2013年12月30日月曜日

出会い



無事に娘の結婚披露宴を終えました。
イタリアのご両親を迎えての披露宴に大活躍してくれたのは
生まれた時から今日まで仲良しの娘の幼馴染たちです。
一緒に畑で棒を持って、蛙を追い掛け回したり、田植えの苗とりには
スノーボートに入ってどろんこ遊びを楽しんだり・・高校は違っても幼馴染たちはよく集まっていました。そして、卒業式の日に、一升瓶を空けてご機嫌だった仲間たちは大人になり、イタリア語が離せないのに意気投合してご両親と何十回「乾杯」を繰り返したことやら・・・。ヨーロッパにはお互いにお酒をつぎあう週間はありません。しかし、あちらのお父さんは陽気で機転が早く、日本の覚えた風習にご満足でした。
こんなに楽しいひと時を満喫できたのもたくさんの方々のおかげです。
また、この場をもうけることができたのは、娘がイタリア人と結婚できたからです。全て縁という出会いから始まっています。
今年はたくさんの出会いで楽しいことをたくさん経験しました。

追伸、娘の幼馴染たちは最後の最後に娘と外人婿殿が残した
ご馳走をたいらげていました。

2013年12月29日日曜日

イタリア人そばと抹茶体験

朝日酒造さんの酒蔵見学にいきました。
立派な工場で私のイメージを全く超えた近代的な工場でした。
衛生面では世界のトップクラスかもしれません。
作り方についての説明は、生きているものをあつかう点では
油揚げつくりと同じ。温度、気温、原料、そして杜氏の五感の大切さ。
イタリア人にはどう伝えられたか?ワインとの違いなど?
工場見学はを終えてから蛍庵さんでそば体験。パスタ感覚で日本の味を
知ってもらいたかったのですが
そばとパスタは全く異質のものだったようです。もちろんフォークで食べました。外人婿殿は父親の残したそばを全部食べていましたから、イタリア人というより人それぞれの味覚かもしれません。彼らにとっていはイエスかノーの2つに一つです。食べられるか食べられないか。それから、抹茶体験に江口だんごさんに車を走らせましたら
江口さんの会長さんとイタリア婿殿のご両親はホテルでお会いしていたとのこと。話が3人で弾んでいました。江口さんの談話「海外に行き、外人さんから親切にしていただきました。コーヒーくらいご馳走させてください」と
「ありがとうの言葉だけでどこの国に行こうが大丈夫です」と・・・
経済や国のかけひきのない私たちにとっては「ありがとう」の言葉は最高のコミニュケーションだと私も思っています。
今日はいよいよ、内輪での披露宴?です。果たししてどうなることやら??

2013年12月28日土曜日

イタリア人と過ごす

一人娘が結婚してから初めての里帰り、婿殿のご両親もご一緒。
はじめての日本の旅を楽しみにしていたようです。
昨日は、夕食を共にしました。
和食の見た目の美しさに感激していたようです。
しかし、味については、摩訶不思議なという表情でした。
日本料理はいろいろな材料を使い、少し量を楽しむ、イタリアはメニューが少なく、たくさんの量を作る。と話していました。
日本人の鍋、すき焼き、焼肉料理には疑問をもち、なかなか理解しがたいようです。家庭で料理をするのだから、外食は完成品を食したいとのこと。
でも、「もてなし」の心はさすがと話していました。
一番困るようで困らないのは言葉の壁です。
娘がいないと、ちんぷんかんぷんです。まあ、気楽なものです。
イタリア語で4人で話されると????
さて今日はこれから朝日山さんの酒蔵見学、昼食はそばを食べます。
果たしして反応は???続きはまた明日。

2013年12月25日水曜日

引き際とは?

昨日のニュース、スケートの織田選手の現役引退におもわずもらい泣きしました。
25年前私も大きな決断をしました。
保育園の仕事に携わり15年目の年です。
豆撰で働いてくれないかの誘いがありました。
保育園の仕事を自分の一生の仕事と思っていた当時は
保育園生活引退は苦しい決断でした。
胸が張り裂けそうなくらい悩みました。
決断のきっかけは、父の言葉でした。
「頼む」このたった一言に、私は現社長義理の弟を説得し
豆撰に携わることになりました。
決断を下してから、約半年の期間は、もっとも私らしく保育園生活を楽しむ事が出来ました。
15年間の保育生活の中で一番充実していたことを今も忘れません。
それぞれの人生にはそれぞれの想いの引き際があるはずです。
苦しくっても、辛くっても、その後には新しい道があるのではないでしょうか。
私は今新しい道を歩き15年よりも長く「栃尾の油揚げ造り」を歩いています。
さて、この後はどうなることか・・・・・。

2013年12月24日火曜日

クリスマスイブの思い出

遠い昔のこと
クリスマスイブには手製のカードと何かしらのプレゼントをあなたから
いただきました。
そのカードは、災害にあっても瓦礫のなかから私は堀り探して
今も、私の秘密の箱にしまわれています。

・・・なんて思い出していましたら
夫のメール
「今日はクリスマスイブだけど何かあるのか?」・・・・


2013年12月22日日曜日

自己肯定論と否定論

朝食作りの合間に見る「寺子屋」番組
作業しながら聞いていたのでよく聞き取れませんでしたが
子供の頃に自信をつけさせり子育ての大切さを力説していたようです。
包丁を手に、自分の子育てを振り替えってみました。一人娘の
彼女には想像力を養えるように、自然の中で遊ばせたことが
唯一の成功例かと思っています。
川、山、森そして祖母と一緒に畑に行く。
畑には子供を教育するにはすばらしい素材がごろごろしています。
虫の観察、植物観察、野菜の成長・・・自然条件、科学のこと・・そして何より社会性と
丸ごと詰まった大教科書です。
勉強は苦手、運動はもっと苦手。
それでも
30歳を過ぎても好奇心と挑戦することの意欲だけは持ち続けているようです。
挑戦を続けてきたのはこの自然の教科書のおかげかと思います。
自己肯定論で行動している?その娘があと一週間で里帰りします。
今回は外人婿殿のご両親も一緒です。
喜んで歓迎したいとあれこれ
計画を立ています。
酒蔵見学、お餅つき、京都見学・・・
さあ、今年もあと数日・・がんばって栃尾の油揚げをつくらなくっちゃ!


2013年12月19日木曜日

2000円は誰のものか

今朝、洗濯機にエプロンを入れる前、ポケット〔栃尾弁ではかくし〕の点検をすると
2000円がくちゃくちゃになって現れました。もちろん私のエプロンからです。
お札をのばし、洗濯機の上に置き・・そのまま家事を続ける私。
朝食作り、サッサとダスキンかけ。お風呂の掃除、体操、アイロンかけと朝の2時間は
まるで、ビデオのはや送り。
やれやれと、パソコンの前に腰を下ろすと
夫「この2000円俺のだよな」と私が洗濯機において置いた〔忘れてはいないのです〕
大事な2000円を手にしているではありませんか。
つい、強い口調で私は「私が、あそこにおいたのです」
5000万円じゃないけど2000円は我が家にとっては重大な問題になったわけです。


2013年12月18日水曜日

夢をかなえること

スポーツ選手の偉大なヒ-ロ-達の多くは「夢はかなえるために」と語り
子供の頃からイメージして、作文、文集に載せている記事やインタビューを良く目にします。


あまりにも、世界観や価値観、能力様々なことが違いすぎるので、
「夢はかなえるためにある」なんてこと自分の事として考えた事がありませんでした。
でも、この年になり、ようやく何かが見えはじめたような気がします。
それは、小さな小さな本ですが「おてがみれしぴ」を作ることができたこと。
またこの本を作る前も後もたくさんの方から応援してもらえた事は私にとって
夢をかなえる第一歩だったかもしれません。
もう一つは夢をかなえている人が私のそばにいたことです。 これは大きな出来事でした。
栃尾の風景をバックに2作品映画を作り上げた五藤監督と知り合えたことです。
監督の素晴らしいところは、ありきたりの言葉ですが一番的確な言葉で表現するとしたら
「優しい人」です。私の夢は夢をかなえた人をそっとわきで見つめることも
夢をかなえることの一つかもしれないと思っています。

2013年12月16日月曜日

子育てで一番大切なことは

とても、仕事ができるMさん。
私は全てを安心して任せることの出来る人です。
彼女は子育てに問題をかかえています。
時々、相談を受けるのですが、専門家ではないので
的確な答えを出せないでいました。
それは、子供にとっての親や兄弟、とりまく環境によって
大きく答えは違ってくるからなんともいえないと思うからです。
しかし、今日彼女の問題息子が歯医者さんに行くからと
豆撰によりました。
私はその息子と会話を試みようと・・あれこれ聞いてみました。
すると、息子が考える暇なく、彼女が先回りして、全部答えるか
私の質問に答えさせようと、私の言った事を何回も繰り返すのです。
はっきりとわかりました。母親の先走りは問題児を作り出す大きな
要因であると・・・。

2013年12月14日土曜日

日本茶の香りは

毎日、朝と晩に食事のあとで必ず煎茶を飲みます。
母中心のお茶屋をその昔営んでおりましたが
父70歳を機にお店を締めました。

その前から、時々店を休業しては、母を連れて、ドライブを楽しんでいました。
おにぎりとお茶を水筒に詰めて。どこでも、車を止めて食事ができるから、これが一番いいと言っていました。
父は最後の入院になるであろうと察してか、入院する日の朝「栃尾の街を一周してくれ」と私に頼みました。父の目には74年の日々が栃尾の景色に映し出され、走馬灯のように
次から次へと心に浮かんできたのでしょう。
私は運転して、母は黙って車の後部席に座っていました。
昨日、お歳暮だよと届いた、日本茶をいただき
亡き父を思い出しました。
日本茶だから「想い」を感じることが出来ました。私の心の香りかもしれません。

2013年12月13日金曜日

出来る出来ないは自信の持ち方

御歳暮ラッシュになると
ひとりの仕事量が2倍くらいになってしまいます。
豆撰の現場も事務所も大忙しです。
信念はただひとつ
「おいしいものをお届けする」
一つの信念さえ頭にいれておけば
仕事はこなすことが出来るとおもいます。
そして、何事も自分に自信を持つことが大切かなと思います。
新人一年生は私の指示を確認しておきながら
ベテランが間違っていたのに
それを口に出来ず、私から大目玉をくらってしまいました。
「ベテランであろうが、社長であろうが、自分に自信をもって
行動しなければなりませんよ」と説教をしている今朝の私でした。




2013年12月11日水曜日

小さな声と大きな声のちがい

よくあることです。間違ったことをしてしまった人の声は
どうしてか小さな声になります。
その逆に間違ったことをされた人は大きな声になります。
でも、相手に間違いがあまりにも多すぎると
あきれてしまい、大きな声はだんだん小さな声になります。

2013年12月9日月曜日

もう一つの感謝

先日の東京面白旅で、35年ぶりにお会いしたT君に言い忘れたことがありました。
私の父は7年前にいくつもの癌と戦い、74歳の命を亡くしました。
その父の闘病生活中、T君のお父さんは、入院生活で落ち込んでいる父の
お見舞いに来てくださいました。
「ぼくもがんばっているんだから、がんばってください」と励ましてくれたようです。
彼の父がお見舞いに来てくれたことを私の父は本当に嬉しく思い、私に切々と訴え
「がんばらまん」と頬を赤く染め上機嫌で話てくれたことを今、私はT君にあって
思い出しました。人と人が出会うことは、本人同士だけでなく、その周りのたくさんの
方々への想いや感謝があることをあらためて感じることが出来ました。
「あなたのお父さんに感謝しています、父を励ましてくださってありがとう 」


2013年12月8日日曜日

栃尾を誇りに思えるように

豆撰では時々各地の学校からの希望で、工場見学を受け入れています。
小学生から中学生までと年齢差はあります。
それぞれの年齢にあった
質問に対し、わかりやすくスタッフは説明しています。
はじめて見る油揚げの製造工程に目を丸くして、見入っています。
そして、豆撰の油揚げの材料や流通経路を聞き、さらに驚いています。
食品作りだけでなく、ものつくりには情熱と信念そして一番大切なことは
支えてくれる人がいるからだと思います。
見学にきてくれた、この子供たちも、豆撰を支えてくれるひとりです。
子供たちが大きくなって、栃尾を誇りに思える「栃尾の油揚げ」を作り続けたいものです。

たった一枚の油揚に、それぞれに想いが
このノートはいっぱい書き込まれています。
とても、うれしい気持ちになりました。
後日、紹介させていただきます。

 

2013年12月6日金曜日

じぇじぇじぇ・・いつの間にか100000回突破してました。

東京への面白旅やら、御歳暮ラッシュで気がつくのが遅かったのです。
れいちゃんブログのプレビュー回数が12/3に100000回 を突破していました。
ほぼ、毎日書き続けた「私」を読んでいただいて、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。

さて、先日東京の満員電車の中での出来事です。
帰宅ラッシュにあって、私のような田舎者にとっては異様な風景が
目に入ります。ほとんどの方がスマホを手にしていました。掲示板、電話などの
通信機能として使用するのは、この社会ですから、ある程度は納得しますが・・・
立派な大人がゲームを満員の身動きできない状態の中、必死で指を動かす。
うーん、社会が変わったのか?本を読むのは大変だからか?それとも麻薬か?
そのうち、押されに押され私の居場所は奥へ奥へ
あら、あらご一緒の五藤監督さんの姿見えない?
キョロキョロと首を動かすと、私の背後から「僕はここにいます」と私を心配してくださる
優しい声が天井から聞こえホットしました。
内緒ですが、この光景にある漫画を思い出しました。
ああ、30年若かったら良かったのに・・・ 。

2013年12月4日水曜日

面白旅

昨日は、ハードスケジュールの行動でした。
朝早く東京に出かけ、表参道の「ネスパス新潟館」で
夕方まで、おてがみれしぴの宣伝と「ゆめのかよいじ」の宣伝。
その合間に、打ち合わせ。と大変でした。
夜7時からはモロ師岡さんのひとり芝居を下北沢の小劇場で観劇。
2時間の間、お客様を笑わせようと、もう汗だくの芝居とギターと歌。
30年の芸がびっしりと詰まっていました。手を自らさしのべてくださった
握手に、温かさと人柄が感じられてとても嬉しかったです。
その後は油揚げ愛好会・・勝手に私が名前をつけただけですが・・
6人の仲間と下北沢の「かざまん家」さんにて楽しいひと時を過ごす事ができました。
もちろん、豆撰の栃尾の油揚げとおぼろと新潟のお酒。
今回は新入りのS.Tさんも一緒でした。35年ぶりにお会いしました。
優しいまなざしに嬉しさを感じました。
そうそう、彼は足が速かったと記憶しているのですが
間違いかな?あんまり話がいっぱいで聞きそびれました。
話の中で、それぞれの方が冗談を交えながら、お互いを助けてくれる会話が
とても、嬉しかったです。

2013年12月1日日曜日

99872回・・ブログ

いよいよ、師走を迎えました。
とりとめのないブログを書き始めて、何年過ぎたことでしょうか?
そして、今日でブログのページビュー履歴、99872回。
内容は、私のひとりごと。

鬼嫁の私。
無能主婦。
仕事人間の私。
介護人の私。


学生時代から、根気もなく、勉強は大嫌い、好きな事でも
長続きしない自分を嘆いたこともありました。
40年前は入学金も払ってもらい、バスの定期を株で買ってもらい
洋裁学校へ行った私は、3ヶ月で自主退学。
次は大学行こうかと受験を試みるが、失敗。挫折。
これじゃ、ダメ人間で終わってしまうなと思っていたら
保育園のアルバイトが入りました。子供の中に入ったら
なお大変子供は泣くのです。朝からお帰りまで、泣き散らしている子供をみて
「保母は嫌だ、無理」と心の中で叫び続けました。
それなのに、 その道は15年続きました。私の人生で一番楽しかった青春時代でした。
それからは豆撰の油揚げ作り一筋。初めて、油揚げを揚げたときの感動は忘れられません。

さて?今日は何が言いたかったのか・・そうそうそうでした。
きっと今月12月中にページビュー履歴100000回達成かなと?
長続きしている自分を自分で誉めているのでした。
希望、サザエさんのような人間になりたいです。