2014年11月30日日曜日

五藤利弘監督とゆめはるか

五藤監督作品の新作「ゆめはるか」の試写会を観ました。
私が観る映画の本数は限られています。
仕事中心の私にとって映画を観る事は「自分の時間」を作ることからはじまります。
その少ない限られた映画に何を基準に選ぶのかと考えてみました。
まずは、その作品のテーマが何か?次にキャストを選びます。
そんな中で、栃尾を舞台に映画を撮られている五藤監督作品だけは
テーマやキャストに関係なくほとんどの作品を観ています。
そして今回どうしても早く観たかった理由がありました。
それは、「人の想い」がゆめはるかにどう表現されているのか
観たかったのです。
映画の途中、病院のナースステーションに飾られている1枚の花の絵と
1枚のあどけない幼児の写真が映し出されます。
お花の絵は白血病でなくなられた方がお描きになった絵。
写真は私の娘のお友達と娘。お友達は中学生になった年に他界しました。
この絵と写真は私の胸をしめつけました。
涙があふれ、私の震える声が隣の方に聴こえないようにと
必死でこらえました。
そんなわけで、どうしても試写会を観たかったのです。
映画の話やキャストの方々の話は数多くの新聞に取り上げられていますので
是非、ご覧いただきたいと思います。
話は前後してしまいますが
舞台挨拶の五藤監督はいつものスタイルではありませんでした。
スーツに革靴です。いつもはジーパンにスニーカーでした。
舞台に立つと、またまた変な気持ちになってきました。
大きな体と小顔ではありませんが、なかなかの二枚目に見えました。
私にお花の絵を描かれた方の声が聞こえるのです。
「立派になって、ご苦労様ね」とささやく声が天から聞こえるのです。
もし、生きておられたら、私よりもう少し年を重ねておられたでしょう。
きっと、天国で嬉し涙を流されているでしょう。
こんな想いで「ゆめはるか」を観てきたわけです。
この映像に映されないかったけれども。たくさんの方の「生きる」ことへのメッセージが
たくさんたくさん宝物のようにつまっていると思います。
是非是非ご覧下さい。
いろいろなことを考えながら、今日豆撰に歩く途中の風景は360度
山郷に霧がたちこめていました。
もし、予算がもっとあったら、この風景もゆめはるかに撮り入れてほしかった
栃尾のキャラクターを手にする「はるか」の想像する地は
栃尾であるべきだったと勝手に想って歩きました。
五藤監督の「モノクロームの少女」はやはり監督の想いの原点だと
あらためてひとりで感じながら、急ぎ足で豆撰に・・・・・。









2014年11月28日金曜日

お弁当忘れたついでに



家を出て、お日様が刈谷田川とその向こうの家々を照らしています。
この何気ない風景に安堵します。
歩きながら、お弁当を忘れてしまった事に気がつきました。
便利な携帯を取り出し夫に「お弁当忘れた、スズクラさんの反対を歩いています、ついでにカメラ持ってきて」とお願いしました。
夫の声は激怒「そういうことはしないでくれ」と。
しばらく歩くと、お弁当とカメラが届きました。
「ありがとう」と私。
川沿いの黄色の絨毯がきらきら
流れる水は冬に向うせいか、少し荒々しい。
刈谷田川と西谷川の合流点を過ぎると
石が動く
良く見ると鴨たちが戯れていました。
水に流されないように、彼らは一休みしているようでした。
そうそう、私も流されないように、立ち止まったり、休憩することも大切。
明日はひとりで東京日帰り旅です。
時にはひとりで骨休みしましょう。
豆撰に到着、見上げる看板に25年の歳月が照らされました。


2014年11月27日木曜日

おばあちゃんのことこと煮豆

広い土間に、大きな囲炉裏がありました。

この季節になると
我が家では、大根のべた煮や煮菜、こくしょう(のっぺい)そして煮豆などの鍋が
囲炉裏の「かぎさま」にかかります。
学校から帰って玄関に入ると、匂いで夕飯のおかずがわかりました。
煮菜には、油揚げと打ち豆が入ります。
酒粕がは入っていると私は大喜びでした。
こくしょうの中に入っている蒲鉾が大好きで
蒲鉾ばかりを拾って食べて、母に叱られて・・・・・・。
きっと、蒲鉾は我が家にとっては高級食材だったからでしょう。
煮豆は少し固い煮豆です。皮がしわしわになって甘く煮てあります。
お菓子のように甘くて、それはそれはとても美味しかった。

その味は、高級料亭でも味あう事の出来ない
想い出味だからでしょうか

豆撰では、この固いしわしわの煮豆をつくりました。
是非、一度懐かしい味をご賞味ください。







2014年11月26日水曜日

栃尾ワイン


栃尾ワインは栃倉遺跡で有名な栃尾の地「栃倉」で栽培された
葡萄で作られています。
今年は全般的には葡萄は不作だったのに
栃尾ではいつもの1.5倍の収穫だったそうです。
今年出来たての栃尾ケルナーをいただきました。
アルコールに弱い私ですが
少しだけいただきました。
ワインの知識はないのですが
いつもより酸味があり、私には丁度いい感じでした。
そして、栃尾ワインは栃倉遺跡縄文時代の香りが
口の中で広がったような気がしました。
栃尾には古くは縄文時代、平家の時代と歴史は古いようです。
私は60歳。この60年間を長かったと思えない理由がわかったような気がしました。
人間の寿命はせいぜい80年くらい
でも、栃尾に伝わる伝説は多く、歴史も古い

私はその歴史の中のほんの一雫しか生きられない・・・・・・。
その一雫を大切に行きたいものです。



2014年11月24日月曜日

今朝の西谷川です。


芳香稚草園をまっすぐ行くと、中央公園手前には備橋が架かっています。
栃尾の西谷方面から川の水は流れています。
その橋を渡り十字路の交差点に「松」の木があります。
この松は私が小学校に通っていたころもありました。
小学校に登校するには、この松の木を通り抜け、正門に入ります。
一年生から六年生までの2000人くらいの子供たちの泣いた顔、怒った顔、笑った顔
いろいろな栃尾っ子の顔を見守っていたことでしょう。
松をデジカメに収めていると、遠くに私の最初の職場の保育園が見えました。
通っている時は、遠くを見ることもなかった・・・・・・。
備橋を渡り、小学校は中央公園になり市民ホール、市民体育館になっています。
その脇を通り・・・
西谷川も刈谷田川同様栃尾の街を支えてきたのでしょう。
洪水もありました。橋が流された事もありました。
でも、今は立派に栃尾の街を支えています。

2014年11月23日日曜日

この曲がった川が好きです

栃尾には2本の川が流れています。
この川の左の道を私は歩きます。
白い大きな建物は栃尾高校です。改築されました。
栃尾の街に住む人は橋がなければ生活できません。一日に何回どの橋を渡るでしょうか?
小学校、中学校、高校・・・・・・善昌寺保育園へ通う。今は豆撰へ通う。
そして渡る橋・・・・・・。
この反対、右に進むと西谷川です。川沿いには大きな大きな小学校がありました。
東と西に別れ、体育館は2つ、中庭も2つありました。中庭のポプラの木は大きく
小学生の私は授業そっちのけで、その大きなポプラをみつめては
ジャックになった気分で妄想を続けていました。グランド脇の川沿いには大きな桜並木が続
きます。鳩峰から街を眺める風景がいつの間にか
昔の風景と重なります。
今と昔では景色が随分と違っていますが
私の妄想癖は変わらないようです。
この道この橋は人生を運んでくれたようです・・・・・・。
そしてこれからもこの道を歩き橋を渡り続けます。


2014年11月22日土曜日

想う

娘の部屋から望む景色が好きです。
道をはさんで資材置き場には丸太が並んでいます。
この日は丸太の上に霜が降り
それを照らすお日様との関係が
とても私の心を癒してくれました。
刈谷田川の向こうに見える、家並みと山の景色に
「想い」をみつけています。
1つはもうすこしで会える娘夫婦への想い。
1つは仕事への想い。
そして最後は私を取り巻く人たちへの想いです。
昨日夜遅くに届いた「想い」の映像は
心に響く語りでした。
届けてくれた方はきっと想いを伝えたかったのでしょう。
そして、私もその方の想いを感じて嬉しく想いました。

苦しいことや切ない事をたくさん経験した方ほど、
想像や創造が生まれるらしい・・・・・・。
その中に私は想うのです
必ず辛い事をたくさん経験していても「愛」を
感じる素晴らしい人との出会いの瞬間があったからこそだと。






2014年11月21日金曜日

朝2時間の活動


寒い朝
4時に目を覚ましましたが、寒いのでしばらくはベットの中でぬくぬく。
でも、やっぱり起きることを決意
スタンドの明りで本を読みはじめました。

山口瞳の小説です。早く結末を知りたいとあせっているのですが
なかなか
時間がとれずに読み始めて、すぐに朝食準備に入りました。

途中お友達のブログ拝見・・・・・・。
洗濯、掃除・・・・・・。
しばらくすると、「今日の霜はすごいぞ」と夫。
私は二階にバタバタとデジカメをとりに上がりました。
FBのお友達がロンドンの風景をアップしておられたのを見て
最近は油揚げレシピ中心で、家の廻りを撮らなかったと思ったからです。
霜は小さな夢の砂糖菓子、まるでおとぎの国の物語のようです。
洗濯物を干し、朝食を済ませ、食器を片付け
お茶を飲んで
バタバタと出勤しました。



2014年11月20日木曜日

老齢介護

今朝の夫婦の会話の中から・・・。
義父は、昨日床屋に電動式車いすに乗って行ったものの、帰りは雨になり
電動式車いすを置いてきたそうです。
義父は歩行困難と、少し痴呆がはじまっています。

床屋さんから自宅まで送ってもらいました。
しかし電動式車いすは床屋さんに置いたまま
そこで、夫は歩いて床屋さんに行き、電動式車いすに乗り
夫は自分だと気づかれないように帽子を深めにかぶり、 自宅に
戻ってきたそうです。
その話を聞き
ケタケタと笑い転げる妻は私でした。

この冬のおすすめギフト
ほっこりあたたまる豆撰プレミアム鍋セット好評いただいております。

2014年11月18日火曜日

ちょっと、口論。


妹、20年来のお仕事仲間のSさん、そして私。
机の上には山のような仕事があるにもかかわらず
国会解散、消費税、原発問題の議論に発展してしまいました。
3人とも軸はおなじなのですが、少しずつ立場や年齢から
意見が微妙に違ってきます。
最年長の私は頑固です。
必ず最後に「だから子育て、教育にもっと力を入れないと、だめです」となってしまいます。
子供のころは理解できなくても・・・・・・。
口癖のように祖母や母に
「靴はそろえておくもの、ごはんつぶは茶碗にのこしてはだめ、挨拶は大きな声でするもんだ」
こんな些細なことを言われて育ちました。
「わかってるって」と心の中で口答えをしていました。
大人になると、それが自然と身についているのです。
そして、実母はアルツハイマーですが
私が豆撰のスタッフのMさんのことを
「ねえ、ばあちゃんMさんは太りすぎだよね?どう思う?」と実母に尋ねると
「そんげんことねえってば、ちょどいいって」と彼女に笑みを浮かべて言っていました。
痴呆となっても母のおもいやりのある言葉に私はこの人に育てられて良かったと思いました。

御歳暮のカタログが出来上がりました。
ご希望の方はお電話ください。電話0120-05-5006

2014年11月17日月曜日

年は隠せない



人間だけではありませんでした。
我が家の豆太郎は10歳です。
人間であれば、還暦に近い歳です。
寒いせいもありますが、
今朝はストーブの傍から離れない、
それだけではありません。餌をねだらない。
そこで、デジカメを向けても反応なし・・・・・・。
写った豆太郎をみて、
夫「もっとかわいく撮ってやればいいだろう」
私「歳はかくせないでしょ」

2014年11月16日日曜日

夫婦の会話

栃尾の里山も街も落ち葉が舞い始めました。
守門岳麓から流れる水も
いつの間にか冷たく、手がしびれそうです。

朝のトップニュースは錦織選手
こちらは、睡眠不足を覚悟で夕べはテレビ にかじりついていました。
若い努力と才能のパワーに、ただただ驚くばかりでした。
きっと、来年は勝てるとおばさんは確信 しました。
次のニュースは振り込め詐欺について・・・・・・。
「ねえ、お父さん私たちは大丈夫だね、あの子の仕事も会社の名前も
大学の名前さえ覚えようとしてないもんね」と私。
「関係ないだろ」と夫。


詐欺の手口の方がデーター化していて
防ぐことが出来ないのだろうか?


朝のニュースを見ながらの夫婦の会話がはじまり
私は後片付けをちょっと遠慮させていただき
洗濯ものを干し、豆撰へ急ぎました。

すると、ばあちゃんのてづくり、昔ながらの煮豆パッケージが娘から届いておりました。


2014年11月14日金曜日

もてる力を出し切って


「おてがみれしぴ」、冬の商品ご案内
そして、いつもの私の手紙がそろいました。
今日から、豆撰のお客様に発送できます。
ここまで来るのには大変な苦労の連続でした。
それでも、
もてる力を100%、それ以上を「根性」で乗り越えたと自負しております。
豆撰25周年の節目に「おてがみれしぴⅡ」をつくることが出来こと
あわせ、私の還暦の年・・・・・・。
今、少し、ほっとした気持ちで
みつめています。

2014年11月13日木曜日

自分分析

中学3年の時に
背はあまり高くなく、決してハンサムとは言えない
社会の先生が私の担任でした。
今考えても、何故かわからないのですが
その先生が好きでした。
勉強嫌いの私がその年の1年だけは
今の私では考えられないほど社会の勉強だけ頑張りました。
そんなこんなで、先生は私の気持ちに気がついていたようです。
そのころ、高校受験を迎えるころになると
個人面談がありました。

「自分のことは自分が一番よく知っていると思っているだろうが
本当はそうではないんだよ」と先生に言われました。
心の中で、「自分じゃない人の方が私を良く知っているの?」
なるほど、だから私の成績では志望校は無理と
先生は言っているんだと・・・・・・。
もう一つ、「お前は感受性が強いな」と言われました。
なるほど、 感受性が強いことはあんまりよい事ではないらしい・・・・・・。
と妙に納得した自分を思い出しています。

そして、還暦を迎えたからでしょうか
途中で挫折やら、感情に任せた人生の途中もあったけれど・・・・・・。
今は、あの頃の自分に戻りたいと思います。
私を取り巻く家族、遠く離れている家族、栃尾の街の人たち
いろいろな分野のお友達、豆撰の仕事仲間、大切なお客様、その人たちの言葉を
あのころのように受け止めようと思う今日この頃です。

冬囲いの終わった庭を眺め、1年前、10年前を思い出しながら
12月末に帰ってくる娘夫婦のことを考えています。

 豆撰からのお知らせ
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2014年11月12日水曜日

こんなお手紙がとどきました

先日、職場訪問に豆撰見学をした子供たちからのお手紙が届きました。

拝啓
紅葉の美しい季節となりました。
皆様におかれましては、お変わりなくお過ごしの事と思います。
私たちも元気に学校生活を送っています。
さて、先日の体験学習では、私たちの学習にご協力いただきまして、
ありがとうございました。・・・・略。
私がこの活動で一番心に残っていることは
「マジで本気でやっているからみんなもマジになって聞いてね」と言われたことです。
なにをやるにも「マジ」が必用なんだと思いました。
その他にも油あげだけでなくプリンやお菓子などの商品も多くてビックリしました。
「大豆は捨てるところが何もない」と聞いてそれにもビックリしました。
・・・・・・・略・・・・・。

長岡の中学1年生5人の職場見学でした。
妹は「私たちは本気で仕事をしています。
だから、見学するあなたたちも本気で勉強してください。」とお話したそうです。
大人の本気は、子供たちにしっかりと伝わったようです。
この、お手紙を読み
嬉しくなりました。

今日の仕事

秋といえば「もみじ」です。
私の実家のもみじも、とてもいい色に染まっていました。
私が高校生の頃に植えたもみじです。
父の人生も波乱万丈?でした。
私は高校1年生になったばかり、妹は幼稚園。
子供の将来は考えていなかったと思います。
勝ってに農協を辞職。その当時は結構良いポストにいたのではと思います。
それなのに・・・・・。
仕事がなく「暇」の最中にやったことは
このもみじを含めた「庭」つくりでした。
大きな石を運び、松、おっこ、もみじ、池までつくって、あげくのはて
錦鯉を飼う・・・・・・。
父の好き勝手人生のはじまりでした。
このもみじの彩りをみつめると

そんな昔が蘇ります。でも、妙に好き勝手人生を生きた父を憎めません。
今はこの世にいないからでしょうか?
それどころか、私にもその血が流れ、そして娘にも・・・・・・。


そして、このもみじで「しおり」を作って、お客様にお届けしようと思っています。



2014年11月11日火曜日

朝日に照らされた山を駆け上る

遠くの景色が目に映りました。
私が子供の頃に遊んだ山が赤く染まっています。
もう、抑えることの出来ない「想い」で
豆撰のお掃除をさっさと、手抜きして
駆け足で40年ぶりその山に行ってきました。
いつも、私が上る山の隣に位置し、少し低いのです。
私の生まれた家のすぐ裏山です。
もみじが語っています。
「よく思い出してくれましたね。あなたの来るのを待っていましたよ」
「大丈夫、大丈夫、時は流れても、想いはいつまでも心に残りますよ」 ・・・・・・と。

だいぶ変わっていました、もうもみじには登れません。
大きくなって・・・・・・。
山の下は切り開かれ、お墓がいくつかありました。

山から望む街は朝日で照らされいました。
希望の光のように・・・・・・。

2014年11月10日月曜日

「おとうと」を観る

前日に続き、吉永さん主演の「おとうと」の上映が栃尾のオリナスでありました。
友達に誘われ、行って来ました。
2日続けて、吉永小百合主演、鶴瓶さんの映画 を観たことになります。
それぞれの、キャストはやはり大物揃いです。
今回私が気になった方はおとうとを診察している医師です。
医師役の演技のことではありません。
この映画に登場しているような「お医者さん」 に深い想いを感じたのです。
この年になると、「生きる」と言う意味の先には
「今は生きている、そしていつか死がおとづれる」と、
なんとなく意味合いが微妙に違ってきています。
保育園勤務時代に不慮の事故で命を落とした子供たち
肉親、さらに実父を失った時の「悲しみ」・・・・・・。
辛い想い出は一切消え、生きていた時に優しい笑顔
ばかりが頭の中に浮かびます。

つまり、死を見守る側から、いつか訪れる死に対して
この映画に登場したような医師、先生に出会って死を迎えられたら
と想ったのです。

おてがみれしぴⅡが11/14に出来上がります。
新商品「オリーブオイルで揚げた栃尾の油揚げ」れしぴ満載!
11/12より御歳暮 のご注文をいただいた方にもれなくプレゼントさせていただきます。
また商品案内のパンフご希望の方はこちらまで0120-05-5006 にお電話下さい。

2014年11月9日日曜日

ふしぎな岬の物語を観て


やりました。待っていました。
映画が1100円で観られる60歳を迎えたのです。
早速、60歳2日目で
「ふしぎな岬の物語」を昨日、観てきました。
最初は笑いがたくさんありました。
阿部寛さんの演技に大爆笑、20人くらいのお客様が
一斉にハモって「笑う」
こういう観客席の連帯感もなんとなくいい感じです。
大物スターの登場ですから
この俳優さんは何の役?と
頭の回転を早めなければなりませんでした。
そして、こんなシーンが数回出てきます。
「おいしくなあれ、おいしくなあれ」とコーヒーにおまじなをかけるのです。
私も13年前によく、おまじないをかけていたことを思い出しました。
叔母が癌との闘いで、足から腰全てに電流が走るように「痛み」を訴えました。
私は決まってこういいます。
「姉ちゃん、大丈夫、礼子が来たから、私の手にはすごい、気があるから」と
私はそっとそっと、痛いと叫ぶ叔母の足をさすってやりました。
30分くらいすると
「礼子ちゃん効いてきたよ、ありがとう」と微笑む叔母。
吉永さんのおまじないに自分のおまじないを重ねて
涙で画像がくもってしまいました。映画には不思議な力があります。
映画の場面に関係ないことを蘇らせたり、想像させたりする・・・・・・「おまじない」が
あるかもしれません・・・・・・。

さて、豆撰では11月12日より「御歳暮」のご注文を賜ります。
今回は「おてがみれしぴⅡ」をつくりました。
前回と大きく変わったところは、「楽しい家族」をイメージしました。
一枚の栃尾の油揚げで家族や友達に笑顔が生まれ、楽しくおいしく食卓を囲んでほしいとの願い。
そして、笑顔を大切な方へお届けすることが出来ますように・・・・・・と、おまじないをかけました。
お電話、FAX.メールをお待ちしています。
フリーダイヤル0120-05-5006 ネットショップはhttp://www.mamesen.com/です。
なお、はじめてご注文くださる方に、もれなく「おてがみれしぴⅡ」をプレゼントさせていただきます。

2014年11月7日金曜日

昭和29年から・・・・・・。









昭和29年は栃尾市制定
私の最初の職場「善昌寺保育園」開園
そして、私の生まれた年です。
今日、目覚め、60歳を迎え
夫に「ああ、いやだわ、とうとう60歳になって」と話しました。
夫曰く「みんなおんなじだ、年はとる」・・・・・・。


今一番感じていることは「生きている」ことです。

「生きている」から悩み、苦しみ、喜び があると思います。
想い出はたくさんありますが、その時の感情はすでに
新しい感情に変わっています。だから、最近は
やりたいことがあればやる、そして自分の間違いを正してくれる人に
感謝する。その反対のこともあります。
素直な気持ちで初老を過ごしていけたらいいと思っています。
出来るなら70歳までに世界旅行がしたいと夢を描いています。

※節目の年に2回目の「おてがみれしぴⅡ」を作ることが出来ました。
豆撰の想いと私が豆撰に想うことを書き込んだ、ちょっと長めのお手紙です。
この制作には昨年同様、私の保育園勤務時代に子供だった、Sさんの協力なしには
出来ませんでした。Sさんには心から感謝し不思議な縁を感じています。
また娘のデザイン、そして写真撮りにアドバイスを
いただいたGさん、そのほかたくさんの方々のおかげで、ようやく印刷される
のを待つばかりとなりました。
私が60歳を迎えた最高の大仕事でした。最後に夫の写真撮影にありがとうです。









2014年11月5日水曜日

お天気に誘われて


今日はとてもよいお天気のせいでしょうか
実母の状態が「変」なのです。
久しぶりに、回路がつながって
亡き父と過ごした山の家に行き、「自分の家が一番良い、山がきれいだこて」とか
懐かしい写真を見て、笑みを浮かべています。しばらく、一緒に写真をみていると
私の手元には残っていない写真がでてきました。

今から30年くらい前の写真です。3人はいつも仲良く良く遊んでいました。
仲良し3人のお姉さんは娘より1歳年上です。
とても、利発な愛らしい子供でした。
中学生になり、一度も通うことなく、天国に召されてしまいました。
長い、苦しい闘病生活に耐え、大きな夢見ていたさやかちゃんです。
どうして、この写真が実家にあったのかちょっと不思議です。
しばらくして、早めの昼食をすませ、日のあたる縁側でごろりと母と二人で横になりました。
実母は、昔の話をします。
自分の着ている洋服を指差し「この服はどっからもいたがあ?」と私に聞きます。
私は「去年買ってもろうたろ」と説明しても納得しないのです。
・・・・・・。目頭が熱くなり、こぼれそうな涙をこらえ、ひとり庭に・・・・・・。

記念日は仕事

昨日は34回目?の結婚記念日でした。
忘れていたわけではありません。
でも、どうしても仕上げなければならない仕事のために
帰宅は11時になってしまいました。
待ちくたびれたのでしょう
夫は眠っていました。
34年前の11月4日は晴天でした。
朝4時ころから、花嫁衣装の着付けとあわただしく
着付けを終えて、部屋でその時を待つ私に
声をかける家族はなし。
それはそうでしょう、この日の結婚式を私の家族親族は誰一人として
喜んだ人はいないのですから。
私は大橋家の跡取り娘として妹が誕生したその日から
育てられ、教育?されてきたのですから
他家へ嫁ぐなど、もってのほかです。
その日、式場に向かうために玄関を下りたその瞬間に
亡き父は本当に哀しそうな今にも涙があふれそうな瞳で
「いつでも、帰ってきたくなったら、もどってこい」とつぶやきました。
私の結婚式はめちゃめちゃです。この一言から私は
披露宴が終わるまで泣き続けました。
だから、私の結婚式のスナップ写真はお葬式のように
叔父、伯母、妹、もちろん両親は下を向き泣いていたものばかり・・・・・・。
あれから、ずいぶんいろいろなことがありました。
今では、夫は私の大切な秘書?です。
「お父さん、メガネ知らない?」からはじまり
「パソコンのとこにあったぞ」などなど・・・・・・・。
今では私の漫談に合わせくれる良き夫です。きっと、天国の父も
泣いて笑っていることでしょう!!

写真は10年前の私たち夫婦と従姉、立山にて



2014年11月4日火曜日

この連休は・・・・・

映画を3本観ました。
2本は長岡の監督五藤利弘作品です。どちらも2回目「スタンディングオーバー」と「花蓮」です。
もう一本ははじめて観る太田監督「朝日のあたる家」です。

映画好きとまでは行きませんが、小6年ころから観始めました。
もちろん、その頃は大変です。映画を観るのに、電車に乗って1時間。
長岡駅から歩いて「グランド劇場」にいくのですから、
同じ映画が何回も繰り返されます。通路も観客席で満員でした。
今思うと、映画代と電車賃はどうして捻出いたのか思い出せません。

この頃は私の青春のはじまりだったと思います。
「サンド・オブ・ミュッジク」を観ては感激して、
憧れたものです。「ウエストサイド物語」では
もう、夢中になりました。ジョジー・チャキリスに恋い焦がれました。
少し学年が上がると背伸びをして「ひまわり」などを観ました。きっともう一度みると
その意味や映画に込められた想いが、子供のころとだいぶ違っていることでしょう。
「カラーマゾフ の兄弟」という大作もこの頃だったように記憶しています。この映画は
まったく、意味がわからなかった・・・・・・。

2日間、映画三昧だった私が一番気になった事は
この3本の映画観賞者に中学生や高校生がいなかったことです。
映画は私の青春であり、癒しであり、考えることを教えてくれました。
何故、どうして、今の若者は映画を観ないのでしょうか
映画関係者も中学生や高校生を対象にしていないのでしょうか
背伸びして観た映画だからこそ、心に残りました。
子供たちに観てもらうには文部省推薦とかがないとだめなのでしょうか?
映画は想像力と感性の芽を育ててくれるのにと心寂しく、
残念に思いました。

画像は秋葉公園です。今年はなかなかいけません。この写真は昨年母と行きました。