イタリアの孫から
おやすみの電話が入る。
会えなくても、リアルタイムで
様子が伺える。
もうねんねの時間だかからババとのお話はちょっとだけだよと
約束されているから
電話を切らなければならない。
良く言えばババとお話ししたいからであるが
きっとそれだけでないと思う。
孫も親も目に見えない不安が
あるからだと思う。
40年前の子育て記憶を辿れば
保育園から帰宅して家事をして
それだけでクタクタで
娘を寝かせるという行動は
一緒になってどちらが先かわからない
爆睡だった。
核家族もコロナ禍の世界も
子育てには悪い影響しかないように
感じてしまうのである。
さて、だいぶギックリ腰の痛みも
とれてきた。
そこで、今日から豆撰への通勤は
歩くことにする。
何回続けられるかが問題だ。
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