2026年8月12日水曜日

おかあさんの被爆ピアノからコンサートまで

 8月9日

長岡ミライエにて孫とふたり「おかあさんの被爆ピアノ」を観にいく。映画が始まる前、9歳になったばかりの孫にとって平和活動をしている高校生大使の話や矢川さんの活動のドキュメンタリー、主演の佐野史郎さんのビデオレターは難しすぎ退屈と苦痛を訴える。孫の年齢を考えるとちょっとまだ早かったかと後悔してくる。五藤利弘監督のビデオレターは何回かお会いしていたから関心を示す。前置きに1時間を要して映画が始まる。映画が始まるとさっきまでの苦痛はとれたようだ。主人公の奈々子の行動は理解して観ていたことはその後の私との会話で知る。

おばちゃんのピアノが欲しかったんだよね。私もピアノ弾けないからと指を動かす仕草など。

奈々子さんの携帯は私のとおんなじと喜んだりする。

3年前の広島旅行の際、広島原爆記念館見学を少し思い出していたようだ。

でも映画と戦争、奈々子のおかあさんの弟が死んだ原因までは理解できなかった。

会場の冷房と会場が椅子でなかったため上映の終盤で退場してしまった。ここまでが孫にとっては限界であろう。途中の退場(トイレ行き)で私は無理をしないことにする。

8月10日

日本橋公会堂にて「被爆ピアノコンサート」を娘と孫そして私の保育園時代の生徒の子供(大学生)と4人で鑑賞する。

被爆ピアノの演奏で始まる。本物の被爆ピアノの音は前日の映画の余韻と記憶で結構真剣に観ている。飯島さんの朗読と高校生のセリフとダンス、歌はミュージカル仕立てで興味関心を示す。

大人たちは当然このコンサートの主旨を理解した。前もって内容については一切話しておかなかったけれど。それが新鮮であっただろうと思う。2度目のこのコンサートを観てナレーションやら進行に、長年上演されてきた進化を感じる。続けることの意味と大切さが私自身のこれまでと重なってやり遂げなかった自分に自傷する。勇気と信念が足りなかった自分に。

谷川俊太郎さんの詩それにピアニストの息子さんが曲を作る。父がこの世にいなくなっても親子の共演は続くことに心が感じる。車椅子のソプラノ歌手の情熱が心に届く。高校生を導いている先生のピアノの伴奏は生きることの意味を宇宙より大きな強い心になって響く。

コンサートに来てよかった。意味がわからなくても、私がいなくなってもきっと思い出すだろう。

ババと一緒に聴いた被爆ピアノの音色を。

2026/8/11

娘と孫とご案内してくださったGさんと上った東京タワー。56年前一緒に上った同じ年の友は優秀で自慢の友だった。だが10年も前に他界した。

私は落ちこぼれでぼーっとしていたが夫は一緒に今生きているだけでいいと言われた事を思い出しながら。

日日是好日


2026年8月11日火曜日

尾瀬ヶ原はセピア色

 48年前の思い出の扉を開きながら、孫と娘そして老夫婦はまだ薄暗い4時半に尾瀬ヶ原に向かって出発する。

実は我々老夫婦の目的地は尾瀬沼だと思っていたら、娘のとった宿は尾瀬ヶ原に近い山小屋だったのです。それはもう仕方がない手遅れである。それが発覚したのは前日だったのですから。

気を取り直し朝ごはんは梅干しおにぎりに卵焼き、車中で食べるのもこれまた楽しみのひとつ。と思い2時から準備していたのに、目的地途中のトイレタイムで孫はあっさり「メロンパン」を希望する。コンビニによればなんでも買えるではないか。わざわざ早く起きて作らなくてもいい世の中なのだ。

それでも、孫以外は全員梅干しおにぎりをパクつく。やっぱり老人には合う。

初めての山登りに孫はウキウキ。

群馬沼田インターを降り片品村の尾瀬ロッジ専用駐車場に車を置く、乗り合いタクシーを探すけれどバス停にはひとっ子ひとりいない。まだ7:30にもならないのに。娘と私は焦ってこれは一体どうしたことか?とりあえず宿泊先のロッジに問い合わせる。と川の向こう側にタクシー乗り場が見える。。大勢の登山者の車あり。やれやれと胸を撫で下ろし7人乗りのタクシーに乗ることができました。タクシーを降り、宿泊先の尾瀬ロッジまで約1時間半歩く、坂道を下り木々の間を歩く、野鳥の合唱にせせらぎは指揮者、山のオーケストラに孫は大喜び歌ったり走ったり老夫婦の前に行ったり後ろに回ったりと大はしゃぎで飛んだり跳ねたり。ようやく尾瀬ロッジに到着。半世紀も前はこんな立派なロッジもなかったと喜ぶべきか否かタイムマシーンに乗ったのごとく。ロッジに荷物を置きリュックにお昼のサンドイッチと飲み物を詰め龍宮小山を目指しいざ出陣。この道は黄色のニッコウキスゲのお花畑のはずなのに、見渡す草原は緑一面。紫の花とちょっぴり、コオニユリに私の中の記憶はまっぷたつに割れ、黄色の幸せ色はセピア色に変わり。仕方ない、時期がずれたのだと納得させた。それでも沼地でサンショウウオや大きなオタマジャクシ、トンボ、蝶の飛び交う自然界を孫は目を輝かせて満喫。便利社会生活に慣れた大人は昔の自然生活に懐かしさと心の癒しを求めてこの地に来る。この自然の中に本物の感動があると信じている。だから孫にこの自然の営みと美しさを伝えたいと思った。

龍宮小屋まで約2時間を要した。見渡す限りの草原には木がなく、太陽は燦々と私たちを照らし9歳の子どもにとっては疲れが出てしまう。山小屋に戻る事も考えたが、諦めない喜びを感じさせたかった。老夫婦は目的地龍宮小屋を目指す。孫と娘は尾瀬ロッジに戻っていいとわざと別行動の選択肢を伝える。半べそをかきながら、渋々老夫婦の後について歩く。途中柵が巡らせてある。昔はなかった柵に首を傾げる。遠くに黄色かかった草原が目に入る。キスゲかなとふと思ったが、側まで来るとそれは大ぶりのシダだった。半世紀前と違う。何かが違う。感動が違う。ようやく目的地の竜宮小山に着く。心配していた食べ物があった。リュックの中のサンドイッチだけでは足りなかったからです。私と孫はカップラーメン、夫と娘はカレーライスを頼む。このカップラーメンを最高に美味しいと最高の笑顔を見せる孫。そこにはもう半べそはない。

山小屋の外に長い椅子とテーブルがいくつか置いてある。燦々と私たちを照らしていたお日様は陰り始め風が頬を撫で体を冷やしてくれる。これが尾瀬だ。尾瀬沼までは歩けないがここも別天地である。トンボと戯れる孫を見ながらベンチでウトウトする。何も考えない。考える必要がない。自然の中に自分を置くだけである。

元気を取り戻した孫は、観光ガイドになりきって「ここは危ないです。気をつけて歩いて下さい」というのも来る途中昔話に夢中になり私は転んでしまったからです。『ババは子供の頃はぼーっとしていた』と話すと宿題は疲れる。嫌いだと言いはじめる。『ババは疲れるほど勉強しなかったから嫌いにならなかった』と話すと笑う。大きくなってからはどうだったと聞かれ、私は昔を振り返っていた。夫も娘も知らない私の想い出をだから言葉に出せなかった。木道の木と木の間が空いていることに気づかずぼーっとして歩いて転んでしまった。

尾瀬ロッジに戻るとお風呂があった。山小屋でお風呂である。3年前のネパール事情を思い出す。1週間お風呂とは無縁の汗くささだった。夕食には生ビールもある。ググーと一口。天国である。子熊が出没したらしく登山客はワイワイガヤガヤ。玄関入り口にて怖いもの見たさで目を凝らしている。しばらくすると花火の音と煙が上がって熊を追い払ったようだ。就寝。山の夜は早い。

朝5時

うっすらと朝やけが始まる。朝靄の中散歩する。至仏と燧ヶ岳からだんだん白樺林に立ち込める霧。自然こそ雄大で美しいものはないと思う。水芭蕉のみは熊に食べられている。大好物だそうだ。昔は食べなかったらしけれど。

朝食を済ませビジターセンターで尾瀬ヶ原の復習。この尾瀬ヶ原はカモシカに食べられニッコウキスゲが全滅の危機に。柵はカモシカからキスゲを守るためだった。カモシカは日光から移動して繁殖したらしい。半世紀の間に世界の歴史もずいぶん変わったように自然界もやはり変わっている。温暖化は自然を破壊し地球を変えていく。孫が大きくなったらどんな時代になるのだろうか。

尾瀬ヶ原の記 2026/8/6


2026年7月31日金曜日

寂しさの隣り

 イタリア家族の水入らず東京旅行は今日が最終日。「これから鎌倉に行きます」とメールが来ました。

せっかく日本に来ていて、私達老夫婦(親)と過ごさない4日間。大勢の家族にちょっと疲れていたので、老夫婦にとっては恵みの雨のような。でもちょっとそれは変でしょ!だって日本に来ているんですから、家族が一緒にすことが当然でしょ!と言いたくなって、その言葉を飲み込む老夫婦でした。

明日午後に長岡駅に迎えに行きます。

私たちはウキウキだけど娘婿殿は明日自国イタリアに戻ります。

きっと孫も娘も寂しいでしょう!一番寂しのは婿殿かもしれません。でもイタリアに戻ればご両親が待っています。

家族って不思議です。一緒にいたら窮屈です。離れていたら無性に心が空っぽになるのですから。


日日是好日

2026年7月28日火曜日

心の休館日

 イタリアから婿殿が栃尾に来て早10日、今日から4日間イタリア族3人は東京旅行へ

この日を待ち望んでいました。というのもイタリア族は老人ふたりにとって、領域を侵し、私たちの生活パターンが見事に崩してしまっているからです。孫のために庭にミニトマトを植え、美味しそうに数珠つなぎに熟している。さぞかし収穫を喜ぶと思いきや、「ババとってきて」と収穫拒否。習字のお稽古は自主的にするが、道具はそのまま。浴衣の帯がきついと言っては泣き、ババの方が泣きたいよ!日本語が達者の分、理屈は中学生並み。と日々家族間の怒ったり、なだめたり、見え見えに褒めて見抜かれたりです。

さて、さぞかし今日は自分生活ができるとウキウキだったのですが、豆撰のシール貼りやら、シーツなど洗濯5回、掃除は飛ばして、洗濯機が回っている間にシール貼りをしながら「90歳何がめでたい」を観る。佐藤愛子さんの波瀾万丈な一生も90歳はめでたく、めでたい。と感じる。それにはそれなりの才能がある(小説家)。ただの老人は71歳にして心も頭の中も蜘蛛の巣でいっぱいなのです。

本心を言えば孫は置いて東京に行ってもらいたかった。だが孫は親がいいに決まっている。ババはおばばっ子だったからこの感情がないのである。

お昼ご飯は夫もいなかったので、あまりものを大皿にまとめて(おから、サラダ切り落とし肉を炒め)電子レンジでご飯を温めて、烏龍茶でいただく。ひとりは寂しい。

自由ではないか、あれほど練習したいノクターン20番を練習したらいいでしょうに!横目でピアノを見つめて、やめる決断。明日にしよう。なんだ孫と変わらないこの後回し性格。だって難しいんだよね。とひとりごと。

はよう帰ってこいよー。という気持ちになってきた??

日日是好日

2026年7月22日水曜日

三世代同居の難しさ

コロナ騒動が終わりを迎えた3年前からイタリアと日本の家族は一年のうち、イタリアに12分の1、日本に6分の1は家族が一緒に生活しています。

短期間の同居前は家族愛100%の希望を抱いて、心ワクワクドキドキです。

でもです。実際に同居となると範囲の共有線でたびたび衝突が起きます。孫にとってはトイレから座敷まで自分の範囲なのです。食べ物に関してはさらに大きな問題が生じます。なんとか野菜も食べてもらおうとババは四苦八苦。お体裁に一口を口にして「ジジの作る人参は美味しいね」

この時期は野菜中心の老夫婦です。きゅうりにユウゴ、ジャガイモ、2人では消費不可能。妹家族や友達に配ってやれやれと野菜の消費に四苦八苦。

それからです、朝畑から戻り2回洗濯機を回し、午後からも2回回す。エネルギーは2倍、熱量と動力の負担は老婆にはいい運動?と思いせっせと物干し場2階に通います。でもです、72歳目前は疲れるのです。おまけに孫の散らかし方は異常です。もう片付けはやめにしました。

生活を共にすることは家族団欒の上に忍耐力の増加とストレスの増加となるようです。まあこれが幸せってものなのでしょうか?

さてさて、今日はどんな一日になりますか?

今日の目標

否定語と反対語に気をつける。

午後からはお茶のお稽古、なんと素晴らしい時間を迎えられるのです。(私の自由時間)

さあ、元気を出して!

  日日是好日

2026年7月19日日曜日

信じられない行動

 ⭕️⭕️時にご飯できます。

5分前までリビングに滞在していた夫

ご飯ができたのに

来ない。

ご飯の5分前に何をするの?

冷めている。

15分後に食卓へやってくる。

どう言う心理?????


孫とハリーポッターを観る。

ババは字幕

孫は字幕無し(英語)

ここで孫は優位につく

いや

漢字が読めないからだろう????

2026年7月12日日曜日

グロリアサの花が一輪咲きました

 グロリアサを私に置いていきましたね。

同年齢の恩師に私は尊敬と競争心を抱いていました。歳は同じなのに40年以上熱心にお茶お稽古と知識を詰め込んでいましたね。お茶のお稽古に誘ってもらって、あなたがいなくなってもお稽古を続けています。わからないことだらけです。72歳目前です。あなたのお茶人生の100分の1もありませんが、続けています。あなたのおかげです。利休さんのことは当然ですが、美術関係、歴史、日本の文化などの知識の宝庫を教えてもらいましたね。きっと何万分の一しかまだ教えてもらえなかったでしょうね。

お点前はもちろんですが、お茶を習うことで、当然お道具に関心を持ち、お茶碗、お釜、などをメルカリでちょっとずつ求めた私でした。

今振り返ると全く意味のないことだったようです。お茶についての知識も勉強もせず、ただただ100年も早いわと言われるようにあなたの真似がしたかっただけかもしれません。尊敬の底にはできもしない競争心があったのかとふと自分を振り返ります。

でもあなたのおかげで今も続けています。

先日のお稽古で先生によく覚えましたねと褒められました。それは先生のおかげです。と素直に言えました。でも竹台子に皆具、大海茶入れなどの用語とお点前はまだまだ覚えられません。

これでいいのです。覚えられなくても続けていれば、と思うのです。

それでいいでしょう?同年齢の先生へ。


日日是好日