8月9日
長岡ミライエにて孫とふたり「おかあさんの被爆ピアノ」を観にいく。映画が始まる前、9歳になったばかりの孫にとって平和活動をしている高校生大使の話や矢川さんの活動のドキュメンタリー、主演の佐野史郎さんのビデオレターは難しすぎ退屈と苦痛を訴える。孫の年齢を考えるとちょっとまだ早かったかと後悔してくる。五藤利弘監督のビデオレターは何回かお会いしていたから関心を示す。前置きに1時間を要して映画が始まる。映画が始まるとさっきまでの苦痛はとれたようだ。主人公の奈々子の行動は理解して観ていたことはその後の私との会話で知る。
おばちゃんのピアノが欲しかったんだよね。私もピアノ弾けないからと指を動かす仕草など。
奈々子さんの携帯は私のとおんなじと喜んだりする。
3年前の広島旅行の際、広島原爆記念館見学を少し思い出していたようだ。
でも映画と戦争、奈々子のおかあさんの弟が死んだ原因までは理解できなかった。
会場の冷房と会場が椅子でなかったため上映の終盤で退場してしまった。ここまでが孫にとっては限界であろう。途中の退場(トイレ行き)で私は無理をしないことにする。
8月10日
日本橋公会堂にて「被爆ピアノコンサート」を娘と孫そして私の保育園時代の生徒の子供(大学生)と4人で鑑賞する。
被爆ピアノの演奏で始まる。本物の被爆ピアノの音は前日の映画の余韻と記憶で結構真剣に観ている。飯島さんの朗読と高校生のセリフとダンス、歌はミュージカル仕立てで興味関心を示す。
大人たちは当然このコンサートの主旨を理解した。前もって内容については一切話しておかなかったけれど。それが新鮮であっただろうと思う。2度目のこのコンサートを観てナレーションやら進行に、長年上演されてきた進化を感じる。続けることの意味と大切さが私自身のこれまでと重なってやり遂げなかった自分に自傷する。勇気と信念が足りなかった自分に。
谷川俊太郎さんの詩それにピアニストの息子さんが曲を作る。父がこの世にいなくなっても親子の共演は続くことに心が感じる。車椅子のソプラノ歌手の情熱が心に届く。高校生を導いている先生のピアノの伴奏は生きることの意味を宇宙より大きな強い心になって響く。
コンサートに来てよかった。意味がわからなくても、私がいなくなってもきっと思い出すだろう。
ババと一緒に聴いた被爆ピアノの音色を。
2026/8/11
娘と孫とご案内してくださったGさんと上った東京タワー。56年前一緒に上った同じ年の友は優秀で自慢の友だった。だが10年も前に他界した。
私は落ちこぼれでぼーっとしていたが夫は一緒に今生きているだけでいいと言われた事を思い出しながら。
日日是好日