2026年6月12日金曜日

最高の人生の見つけ方

 久しぶりの映画鑑賞

邦画でも同じタイトル映画があった事を思い出しながら

「ショーシャンクの空に」のモーガン・フリーマン

「恋愛小説家」のジャック・ニコルソン

このふたりの共演とタイトルに惹かれて鑑賞する。

性格も経済力も真逆な老人が命の期限を知り残りの人生をどう生きるか?リストを作り、ひとつひとつを消化させていく流れである。私も命の期限を知ったら、動けるうちに旅をしようと密かに長年考えている。果たして病を背負っての旅は可能かどうか疑問に思っていた最中のこの映画。

映画の2人は映画の中の人だから

昨日同級生が亡くなったそうだ。50の会の時に会ったのが最後だった。70を過ぎると同級生とのお別れも増えてくる。

私の人生はどうだったのか?残りの人生をどう生きるか?褒められたり、人の役に立つことが果たしてあるだろうか?

映画の終わりには家族との絆が描かれていた。

ラストは富豪の秘書が雪山に埋葬するコーヒー豆が最高の人生を作り上げていた。秘書は彼らのために、そして彼らは秘書に想いを伝えた。

主演2人の陰で支えた他人の秘書に「ありがとう」と言いたい。

日日是好日

2026年6月9日火曜日

夫のセンス

 雨降り

畑仕事はおやすみ

掃除に夫の衣類の片付けをする。

結婚して45年も過ぎようとしているのに

夫の衣類の出し入れを今までほとんどしてこなかったことに気づく。そうだ夫は自分で洋服も買っていた。だからセンスのない洋服を着ていたのだろう。公務員時代はスーツ姿だったので気に止めていなかった妻である。

一緒に出かける機会が多くなった今日では、夫の方から「この格好でいいか?」と聞かれる。それなりにアドバイスするけど、夫の白髪姿にどんな格好が似合うのか?妻もしかりである。夫婦共に老人中の老人である。

日日是好日


2026年6月7日日曜日

一言に物申しますが

 「歯磨き粉買ってきたのか」と少なくなっているチューブを手に取って夫はいいます。

「ごめんね、わすれた」と妻は言う。と同時に心の中で「毎日コメリ通いしてるじゃん、自分で買ってきたらいいじゃん」と思うわけです。


日日是好日

野花から学ぶ人生かな

家の周りの緑の絨毯(田植え後の風景)に映る木々や鱗雲を眺めなら、散歩を楽しむ日常です。今朝は5時起き、散歩で見つけたアザミやジキタリス(狐手袋)、ヤハズススキを摘んで、庭に咲く夏椿を水盤にさしてみましたが、なかなかうまくできません。そこで後ろにあしらった夏椿を左に傾けて、もう一本アザミを加えてみました。するとなんだか収まりが良くなったように思えて、ひとりでうなづいていました。

ちょっとしたことで景色が変わります。小さな出来事で、くよくよして心が折れそうになる私に、ちょっとした加減で気持ちは変わるものだ教えてもらったようです。そして栃尾には自然がいっぱいあることがとても嬉しくなりました。


日日是好日

2026年5月9日土曜日

まさか まさか 間違った

 風呂上がり、顔がスカスカする。何これ!

洗顔石鹸と歯磨き粉を間違う。

今日こそは断つ甘党

枝豆饅頭、りんごケーキ、最後はひよこ。決意は一日も持たず。

日日是好日

2026年5月8日金曜日

押入れの片付け

 父が農協の仕事をしていた時、視察でアメリカに行ったことがありました。

あれは何十年前だろうか?かれこれ40年くらいは過ぎていると思います。その時私の娘、つまり父にとっては初孫のKに買って来てくれたお土産が21年ぶりに押し入れから出て来ました。水害で我が家が全壊した瓦礫の中から拾った、私にとっても娘にとっても大切な想い出のインデアン人形でした。皮の洋服はカビだらけです。でも黒いおさげ髪が40年前と変わらず、瞳も愛らしい。

この押し入れに入ってインデアン人形は「早くお日様のところへ出してください」と願っていたことでしょう。

亡き父の奔放な人生を思い出し、一人娘の海外移住生活、など昔話をインディアン人形とちょっぴり涙しながら会話しました。

さあ、今日は汚れたお洋服をきれいにしましょうね。

日日是好日

2026年4月29日水曜日

思い出す事を怖がる自分

 約1ヶ月もの間、一度もピアノに触ることなかった。

イタリアから戻って2週間目にピアノの扉を開けてみた。黒と白の鍵盤は少し怖く感じた。それは思い出せないであろうか?いや思い出すだろう。とこのふたつの問答が頭の中で行ったり来たりしているのだ。結構練習して結構弾けていたはずの私の指は黒と白の鍵盤に睨まれ、楽譜は宙に浮いている感じだった。それでも勇気を出して楽譜を開いてみたら、いい感じ弾けるかもと思ったら3ページ目挫折する。ああやっぱり、ここが一番苦手な盛り上がりの箇所だ。

指は迷路にハマって動かなくなった。私は急ブレーキをかけて楽譜をしまう。案外簡単な課題曲にすぐ移行する。これなら楽譜が読めるし、フラットはひとつだけ。やや安心して、まあいいか思い出せなくても別に発表するわけでもない70過ぎのばあさんの習い事に過ぎない。と都合よく解釈する。

そしてその日以来「夢」はピアノから離れていった。

今日は課題曲を数回弾く。間違うけど恐怖心はないい。

ピアノの上に片づけた楽譜が気になってきた。もう一度弾いてみようかと思った。忘れた恐怖心が少しだけ取れて楽譜を見ようとしている。一回だけ四苦八苦しながら鍵盤を叩く。

一日一回でいいことにして弾いてみようかと思えるようになった。

人生は苦もあり楽もある。特に仕事人間だった私には暇は不安が恐怖心を煽ってしまう。

ピアノに向かって思う。もっと気楽に生きたらいいよと。