2021年6月5日土曜日

続けることではない何回できるかが問題である。

 


イタリアの孫から

おやすみの電話が入る。

会えなくても、リアルタイムで

様子が伺える。

もうねんねの時間だかからババとのお話はちょっとだけだよと

約束されているから

電話を切らなければならない。

良く言えばババとお話ししたいからであるが

きっとそれだけでないと思う。

孫も親も目に見えない不安が

あるからだと思う。

40年前の子育て記憶を辿れば

保育園から帰宅して家事をして

それだけでクタクタで

娘を寝かせるという行動は

一緒になってどちらが先かわからない

爆睡だった。

核家族もコロナ禍の世界も

子育てには悪い影響しかないように

感じてしまうのである。

さて、だいぶギックリ腰の痛みも

とれてきた。

そこで、今日から豆撰への通勤は

歩くことにする。

何回続けられるかが問題だ。

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