2026年9月17日木曜日

曼珠沙華が映してくれました

曼珠沙華

彼岸花とも言う曼珠沙華が天を仰いで懐かしいセピア色の映画を映してくれました。


彼岸花の咲く頃は稲刈りの真っ最中です。父の引くリヤカーには稲がいっぱい積まれています。3メートル、いえそれ以上だったかもしれません。だって電線に私の小さな手が届きそうになるのです。しっかりと紐で縛られた稲の大山の上に上ると手を伸ばせば柿の実も取れそう。何よりも空が近くなって心臓がドキドキするくらい楽しいのです。夕焼けの空にはカラスたちが家路を急いでいます。

するとリヤカーを押す母が歌います。「からなぜなくの、カラスは山に.......。」母はいつも童謡を歌ってくれました。父がリヤカーを引き母が押す、私は高台に上っています。幸せの記憶。


日日是好日

2026年9月12日土曜日

世界の中心で愛をさけぶ

 2004年公開の映画です。22年前という事は私は50歳の時です。朝から晩まで、寝ている時でさえ仕事中心の生活だったから、大好きな映画もこの頃は観られず。そんな昔を思い出しながら大沢たかお主演「世界の中心で愛をさけぶ」を観ました。

今では豪華キャストの初々しい、まだお尻に青さが残っているような若い新人俳優、森山未來さん、長澤まさみさんの演技は心が透明で嘘のない物語を作ってくれたような気がしました。

また懐かしいベテラン俳優山崎努さんによって映画に拍車がかかる。何より、怒ったり、傷つけあったりしない清楚で無垢でお互いを大切にする愛おしさたっぷりの作品でした。恋する人が病に倒れてしまう運命のシーンで涙が溢れても、なぜか悲壮感に埋もれることのない物語が私には心地よかった。

青春時代をとっく過ぎて老年期に入っている夫婦の会話は「1人になったらどうしよう」お互い長年連れ添っても終焉は別々に迎えなければならない。

精一杯一緒に生きられる限り思いやって日々を生きたいものと教えてくれたこの映画にありがとうございました。と感謝したい。

日日是好日

2026年9月10日木曜日

Tシャツが乾くまで 洗濯物が少なくなって

 久しぶりにドラマにハマった。時間帯を気にせず目覚めたらNetflixで見る。CMがなくてその時間は集中してドラマに釘付けになる。この気持ちなんとなくわかるな、こんなことありえない。と様々な憶測や自分の経験を探ってみている。

どうしても結末が知りたいのですが、想像もできないなと最終回を楽しみにして。

今朝もいつものように、畑に行く前に洗濯機を回すはずが、汚れ物は少なくて迷ってしまった。

家族が5人から4人に減って、2ヶ月が過ぎたら家族は2人だけになって、その2日後に友達が来て、小旅行に行って、そして昨日その友達も帰ってしまって、洗濯物は極々少なくなっていました。

これってドラマのような寂しさと安堵の気持ちかもしれません。さて最終回は?

日日是好日

2026年9月3日木曜日

夏の庭

 三國連太郎主演 1994年作品 「夏の庭」

あの日は父が病院から帰ってきた夜だった。私はそばにいたかったが妹家族に遠慮して家に戻って眠った。「礼子早くきてくれ。水が溢れて大変だ」と父の声で目が覚め、私は急いで父の眠る実家に駆けつけた。すると仏壇に飾った花瓶から水が漏れて畳が濡れていた。そして廊下から見える庭の池に水色の小さな蝶が待っていた。蝶は何度も私を見つめて「ありがとう」と言っているようだった。あれは紛れもなく父の魂だったと確信している。

この映画のラストシーンはまさに父の再来のようだった。

3人の小学生と孤独な老人の心のふれあいが情緒的に描かれている。スイカを食べるシーン、コスモスが咲き誇るまでの過程と子供たちの心の成長がなんとも言えない優しい気持ちにさせてくれる。

老人と子供たちの感情を通して生きることと死への問いかけだろうか。それとも戦争の無惨さ、責任を問うているのだろうか。


三國連太郎の演じる老人に近づいている私には生きることと死に近いていることが同時進行していて複雑な思いであった。

戦争が遠い過去にならなければならないのに、だんだん戦争が近づいているように感じるこの頃。孫のこれから先は一体どんな時代になるのだろうか。生きることが大切で楽しい時代になってほしものだ。

日日是好日

夏の庭 The Friends』

公開:1994 年  監督:相米慎二
時間:113分  製作国:日本
勝手に評点:★★☆☆☆2.5

夏の庭 The Friends』

公開:1994 年  監督:相米慎二
時間:113分  製作国:日本
勝手に評点:★★☆☆☆2.5

2026年8月30日日曜日

また逢う日まで

 足がつって目が覚める。ベッドが横の一列に4台並んでいる。入り口から2番目のベッドに夫と孫がくっついて寝ている。

今年、イタリア家族の帰省で一番驚いたことは孫の夫に要求するくっつきである。夫と一緒にお風呂に入る。夫と一緒に寝る。夫に馬乗りになったり肩車をしてもらい、かつてないスキンシップを求めてきた。

9歳の壁に突入した孫は私には扱いにくい存在となり、些細なことで言い合いを繰り返した。昨日もそうだった。夕方成田に向かう前に私の実家の家族に挨拶に行って帰ってきた孫のふくれた顔と娘の瞳に寂しさが隠れていた。孫はすぐにソファに寝転んだ。私は成田に行く前に台所の掃除やら洗濯をしていた。すると「静かにして掃除はいつでもできるでしょう!私は疲れているの、休ませて」と例の調子で叫ぶ。いつものようにカチンときて言い返したかったが最後の日である。そこは抑えて私はまだ新幹線に乗るまで2時間あると時計を見て確認する。そして、馴染みの喫茶店に行くことを決断する。店主のMさんは久しぶりの私の登場でご自分のことやら私の友達の近況を話してくれる。そして2ヶ月も滞在していた娘と孫の帰省の難儀さを労ってくれた。細かいことは話さなかったが、明日イタリアに帰るから今日は夫と成田まで見送りに行くことを話す。

孫の暴言に、その場から逃げ出した自分の情けない気持ちがコーヒーを苦くて渋い味に変えていた。メールが届いていた。「ほとぼりが覚めたら帰ってこい。孫が外で待っている」私がメールを見たのは発信されてから1時間も過ぎていた。

もう時間だから帰ろうと思ったところに今度は携帯が鳴る。夫からである。家を飛び出したことを後悔する。

家に戻ると孫は理屈を並べて私を批判する。「みんなにお姉ちゃんだからと言われ疲れていた。ちょっと休みたかった」などなど。「私がババを追い出したみたいでさ」と言い訳と自分なりの反省文を並べ立てる。こんなことは一例に過ぎない。喜怒哀楽の宝庫のような約2ヶ月の滞在だった。

新幹線でもババ攻撃は続き、「ママとジジの隣に座りたいの」と私を排除する。こっちはこっちでうるさくなくて本が読めると密かに微笑む。それでも気になるのか、お茶は?パンは?寂しくないか?と後ろに1人ポツンと座っている私に声をかけてくる。私は「いらない」と首を横に振る。孫の瞳は寂しそうに曇っていた。

東京に着き、ちょっと贅沢な鰻重をいただく。愛知産だった。臭みがなく身は薄いが外はパリッと中はジューシー。これは豆撰の油揚と同じではないかと思った。

ベッドでは屁理屈も言わないまだあどけない痩せっぽちの孫が布団にくるまっていた。

帰りの新幹線はガラガラだった。そして老夫婦ふたりは無言であった。


日日是好日

2026年8月16日日曜日

八月の狂詩曲

  FBの五藤利弘監督のおすすめを見て観賞する。

夏はお盆と重なって長岡、長崎、広島の空襲で亡くなった人の御霊に手を合わせる。日本人のみならず、世界中の人が戦争と平和について考える大切な季節だとあらためて想う。

名監督の数々の映画の中で、戦いシーンのない戦争映画の一つかもしれない。若き日の吉岡秀隆さんは初々しさの中に彼独特の表現力を感じる。黒沢監督に可愛がられたという伊嵜光則さんの素直な演技がいい。

どの俳優さんも八月の終戦記念日にそれぞれの役割以上の想いを詩っているように思えてくる。

人間には当方もない感情が小さい時からあるのではないだろうか。幼い時に受けた悲惨な想い出は声に出せないほどの悲しい感情でいっぱいになるだろう。それが原爆犠牲者なら、なおさら。

些細なことで家族がギクシャクする。許せない感情と許せる感情は大きく揺れ動く。親であっても、子供であっても、孫であってもそうであろう。

戦争体験者が貝になる気持ちもわかるような気がする。

平成3年に製作された時代は今のようにAIがなく、なにもかも教えてくれる時代ではなかった。だからだろうか描写やセリフが生の声に聞こえてくる。生の演技は心に響く。72歳を目前にこの映画を通して、私は私の感情をどうコントロールできるであろうかと思うと自然と涙が滲んでくる。

人間は生身だから悪いこともする。いいこともする。声に出せない反省もするだろう。

感情はその人の立場、経験によって随分違うだろう。

戦争と平和を考える。そして家族とは何かを考える。

YouTubeで配信されています。

若き日のリチャードもなかなかよかったです。


日日是好日


八月の狂詩曲』(はちがつのラプソディー)は、1991年平成3年)5月25日公開の日本映画である。黒澤プロダクション・フィーチャーフィルムエンタープライズ製作、松竹配給。監督・脚本は黒澤明カラー

2026年8月12日水曜日

おかあさんの被爆ピアノからコンサートまで

 8月9日

長岡ミライエにて孫とふたり「おかあさんの被爆ピアノ」を観にいく。映画が始まる前、9歳になったばかりの孫にとって平和活動をしている高校生大使の話や矢川さんの活動のドキュメンタリー、主演の佐野史郎さんのビデオレターは難しすぎ退屈と苦痛を訴える。孫の年齢を考えるとちょっとまだ早かったかと後悔してくる。五藤利弘監督のビデオレターは何回かお会いしていたから関心を示す。前置きに1時間を要して映画が始まる。映画が始まるとさっきまでの苦痛はとれたようだ。主人公の奈々子の行動は理解して観ていたことはその後の私との会話で知る。

おばちゃんのピアノが欲しかったんだよね。私もピアノ弾けないからと指を動かす仕草など。

奈々子さんの携帯は私のとおんなじと喜んだりする。

3年前の広島旅行の際、広島原爆記念館見学を少し思い出していたようだ。

でも映画と戦争、奈々子のおかあさんのお兄さんが死んだ原因までは理解できなかった。

会場の冷房と会場が椅子でなかったため上映の終盤で退場してしまった。ここまでが孫にとっては限界であろう。途中の退場(トイレ行き)で私は無理をしないことにする。

8月10日

日本橋公会堂にて「被爆ピアノコンサート」を娘と孫そして私の保育園時代の生徒の子供(大学生)と4人で鑑賞する。

被爆ピアノの演奏で始まる。本物の被爆ピアノの音は前日の映画の余韻と記憶で結構真剣に観ている。飯島さんの朗読と高校生のセリフとダンス、歌はミュージカル仕立てで興味関心を示す。

大人たちは当然このコンサートの主旨を理解した。前もって内容については一切話しておかなかったけれど。それが新鮮であっただろうと思う。2度目のこのコンサートを観てナレーションやら進行に、長年上演されてきた進化を感じる。続けることの意味と大切さが私自身のこれまでと重なってやり遂げなかった自分に自傷する。勇気と信念が足りなかった自分に。

谷川俊太郎さんの詩それにピアニストの息子さんが曲を作る。父がこの世にいなくなっても親子の共演は続くことに心が感じる。車椅子のソプラノ歌手の情熱が心に届く。高校生を導いている先生のピアノの伴奏は生きることの意味を宇宙より大きな強い心になって響く。

コンサートに来てよかった。意味がわからなくても、私がいなくなってもきっと思い出すだろう。

ババと一緒に聴いた被爆ピアノの音色を。

2026/8/11

娘と孫とご案内してくださったGさんと上った東京タワー。56年前一緒に上った同じ年の友は優秀で自慢の友だった。だが10年も前に他界した。

私は落ちこぼれでぼーっとしていたが夫は一緒に今生きているだけでいいと言われた事を思い出しながら。

日日是好日