2026年4月29日水曜日

思い出す事を怖がる自分

 約1ヶ月もの間、一度もピアノに触ることなかった。

イタリアから戻って2週間目にピアノの扉を開けてみた。黒と白の鍵盤は少し怖く感じた。それは思い出せないであろうか?いや思い出すだろう。とこのふたつの問答が頭の中で行ったり来たりしているのだ。結構練習して結構弾けていたはずの私の指は黒と白の鍵盤に睨まれ、楽譜は宙に浮いている感じだった。それでも勇気を出して楽譜を開いてみたら、いい感じ弾けるかもと思ったら3ページ目挫折する。ああやっぱり、ここが一番苦手な盛り上がりの箇所だ。

指は迷路にハマって動かなくなった。私は急ブレーキをかけて楽譜をしまう。案外簡単な課題曲にすぐ移行する。これなら楽譜が読めるし、フラットはひとつだけ。やや安心して、まあいいか思い出せなくても別に発表するわけでもない70過ぎのばあさんの習い事に過ぎない。と都合よく解釈する。

そしてその日以来「夢」はピアノから離れていった。

今日は課題曲を数回弾く。間違うけど恐怖心はないい。

ピアノの上に片づけた楽譜が気になってきた。もう一度弾いてみようかと思った。忘れた恐怖心が少しだけ取れて楽譜を見ようとしている。一回だけ四苦八苦しながら鍵盤を叩く。

一日一回でいいことにして弾いてみようかと思えるようになった。

人生は苦もあり楽もある。特に仕事人間だった私には暇は不安が恐怖心を煽ってしまう。

ピアノに向かって思う。もっと気楽に生きたらいいよと。


2026年4月13日月曜日

ただいま日本、栃尾。

 イタリア記の締めくくりを書きたかったのですが、帰国数日前から発熱、嘔吐、咳に苦しみました。がなんとか無事帰国しました。

イタリア最終編はまたいつか思い出として書きたいと思っています。

イタリア家族と過ごした、3週間は何処に行ったのでしょうか?

日本に戻り、庭を廻ると幸せ色で私たちを迎えてくれたキンセンカ、水仙たち。散歩道、栃尾の風が頬を撫でる。雑草の匂いが心に届く。山はカタクリの花でこぼれそう。粟ケ岳、残雪と若葉が清々しい。

イタリア家族と過ごした楽しい日々は夢の如くあの空に飛んでいく。

日本で栃尾で大きく息を吸って吐くといい気持ちになる。


日日是好日


2026年4月5日日曜日

ドゥカーレ宮殿

 ベネツィア最後の日に

ドゥカーレ宮殿はサンマルコ広場に面しており、前回も人が多過ぎたのと孫が小さかったので見逃していました。今回は朝早くに直行できたので入場可能になりとても幸運に恵まれました。この宮殿は7世紀から18世紀まで続いたベネツィア共和国の最高権力者ドージェが政庁兼居住の豪華絢爛の宮殿です。ピンクと白の大理石で装飾された壁画は穏やかな優しさが描かれている。心が癒され私は一番好きだった。豪華絢爛な「黄金の階段」はフレスコ画と金箔に彩られた迎賓用の階段です。その天井を見つめる観光客はその煌びやかさに立ち止まり感嘆のため息をつく。いくつも続く大広間、なかでも代表議会の間は今まで見たことのない大きさと絵画の世界でした。絵画の中に囚人らしき人々が漕いでいる絵に目が止まる。絵はまるで動画のように映ります。それはまさにベンハーでした。孫に奴隷の話をする。それから大きくなったら『ジャンバルジャン』の本を読むといいよと私の好きな一冊を伝える。

宮殿の尋問室と牢獄の鉄格子から見える「ため息橋」ため息橋の名前の由来は、投獄前の囚人がここを通るときに見るヴェネツィアの景色が最後になることにため息をついたということからだそうです。地下室の牢獄はいくつもの洞穴が続いています。牢獄には20センチくらいの小窓が空いています。きっとここからパンや水を囚人に与えたのでしょう。孫はこの薄気味悪い牢獄に恐怖心を持ちながらも興味深く見ていました。悪いことをすれば牢獄に入らなければならないけど、そうでない人もいたことを話すと「どうして」と質問をしてくる。うまく説明ができなかったけど「言いがかり」の意味を説明する。なんとなく理解したようだ。またこの牢獄の食べもが粗末だっただろうと想像し話す。神妙な表情で聞く孫、いつかまたこの地を訪れた時は戦争のない世の中になっていればいいと願わずにはいられません。

ベネツィア最終日

日日是好日

2026年4月2日木曜日

ヴェネツィア2日目ベネツィアングラス工房を見学

 ベネツィア本島から水上バスで15分くらいのところムラーノ島に行きました。この島はベネツィアングラスで有名なところです。朝早くに出かけてきたので街の中は結構空いていました。月曜日ということもありです。まずは工房へまっしぐら。工房はかなり広くて窯は赤々と燃えていました。細長い鉄の棒にガラス材料をつけて窯に入れて延ばします。今日は花瓶の実演でした。この動きを繰り返し今度は色とりどりのビーズみたいなものをパン粉のようにつけます。再び窯に。模様は土台に溶け込みます。その前に吹いて筒状に、どっちが先だったか忘れました。職人は観光客とは話しません。ガイドさんが説明するのみ。伝統職人の頑固さでしょうか。見学を終えていざ、ショッピングへ。いっぱいあり過ぎて選べません。ここで買わないと後悔する。孫には小さな小さな葡萄に緑の葉が2枚のネックレスを見つけて興奮状態。「ババありがとう」を繰り返す。買ってもらう時のパホーマンスは上等です。私は一色模様の花瓶とお抹茶茶碗に見立てたちょっと変形型の琥珀色に黒っぽい線の入ったものを記念に購入しました。

昨日は食べ過ぎたので今日は軽いものを食べました。外で食べたのでちょっとヨーロッパ調、これも観光の一つ。ムラーノ島を後に遠回りしながら、ヴェネツィア国際映画祭の島やお墓の島などを回って本島に向かいました。

ホテルで十分休憩をとりメインイベントに参加です。ヴェネツィア楽団の弦楽器演奏を聴く。ビバルデイの四季の春は「動物たちが踊っているようだね」とはしゃぐ、保育園時代から子供たちはバイオリンに触れ、音楽を聴く教育を受けているようです。他にもたくさんの曲が演奏されました。ちょっと私と孫はうとうと。だって素晴らしい演奏で心地よかったのですから。

ヴェネツィア2日も終わりました。

日日是好日

2026年4月1日水曜日

ヴェネツィアの魅力は

大勢の人たちのおかげで、今の私が存在している。海外旅行をしているとなおさらに感じる。

今回の ヴェネツィアの旅は何年ぶりだろうか、その過去を振り返りながら魅力を以前よりも堪能することができた。5世紀に築き上げられた水の都。ヴェネツィアは「潟 ラグーナ」という浅い海に118の小島と約400の橋で行き来する街。この泥と砂の潟の上にどうやったておとぎの国を作ったのか隠された秘密をイタリア人の娘婿より聞く。①レンガで防水壁を作り高さ4メートル直径20センチのオーク材やカラマツの杭を打つ、木は海水では腐らない。木は水に濡れ空気にさらされると腐食する。杭の上に石を敷き土台を作っているそうです。その杭が島の40%もしめているなんて誰が想像できるだろうか?。宮島の厳島の鳥居もその工法だろうか。1500年も前にこの知識と工法に驚き唖然とするのみ。

ベネツィアの歴史も戦いの中にあり、ビザンチン帝国から独立し、地中海貿易により経済と芸術、工芸を発展させ今日のイタリア最大級の観光地となっているのでしょう。

さて、駅に降りた途端に人、人の波。リアトル橋の上のお土産売り場では身動きならないほどの観光客です。街には広い通りと狭い通りが迷路のように続きます。スマホは絶対必需品。ただし私たちはWi-Fiがないのでスマホの役割は写真を撮るためのみです。とても素晴らしい街並みは絵の中と同じ、ゴンドラに乗れば心地よい揺れの中でワクワクドキドキの物語。サンマルコ広場のコの字型の広さとその白い要塞のような美しさにナポレオンが世界一と称賛したことに納得する。塔に上って見下ろす街の景色は赤煉瓦色に統一されて美しい。白銀の世界の美しさも白一色で美しいが雪は溶けてしまう。いや白銀の世界は日本の誇る四季の美しさに他ならない。それぞれの美しさであろう。サンマルコ寺院は東方見聞録を書いたマルコポーロを祀っているゴシックの宮殿が有名。金ピカのゴシックで描かれた壁や天井。その中に9世紀にエジプトから運ばれてきたマルコポーロの遺体、中には王冠やら宝石が何千もあるらしい。でもここに入るにもお金が必要です。というわけで断念しました。それと日本語通訳の携帯を借りました。もちろんお金を払ってです。ところが歴史的背景や歴史上の有名人物その上に建築方式の専門用語には全く理解できなくて、これでは意味ありませんでした。老夫婦は美と作りを見て回るのみでも忙しいのです。

忘れていました。ここでは海の幸がいっぱいです。イカ、タコ、タラ、イワシ、エビの前菜は最高に美味しかったです。日本人好みです。これにパスタやメーン料理を食べる。おまけにデザートなんて!日本に帰ったら「ダイエット」です。もう一つ老夫婦の合言葉は「これが最後だね」を階段と橋を渡る度に掛け合いました。

1日目のベネツィア終了

日日是好日









2026年3月27日金曜日

イタリアの日常

 娘の家はモンツァの中心街から少し離れた住宅街。目覚まし時計は小鳥の囀り。木蓮の花は散り、遅咲きの八重桜が咲き、坊主だったけやきは萌葱色の帽子をかぶりはじめました。イタリア滞在も半分が過ぎます。

小路には両脇びっしりと車の縦列です。駐車場のスペースがないのです。通学は必ず父兄同伴です。信号もありますが、横断歩道だけの道も多いのです。横断歩道では常に歩行者優先です。必ず車は止まってくれます。ニュースで日本の中でも新潟はこのルールが通用せず車優先であることが多いと聞いている。自分もマナーを守って歩行者優先を心がけようと思いました。

嫌なことは、歩道に犬のうんこだらけのこと。これには閉口する。とにかく犬を飼っている人が多くて、まるで犬のデパートのようです。小型犬から大型犬と種類が多く、ぬいぐるみのように可愛いのですが、マナーがないのです。

栃尾では外国人を見ることはほとんどありませんが、ここではいろいろな国の人が生活しています。

週に2回の市場でもさまざまな国の人が開いています。スーパーで買うより新鮮で安いのです。

レストランは結構高くつきます。観光客とある程度富裕層の人が利用しているようです。

公衆トイレはなくて、レストランかカフェを利用します。トイレ探しが一番困るところです。

パン屋さんは目の前ですので、バッチリ買うことができます。指差しとレジスターを見ればいいのですから。ボンジョールノとグラツッエ、チャオだけでほぼほぼ買い物はOKです。スーパーはセルフ帰り出口にてレシートをかざせば柵が開きます。このシステムはとても良いと思います。

家から5分で行ける大きな公園があります。今回のお土産のジジ手作りの竹とんぼとバトミントンを持ってピクニック。簡単にできるはずと意気込んでラケット振ると空振り。腰を捻り、70代には無理でした。

日本では老人ふたりの気まま生活。イタリアでは孫中心の社会家族です。日本にいれば寂しくイタリアにいれば家族に合わせた生活。どっちもどっち。

日日是好日


2026年3月25日水曜日

ミラノイチオシ「アンブロジアーナ絵画館

 2026/3/23

ミラノで1番古い美術館で図書館と併設されている重厚でゆったりとした空間、そして上段から見下ろす中庭に歴史の重みを感じます。

ここには多くの宗教画が収められています。マリア像には母愛を感じますが、キリストの張り付け、胸の傷、手と足の釘後、殺し合い、騙し合いの画には心が痛む。

でも、ルネッサンス期のレオナルドダヴィンチ作品「音楽家の肖像」は他の絵と違う精密さと安心感が私には感じられ、立ち止まりました。数点しか存在しない作品の一つだそうです。

ラファエロのバチカン市国に描かれた「アテナイの学堂」これはバチカンで去年見た下絵らしい。下絵の現存も戦火で失われず復元してきたようです。凹凸の紙を何枚もつなぎ合わせているようでした。あとでわかったのですがこの修復に和紙が使われているそうです。ということはそれぞれの国にはその国の誇れるものがあり、歴史がある。比べることではないということでしょう。

カラヴァッジの「果物籠」はわりと小さなキャンパスに描かれています。葡萄とりんご、葡萄をモチーフにした絵は多いと思いながら、葉っぱの特徴かなと思い、栃尾の桐生照子さんの絵を思い出す。

この3枚は記憶に留めておきたい心に残った絵でした

日日是好日