コロナ禍では
義父の新盆も義母の3年忌も
夫とふたりだけのお寺参りとなった。
読経を聞きながら
お焼香をしてお寺の本尊様に向かって
手を合わせる。
読経は摩訶不思議であった。無の世界に
入っていた。何も考えない空間だった。
行事を終えて一日が過ぎようやく
無の世界から現実が見えてきた。
子育ての大半は義母に任せっきり
で、私は保育園勤めと豆撰勤めに
悪戦苦闘の日々だった。
そうしたことを考えると義父母には
感謝しかないはずである。
それなのに、私の心には
ようやく夫婦ふたりだけの気楽な生活が
やってきたと喜んでいる。
人の命とは摩訶不思議な
ものである。悲しみは何処かに行き
安堵の気持ちの方が大きくなるのである。
結婚して夫婦だけの生活
夫69歳私66歳になっている。
ここまで到達するに42年である。
住職の読経、木魚の音が流れている。
何も浮かばなかった。
それだけ年をとって感情が希薄に
なったのか、
それとも無の世界に近づいて
きたのだろうか。
考えることができなくなったのだろうか。
数日前に私と夫は4歳の孫の生徒に
させられ
英語の勉強をさせられた。
生きているからこその楽しみ。
日々是好日。