その年の7月20日に叔母は逝ってしまいました。享年57歳、私は47歳でした。
私は想い出作りに必死でした。叔母と叔父を連れて、娘を共に最期になるであろう旅。沖縄本島から宮古島にわたる。風が強くて叔母の髪が揺れて、カメラのシャッターがうまくきれません。
叔母は何を見つめていたのだろうか、青い海を見つめ「綺麗だね」とつぶかやいた一言。でも私には聞こえていた。『こんな青い海を見たのははじめてだよ、そしてきっと最後だ。ありがとうね』と。
沖縄空港をはじめ、いく先々でブーゲンビリアの紫かかった赤い花が咲いていた。叔母はブーゲンビリアの花の横で笑う。叔母はとても美しい人だったので「ブーゲンビリアの名前はタヅ子だね」と私が名づけた。
今年も魅力溢れる、タヅ子の花が笑っている。
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