2021年6月30日水曜日

一日のはじまりは花を愛でること






 ああ、

トラックの車検に何と数十万かかると

社長からの電話が入る。

買え買える予算は?

というより、

このコロナ禍では売上減少の不安が

先にたつ。

ともかく、この度は車検を取ることにす

る。気になって、眠りにつくまで

あれこれ考えて心が重かった。

ところが、朝目が覚めて、

庭に出てお花と

おしゃべりしていたら、

昨夜の心配事は消えました。

まあいいかと!

お花って心を清める魔法使いです。




2021年6月27日日曜日

広がっていくピアノの輪

 月一のピアノレッスンも

回を重ね半年がが過ぎました。

私とMさんのピアノレッスンと

妹の歌のレッスンではじまった

金塚音楽教室栃尾支部でした。

そこへ私の50年来の友が参加。

続いて今月から

妹のお友達も参加。

ひとりひとりレッスンが終わるたびに

手を叩き褒め合う、間違っても関係ない

うまくできたところだけを褒め合う。

みんな楽しいと嬉しそうに話す。

おまけにソプラノ歌手のまりこ先生の

ピアノ伴奏と歌は最高!

声が天井に抜けそうに響く。

平均年齢65歳の仲間たちは最高!




2021年6月22日火曜日

猿にやられず





 今年は猿防御を夫はしました。

電気柵ですから成功!

さて夫の成果はいかに

ジャガイモは順調に育ち、来月は収穫でき

そうです。

まだ一日数本しか収穫できていませんが

キュウリは抜群に美味しいです。

とりたてに塩をふり、そのままガブリは

最高です。

夫の丹精込めてた野菜作りに

感謝感謝。

今年はコロナでイタリア家族は日本に来れ

ませんが、来年こそ夫の畑で飛び回って

土や虫と一緒に遊ばせたいと思う。

そして

思いっきり抱きしめてやりたい。



2021年6月21日月曜日

紫陽花

 





朝陽に照らされて

ちょっと眩しそうに笑う紫陽花の花。

花びらが幾重にも重なりあっています。

中でも真っ白な紫陽花は凛として

品性も感じられます。

そして何より優しさが漂っています。

夫のまめな手入れに

よって、私を楽しませてくれています。

紫陽花さんありがとう!

お父さんありがとう!



2021年6月20日日曜日

命日

 今日は叔母の命日

叔母17才私7才で妹が生まれた。

私が中学2年生の時に叔母はお嫁に

行った。

それもとおい遠いところへ行った。

その日は期末試験だった。

こたつで私は勉強途中で居眠りを

していた。

気がつくと朝だった。

こたつの上に手紙が置いてあった。

書いてある内容は覚えていないけど

かなしくて泣いたことだけは覚えている。

叔母の父は叔母が10才の時に

死んでしまっている。

その生まれ変わりが私である。

叔母の母、つまり私の祖母は病弱で

入退院の繰り返しだった。

だから、叔母の結婚式には出席してい

なかったような気がする。

覚えていないない自分が悔しい。

病院で横たわっている実母と叔母が

重なってしまう。



2021年6月10日木曜日

叔母の花と青い海

 


その年の7月20日に叔母は逝ってしまいました。享年57歳、私は47歳でした。

私は想い出作りに必死でした。叔母と叔父を連れて、娘を共に最期になるであろう旅。沖縄本島から宮古島にわたる。風が強くて叔母の髪が揺れて、カメラのシャッターがうまくきれません。

叔母は何を見つめていたのだろうか、青い海を見つめ「綺麗だね」とつぶかやいた一言。でも私には聞こえていた。『こんな青い海を見たのははじめてだよ、そしてきっと最後だ。ありがとうね』と。

沖縄空港をはじめ、いく先々でブーゲンビリアの紫かかった赤い花が咲いていた。叔母はブーゲンビリアの花の横で笑う。叔母はとても美しい人だったので「ブーゲンビリアの名前はタヅ子だね」と私が名づけた。

今年も魅力溢れる、タヅ子の花が笑っている。



2021年6月7日月曜日

映画が好きな方へ

 


栃尾が舞台になった映画「モノクロームの少女」のポスターが豆撰に貼られた。

聞いたことのない監督の名前である。

その時はまさかこんな素晴らし賞「日本映画復興賞奨励賞」を受賞するとは努努思わなかった。ましてこの「日本映画復興賞」さえ知らなかったのは言うまでもない。

中学生の時に感動したベンハーやサンドオブミュージックなどの大作が映画だと思っていたおばさんなのだから。

「モノクロームの少女」は栃尾と長岡で合わせて4回観る機会があった。私の想い出の場所が次から次へと映し出される。初恋の想い出場所である。雁木通りから裏道に抜ける小路、郵便局から諏訪様への階段。映画の中のふたりに若かりし頃の自分を重ねていた。制服で登った城山、話もせずに登っている。私の心臓の音がその人に聞こえたらどうしようと思った。

この映画を作った人は私の青春をのぞいていたのだろうかと思った。

しばらくしてFBでこの監督の名前を知る「五藤利弘」どんな人だろうか。と思った。するとこの監督が豆撰にやってきた。

「僕、五藤利弘です」と大きな体をかがめて私を見る。私は初恋の人にでもあったような、天にでも上ったような気持ちだった。

それが監督とのはじめての出会いである。

10数年のお付き合いになる。

そしてこの歴史ある賞を「おかあさんの被爆ピアノ」でいただいた事はまるで自分のことのように嬉しかった。

夢の島での撮影を友達を連れて見学に行った。第五福竜丸をバックに被爆ピアノコンサートシーンである。私たち3人はいつのまにかコンサートの観客席に座らされてしまった。アベマリアの歌がはじまる。すんだ声と歌い手の真っ白いドレスがは平和への祈りだった。また「父を返せ。母を返せ」と訴える高校たちの迫力は今もはっきりと私の心に写っている。

佐野史郎さんが被爆ピアノコンサートを見つめるシーンはセリフはない。語らずして演技する眼が戦争はいけませんと訴えていた。

最後になりますが私がピアノを弾いてみようと思ったきっかけは、この映画を観たからです。

昨日届いたポスターやチラシを配るお手伝いをします。どこに行こうかと悩む私。

妹に「主催者の菅野さんは自転車で回るから本当に大変だと思う」と話したら

「菅野さんにとってはそれは大変なことではない。好きなことだから」と妹が断言する。

なるほど私とは比べ物にならない映画好きなのだから。

来る7月25日 リリックホールにて午前の部、午後の部2回公演です。チケットは豆撰にてもお求めになれます。




2021年6月5日土曜日

続けることではない何回できるかが問題である。

 


イタリアの孫から

おやすみの電話が入る。

会えなくても、リアルタイムで

様子が伺える。

もうねんねの時間だかからババとのお話はちょっとだけだよと

約束されているから

電話を切らなければならない。

良く言えばババとお話ししたいからであるが

きっとそれだけでないと思う。

孫も親も目に見えない不安が

あるからだと思う。

40年前の子育て記憶を辿れば

保育園から帰宅して家事をして

それだけでクタクタで

娘を寝かせるという行動は

一緒になってどちらが先かわからない

爆睡だった。

核家族もコロナ禍の世界も

子育てには悪い影響しかないように

感じてしまうのである。

さて、だいぶギックリ腰の痛みも

とれてきた。

そこで、今日から豆撰への通勤は

歩くことにする。

何回続けられるかが問題だ。

2021年6月1日火曜日

ギックリ腰かな



 昨日の朝、畑に行ってちょっと稼いだせ

いかと思っていたら

時間とともに悪化!

これは畑のせいではないか?

以前にもなっている、ギックリ腰に

違いない。座ったり立ったりが一番辛い。

なんとか朝食の準備をするものの

棚の下にあるお皿がなかなか取れない。

2階から机の椅子を下ろしてもらい、

休み休み行動することにする。

仕事はリモートでなんとかなるけれど

一番困ったことは

ピアノの練習ができないこと。

やっとどうにか楽譜を追うことができた

伴奏なのに

きっとこのババはまた忘れて

しまうだろう。


恐る恐る昨日手配しておいた

生姜の酢漬けを夫に依頼してみる。

100点の返事ではなかったが

「ああ、できるだろう」

介護人がいることに感謝感謝感謝です。

これは介護生活練習だろうか?

椅子座布団も私と同じく、だいぶ年季が

入っていた。