうかと受験を試みるが、失敗。挫折。
これじゃ、ダメ人間で終わってしまうなと思っていたら
保育園のアルバイトが入りました。子供の中に入ったら
なお大変子供は泣くのです。朝からお帰りまで、泣き散らしている子供をみて
「保母は嫌だ、無理」と心の中で叫び続けました。
それなのに、 その道は15年続きました。私の人生で一番楽しかった青春時代でした。
それからは豆撰の油揚げ作り一筋。初めて、油揚げを揚げたときの感動は忘れられません。

さて?今日は何が言いたかったのか・・そうそうそうでした。
きっと今月12月中にページビュー履歴100000回達成かなと?
長続きしている自分を自分で誉めているのでした。
希望、サザエさんのような人間になりたいです。




2013年11月28日木曜日

私が栃尾に惹かれ栃尾で映画を撮る理由

長岡出身の映画監督五藤利弘氏作品「ゆめのかよいじ」が
東京でも上映される事になりました。
12月14日から20日まで
ヒューマントラストシネマ 渋谷にて
時間は夜9時~

栃尾の風景の中で、生きることの大切さや忘れてはならないことを
五藤監督の繊細な心で描かれております。
是非、ご覧いただきたいと思います。
また、豆撰で手作りしました、「おてがみれしぴ」を映画 をご覧いただいた方
にプレゼントさせていただきます。
映画の中のシーンや栃尾のステキなところを掲載しております。

小さな小冊子ですが、是非手にとっていただけたら幸いです。
そして、私も12月3日は東京へ行きます。栃尾と豆撰の栃尾の油揚げPR と
栃尾をこんなにいいところとして 映してくださった映画「ゆめのかよいじ」の
宣伝に?、渋谷にあるネスパス新潟館です。是非、皆様お立ち寄りください。




2013年11月25日月曜日

「おてがみれしぴ」の反響





栃尾の風景と栃尾の歴史、豆撰の油揚げレシピをお手紙にまとめた、
小冊子「おてがみれしぴ」の

反響は?
お客様から、
「読んでいると、そちらのことが手にとるようにわかりました」
「れしぴをみながら、作ってみます」
「あったかい、きもちが伝わります」
「 贈り物の中にれしぴを入れてもらいたいんだけど」
など、たくさんの方からお電話やメールをいただきました。
こんなに嬉しい事はありません。
お店のお客様も
「いいね、ほしいな」と誉めていただきました。
ちょっと、恥ずかしいけど、小さな本だけど、たくさんの方から協力してもらい
完成した喜びと、ちいさな本を手にとって読んでくださる大勢の方に
感謝のきもちでいっぱいになりました。
ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

2013年11月24日日曜日

なんでそうなるの?

今朝、「スノータイヤを車に積んでおいたぞ、スタンドで交換してもらってくれ」と夫。
今日は日曜日でたくさんのお客様のご来店で大忙しでした。
さて、やれやれと一息ついたところで、目の前のスタンドへ
「タイヤ交換してください」とお願いをする私。
スタンドの方「えっ?スノータイヤは?」車を見て、「これスノータイヤだけど」
車に積んであるとばかり思い、確認もせずにスタンドへ直行した私。
夫は私に黙って交換しておいたようです。

2013年11月23日土曜日

人任せは苦労

昨日は友達に「おてがみれしぴ」を届け
少し遅く帰宅しました。夫は泊まりの出張です。
パソコンの前にメモ書き
「まだ、調整不十分、スカイプ、カメラを変えないとダメ
お気に入りは上覧外の星☆マーク」
パソコンのスイッチを入れたら、いつもと違う画面に
ちびまる子状態になり・・あせる。
とにかく、お気に入りはそのまま使えるのかと思ってやってみたら
未登録と表示。
あら?パスワードはわからない?会社のパソコンのメモの中。
記憶をたどり、悪戦苦闘すること約1時間。
ようやくなんとかFBはお気に入りに登録。
昨日の四苦八苦が功を奏し、今日のブログはすぐにパスワードを見つけられました。
やれやれ・・こんな些細な新しいことが苦になるのは、やっぱり年のせいか?

2013年11月21日木曜日

猫に猫なで声

朝方、大きな雷の音で目が覚めました。
起きたら真っ白かなと心配しましたが。雪は降っていませんでした。
朝食の準備をしていると、夫が起きてきて
我が家の愛猫豆太郎に猫なで声で
「マメ、大丈夫だったか、おっかなかったね」と優しく声をかけていました。
私にはかけたことのない声色でした。
「私には怒り口調ばかりなのに」と心の中でつぶやきました。
とにかく、雪にならず、ホットしています。


2013年11月20日水曜日

おてがみれしぴ完成しました。



1年も前からあたためてきた、「おてがみれしぴ」が完成しました。


栃尾の風景、栃尾の行事などをみなさんに知っていただきたい。
そして、あつあつの栃尾の油揚げを召し上がっていただきたいとの想いで
作りました。
多くの方の手助けに感謝し、小さな小冊子ですが「おてがみれしぴ」への
想いは、大きくって、喜びも大きいです。

もう一つ、嬉しいことがありました。
保育園時代のT君から、ご注文と同時にFBにメッセージが入っていたことです。
嬉しくって、嬉しくってたまりませんでした。
帰郷したら、豆撰に来てくれるって書いてありました。
お嬢さんが2人もいるそうです。
みんな、私を追い越して、しっかり「親」をしているようです。
いつあえるかな?楽しみに待っています。


2013年11月17日日曜日

介護の階段

義父の様子がこの一週間、いつもと違うように感じています。
実は、数日間、ひげを剃らなかったのです。
夫に促されて、ようやく気がついたようです。
少しずつ、たどたどしさが増え、介護の階段を上り始めたような不安を感じます。
もうじき、89歳を迎えます。
12月には娘夫婦もイタリアから里帰り予定です。
日本で結婚式を挙げなかったので、内輪の披露宴を予定しています。
その日を楽しみにしている義父です。
それまで、どうか神様、介護の階段を上がらせないで下さい。


庭では、朝陽に向かって、ガマズミの葉は、色づき、最高の笑顔を見せております。
家族そろって笑顔で、結婚後はじめての娘の里帰りを
迎えたいとお日様にお願いしました。

2013年11月16日土曜日

役に立たない私

我が家の囲いの手伝いをはじめました。
はしごに上がって、縄をまわし、夫に渡す役です。
梅の葉が私の顔にぶつかり、大変草かぶれになってしまいました。
唇はみるみるはれてきました。
「あら?大変、草かぶれになった」と私。
「 お前はなんも、役に立たない、もういい」と夫。


では、写真を撮って退散しましょう。

2013年11月13日水曜日

気持ちを伝える道具とは

お手紙の良さは自分の手を使い、筆やボールペンで
自分の思っていることを、頭に描きながら同時進行で、筆を進めます。
時々、字を間違ったり、文章がつながらなかったりしますが
それはそれで、味があるのかなあって思っているのは私だけでしょうか

今では、お手紙よりも、早くて気持ちを伝えることが可能になった電話でさえ、
本来の意味から離れた使い方がされいているようです。


先日、若いお母さんの話しの中に 「小学生は今、コンビニに集る現象がおきています」と。
コンビニなどでは無線?が走っているので
ネット回線のない、携帯電話を持っている小学生が、コンビニに行って
ネットをつないで楽しんでいるようなのです。
気持ちを伝える方法である、言葉やお手紙などよりも
優先してしまっている、ネット社会は便利で進化していますが
ちょっと、寂しい社会になったなあと感じるのは「おばさん」だからでしょうか?




2013年11月11日月曜日

黄色の車に乗って現れた

豆撰に油揚げを買いに来てくれた、Tさん。
彼も以前ブログに書き込みました、Sさんと一緒で
保育園時代、お世話をさせてもらいました。
そして、彼とはFBでのお友達になって、
FBでの交流を続けてきましたが
彼と会って、話をするのは、35年ぶり。

ちょっと、照れ屋で、それでいて、根性のある子どもが
大きくなり、大人になり・・しっかりとしていて
なんだか親のきもちになり、ホットしました。
いろいろ話をしているうちに、
「俺、山に登って、落ち葉を踏みしめる音が好きです」と
「私も、大好き、いいよね」と山登りで感じることを共有することができ、
なんだか幸せな気持ちになりました。

黄色の車に乗り.、帰る時、私は手を振ります。彼も手を振ります。
この瞬間は、あの35年前と変わらなかった・・・。
今度いつ会えるかと楽しみが増えたようでした。

2013年11月9日土曜日

子育て


今朝、「親面接入門」 という本を読みました。
そして、自分の子育てを振り返ってみました。
最悪の母親でした。
帰宅して、夕食が終わると、後片付けをすませ、
私は、ほとんど毎日のように、1時間くらいピアノの練習をしました。
それからは、帳簿・・。まるで親が必要な子育て時代は
夫と義母にまかせっきりでした。ちょっと文句が出れば、
「私の代わりに、愛情をかけてくれる、ばあちゃんがいるから大丈夫」 といなおりました。
それでも、何かあると
私とお風呂に入たがりました。
「明日、学校に行きたくない、行かなくてもいい?」
「あら、どうして?」
「Yちゃんが、みんなに私としゃべってはいけないって、だから誰も私としゃべってくれないの」
「そう、あなただけ?」
「違う、前はAちゃんだった」
「そう、その時あなたはAちゃんとしゃべったの?」
「だって、しゃべるなって」
「そう、Aちゃんかわいそうだったね、あなたもいじめたんだね、じゃあ、仕方ないね」
・・・・こんな会話だったと思います。

それからは、いじめている、いじめられているの話はありませんでした。
今思うと、こんなダメ親でも子供はなんとか育った良い時代だったなあとつくづく思いました。

2013年11月6日水曜日

初めて作った小冊子


 ひとりでも多くの方に、栃尾と栃尾の油揚げを知ってほしい
との想いで、あたためてきた「おてがみれしぴ」の完成まで
後一歩のところまできました。写真は完成イメージの1部です。
ホームページでは8月に、今まで紹介させていただいてきた
栃尾の油揚げレシピをまとめて、一足はやくアップしています。
この「おてがみれしぴ」小冊本は
それに、栃尾の「いいなあ、行ってみたいな」って思っていただけるように

栃尾の自然や文化、歴史などにくわえ、私のとりとめのない、
おてがみを添えてみました。
 そして、栃尾を愛してくださり、栃尾の風景をロケ現場として

映画撮影してくださった五藤利弘監督から「栃尾と豆撰」について
寄稿していただきました。
12月には監督作品「ゆめのかよいじ」が東京でも上映されるそうです。
是非ご覧いただきたいと思います。栃尾の風景をバックに
ファンタジーな物語が展開されています。その中には、忘れてはならないことや
生きていることの大切さを訴えているような気がします。とても「良い」映画です。
 「おてがみれしぴ」には豆撰の想いと私の想いを、今出来る精一杯のきもちで
書きました。素人の私がこの小冊本を作り上げるのには、とても難しく大変でした。
まだまだ未熟で恥ずかしい部分もたくさんありますが、
なんとか完成させることが出来たのは、私が保育園で保母をしていた時
子供だったSさんのおかげでした。そして、親ばかですが、イタリアに嫁いでいる
一人娘のデザインのおかげです。また豆撰のスタッフの力と、たくさんの方から
お手伝いしていただきました。私は幸せものです。
 是非皆様から、手にとっていただきたいと思っています。
小冊本「おてがみれしぴ」が出来上がりましたら、
また、ご案内させていただきたいと思っています。

2013年11月4日月曜日

良かったこと

今日は私たち夫婦の34回目の結婚記念日です。
いろいろなことがありましたが
まあ、なんとか夫婦を続けています。
記念日といっても、いつもと変わらない朝がスタートし
これと言った言葉を交わすわけでもなく
ニュースを見ながら
「なんだかみんなの知らないことが 、多くなってきたね」
「還暦を迎えようとしているんだから、あたりまえだろ」
「中国と国交が開けるなんて、思えなかったよね」
など今の若い世代にとって当たり前のことが私たち世代には
不思議なくらい、社会、日本、世界は変わっていることを
あらためて感じた記念日の会話でした。
良かったことの一番は災害で家が押しつぶされても、
生きていいられたことかもしれません。


2日はお天気に恵まれ・・守門岳の登り口まで紅葉を見に行き,
栃尾って「やっぱり、いいね」とひと時の安らぎを感じてきました。

2013年10月29日火曜日

パソコンに疲れたのでちょっとお散歩





一日中、パソコンとにらめっこ。とても、疲れたので

母の手を引き、夕暮れ時の秋葉公園に行ってきました。
母はお参り、私は127段の階段を駆け足で往復しました。
日頃の運動不足で息が切れてしまいました。
紅葉の木々は、少しずつ落ち始め
「冬に近づいてきたようで寂しいね」と私が話しかけると
母は、ポツリと「雪は嫌だ」とつぶやきました。

2013年10月28日月曜日

栃尾の農業祭り


昨日は、栃尾道の駅で開催の「農業祭り」に栃尾大豆作りのプロジェクトが集まって
栃尾の油揚げをはじめ、かぐらなんばんみそ、きなこ、あつあつの油揚げを販売。
豆撰はオリジナル「油揚げバーガー」とオリーブオイルで揚げた油揚げに
豆乳入りソーセージをはさんだ「スペシャルドッグ」を販売しました。
お客様の数はとても多いのですが、出店の農家の方々をはじめ、多くの出店の中で
栃尾大豆作りのプロジェクトの販売は、大変でした。
良いものをお店以外でPR知ることの大切さ、難しさ
を痛感しました。
豆撰をめがけて、お店にお越しいただいているお客様にあらためて感謝いたしました。

それでも準備したものは全て、完売する事が出来、
豆撰を知っていただく機会になったのではと思っています。
お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

2013年10月26日土曜日

映画が大好きな方の集まり

栃尾の風景がたくさん織り込まれている、「モノクロームの少女」を五藤監督を囲み
「鎌倉茶房」さんで見る機会にめぐまれました。12人の方々とご一緒に
映画を観ながら、おいしいお料理を食べ
和やかなひと時を過ごしてきました。


若い方から年配の方と層は厚く、
年齢によって映画の見方、とらえ方が微妙に違い「そうだったのか」と納得したり・・
和やか雰囲気の中、監督の「作るだけでなく、観て欲しいのです」
の言葉に自分を重ねます。
「豆撰、知っているよ」と言っていただくことだけでも嬉しいのですが
やっぱり、「食べて欲しい」気持ちが大きい・・
また「無駄な事のように思えることが、実は大切な事になっていく・・10.23の中越地震を
映画に取り込むことで、忘れてはいけないこと・・・・」等監督の想いが
十分伝わる、とてもステキな会に参加させていただき、また参加したい気持ちに
させてくれました。
豆撰も「また来たい、食べたい」と思えるようなお店作りを
若いスタッフと一緒に考え、作り上げていきたいものです。

2013年10月24日木曜日

豆撰つながりの出会い

先日、東京に行ってきました。
今、製作中の小冊子「おてがみれしぴ」の打ち合わせです。
打ち合わせ終了後に、FBのお友達の弟さんの
「ベルギービールカフェ 」のお店に、私を助けてくれている、保育園時代の園児だったSさんと
「おてがみれしぴ」にメッセージを寄せていただいた長岡の映画監督さん
と行ってきました。FBのお友達とお友達のお母さん・・5人で楽しい、本当に
楽しいひと時を過ごす事が出来ました。
長岡の話、映画の話。。と止まることなく話は続きました。
保育園の話になると
ちょっと切なかったですが・・Sさんを見た頃は私は22歳、
何もわからない事だらけで、「お試し保育期間」
だったからです。痛いところをつつかれ、酔いは一気にさめてしまいました。
でも、この会話も時効で笑いの渦でした。
私以外は初対面の方同士だったのですが、あっというまに3時間は過ぎてしまいました。
仕事も年齢も違った男女が出会えた事の最大な理由は
「豆撰の栃尾の油揚げ」つながりです。

これから完成に向けて「、おてがみれしぴ」の事を考えると、気持ちが重くなっていましたが
本を作る事で、また新たな出会いがみつかるかもしれないと・・・
弱音をはかず頑張ってみようかと思っています。

完成したら是非ご覧いただきたいと思っております。


2013年10月23日水曜日

うたもおもてなし

先日、友達に誘われて「氷川きよしコンサート」に行ってきました。
演歌が好きなわけではありませんでしたが
彼の誠実さは聞く人の心に残るようです。
今回で3回目ですと、まじめに話す高齢者におもわず笑ってしまいました。
高齢者は、彼の歌を聞き、元気と彼の「あなたのおかげです」と伝える言葉に感動するのだと
思いました。
特に、バックバンドの音無しは良かったです。



庭に咲くリンドウです。
秋も駆け足でやってきました。
もう少し、リンドウを楽しめるよう冬は待ってほしいと思う日々です。


2013年10月16日水曜日

私の年金問題

年金説明会と称するはがきが先日、自宅に届きました。

とりあえず、自分の1年後を知ることは必要と申し込みをしました。
ここ数年届く、社保庁からの年金便なる書類が毎年送られてきます。
その数字を見ると、毎年支払い額は増えて、年数も増えているにも関わらず
受け取る金額は、減額されています。
お上からの通知予告なので・・仕方がないと済ませていますが、
はたして、それでいいのか?と疑問。
これからの、若者にとって働いても、年金を受け取れる保障はあるのでしょうか?


2013年10月15日火曜日

豆撰感謝祭のお礼

年に一度の大感謝祭を無事終了いたしました。
初日は雨のため、お越しいただいたお客様には
大変なおもいをさせてしまいました。
それでも、大勢の皆様からお越しいただきましたこと
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
2日目はお天気に恵まれ、本当にお客様にとっても、豆撰にとっても
よかったのではと思っています。
大勢のお客様で一人一人の方にご挨拶できず
不手際もいっぱいあり
申し訳ございませんでした。
今年の良かったところ、悪かったところを踏まえて
皆様に喜んでもらえる感謝祭にしていきたいと
スッタフ一同思っております。
来年もよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

2013年10月11日金曜日

あつあつの油揚げが食べられます。

 年に一度の大感謝祭です。
10月12日13日
時間・・朝9時から夕方5時

日頃の感謝を込めて 、ご来店いただいた方に栃尾の油揚げあつあつを
無料サービスいたします。

くじ引き、新商品、おいなりさん、
そして、送料無料で送れるセットなど
お客様への感謝のきもちを精一杯こめて
「おもてなし 」させていただきます。

ご近所の方々お誘いあわせのうえ、ご来店ください。




2013年10月8日火曜日

豆撰「大感謝祭」は10月12日、13日です。

 恒例豆撰大感謝祭10月12日13日です。
豆撰のアツアツ油揚げの無料サービス

栃尾の油揚げで作ったジューシな人気商品「おいなりさん」
新商品生絞り豆乳がさっぱりとしたタルトに「豆乳チーズタルト」
ソーセージを入れたスペシャル油揚げなど
たくさんの商品を取り揃えて皆様をお待ちしております。
また、ご来店の方に特別ご奉仕として
送料無料商品もございます。この機会にお友達や親しい方への贈り物におすすめいたします。 

 

2013年10月7日月曜日

海をわたる被爆ピアノを読んで

昨日は、随分疲労がたまり
どうして?私だけが休まず働かなくてはいけないのと
怒りがこみ上げ、楽しい夕食時間をこわしてしまいました。
「八重の桜」をみて、お風呂に入りすぐに就寝しました。
4時に目を覚ましてしまいました。
睡眠をしっかりととったおかげで
昨日までの怒りは小さくしぼみ
どうしても読みたかった「海をわたる被爆ピアノ」を一揆に読み上げました。
最近、老人に近づいてきたのか、こうした本を読むと
涙があふれ、めがねがくもってしまいます。
著者の矢川光則氏は同世代。そして被爆2世の方。
命の大切さはもちろんですが、いつまでも夢を失わないで夢を叶える為に
行動されてきた姿に感動しました。
被爆の中で生きてきた人たちの想いと被爆の中で傷ついたピアノに・・。
多くの子供たちの気持ち、多くのピアニストたちの奏でるピアノの音色、
原爆の被害で亡くなられた人たちの声が
本のページをめくるたびに聞こえてきました。

そして私も自分のピアノを思い出しました。
土砂崩れで全壊の自宅にクレーンで壊れたピアノがトラックに積まれたとき
夫が「いいのか」とささやいた一言。私は「もう、いいの」とつぶやき、涙したこと。
この時すでに私のピアノは誰もさわらないお荷物となっていました。
でも、ピアノがクレーンにはさまれた瞬間は
私の保育園時代の想いでまで壊されてしまいそうで、とても辛かったことを思い出しました。

昨日の自分を反省し、私に出来る事「仕事を含め 」を生きている限り
がんばらなければと思わせてくれる一冊でした。

2013年10月6日日曜日

介護されてても気遣いは忘れていない。

実母は少し介護が必要です。
食事や衣服の着替え等は一人で大丈夫です。
ただ、とにかく忘れます。そして、自分から話すことはほとんどありません。
こちらも、要領がよくなり、母の忘れる事には腹を立てずに
忘れたことを繰り返し話してやれるようになりました。

そんな母ですが、昨日、2階の私の部屋で休ませて いたら
突然、「2階にいたら、ひそひそと2人で話しているようだから下にいかんばん」と
言いました。私の家ですので、当然、私の舅と姑がいるわけです。
物忘れは激しくても、人への気遣いはちゃんとしているのです。
びっくりしました。
「そうね、じゃあ下に行こうか」と二人でリビングに、
4人はテレビを見て、私は夕飯の準備をしました。

今朝は母と庭に出て花を愛で
たった一言「きれいだ」とつぶやく 母でした。

2013年10月4日金曜日

いじめの問題

FBのお友達のリンクで
イギリスでは子供の遊びの「鬼ごっこ」をいじめ対策として禁止とか・・・
あらららら・・子供は鬼ごっこ大好きだった。授業の合間に、
午前中には15分間の休みや昼休みに
「助け鬼」をよくした覚えがあります。
捕まった子は牢屋に入れられます。足の速い子は鬼に捕まった子を
牢屋から助けます。
私は足は速くもなく、遅くもなく・・ただひたすら鬼に捕まらないように逃げ回るのみ。
楽しかったことしか覚えていません。
なぜこの鬼ごっこの遊びがいじめに発展するのでしょうか
きっかけはあるかもしれませんが
いじめの根本は他にあるとのではないでしょうか。
いじめられていないか?と子供の心配をする前に
いじめていないかを心配する方が大切な親の役割だと思うのですが・・

私が一緒に給食を食べ、鬼ごっこ、野球、泥んこ遊び、〔保育園勤務の頃〕をした
子供たちには、いじめはあったのかしら?どうでしたか?
毎日喧嘩の仲裁は大変でしけどね。

2013年10月3日木曜日

優良講習





コスモスが栃尾の土手や町の庭先で

青空にむかって笑顔を振りまいています。
コスモスは私の中でベスト10入りの花です。
希望とか夢とか、前向きな感じが好きです。

ポストに、はがきをみつけました。
自動車免許証更新の お知らせでした。
今回は「優良講習」です。
前回に比べ、講習時間も短いので、嬉しいです。
違反さえしなければ・・当たり前のことなのですが・・・。


2013年10月2日水曜日

ステキなお土産の想い出・・





豆撰には、おなじみさんがいろいろなものを持ってきてくれます。

昨日は、ゴーヤとあけびをたくさんいただきました。
あけびはセピア色 です。
とても、秋にぴったりの果物?です。
小学生の時、自転車で栃尾の一番奥の、田代に自転車で行った事がありました。
私と友達の3人は自転車に乗らず、自転車を押して、山道を登ります。きっと3時間くらいは
かかったような気がします。
1人の友達は田代からの転校生でした。
彼女に連れら、汗まみれになり、クタクタになって着いた所は
山の中でびっくりしました。
それから、彼女のおばさんの家に行き
「あけび」をいただきました。初めて食べました。
なんだか、甘いけど、ちょっと渋みがあって、種がいっぱいでした。
帰りに、たくさんのあけびをお土産に頂いて、今度は自転車に乗って下山。
でこぼこ道の下りは、ハンドルをとられ、怖かった ことを覚えています。
家に帰った時はもう夕暮れでした。

私にとって、いただいたあけびは
何よりもステキなお土産でした。


2013年9月30日月曜日

10月12日、13日は年に一度の大感謝祭です。




豆撰大感謝祭が10月12日、13日に例年よりも
新商品を取り揃えて、皆様にお越しいただきたく
スタッフ一同頑張っています。

バーデンバーデンさんから特別に作っていただいた
豆乳入りソーセージをはさんだ
スペシャル油揚げプレミアム
おっとととあきらさんから作っていただいた
生絞り豆乳入りタルト 
ミントを入れたおしゃれな
ミント味の豆乳プリン
など、感謝祭だから楽しめる商品を取り揃えました。



是非、お友達を誘って、ご家族で栃尾と豆撰をお楽しみください。
お待ちしております。
 
 

2013年9月28日土曜日

キンモクセイのにおい





稲刈りも終え、朝晩はめっきり涼しくなりました。
庭にはキンモクセイの花が咲き、
秋を知られています。
キンモクセイは花の美しさより
ふんわりと秋風にのってくるにおいがいいです。
心が重い時はどんな慰めの言葉より
癒される魔法のにおいです。


2013年9月26日木曜日

一番私を愛しているのは私かな

毎日の朝食作りをはじめる前に、カウターの上に娘夫婦の結婚式の写真が飾られている
二人の笑顔を見て、「娘は本当に、この外人である夫が好きなんだ」と
毎日想います。
そして、安心して包丁をにぎります。
これって、私が幸せを感じる一日の始まりです。
また、
手紙やメール、電話で
「礼子先生」と呼ばれた時、嬉しい気持ちになります。
先生という言葉は「死語」のようなものなのに・・・


こうした些細な事こそ、私は私を一番大切に想っている証拠なのかもしれません。






2013年9月25日水曜日

新米のおいしい季節です





いろいろな災害はありましたが、

お天気にも恵まれ、お米の出来は上々です。
豆撰でも新米と栃尾の油揚げを組み合わせた
「ごはん大盛セット」「ごはん小盛セット」を企画販売しています。

栃尾は県内でも棚田の多い盆地です。
寒暖の差が大きく稲作にはもってこいの条件です。
栃尾の油揚げ1枚と栃尾の新米があれば
おいしい笑顔の朝食、夕食が楽しめます。
是非この機会にオール栃尾を堪能してみてください。

2013年9月23日月曜日

きもちを伝えてそして感じてほしい

稲刈りも無事終了しました。
88歳の義母と私は寝てしまった稲を鎌でかり、
夫は長い竿で稲を起しました。
大部分は稲刈り機の威力で終了。
米を作るには、春の苗代から田植え、水の管理、草取りと様々な過程を
通り過ぎ、ようやく稲刈り、そして米になります。
夫の作った米が美味しいわけは、夫の大変さを感じているからです。
私は、今は豆撰の工場に入ることは、ほとんどありませんが
数年前までは、栃尾の油揚げを揚げていました。
「今日は一番美味しい油揚げが出来ますように」と願う気持ちは
今も昔も変わりません。
つくり手の人は誰でも、「きもち」を伝えたくて・・見てもらいたい、食べてもらいたい
そして「ありがとう」「よかった」などの誉め言葉をいただけたらと
想っているのではないでしょうか。

2013年9月21日土曜日

ゆめのかよいじと高校生



栃尾を舞台にした「ゆめのかよいじ」をTジョイで観ました。

「私を忘れないで下さい」のセリフにそれぞれの想いを感じながら、
 亡き叔母や父に想いを重ねたり
土砂に埋まった我が家を思い出したり
・・・・今日はたくさんの想いを感じる事が出来ました。
そして
舞台挨拶の中で五藤監督が「高校生の役で映像に写っている方がなくなっています」

悲しそうに話されたのが
一番辛くて、涙がこぼれてしまいました。
心からご冥福をお祈りいたします。

写真は映画の中でもきれいに映し出されていました
杜々の水です。
昨日、母と叔母とおにぎり持参で行ってきたばかりでした。




2013年9月20日金曜日

一人は寂しいと母はいいます。

先日、妹が夜蕁麻疹になり、緊急外来へ行きました。
夜遅かったので、私の家に実母を一晩泊めることになりました。
夕飯を食べさせ、お風呂に入れ、二階の私の寝室へ
「もう寝て良いですよ 、私はお風呂に入ってくるからね」と母に言って
部屋を出て、お風呂に入り、テレビをリビングで
見ていました。しばらくすると母が私の前に・・びっくりして私は
「どうしたの?もう遅いんだから寝んばんよ」と言いました。
母は、「ひとりじゃ、さみしい」と一言。
仕方なく、「じゃあ、2階でみるこて」と母を連れ寝室へ。
老人の痴呆の原因のひとつは
一人暮らしとの事。
たった30分くらい一人で寝室にいただけでも、寂しいと訴える母。
実母は82歳になります。父が亡くなる前は写経を楽しみ、花を活け
趣味を持ち、毎日父とドライブを楽しんでいたのですが
父の死から、何かが大きく変わったようです。



2013年9月14日土曜日

はざがけの思い出




今から50年以上も昔の事です。
鎌を使って手作業で稲刈をします。
刈り取った稲は「ハザ木」にぶら下げ天日干しされ、
乾燥された頃に、稲をハザ木から外します。
この作業は、お天気の良い日、夕方遅くまで続きます。

父の背をはるかに超える高さで、稲はリヤカーに積まれます。
その高く積まれた稲の上に、父は私を抱え乗せくれるのです。
稲の上で、ゆらゆらゆれて、夕焼け空も、背の高い木々も、雀も烏も
とても近くに見えて、嬉しくてたまりませんでした。

父はリヤカーをひき、母は後ろからリヤカーを押しながら
「からすなぜなくの、からすはやまに・・・」と童謡を歌ってくれました。
私はこの魔法の乗り物が大好きでした。
今では少なくなった 「ハザ木」に掛けられた稲を見ると
昨日の事のように思い出します。



2013年9月13日金曜日

ご当地メシ決定戦に栃尾の油揚げも・・





夕べの夕刊に、インターネット検索サイトが実施している

「ご当地メシ決定戦」の決勝進出!の記事が大きく取り上げられました。
惣菜部門では2位に登場していました。

とても、嬉しく新聞の記事やネットを見ました。
特に新聞の記事に「栃尾の油揚げ」と掲載されているのは
手前味噌ながら「豆撰」のパッケージの名前です。

「栃尾」と「油揚げ」の間に「の」の文字が入る「栃尾の油揚げ」は
豆撰のみです。

ちょっと自慢してしまいました。
とはいえまだまだ豆撰の油揚げはお召し上がりになっていらっしゃらない方
是非、是非食してみてください。http://mamesen.jp/agetate-aburage/

2013年9月11日水曜日

母と手をつなぎ歌う



里の秋
頬をなでる風に秋を感じる今日この頃です。
栃尾の山里を老母と廻りながら
口ずさむ歌・・

静かな静かな里の秋
お背戸〔せど〕に木の実の落ちる夜は
ああ母さんとただ二人
栗の実煮てますいろりばた

この歌の秘話を読みました。
終戦後、昭和20年「外地引揚げ同胞激励の午後」と題して放送されたそうです。
戦争が終わって、無事に本土の土を踏みしめた
兵士の皆さんを迎える歌だったそうです。
この歌をうたいながら、老母の手を引き歩くと
なんだか涙がこぼれてしまいました。

2013年9月10日火曜日

県民を守る信念

県知事の泉田さんのインタビュー記事を見つけ
読むと泉田さんの知事として、県民を本当に守らなければならないという
信念を感じました。
記事内容はhttp://iwj.co.jp/wj/open/archives/100574

今経済は2020年に開催決定の東京オリンピックに向かって
どんどん動きはじめているようです。
私も2回目の東京オリンピックを楽しみにしている一人です。
しかし福島の問題が一国のリーダーが世界へ向けて発信した東京オリンピックの
プレゼン内容で一番守らなければならない事は
「福島」と国民の命を守ることではないでしょうか
信念を一日でも早く行動実行して、国民、世界の人を安心させて
オリンピックへ望んでほしいと願うのは
日本国民、世界の人の願いだと思います。

そして、今の子供たちが夢をもち
政治に関心をもち
未来を作り上げてほしいものです。



2013年9月8日日曜日

1964年オリンピックを思い出す

1964年、東京オリンピック開催の年、私は12歳。
4本の細い足が支えるブラウン管つきの厚い白黒テレビを
一家6人で見入る。
テレビを前に、父の声は大きく、特に重量挙げの三宅選手に送る
声援はすごかったように思い出します。
バレーボールの金メダルは、スポーツ少女にとっては花形。
女子は、こぞってバレー部に入部していました。
スポーツは好きでしたが、
背が低いといういいわけとスポーツをやり通す根性のなさを今さら悔いても仕方ない。
はだしの王者アベベの偉業はすごかった。
東京オリンピックは靴を履いていたようですが・・・
ローマの時のエピソードは学校でも教えられ、その精神の強さを
子供心に感じました。
オリンピックの経済効果はすごいものがあったはずですが
子供の私にとって、東京オリンピックは強い根性を持つ事と
愛国心を教わったよう気がします。
今こうして思い出し てみると
あの時22歳の叔母はもういない、父もいない、もちろん明治生まれの祖母もいない。
一緒にテレビにかじりついた人がいない・・東京五輪決定の号外の歓喜に反して
なんだか妙に切なく涙がにじみます。
2020年の東京オリンピックは夫と娘夫婦と一緒にテレビを見たい
と7年後を想像しています。

2013年9月7日土曜日

介護の楽しみ方

昨日は朝日村へ
帰りの空き時間に、先日「夢コンサート」で買ってきた
三善英史さんの本「おかあさん、もっと生きて欲しかった」を読みました。

こんなに読みやすい本は久しぶりです。
本を読む時間の少ない私にとっては読みやすく、大きな文字は最高にありがたい。
一気に読み上げました。
それは三善英史さんの歌を聞き、彼の人柄にふれたからです。
そして、今私も彼のたどった道を歩いているからです。
今日は仕事が気になって仕方なかったけど、若い人に任せ
私は実母を連れて、コスモスでも見に行こうかと思っています。
介護の名前をかりて、ちゃっかり私も私探しをしたり、休息を楽しもうとしているのです。

写真は昨日の朝日村です。


2013年9月6日金曜日

朝日村へ

豆撰で使っている大豆は新潟産100%です。
産地は平成22年から始めた地元栃尾産大豆と創業以来変わらず使っている
朝日村の大豆の2種類のみです。
どちらも、有機肥料を主体に安心と安全な豆作りに取り組んだものです。
今日は長年、おいしい豆を作っていただいている朝日村へ行ってきます。

おいしい栃尾の油揚げ作りの原点は
畑を耕し、豆作りをしてくださる農家の方々のおかげです。
農家の方々への感謝のきもちをお伝えする事、
そして、今年の収穫状況を 把握する事は栃尾の油揚げ作りに欠かせない仕事のひとつです。

2013年9月4日水曜日

熱き心に

昨夜、長岡市立劇場にて 「夢コンサ-ト」を観劇。お芝居と歌の2部構成でした。
往年のスター、小林旭さん、松方弘樹さん、浅岡ルリ子さんたち大勢の方が出演されていました。
なつかしい歌声に耳を傾け、隣席は同年齢ですが、知らない人たち。なのに、
待ち時間、休憩時間には楽しくおしゃべり・・
これは同年齢という「安心」の切符を手にしているからでしょうか
そして、舞台では、私より10歳も年上なのに若々しい芸能人の皆様でした。
余裕で自分のお仕事を楽しんでいるように感じてきました。
私も10年後は「仕事」を楽しむ余裕のある人生をおくりたいものです。

2013年9月2日月曜日

育児放棄〔ネグレクト〕


保育園に勤め始めた頃、30年以上前でしょうか

母子家庭、父子家庭の子供たちの中には
お風呂に入れてもらえない、朝ごはんは食べさせてもらえない
もちろん洋服は着替えない・・こんな状態の子供たちは
とてもかわいそうでした。
お母さんが恋しくて恋しくて、お母さんのぬくもりがほしくて
いつも私のそばを離れなかった記憶があります。
今に比べたら、問題の度合いが違うかもしれません。
その頃は、育児放棄という言葉で子供のお父さん、お母さんを批判するより
「お父さん一人だから大変だよね 」と親を気遣って
いろいろなアドバイスをしていたようです。

その子供にとっては大切な大切な親なのです。
親に笑顔がなくても、保育園へのお迎えがどんなに遅くなっても、子供は
小さな体全身でお迎えを喜んでいました。

最初から放棄しようと決めていたわけではないはず・・
相談する人も、頼れる人も、友達もなく・・だんだん「どうでもいい 」から放棄が始まって行く。
育児放棄という大きな問題にならないように
転んだら「大丈夫?」と声をかけてやる、大人も子供も老人も大丈夫?の一言を待っているのではないでしょうか。









2013年8月31日土曜日

それでも私は産みたい

栃尾の風景を栃尾人より知り尽くし
撮影される長岡の五藤利弘監督。
「モノクロームの少女」に続き「ゆめのかよいじ」と撮り続ける映画とは
違う、ドキュメンタリー作品「それでも私は産みたい」のDVDを観ました。
この作品は映画監督の、実直な人柄が映し出されているように感じました。
ドキュメンタリー作品を作り手を想像しながら、観ることは
初めての経験?です。
大きなテーマ「それでも私は産みたい」について考えさせる「技」は
五藤監督のお人柄からかもしれません。

女性の年齢、不妊症そして夫婦、家族の問題。
いくつかの女性の心の問題に対して「本人にもわからない気持ち」を
映像の中で発見させてしまう・・・
いつもなら、たいした考えもないくせに発言してしまう
私を「黙」してしまったようです。
裏方に登場する人、表に登場する人、映像を見る人、それぞれの想いを
考えたら・・答えは見つかりませんでした。

「それでも私は産みたい」DVD他
五藤監督作品は「豆撰」にあります。お貸しいたします。

2013年8月30日金曜日

贅沢なランチとは?

豆撰の夏休みに合わせて

中軽井沢にある「タムラ」さんでランチを目的に行きました。
一昨年、このお店のお料理が おいしかった事、
接客の若い方との何気ない会話が楽しかったから
再度行ってみました。
予約メニューの確認に来てくれた女性こそ
あの時のあの女性でした。
その後、飲み物等を聞きに来てくれた時、彼女はさりげなく
「一昨年おいでいただきました、豆撰さんでございますよね、ありがとうございます」
と・・
私たちを覚えていてくださったのです。
もう、本当に、感激です。私たち夫婦にとって、贅沢なランチです。
でも、それ以上の大きな喜びがありました。





写真は中軽井沢、星のエイリアにある、内村鑑三記念館「石の教会」 です。



2013年8月27日火曜日

人生を一本の線にたとえたら

昨日の
夕方は畑に行き、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリ-の苗を植えました。
数少ない本数でも、植えた後には水をやり、日よけを作ってやりました。
その作業は中腰作業です。腰も痛くなります。
この仕事を長年やってきた義母と夫の手の動きは私とは全く違います。
88歳の義母の手は大きく、土を掘る時の速さはまるで、ビデオの早送りです。
義母の人生は、この畑の畝のように感じました。土を耕し、種をまき、草取りをして
、肥料をやり、収穫までは長い長い道のりです。この作業と同じ事を「家庭」の中で
暑くても、寒くても、「子供と孫」を育ててきたのです。

義母と夫は野菜をわが子として愛情をかけている姿に
私は何も言えません。
ああ美味しかったの一言しかいえません。
1本の線の上を義母は歩いているようです。

2013年8月26日月曜日

今日は父の七回忌

7月2日が本当の命日なのですが
孫たちや私たちの仕事にあわせ、今日お寺様に行って
7回忌の法要をしてもらう事になりました。
父は孫の勇太が大好きでした。
野球少年の勇太の第一のフアンであり良き理解者でした。
そして自慢の孫でした。
癌と闘い、自分と戦い、家族を想い・・・
「心配なことはない」と言って死を静かに迎えました。

あれからの年月は早かったようにも感じ
ずいぶん昔々のことだったようにも感じ
とても、複雑な想いです。
闘病生活1年あまり・・・今想うと看病する時間は丁度よい長さだったと想います。


2013年8月23日金曜日

犬のうんこ

ゴミだしに行ったらゴミ収集場所に「犬のうんこ」発見。
えっ何?どうして?
一番最初に私がみつけてしまったんだよね・・
仕方ない、店に戻って、トイレットペーパーを持ってきて
「犬のうんこ」をとり
トイレに流す。
最初、発見した時は
マナーのないやつは犬をかわないでほしいと怒りがいっぱいになりました。
でも、うんこをトイレに流したら
なんだか良いことしたなって、自分を誉める私。
良かった誰かが踏まずにすんで・・・。

2013年8月22日木曜日

福島の子供たち

福島の子供たち18人が甲状腺がんにかかっているニュースが
頭から離れません。
どうして?なぜ?子供たちが犠牲にならなければならないのでしょうか?
それでも、よその国に原発の売り込みに行かなければならないのでしょうか?
命より大切なものはあるのでしょうか?
山を伐採し、森を傷つけ、海を汚し
日本中がアスファルトとコンクリートの道になっています。
山に登る道もいつか、アスファルトになるのでしょうか?

原発だけではないはずです。
私が生まれてから数々の自然破壊の犠牲がありました。水銀、石炭、銅、
アスベスト などの公害。農薬もそうです。

ケネデイ大統領が誕生した時、先生が「世界から戦争がなくなります」とおっしゃいました。
その時子供の私は、先生の言葉を素直に信じました。でも、戦争はなくならなかった。


2013年8月21日水曜日

おてがみれしぴについて


かって気ままに・・・
レシピについての想い、かって気ままな、私流食生活。昔の思い出などを
のせてあります。
お時間のある時、栃尾の油揚げのお料理に迷った時、
是非 のぞいてみてください。

おてがみれしぴはこちら http://mamesen.jp/

2013年8月20日火曜日

見つからず・・あたふた・・汗びっしょり。

朝から探し物で大騒ぎです。
自宅の引きだし捜査2回、念のため、3回目は会社に出勤はしたものの、
自宅へ戻っての再捜査。
探し物は見つからず、会社に戻り、机の捜査も開始しましたが見つからず・・
とうとうあきらめ、再発行依頼の電話をした後、
そんなはずはないと思いつつ、Iさんに電話を入れ、「絶対にお預けしてあるはずはないのですが、
本当に申し訳ございませんが、念のためにお聞きしてもよろしいでしょうか?」とかなり
へりくだって、失礼を承知で聞いてみました。「ありますよ」とのお返事に胸をなで下ろしました。

あらあらあら・・私はIさんにお届けしたことをすっかり忘れていたのです。

私は母に似て、かなりの記憶障害者のようです。自分にあきれております。

2013年8月18日日曜日

ミラノへ引越し

娘の引越しが迫ってきました。
今回で7回目?の引越しです。
今までは、「やどかり」の ような引越しでしたが、今回は伴侶についていく引越しです。
伴侶がいる事と、伴侶の両親の存在は私たちの心配を十分に軽減してくれています。
今住んでいる、イタリアのジェノバはとてもステキな町並みと海のきれいな所でした。
今度は大都会ミラノです。といってもミラノの事はよくわからないのですが・・
心配なことは、彼女が英語とドイツ語しか話せないことです。
イタリア語がまだ話せなくて、一人で孤立しなければいいのですが・・・
その点が心配です。

昨日、五藤監督作品
「スターテイングオーヴァー」http://cinema.artport.co.jp/startingover/
を見ました。主人公の設定は28歳位でした。
私は28歳の時、現在の私を想像出来ませんでした。
娘夫婦もきっと10年後を想像することはできないでしょう。
映画の中の2人も、娘夫婦も、そして私たち初老夫婦の10年後はどうなっていることかと
しみじみ思いを巡らせた、今朝のひと時でした。


2013年8月16日金曜日

神様からステキなプレゼント・・出会い

お盆です。普段お目にかかれない大勢の方々が豆撰に来てくれました。
豆撰のお客様の「いざかや、かざまん家」の若いご夫婦は1枚の色紙にぎっしりと「油揚げおいしかった」とたくさんのお客様の寄せ書きをお土産に持って来てくれました。
最高のお土産です。
FB でお友達になった才女のwさんは1家4人で揚げたて油揚げを食べに来てくださいました。
弟さんは、ハイカラなベルギービールカフェのマスターさん。ちゃっかりと、「今度豆撰の栃尾の油揚げおいてください」と商売のお願いをする。手ごたいありかな?
最後はたくさんの家族で豆撰にお買いものに来てくれた、私の子供〔保育園時代〕 M君、38年ぶりのご対面でした。でもすぐにわかりました。M君には似ていない?かわいいお嬢さんと息子さんを連れて、奥さんもきれいな人でびっくりしました。M君のお姉さん家族も一緒でした。
「美味しい、美味しい」を全員連発してくれました。
豆撰で一生懸命働いてきたから、神様が私にとてもステキなプレゼントを下さったのかもしれません。 みなさん、ありがとうございました。


2013年8月15日木曜日

蜂に刺されてしまいました

13日の夕方、草取りを始めたら猛烈な毒針で私の腕を攻撃した蜂。
流水し、応急手当をしたつもりでしたが、この時期のスズメ蜂の
毒はとても強力でした。
時間が過ぎるに連れて、みるみるうちに腫れて、痛さよりも痒くて仕方ない。
とうとう、我慢が出来ず、翌朝病院にいくはめになりました。
塗り薬を頂き、手当てしましたがまるで効き目なく、腕は2倍に膨れ上がり、痒くて痒くて
仕事に集中できず・・・先生のところに電話を入れ、痒みがおさまらないと話しました。
すると簡単な適切な助言、「かゆいっけば、かかんばんこて」「心臓まで 行けば大変だっけ、そうしたらゆうてさ」との返答。特効薬はないとネットにもありました。
仕方ない、我慢我慢我慢と思いつつ、今も腕をポチポリとかいている私です。

ホームページを新しくいたしました。
「でっこうなる」「栃尾の油揚げ食べに来いて」など、豆撰栃尾の油揚げの作り方や
栃尾の簡単マップを導入。また栃尾の油揚げレシピも見やすいようにいたしました。
豆撰栃尾の油揚げレシピには「れいちゃんの一言、お元気ですか」も加えました。
是非、ご覧下さい。

2013年8月14日水曜日

子供の遊び

私が小学生のころの遊び道具に「なぎ」.というものがありました。何本だったか?竹で作った15センチくらいの棒を使います。ひとなぎふたなぎと歌いながら棒を操る遊びです。学校の休憩時間に楽しみました。
友達数人と輪を作り、ひとりずつ順番にやります。いくつかのパターをクリアしなければなりません。途中で失敗すると、次の友達に順番がまわります。1組の「なぎ」を数人で共有して、固唾を呑んで見守るのです。

男女一緒の遊びは馬とびや鬼ごっこ、お天気の日はグランドに出て、石蹴りや陣取りです。
遊びの中で、知らず知らず順番や数、仲間とよい意味で競い合う、集団での決まりごとなどの社会性を身につけながら、友達作りをしました。
懐かしい遊びでした。
今の子供たち の遊びの中心はゲームだそうです。
そろばんの時代から計算機そしてパソコンに変わったように
子供たちの遊びも大きく変わってきたようです。
そうそう、幼馴染のあの子は今どこで何をしているのかしら?
お盆休みに入り、きっと懐かしい顔が 豆撰でみられるかもしれません。



2013年8月11日日曜日

いつ誰がこの雁木を歩いたのか


栃尾の町並みには、訪れた人々をひきつける「雁木通り」があります。

大町通りの雁木は江戸時代中期に存在していたようです。
谷内から滝ノ下にかけても結構長い
雁木が続きます。また最近では表町の雁木が新しく模様替えされています。
町並みの中には商人が多く、米屋はとくに多かったようです。
最近までおけやもありました。子供の頃、おけやさんに行って
「なぎ」という15センチくらいの長さの棒を操る遊び道具を 買ってもらいました。
この遊びについては次回に触れる事にします。
雁木を歩きながら江戸や明治、大正 時代に思いをはせて歩くと
この通りには荷車が通って・・馬が荷物を引いて・・車輪はもちろん木で出来ていて
なんだか、時代劇の場面が頭に浮かびます。また昭和初期まで続いていたらしい「馬市」の風景、
馬の売買の際に、証文のかわりに、きめ酒を交し合う。ばくろうたちはどぶろくを片手にでっこい〔大きな〕 油揚げをわしずかみで、
豪快に食べている光景も目に浮かびます。
しかし、栃尾の雁木が昔から現在に至るまで、存在する最大の理由は
栃尾が越後の 豪雪地帯だったからです。
栃尾の先人たちは自分の家の軒先を延長して雪が家に入らないように
工夫していたようです。

そして、雁木通りは栃尾の人々にとって、それぞれのたくさんの想いが物語のように続いています。
私にも想いがあります。
並んで歩くほど広くない雁木です。彼の後ろをチョコチョコと小走りで歩く。
時々、彼は私が付いてきているか立ち止まってふりかえる。
雁木には懐かしいロマンもあったような気がします。


2013年8月10日土曜日

飛行訓練の親子鳥

朝食中の出来事です。庭にやってくる野鳥のさえずりが、いつもと違って、聞こえ、庭の木に目をやりました。すると、
小さな小鳥が一羽、フワフワと安定せず小枝に止まっています。
しばらくすると、大きな鳥が、口の中にいっぱいのえさを咥えてきて、小鳥に食べさせていました。
親子鳥だとすぐに、わかりました。
親鳥は私たちの気配を感じて、飛び立ち遠くから、子供の飛行訓練の指導をしているようでした。
子供の鳥は、勇気を振り絞って飛行にチャレンジしましたが、3メートルくらい先の隣の家の
脇のセメントに落下。木々と違い、セメントの足場は飛び立つには難しいらしく、
その場所にたたずんでしまい、目を開けたり、閉じたりするだけです。
それから、親鳥は伴侶に知らせたのでしょう、今度は夫婦で偵察しはじめました。
なかなか飛べない子供の鳥に、肝を焼いているのか、親鳥夫婦の泣き声はさらに大きくなり、
時々、我が家の方を見ては警戒して遠くに行ったり、戻ったりの繰り返しです。
長い時が過ぎ・・私たちが観察をあきらめようとした、その時に子供の鳥は、
ふたたび勇気を振り絞り 飛行しました。

今度は成功です。電線にとまり、遠くで待っていた兄弟と一緒に飛び周りました。
そして、
親鳥は遠くから子供たちの飛行を見守っていました。

「どこも同じだな、子供が一人前になるまで、親は心配なものだ」と夫は一言つぶやきました。



2013年8月7日水曜日

ちょっと贅沢な調味料レシピ

豆撰と10年越しのお付き合いをいただいている
岡山県倉敷にお店をお持ちの「平翠軒」さん
の「ちょっと贅沢な調味料レシピ」本が送られてきました。

 とても興味深い対談方式から始まって、数々の調味料や食材を使ったレシピがのっていました。
すると最後のページに
「温野菜と栃尾の油揚げのサラダ」が掲載されていました。

あとがきに、
本を読んでいただくと「平翠軒」の調味料・食材がなぜ私たちの心をとらえて離さないかお分かりになると思います・・
これらの調味料・食材を使って料理レシピを開発する事は、
私たちにとって非常にたのしみなことでもあり私たちにとって光栄なことでもありました。
その調味料・食材は香り豊かで
クリアな味のためレシピ開発には苦労いたしましたが
皆様にはきっとご満足いただけるものと自負しております・・
と料理家の町田えり子さんが寄せておられました。

栃尾の油揚げ

土地の名前が付いた、その土地だけで長年たべられてきた風土食が面白いと思い、・・そのひとつ300年前からつくられてきた栃尾の油揚げです。栃尾の人は油揚げを焼いて酒の肴にしたり、三角に切ったものを身欠きにしんと煮たり・・・掲載されていました。

まさか豆撰の油揚げが掲載されていたとは思わなかったので、嬉しさよりもびっくりしました。

多くの食材のなかから、栃尾の油揚げを選んでくださった「平翠軒」さんに
心からありがとうございましたと感謝のきもちでいっぱいになりなりました。




2013年8月6日火曜日

お気に入りとは?

娘が4歳の時の話です。
娘に縫ってあげた、最初で最後の手作りスカート。
生地は女の子の喜びそうな、ピンクの花模様を選び、
ギャザーのいっぱい入った、ふわっとしたスカートのイメージで作りました。
しかし、何日も費やしたわりには、格好よくできませんでした。

それでも、娘は私の作ったスカートがお気に入りで、
「このスカートじゃない方がいいよ」と言っても、聞きいれず、
その格好悪いスカートをはいて登園していました。
普段子供のために何一つしない母親が
自分のために作ってくれたスカートは
娘にとってお気に入りベスト1だったようです。

2013年8月3日土曜日

石仏の旅



私が生まれれる、もっと、もっと昔、桃山時代から、
栃尾郷の石仏は作られたらしい。
栃尾の文化、信仰を語ってってくれる「石仏や道祖神」を廻ってみました。
理由は栃尾に生まれ育っているのに、栃尾のことを知らない自分に気がついたからです。
今日は、一番見つけやすい、下来伝のほだれ様の手前に並べられている「道祖神」や菅畑の道しるべの「石仏」、大川戸、平などを巡ってみました。


草むらに、たたずむ彼らの表情に、信仰の深さを物語る農民の顔が浮かびます。
栃尾の地を安住の住処とした、平家の落人かもしれない。
静御前にまつわる伝説もお墓も栃尾には存在するのですから、
想いは戦国時代にタイムトラベルしたような気分でした。
信仰することで心の安らぎを求めた先人たちを
想像しながら、石仏を見るのもよいものでした。

そして、水害の復興を願って手を合わせてきました。




2013年8月2日金曜日

おーい、お母さん


雨上がりの朝、畑に行った夫が、いつもより少し遅く帰ってきて、
大きな声で「おーい、お母さん」と二階にいる私を大声で呼びます。
私はモップを動かす手を止めて
「なあーに」と大きな声で返事をしました。
「いっぱいの収穫だぞ、写真摂ればいいぞ」と、
私の毎日の日課であるブログ材料を提供してくれる夫です。
すぐに、カメラを手にして、階段を駆け足で下り玄関に行きました。
そこにはナス、キュウリ、オクラ、ニンジンが写真を撮るばかりに、
きれいに籠の中に並べられていました。
夫は丹精込めて作った野菜を私に見せて、
私の喜ぶ顔を嬉しそうに見ていました。

2013年8月1日木曜日

8月1日の朝は疲れました。

30日に続いての雨に、心もからだも、ちょっとお疲れモードに入ってしまいました。
朝一番に夫は田んぼに行きました。
帰ってくるなり、
「もうやめんばん、あの田んぼは」と怒り口調で言いました。
妻の私は「そうね、辞めれば」と一言。夫は4月から、丹精込めて作り上げてきた田んぼです。
稲の穂も出はじめ、喜んでいたのに、この雨で砂利やゴミで田んぼは埋め尽くされてしまったようです。
夫の心の中は、せっかく丹精込めた、育ててきた稲にたいして、
どうする事も出来ない、憤りが「やめる」の言葉に跳ね返ってきたのでしょう。
いとも簡単に「やめれば」と言ってしまった私は思いやりに欠ける妻だったと反省しております。
さてとりあえず、豆撰を含め栃尾の市街地は被害なく大丈夫です。
長岡から通ってくるスタッフも出勤して、
みんなの元気な顔をみてホットしております。

今回、いろいろな所で被害にあわれた方々には、心より御見舞申し上げます。

2013年7月31日水曜日

今回の水害について

夜中の雨が気になりました。
いつもの雨の音と違って、速さを感じていました。
このなんともいえない雨の音は、7.13の大水被害で経験していました。
だからその時の音に似ていて、なかなか寝付けませんでした。
夜中の2時を回った頃、携帯が、けたたましく鳴り響きました。
長岡市の発信、避難地域の情報でした。続いて2回目の情報です。
とても眠れる状態ではありませんでした。 3回目は解除されたとの情報でした。
それでも心は乱れ朝を迎えると、早めの朝食をとり、豆撰へ向かいました。
その途中、橋のたもとから数メートルの道路が半分川に落ちていました。民家からは2メートルくらいあるのでしょうか交通どめのため、傍にはいけません。すぐに実家に走りました。実家は2回の大きな被害を受けておりましたが、今回は無事でした。
それからは長岡から栃尾に入るルートの遮断の情報が次々にありました。
市街地中心の谷内通りから本町などは泥の海状態になりました。
幸いにも水は引いて、朝方から夕方にかけて、泥の撤去作業が続きました。
森上地域は3件の土砂災害とのことです。
また美しい栃尾の棚田「一之貝」の被害も大きいとの情報もありました。
棚田に限らず、農業従事者の高齢問題が大きな栃尾にとって、とても深刻な問題となっていくことだと予想されます。
今回の雨は栃尾の西谷地区を襲ったようです。
これからもっと多くの被害情報が入ってくると思われます。
とりあえずは、命の被害のなかったことに安堵しております。
皆様に大変ご心配をおかけいたしました。
またお電話やメールをいただきましたこと厚く、
御礼申し上げます。

2013年7月29日月曜日

栃尾の石積そして近づく盆さん





親に先立った不幸をわびて、賽の河原で石積み、それを鬼が出てきて崩してしまう。子供たちは指から血を流しながら休みなく石を積む。一年に一度、地獄の釜も休むという8月7日。石積から一日だけ開放された子供たちにかわって、子供たちの霊を慰めるため現世の人たちが石を積む。栃尾に伝わる、素朴で心あたたまる、民俗行事です。

この時期と同じくして、栃尾では盆さんという行事が8月1日~8月7日にそれぞれのお寺で
行なわれます。
本来は先祖の御霊をお迎えし、ご供養のための行事だと思われますが、
私は、大人になるまで、お寺様が年に一度、檀家さんに、朝ご飯を振舞う日と思っておりました。
その献立は栃尾の油揚げと野菜の煮物。お漬物にお味噌汁です。今のように、食べ物の豊富な時代ではありませんでしたから、栃尾の油揚げの煮物は
ふわりとした甘さが口の中にひろがるご馳走でした。
年に一度、祖母に連れられて行く、盆さんは、楽しくって仕方なかったことを
懐かしく思い出しております。
そして、石積の季節、盆さんの季節が近づくに連れて、生まれてまもなく、この世を去ったしまった
私の妹「まりこ」を思い出します。母が私に見せた最初の涙でした。どうして母が泣くのか3歳の私にはわかりませんでした。

今日の一番の笑顔

朝8時、豆撰では油揚げの準備、お店の準備、お掃除などあわただしい朝からはじまります。
お店を開くのは8時半です。

今日は8時ころ、若い方が3人お見えになられました。
大きな男性の方が「まだですよね、あげたてたべたいんですが・・・」と
私に、にこやかにお尋ねになられました。
「申し訳ございません、もう少し待っていただけますか?30分くらいかかりますから
秋葉公園あたりをお散歩してきていただけないでしようか」と私は、お願いをしました。
快く、ご理解をいただきました。
30分後に再び訪れて下さった若い3人のお客様
話をしていたら、大きな男性は栃尾の方でした。夏休みに入り、帰省していたのかもしれません。
そして、
3枚のあつあつの油揚げをお出しました。
お連れの方は、「いつも栃尾に来ると、豆撰によるんですよ。この油揚げが食べたくって」と
笑顔満点で、お話してくださいました。
若い支持者の方、そして地元の支持者の方に感謝感謝のはじまりでした。
30分も待っていただき、ありがとうございました。
そして、写真もとらせていただきありがとうございました。

2013年7月28日日曜日

10年後のやりたいこと

昨日は、いつも行く喫茶店で知り合いの方に久しぶりでお会いしました。
彼女は私と同年齢です。3人のお子さんを育てられ3人とも独立なさっています。
そして、彼女は自分の夢を実現して、一人で事業を始め、今も続けておられます。
私の尊敬する生き方を実現、実行なさっておられます。

その彼女に「夢を持って、自分のやりたいことをみつけてみたら?」と
助言をいただきました。
そこで、考えてみました。

今日、私のやりたいことは
仕事をして・・日曜日は平日に比べ、とても忙しいのでちょっと気合を入れて・・終わったら、
外食で生き抜がいいなと思いつつ・・義父母が寂しい思いをするから無理かなもしれない・・

半年後のやりたいことは
とにかく、今手がけている豆撰の油揚げレシピやHPなどの完成をめざして頑張ること

1年後のやりたいことは
頭の中で、思考回路が停止しました。ちょっととばして、

2年後のやりたいことは
油揚げカフェ?一日1組限定で、栃尾の油揚げを食べてもらい栃尾散策を楽しんでもらう仕事?
それとも、栃尾には本屋さんがないので本屋さん
それとも・・仕事が忙しい親御さんの代わりに、子供たちを預かる
いやいや、娘の住むイタリアへ行く
など・・どうも現実的でないことが頭に浮かんできました。
10年後の私のやりたいことは

世界旅行

やりたいことは、書いていくうちに、先に行けば行くほど可能性が薄くなっていくようです。

もしかしたら、やっぱり豆撰で若い人の邪魔になりながら、
お店にいるかもしれません????
そして、グダグダと日記代わりにブログを書いていいるかもしれない・・。