2023年8月29日火曜日

放任主義です!


夏祭り民謡流しを孫は楽しみにしていた。浴衣を着て盆踊りの練習もする。私は疲れと腰痛のため行くつもりもなかった。だがその時が来ると「ババ一緒に行こうよ、お願いババと踊りたい」と訴える。頼まれたら仕方がない「ジジに聞いてきて、夕飯は遅くなるけど待っていられるか」孫は喜び勇んでジジに聞きにいき、了承を得る。返答は「大丈夫だよ。待っていられるって」というわけで娘夫婦と孫と私で民謡流しに行く。実は夫はババと盆踊りに行くからジジも行こうよと行って欲しかったらしいことを翌日告白しています。

初めての雰囲気に圧倒されていたところに神楽が出現。固まる。怖いと手を握ってくる。それからは踊りどころでなかった。私は腰痛のため退散することに、すると孫はババ待ってと大きな声で私を呼び止め、パパとママを置いて自宅に帰る。待っていたジジは一人酒。孫は神楽から逃れ餃子を食べ元気を取り戻しリビングでひとり盆踊り。非常に疲れるババはゴロリ。孫も浴衣のままゴロリ。いいではないか疲れた時は、それにうるさく喚かない、喧嘩もない。こんな日は滅多にない歯磨きもパスできる。もう疲れ切っているのだから育児は放任が一番!

日日是好日

2023年8月26日土曜日

ミッドナイトスワンと孫

 日本アカデミー賞作品賞主演男優賞映画「ミッドナイトスワン」を観る。

ついこの間の作品だったのに、もうNetflixで観られる。田舎の映画館が流行らないわけだ。

孫がイタリアから滞在して1ヶ月が過ぎようとしている。時差で仕事をしている孫の父親は私の茶室用の部屋を独占している。私の映画鑑賞時間は朝の4時から家事をこなしながらである。それ以外の時間は孫にテレビを独占されてしまった。それでも仕方ない、孫が静かな時はアニメを見ている時だけだから、テレビは孫にとって最高のおもちゃであり最悪のおもちゃである。しかし平和を保つにはなくてはならない最強の必需品となっている。

さて、本題今回の映画についてはサバカンとは全く違う。貧乏という意味ではおなじであるけれど。現代の社会の流れというか昭和生まれの老人には理解できないジェンダーについてなんと納得させるというか、あり得る事として主演男優賞の草彅剛は表現していた。バレーのシーンが多いのは、人との関わり、親子、母性を語る上で大切な部分であるが私にはバレーを踊る少女に美しい動きとやすらぎを感じた。

孫は5歳の時ほんのちょっとバレーを習っていたから、手や足の動きがしなやかだ。残念ながら、1年で終了してしまった。集団の中で遅れを感じたのか、何が理由かはよくわからないが、バレーはピアノと同じように昭和生まれの私には憧れだった。そんな思いもありバレーのシーンは本物を見ているように美しいと思った。女性として生まれたかった男性と母親に乱暴され、自虐しなければならない少女の間には愛があった。愛って不思議である。

孫は反抗期となんでもしたい自主性期である。思い通りにならないと泣く、怒る、叩くの三拍子である。手に負えない毎日だ。だが何不自由のない生活を送っている。今の所は。これでいいけれど将来は?

映画の中の人は葛藤の中で自分探しをしていく。苦難がいいとは決して思わないが、苦難が人を救ってくれることもあるような気がする。楽しい映画とは違うが現代の社会を浮き彫りにしていたように思う。

あと9日でイタリアに戻る私のもうひとつの家族と悪戦苦闘の生活も終わる。

日日是好日


2023年8月24日木曜日

孫ととんび

安曇野で戯れる孫とお友達

 1ヶ月が過ぎた。娘夫婦と孫の5人暮らし。ようやく孫の「手」がわかりはじめた。そんな日々の中で早起きの私は「とんび」を観た。

全く予備知識なく映画鑑賞に入る。幕開きから涙が溢れてしまう。幸せになっちゃいけないの、と阿部寛演じる父親の必死な愛情に涙が止まらない。映画序盤で息子を助けるために死んでしまう妻。号泣しちゃう。まだ子供のアキラと父親ヤスを海に連れ出し片親のぬくもりとアキラには大勢のぬくもりが背中にいっぱいあることを教える和尚の説法に観る側にも幸せってこれだよと、また号泣する。人生の幸せを考えさせてくれる、泣き続ける映画だった。

孫は日本語もイタリア語も上手だ。アニメを一緒に観ると孫は英語を聴く。私は字幕を読む。この頃の子供は天才である。なんでも覚える。理屈も達者である。そのため1日に数回喧嘩をする。まだ子供だとわかっていても喧嘩をする。

アキラは大人になっていく過程で思いやりのある人に成長していく。父親の存在に距離を置きながら成長する。編集の仕事につき伴侶を得る。バツイチの恋人でも、その人に子供がいても愛は変わらない。そうであってほしい。いやどうかな?と親の立場は複雑だ。

孫は「⚪︎⚪︎しなさいの言葉が言わないで」と言う。命令言葉が心に突き刺さるようだ。妹の孫を抱っこするママには「抱っこしないでヤキモチになる」と泣きながら訴える。

6歳の子供にしたら日本はなんでもしてくれる優しい家族がいる国と期待して飛行機に乗ったであろう。だが降りてみたら道徳心の塊でこれはダメが多いジジとババである。ジジとババにとっても孫は優しく無邪気で老人の言う事を素直に聞いてくれる孫のはずだった。孫もジジとババもはずれた。

映画「とんび」は親子、友達の絆を愛情たっぷりに描いている。愛情を注いでも、期待通りにはならない。それでも深い愛である。

もし孫が20歳になるまで私が生きていていたら、どんな事を話すだろうか。

日日是好日


2023年8月20日日曜日

半澤鶴子氏講演に思う



 半澤鶴子氏の茶事講演に何を思ったか

80歳を過ぎても精力的に活動する姿に、残りの人生「かって気ままに生きよう」と思っている私にとってはショックだった。

公演中に何度も繰り返される「水と茶葉があればそれでお茶を楽しめます」と言い切るゆい髪と着物姿が、とても似合ている。

その昔は、利休さんは商人である。だから茶事に侘び寂びを取り入れ権力に屈しない姿勢を見せたと話す。茶事を武士の教養とした意味はそこにあるのだと。信長から秀吉へ家康と受けつがれた茶の道は現代まで受け継がれている、そして半澤さんも茶人として全国を回っている。求めているものは美味しい茶とおもてなしの心の伝道師である。そしてその姿は年齢には関係なくイキイキとしている。「まあいいか、歳だから」と逃げている自分が恥ずかしいと思った。

美味しい水こそが茶を極めるとおっしゃる。あるではないか栃尾には素晴らしい名水の数々が、もう一度栃尾人よ、水の観光を考えて!栃尾には美味しい酒蔵が2軒もある。美味しい水のあるところだからあぶらげ屋も栄えたのであろう。

日日是好日




2023年8月17日木曜日

無言館とは

 




上田の森はくぬぎの木で囲まれていた。真正面にこじんまりとした館が無言で立っている。

静かなはずの森に響き渡る蝉の音は若人の生きたいと祈っている叫に聞こえる。

館に向かう坂道を孫は無邪気に楽しむ。まだ青い小さなどんぐりを手のひらにいっぱ集めて、こぼれそうになると私のバックに押し込む。

館の扉は西洋の小さな教会のようだ。厚くて重く腱鞘炎の右手に左手を添えて開ける。薄暗い十字架の画廊に集められた戦没画学生の絵が剥き出しのコンクリートの建物にかけられている。まるで島に閉じ込められたように自由が奪われるような空間だ。それとも燃料がなくなった機内に閉じ込められたような。

原田新 「婦人像」着付けがしっかりしている。帯留がややしたに留められている。うつむいた瞳、膝前に組んだ手。足袋に下駄。このポーズをとる婦人を描く原田青年も生きることを祈って筆を握っていたはずだ。


太田章 和子の像 

白地の絞り浴衣に三つ編みは当時の女学生スタイル。戦争の時代に描いた夢はあったのだろうか。

恋をしましたかと尋ねてみたが無言だった。

前田美千雄

妻への絵葉書フイリピン島スッケッチと重なる亡き父の「栃尾を一周してくれ」と覚悟の再々入院の日を思い出す。

佐久間修 静子像 この絵をみた瞬間に目が動いた。待って!行かないでとでも言ったように。

この館の名前は無言館。

日日是好日





2023年8月14日月曜日

お迎えに虹の橋

 


先祖様をお迎えするお墓はふたつある。

そのひとつは実家のお墓である。ピカピカに磨かれてあった。すでに妹家族が先に先祖様を迎えていた。お花と蝋燭とお線香が添えられてあった。娘が聞く。曾祖父さん達が入っているの?もちろんだ。13代続いたこの家に14代目がもうじき誕生するのだ。ただの百姓であっても続いたことには間違いがない。妹夫婦に感謝するのみだ。

このお墓には分骨された叔母も眠っていることを教える。叔母の願いだった。周りを見渡すと誰も訪ねる人がいないお墓が散散して草の中に埋まっている。

もしお父さんが先に逝って、最後がお母さんだったら墓じまいしてほしい。永代供養の必要もない。更地にしてくれたらそれでいいからと伝える。

それから山を下りる途中に、守門岳の手前に大きな虹に橋がかかっていた。娘が見つけると孫が大喜びする。大ババと大ジジを迎えに来てくれたんだね。ありがとうと無邪気にはしゃぐ。

実家のお墓をお参りして今度は嫁ぎ先43年目の墓参り。先祖様も義父母もまさかイタリア婿殿からお参りしてもらうなんて夢にも思わなかっただろう。孫の手には提灯の火が灯り、浴衣姿でしずしずと歩く。

家に迎えた先祖様に枝豆、焼き肉をせっせと運ぶ孫にありがとう。

日日是好日

2023年8月13日日曜日

カラス天狗がいた





日本昔ばなしの上映がトチオーレであった。孫を連れていく。畳の部屋はちょっと辛かったが、絵や声に懐かしさと時代の変化を感じる。ジブリ映画もそうなんだが最近の作品には馴染めない。私の心の中は時代についていけないからだ。CGが作る映像より切り絵や水彩画が好きなのだ。登場人物もセリフも進化しすぎて馴染めない。日本昔ばなしはよかった。

上映後に春祭りの道具が展示されていた。60年前の私がそこに立つ。

目を引くのはカラス天狗。母の後ろに隠れて小さな手だけを恐る恐るカラス天狗に差し出す。その手は震える。掴んだ飴玉は最高の夢お菓子だった。

かあちゃんと心の中で呼んでみた。母がいた。

今は私の隣に6歳の孫がいる。世界を知らなかった頃の私と世界や宇宙の話をする孫が一緒にいる。

日日是好日


2023年8月6日日曜日

8月6日 母の3年忌と父の17年忌

 


実家の法事

住職の挨拶の中

「供養の度に家族が増えておられることにご先祖様も喜んでおられることでしょう」

甥っ子の結婚そしてもうじき甥っ子にも子供が生まれる。姪っ子にも二人目の子供がもうすぐ生まれる。家族が増えることは幸せが増えるってことだろうと思う。

実家で見つけた母と父の笑顔写真

いろいろあったけど写真は最高の笑顔である。写真撮影の瞬間は仲良し夫婦であっただろう。

2人姉妹の家族が集まると最年長は夫、次は私となる。私たちはどんな笑顔が残るだろうか?

日日是好日