2021年7月12日月曜日

明珠在掌

母の遺した句


 大切な宝は手のひらにある

欲のない優しい人という戒名を

いただいた。

「明珠院恒室継壽大姉」

母が危篤になった6月のある日に

病院を抜け出し

ホタルになって自宅に戻ってきて

いたらしい。妹や家族に会いたかった

のでしょう。


戦争を体験し、

叔母や叔父のいる大家族に22歳で

嫁に来て

その年に義父が死に、私が生まれました。

その頃は大農家でしたから

母の思い出といえば、朝から晩まで

田んぼや畑仕事をしている姿でした。

冬になると寒い二階の天井から

カタカタと機織りの音がしていました。

夕食の後は裸電球の下で編み物や

ミシンかけをしていました。

私と妹の服を作ってくれました。

私は自分の服のデザインをよくして

母にこうしてと頼みます。

母の作る洋服は私の自慢の一つでした。

わがままな父に仕え、姑に仕えた

半生でした。豆撰の雪抜けや孫の世話

炊事、洗濯おまけにお茶屋の仕事を

こなしてきた母を思い出すとなんて

偉大な人だったかと思う。

昨日の野辺送りの際は

雨の中たくさんの人が集まってくださっ

た。そして人々は

幸せな人だったね。と言ってくださる。

苦労ばかりして愚痴ひとつ言わなかった

母がかわいそうだったが

晩年のいつも笑っている顔が幸せに

思え、それこそ母の徳なのかと思った。

享年91歳。




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