2022年6月30日木曜日

栃尾の馬市

 


      豆撰の栃尾寿司

むかしむかしのお話を見つけました。

https://m.youtube.com/watch?v=2CPveprQ_Ag

栃尾に伝わる馬市の昔話です。

農耕用の馬の競りが

その昔から栃尾で

行われていたそうです。

7月24日、その日が

秋葉神社の火祭りと重なり

門前には市がたくさん並び

方々から、たくさんの人たちで

賑わっていたそうです。

さすがに昭和の私が生まれた時代は

馬の競り市は見たことは

ありませんでしたが

秋葉神社には多くの信仰者が

集まり、うま市(露店)としての賑わいは

今では想像できないほど

活気がありました。

我が家にも

本明や河野から祖母の姉と妹

そして母の祖母が馬市になると

大きな風呂敷を担いで

我が家に泊まりに来ました。

3人のお婆さまたちは

モンペの生地やら

機生地を買いに栃尾鉄道に乗って

きました。

そして2、3日

我が家に泊まって行ったものです。

今と違ってお婆さまたちは

優雅なもので

予定とか日程などと言う決まりは

ありませんでした。

もう一つ泊まって行こうか

せっかく来たんだからそうしましょう

と思いのままに過ごしていました。

そろそろお暇しましょうかと

我が家をたつのです。

その一言を待ってましたとばかりに

母はあぶらげを買いに行きます。

3人のお婆さまたちへのお土産です。

この頃から栃尾といえばあぶらげ

だったようです。

あぶらげといえば

でっこいあぶらげ寿司。

あぶらげを二等分して甘塩っぱく煮付け

その中にぎゅうぎゅうと酢飯を

詰め込みます。そしてイカ飯のように

輪切りにするのです。

ですから端っこはあぶらげの面積が

いっぱいになります。

私はあぶらげの端っこが大好きでした。

馬の競りのように

あぶらげ寿司の端っこに目をつけて

いただきますと言うが早いか

端っこのあぶらげ寿司をつかんで

いました。

母の作るあぶらげ寿司は最高

で、ほっぺが落ちそうでした。

日日是好日















「うま市」という名称は、かつて栃尾が軍馬農耕馬の一大生産地で、大規模な馬の競り市「馬市」が開かれていました。時期が秋葉神社の例大祭が重なり多くの人々で賑わっていたことに由来します。
栃尾名物「あぶらげ」誕生の一説にも「馬の売買が成立し、証文(契約書)代わりに酒が酌み交わされる際、豪快に手づかみで食べられる酒の肴として考案された」とあり、馬市との関りが伝えられています。
現在では、馬の競り市こそなくなりましたが、「うま市」と名を変え、露店で賑わう行事として行われています。





2022年6月28日火曜日

今夜 ロマンス劇場で

 


庭の紫陽花

テレビを見るつもりでは

ありませんでした。

タイトルもわからないまま

魅了された映像はオードリーを彷彿させる

名場面。

なんとにくい演出でしょうか

あの名作シーンを

ちゃっかりコピーして

観客を釘つけにする。

続いてキネマの神様かい?

と思わせる。

なかなか思わせぶりが凄い!

これでは最後まで観てしまう。

ありえない恋が

映画の中では成立するから

映画は面白い。

もう一つこの映画の魅力はなんと言っても

俳優さんと役柄に違和感がなく

溶け込んでいることだと思う。

主役の綾瀬はるか、坂口健太郎は

もちろん、なんとあのユニークな

役を真顔でこなす北村一輝、柄本明など

ピッタリな役だった。

そして、もう一人の主人公を演じる

加藤剛さんの役と演技には

敬意をはらいたい。

この映画をまとめてくれる大きな演技力に

涙なしでは観られない。

この映画が加藤剛さん遺作の映画と知る。

まさに遺作にふさわしい主人公を演じて

おられた。あらためて合掌。

触れ合えないふたりを繋ぐ

指輪とハンカチもステキなシーン

だった。

映画は楽しいが一番!


日日是好日





2022年6月25日土曜日

世界中の人が手をつなぐと幸せが来る

    仲良く咲くユリの花

 私は時々イタリアのもじき5歳になる

孫とウクライナとロシアのことを

話します。

悲しいよね。と言います。

私より幼くして

まじかに戦争を見ているのです。

私のクラスにウクライナの子が

きたんだよ。

イタリアにきたからその子は大丈夫だよ。

と言います。

共通の会話が戦争だなんて

なんて悲しい世の中でしょう。

沖縄戦のニュースを見ていると

なんでこんな悲惨なことが起きて

そして今もなお侵略戦争は

続いているのでしょうか

こんなにも愚かな人間を

神様が地球に送り込んだのでしょうか

沖縄戦のニュースを見て

ひめゆり部隊の映画を

観てみようと思いました。

昔の白黒映画です。

最初から私の心臓は大きな音を

立ててしまいました。

無理です。

これは今の私には見られないと

思いました。

先日、読んだももちゃんのピアノの

本と重なり

もうダメです。

目を瞑ってもダメです。

戦国時代と違って

戦争がこんなに近くにあったとは

恐ろしくて

世界中の研究者は

いったい何を研究しているのでしょうか

世界中の政治家はいったい

どんな政策をしようとしているの

でしょうか

戦争は未来には消えてなくなってほしい。

家族が仲良しで

お隣さんとも仲良しで

隣の国とも仲良しで

世界中の人たちが仲良しで

そうでないと

幸せは語れないと思う。

日日是好日








2022年6月22日水曜日

広島からはじまった父と子の絆



      朝庭を一周

おはようございます。

今日は診察日です。

お風呂もひとりで入れます。

食事も椅子に座ってできます。

そしてピアノも少し弾けます。

目に見えて快復に向かっているから

張り合いがあると夫は私の介護を

しています。

時計はまだ午前3時を過ぎたばかり。

大江健三郎と息子 その30年

響きあう父と子

NHKの昔のドキュメンタリーをYouTubeで

見る。

父と子の絆は

広島から始まっていました。

一度も大江健三郎の本を

手にしたことがありませんでした。

ドキュメンタリーの頃は

仕事と育児で世の中の事を

知ろうとしなかったようです。

ステキな生きる魅力に溢れた

ドキュメンタリーでした。

怪我をして

朝仕事に行かないと見えなかったものが

見えてきて

怪我も年を取ることもいいこと。

覚える必要もない、ゆったりとした

自由の時間は今まで感じたことが

ありませんでした。

日日是好日


2022年6月19日日曜日

イタリアからは水筒が届きました。

 父の日にイタリア家族から

夫に水筒が届きました。

水筒の柄は孫の顔。

ちょっとゴルフには恥ずかしくて持って

いけないな。

畑用にするか。と内心は嬉しい夫。

父の日

母の日には私は母が一番喜ぶものを

晩年になってからプレゼントした。

母が一番好きなものは

お金だった。

でも母は質素倹約の人だったから

自分のためにお金を使ったことは

なかった。

母が亡くなってからタンスの引き出しから

大金が出てきた。

と言っても数十万である。

これは母のヘソクリだったのだ。

そしてそのヘソクリから

孫が帰省すると小遣いを上げていた

ようだ。

タンスの中のヘソクリを

見つけた時は母の涙ぐましい努力と

優しさを感じ

そのままタンスを閉めた。


母はよしとして

父には何も贈った記憶がない。

多分一度もなかったのである。

そりゃあ当たり前でしょう!

父は好き勝手な人生を送り

酒に飲まれ、芸者遊び、競馬、競輪

三昧だったのですから

私が幼少の頃は、優しい思い出も多いので

すが、父が暮しのために働き始めたら

一転してしまったのです。

父の名誉のために一言添えます。

晩年は良き夫となり

良きジジを演じていました。

というわけで

父の日のプレゼントは無しでした。

7/2は命日、生きていれば92歳。

命日に父の日のプレゼントも

用意しましょうか?


日日是好日









2022年6月17日金曜日

朝ドラ見て泣いている私




我が家の崩壊は2004年7月13日で

した。

そして

あの崩壊した我が家には愛猫の

豆太郎が残されていたのです。

ドドッドドと唸りをあげ

スローモーションビデオのように

山が木が崩落する。

奇しくも、私と夫はその様を

見ていたのです。

私がこの家に嫁いだ日から

娘が生まれ、家族と過ごした25年の

思い出が走馬灯のように

映し出されました。

そして想い出も家も全てを

失ってしまった。と思った。

唸りの停止とともに

あの橋から聞こえる叫び声は

妹。

き は るさーん。と叫んでいる妹。

崩壊する数秒前に夫は豆太郎の

救出に行こうとしていた。

橋の上からそれを見ていた妹は

夫は土砂の中に埋まってしまった

と思ったようでした。

運命は夫の命を救ってくれました。

その後、愛猫を探しても

瓦礫の中から出てくることはなく

それでも、諦めず娘は愛猫を呼び

続けました。数日後のある日

娘の呼び声を聞いて、黒い影が。


娘は仕事があり東京へ戻りました。

私たちは仮住まい探しと

それぞれが仕事に戻りました。

7月26日の夕暮れまじか

意を決し

リュックと餌を持って

瓦礫の山に行き豆太郎を呼び続けました。

すると痩せ細った愛猫の姿が

でも彼の目は恐怖で震えていました。

お母さんこと私と分かっても

瓦礫の中から外へ出ることは死と同じ

だったのでしょう。

呼び続け、餌で誘導しました。

恐る恐る顔を出した瞬間に

リュックに押し込め、

助けてと叫ぶ私。

土砂の後始末をしている土木職人さんが

駆けつけてくれた。

私はリュックから飛び出そうとする

豆太郎を全身の力で押さえ込み

トラックに乗せてもらい

仮住まいの家に到着。

それから一年は仮住まいの縁の下

生活が続いたのです。

生きていてよかった愛猫は義母の死後

まもなく夫の見守る中

息をひきとりました。

いろいろなことあって

今生きている私。

少しずつ歩けるし、朝ご飯くらいできる

ようになり、

朝ドラを見て今日は涙しています。

日日是好日








2022年6月15日水曜日

ぼんやりとあの橋を見ている

 


一日中この部屋にいると

朝から晩までウグイスは鳴いている。

知らなかった。

この部屋から、あの橋が見える。

2004年7月13日

に我が家が土砂の下になった日である。

この橋の建設が我が家を押し潰してしまっ

たのだ。

みんな知っている。当時娘はある環境

について調査する会社に勤めていた。

その会社の社長を始め

大手の土木業者の知識人、娘の恩師

などそうそうたるメンバーが集まって

私的調査をしてくれた。

結論から言えば、この橋の計画は

無謀な計画だったそうだ。

この地帯は地滑り地帯と認識されていた。

というのである。

それではなぜ、ここに橋がかけられたか

それはまさに利権というものだろう。

大きな土建業者の裏には大物政治家がバッ

クにいた。

下請け業者は知っても知らないふりをして

工事を進めた。

娘は陳情書を作った。それはまさに

たくさんの方の調査や意見をもとに

作った厚い文章だった。

この頃、私は仕事と次なる住まいのことで

右往左往していた。

夫はこれまた厄介なことに

現役の市役所勤め、それも建設課で

あったがため、公に自分の名前を出すこと

をためらった。家も土地も崩れた家族の

再建をしなければならない。

だから、お上に逆らうことは

できなかったのであろう。

ここから見るあの橋は下田方面に

抜けるのには便利な橋となった。

しかし1分に一台も通ることはない。

陳情書はその後どうなったのか

ただの紙切れとなって

廃棄処分されたのだろうか。

ぼんやりと橋を眺めて

今、お友達を待っている。

日日是好日







2022年6月13日月曜日

熱が下がらなくて



  ベッドから見る花に夕陽があたる

 

イタリアに住んでいる私の孫は

ここ数日熱が続き

くたーんとしていることが多い。

遠く離れているとなおさら心配になる。

今朝は少しだけお話ができた。

早く治さなと日本に来れなくなるよ。

大丈夫だよ。

日本でお誕生パーティーするんだよね。

だれをよぼうかな。

参加者は決まっている。

妹の家族たちである。

一人一人名前を言う孫。

最後に正樹さんもだねと言うと

知らないと言う。

あーちゃんのジジだよ!

ああー、そうか和のおじさんだね。

娘も孫も一人っ子だから

妹家族は親戚ではなく

彼女たちにとっては家族なのである。

私も指を折って数えたら

私の家族は12人だった。

日日是好日


2022年6月12日日曜日

キイチゴの想い出

 


妹のFBは幼少の頃の想い出だった。

中でも一番懐かしくて美味しいキイチゴの

写真を見ると私の映画が上映される。

山の田んぼに父と母は

幼い私を連れて行く。

父の背には何が入っていたのだろう

か?

母の田植えカゴには、おにぎりが

入っている。

遠い山道を上って下りて行く。

山道の脇にオレンジ色のキイチゴが

いっぱいぶら下がっている。

とって、食べたいよ。と私は母にねだる。

母は帰りにと言う。

仕方ないと諦める。

田んぼに着くと私はオタマジャクシと

遊ぶ。

なかなか捕まえられない。

父が捕まえてくれる。

母はオタマジャクシに足が出て尻尾がなく

なってカエルになるんだよ。

と教えてくれた。

おにぎりを食べると

また、田んぼ仕事が始まる。

夕暮れまじかになると私は父の背中の

馬カゴに入ってラクチンラクチン。

母は歌う。カラスなぜなくの・・・。

そして途中で

母は藪の中に入って、ふきの葉に

キイチゴをいっぱい摘んきてくれる。

私は父の背から下りる。

母の摘んでくれたキイチゴは

ほっぺが落ちそうなくらい美味しかった。

日日是好日





2022年6月11日土曜日

夏椿は一日だけ



 昨夜見つけた夏椿の花

二輪咲いていた。

その周りには大小の真珠玉が

連なっていた。

今朝障子戸を開けた。

白い大輪が私を迎えてくれると

思っていた。

がっかりだ。

昨夜の2輪はどこに落ちただろうか。

たった一日で落ちてしまう花。

まだ咲かない真珠色の蕾。

歩行機を押しながら

居間に行く。

ピアノの蓋を開けてみる。

大丈夫だ。片手で開けることができた。

ちょっとだけ椅子に腰掛け

悲愴を弾く

覚えている指が

ターンタータンタタタータン

とゆっくり鍵盤を押さえる。

ところが

盛り上がりのところにきたら

指が止まって

楽譜が読めない。この部分は先月

ようやく弾けそうになったばかりだから

仕方ない。

仕方ないとがっかりしていると

重い石が腰を叩く。激痛が走る。

まだまだ無理だ。

ピアノの蓋をそっと閉めて

痛い腰をさすり

コーヒーだけ入れ

一口

朝のコーヒーは美味しい。

そしてベッドに横たわる。

いつになったら、

痛みがなくなるのだろうか

ちょっとだけ涙が滲んだ。

もう少し

私たちがみんな咲き終わった頃には

大丈夫ですよ。と私に囁く夏椿。


日日是好日



2022年6月9日木曜日

ももちゃんのピアノ

 


ももちゃんのピアノ

文・柴田昌平

絵・阿部結

一冊の絵本が届きました。

お友達のお知り合いの方の本でした。

一度お会いしたことがあります。

もう10年くらい前になるだろうか。

とてもおおらかで優しい方という

印象でした。

ドキュメンタリー映画などで有名な

柴田昌平監督作品

興味深々で拝読。

表紙の裏にピアノ鍵盤に映るトンボの

絵が描かれている。

なんていうのかな

亡き父母を思い出すような感じがした。


沖縄戦が始まるちょっと前から

終戦を迎え、そして現代までの

ももちゃんの心がわかりやすく

切なく、悲しくて

涙なしでは読めませんでした。

ももちゃんを支えてくれた

紙のピアノ、本物のピアノ。

ももちゃんの支えになったピアノ。

この本を届けてくださった映画監督作品

「おかあさんの被爆ピアノ」と

自然と重なる。

ひめゆり学徒のももちゃんは

立ったまま眠る。兵隊さんの傷口に

集る虫を除くなど

背中が冷たくなる。

文字を読んでいるのに

私の頭にはリアルな映像が映し出され

目を背けたくなる。

今戦っているウクライナもロシアも

戦争の渦中であり、

戦争はいけないことには変わりないはず。

日露戦争にしろ日中戦争にしろ

世界中が間違っていたはずなのに

また繰り返している。

遠い国のことではない。


ももちゃんに生きろと言った音楽の先生。

行けと命令した日本兵。

そして「私は、前を向いて生きていく」

と思ったももちゃんに私は

勇気と励ましをもらう。

自分の不注意でしばらくベッド生活を

しなければならない自分。

ちょっとした私の思い違いで

大切なことを見失いそうだったこと。

などなどがまるで小さなことで

泡のように消えていく。

今出来ることを

これから出来ること

前を向いて生きていくことだな

あなたのことですよと

私は私に言う。


ももちゃんは70歳になってもう一度

ピアノを弾いたそうです。

私がピアノを習い始めて1年半

そして今ピアノが弾けないので

どれくらい後戻りするであろうかと

ピアノを横目で見ながら

不安な気持ちだったけれど

私は戦禍にいるわけでもない。

骨折さえ治れば、また弾ける

一からまた始めればいい!

焦らずに、ゆっくりと。

私のペースで

日日是好日






2022年6月8日水曜日

父の日 父を想う

 

もうじき父の日がやってくる。

幼い頃の父は優しかった。

物心ついた時の父は

飲んだくれオヤジだった。

晩年はいい人だった。

お父さんは背高のっぽだから
肩車してもらうと
なんでもよく見えて
ワクワクしたね。
お父さんと腕相撲したら
1秒で負けたね。
私が熱を出した時
おんぶして病院に行ってくれた
お父さんの背中は大きくて
あったかくて気持ちがよかった。
大昔のお話です。

豆撰からのお知らせ
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こちらから




 

お見舞いに

 




長野善光寺様のご開帳お守りを

お友達からいただきました。

とても嬉しかったです。

怪我をする時は

一瞬のすきみたいなものが

あって、起きるべきして起きた怪我です。

心の隙間に稲妻が落ちたようにです。

閉じこもりは自分に勇気がないから

他者のことばかり気にしているから

と心理学者は語っていた。

YouTubeで観たテレビドラマ「母。わが子

へ」は悲しいはずなのに

心が癒されました。


ベッドの中では1日が長いのです。

心理学や映画、ドラマを見て

小説を読みます。

こんな長い一日を感じることなく

67年を生きて来たような気がします。

さて、はて私のこれからは・・・・・・。

おーいと呼ぶ声

夫の作った朝食が出来上がったようだ。

はーいとこたえる私。


日日是好日



2022年6月6日月曜日

甥っ子の結婚式

 




車椅子に乗っての結婚式参加だった。

入籍は済ませてあったが、

コロナ禍のため甥っ子の結婚式は延期され

2022年6月5日になった。

花嫁のレースをあしらった白いドレスと花

婿の短めの今風のスーツ姿の2人が

親族を迎える。

私は夫の押す車椅子に乗って

おめでとう、ありがとう。と微笑み

手を差し伸べる。

大橋家にとっては50年ぶりの男子誕生は

今から、かれこれ28年前の事。

一番、甥っ子を可愛がったのは

亡き父だった。

この日を夢見ていた父

病いに倒れた時

この子が20歳になるまで

この子が大学にはいるまで

この子が結婚するまで

頑張りたいと言った言葉が

耳元に聞こえてきた。

ほーら、見えるでしょ

ああ、見える。よかったな、

おめでとう

父の隣で母は微笑んでいる。


披露宴に参加できなかった私に

数枚の写真が送られてくる。

ケーキカット

花嫁のお色直し

そして姪っ子の子供のあーちゃんの

写真。

まるで僕が主人公さと言っているように

注目を集めている。

床を這いずり、駆けまわる。

花婿に肩車、抱っこ。

無邪気な天使であったようです。

幸せは自分で掴むもの

甥っ子、先に結婚した姪っ子たちの

幸せ顔を見て

最年長の私は幸せ

娘家族が来月帰省する

3組の若者たちは集まってデズニーランド

へ行く計画を立てているらしい。

日日是好日





2022年6月5日日曜日

楽譜がひらりと落ちて

 歩行機とコルセットで

腰を安定させて

トイレは1人で行ける。

トイレットペーパーも1人で切れる。

ベッドに腰掛けて食事がなんとかとれる。

5分が限界だが、

少しずつでも回復に向かっている。


ピアノの前に行ってみる。

まず 、蓋が開けられないことに気づく。

夫から開けてもらう。

楽譜を取り出す。とりあえず

悲愴の楽譜を譜面台に置くと

一枚がひらりと落ちてしまった。

拾うことが出来ない。

鍵盤に指を載せてみる。

数小節なぞらえてみる。

しかし、弾けない。

腰に刺す痛みに耐えられない。

せっかく頑張ってきたのに、中断すると

今まで頑張って練習してきたことが

泡のように消えてしまいそうで

切ない気持ちになる。

やっぱりまだベッド生活は続きそうだ。


老老介護を受けるとは

思わなかった。

食事から洗濯着替えと

基本的生活は夫に支えてもらわないと

何も出来ないのである。

内臓や認知の病ではないが

もしそうなったら一体どうなるのか?

不安な気持ちになる。


今日は甥っ子の結婚式です。

楽しみに一か月も前から出しておいた

着物は着れない。

歩けないが、ふたりの晴れ姿が見たい。

車椅子にどれくらい腰掛けていられる

だろうか?


痛みをどれくらい我慢できるか

一目でいいからと思っている。

日日是好日



2022年6月3日金曜日

中間報告

 

     (天井を見る生活)

自分の不注意で、胸椎圧迫骨折

全治3ヶ月の診断が下る。

痛みは仰向けに寝ていれば

緩和されるが、トイレに行くのは、

至難の業。

腰の骨から脇腹にカミナリが落ちたよ

うな痛さである。

たかが畳2枚を歩くのに100メートルを

全速力で走った後のように息切れする。

数人の友達が、寝た状態で食べれるもの

パンやらバナナ、ケーキ、お寿司、おかず

の数々を持っきてくてくれる。

有難い。感謝のみ。

そして、痛みは人の親切で緩和される。

痛みの緩和方法にYouTubeも

一役かっている。

音楽もいいが朗読はも効果がある。

現代訳の方丈記や、杜子春を聞く。

古典は

私にとって全くわからない

意味不明のものだったが

これならば大丈夫と聞くことができる。

平安時代と現代は自然災害も

人間のありようは変わっていないことを

知る。

骨折からの1週間はこんな日々でした。

今朝は夫の作ったお粥に梅干し

お友達が持ってきてくれた鯖の生姜煮を

ベッドに腰を下ろして食することが

できました。

日日是好日