栃尾が舞台になった映画「モノクロームの少女」のポスターが豆撰に貼られた。
聞いたことのない監督の名前である。
その時はまさかこんな素晴らし賞「日本映画復興賞奨励賞」を受賞するとは努努思わなかった。ましてこの「日本映画復興賞」さえ知らなかったのは言うまでもない。
中学生の時に感動したベンハーやサンドオブミュージックなどの大作が映画だと思っていたおばさんなのだから。
「モノクロームの少女」は栃尾と長岡で合わせて4回観る機会があった。私の想い出の場所が次から次へと映し出される。初恋の想い出場所である。雁木通りから裏道に抜ける小路、郵便局から諏訪様への階段。映画の中のふたりに若かりし頃の自分を重ねていた。制服で登った城山、話もせずに登っている。私の心臓の音がその人に聞こえたらどうしようと思った。
この映画を作った人は私の青春をのぞいていたのだろうかと思った。
しばらくしてFBでこの監督の名前を知る「五藤利弘」どんな人だろうか。と思った。するとこの監督が豆撰にやってきた。
「僕、五藤利弘です」と大きな体をかがめて私を見る。私は初恋の人にでもあったような、天にでも上ったような気持ちだった。
それが監督とのはじめての出会いである。
10数年のお付き合いになる。
そしてこの歴史ある賞を「おかあさんの被爆ピアノ」でいただいた事はまるで自分のことのように嬉しかった。
夢の島での撮影を友達を連れて見学に行った。第五福竜丸をバックに被爆ピアノコンサートシーンである。私たち3人はいつのまにかコンサートの観客席に座らされてしまった。アベマリアの歌がはじまる。すんだ声と歌い手の真っ白いドレスがは平和への祈りだった。また「父を返せ。母を返せ」と訴える高校たちの迫力は今もはっきりと私の心に写っている。
佐野史郎さんが被爆ピアノコンサートを見つめるシーンはセリフはない。語らずして演技する眼が戦争はいけませんと訴えていた。
最後になりますが私がピアノを弾いてみようと思ったきっかけは、この映画を観たからです。
昨日届いたポスターやチラシを配るお手伝いをします。どこに行こうかと悩む私。
妹に「主催者の菅野さんは自転車で回るから本当に大変だと思う」と話したら
「菅野さんにとってはそれは大変なことではない。好きなことだから」と妹が断言する。
なるほど私とは比べ物にならない映画好きなのだから。
来る7月25日 リリックホールにて午前の部、午後の部2回公演です。チケットは豆撰にてもお求めになれます。
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