同年小旅行
蓬平温泉へ
何十年ぶりかの蓬平温泉の旅でした。
高龍様の階段はきつくて、ハアハア息切れ
でした。商売繁盛を願って奉納もしました。
温泉はツルツル、スベスベになり若返った気分。
夜中に目が覚めるお年頃。ヒソヒソ話に花が咲き朝方までどうでも良い話を繰り返す。
今日は丘陵公園へまっしぐら。チューリップが綺麗に並ぶ。山の萌色とピンクの山桜が心を癒す。
同年の小旅行は命の洗濯。
日日是好日
イタリアから孫が数冊の絵本を読んでくれた。もちろんfesutaimuで繋がって。
ひらがなとカタカナが読めるようになり、ちょっとお得意顔で読む孫。
ババはグーサインを送る。
その後、図書館ごっこをする。私は借りる役を仰せつかる。テキパキと絵本の裏に何やら、ピーピーとかざす動作をしている。
ノンタンの絵本を貸せてください。
すると、ダメです。ないです。ないないと慌てる孫。よく聞いてみるとバーコードがついていなかったようです。
お貸しできません。の結末となりました。
便利は不便利子供の世界までも浸透していることにはてな❓これで良いのか。
日日是好日
刹那の夢がたりコンサート
開演ブザーで幕が上がる。スポットライトの中。
そこには76歳の青年が、2000人の観客全てに歌を届ける。その歌はマイウェイではじまった。今回のコンサートテーマは「刹那の夢‥‥‥その時を想い出してください」と語り歌が続く。
私は16歳だった。はじめて恋をした。刹那の恋だった。半世紀も前の恋なのに、いまだ冷めぬ恋心を思い出した。はじめての恋はあっけなく終わってしまったのに想いは続いていると思った。
昨日観た映画「人間失格」と歌い手の人生に接点などないのに交差する。交差する一点に刹那の夢が見えた。
コンサートの余韻に浸り夜9時に帰宅するとリビングから灯りが漏れている。リビングからバスルームへの戸が開いていて、中戸は半開きである。
夫は私の帰宅に気がつくようにしていた。ひとりでの夕飯は味気なかっただろう。
布施明コンサートは今回で4回目である。45年前新潟公会堂でのコンサートがはじめてだった。まだ付き合ってもいないのに、先輩が行くはずのチケットが私に回ってきた。その時、知り合いの人を誘ってみた。
その人は車を持っていたから丁度よかった。チケットを無駄にせずちょっと気になっていた知り合いの人は今私を待つ夫である。
歌の上手い歌手は多いけれど、76歳で歌い上げる完成度の高さに驚くばかり。一呼吸もしないで愛と恋を歌い上げる。メロディと詩が切なく心に沁みる。その感動をどう伝えたらいいのだろうか。
この歌い手は疲れを知らないのか訓練か。人間失格に登場する3人の女性の映像と歌が重なる。
太宰治の妻役は宮沢りえ。凛とした和服姿がとても似合う。太宰治の才能を死ぬまで信じて認める真の強さと愛情の深さなのだろうか。
愛人役の沢尻エリカはまさに地を行っているようだ。わがままで妖艶で、子どもを欲しがる。その子は太田治子。一度は読んでみようか。
三人目の愛人を演じる二階堂ふみの迫力は凄みだった。天才かもしれないがあんな男なのに、自分のものにしようとする女の意地だろうか。
太宰治は最後には自らは命をたちたくなかったと思った。どうせその時は来るのだから、その時まで子供達のために生きたかったのではないだろうか。
刹那の夢がたりコンサートも終盤。2時間近くをひとりで歌い続けるこの歌手の底知れぬ歌のドラマに感無量。オーチャードホールも素晴らしく、妹に連れてきてもらってよかった。感謝する。
数々の人生の想い出を歌に映しているのだろう。数人の女性の顔が浮かぶ。ひとり息子は今どうしているのだろうか。今、歌い手を支えている若い妻はどんな人だろうか。
日日是好日
栃尾の雛飾りは旧暦の4月3日です。1日早く仕舞うと娘は早くお嫁に行けると祖母から伝え聞いている。実家には瀬戸の焼き物の雛壇があった。みかん箱くらいの大きさの桐箱に入っていた。明治からあったのかその前だろうか?私が幼少の時には鼻がかけたりしていて、まともな雛人形はなかったような気がする。その代わり熊にまたがって、マサカリを担いだ金太郎さんなどの飾り物があった。
小さなひなたちだったが箱から取り出し、箱を台にして赤いちりめんを敷いて、ひとつひとつ丁寧に並べた記憶がある。10歳違いの叔母と妹と一緒に並べた。叔母がお嫁に行き、祖母が亡くなり
いつのまにか小さな雛壇は物置に隠れてしまった。
私も家を離れ娘と一緒に飾った昭和の雛人は平成の水害で流されてしまった。
今日飾った雛人形はお友達から頂いた手作りの雛達です。もうひと組頂いた雛人形はイタリアに送ってあります。娘から写真が送られてきました。
孫がお嫁に行くのはいつかしら、まだ6歳だから、後20年はかかりそう。私は生きていたら90歳。この小さな雛達をそれまで飾れますように!
日日是好日
今日は豆乳のお話の続きです。
豆撰の豆乳は生搾りなので、豆の皮についているえぐみ、雑味が入らなくて、さっぱりとした美味しい豆乳です。
でも毎日飲むにはもっと美味しい方がいいに決まっています。
そこで豆乳を温めて飲む。鍋に豆乳を入れてきな粉、ココア、コーヒー、お抹茶をお好みの量1カップ小さじ1杯が適量です。甘さがほし時はきび砂糖をお好みに合わせて加えてください。
もっと手軽に!電子レンジで普通に温めてください。
牛乳が苦手な方におすすめ健康飲料です。
日日是好日
すごいです。
こんなにお花が綺麗に飾ってあるトイレはじめてです。
「まるでperfect Daysみたい」と
思わずお掃除のお仕事をしてくれている方に声をかけました。
「ありがとうございます」と優しく微笑んでくださった。
最高の日です。
阿武隈高原高速でした。
日日是好日
話題の映画を観る。ゆったりとした規則正しい生活を繰り返す主人公を数少ないセリフと表情で表現していた。淡々と毎日同じパターンで過ごす日々を映像で魅せているのに、飽きるより一体なにがはじまるのかと魅せられ、惹きつけられる序盤だった。しかしこの脚本は何気ない日常のように見えて日々変わる様を小さな出来事や大きなショックと次から次へと展開させていく。こんな脚本ってあるんだ。哲学のように、人生を語っている。答えは観る人が考える。姪っ子の登場や妹の登場で豊かな人間性を演じられるのは役所広司さんだからであろう。日本アカデミー主演男優賞に納得する。ただし他の映画は見ていないので私の評価は偏見極まりない。
木漏れ日の写真映像と古本屋さんの一言、迷子の子どもには人間性が深く映し出されている。風呂屋のシーンにはかっこいい俳優の裸も歳とともに衰えている。それも自然でいい。
決めつけは三浦友和との影踏みだろう。あの役は三浦友和の積み重ねてきた演技力にあると思う。好きな俳優だから贔屓もある。
ラストに流れる歌が情緒的で言葉の意味がわからないのに感動してしまう。映画を影で支えるこの作品の素晴らしさだろう。
日日是好日
今から2千年前に中国で豆腐が作られたとされています。そしてその前から豆乳はあったそうです。
そんな昔から飲まれ続けられていた豆乳とは、一体どんな飲み物だったのでしょうか?
今のように栄養成分があるわけではありませんが体の調子を整えていたのではないかと思います。なぜなら現代の栄養学で豆乳の効用は
⭐️豆乳に含まれる良質のタンパク質は生活習慣病予防
⭐️豆乳に含まれるイソフラボンは骨粗鬆症予防
⭐️豆乳に含まれるレシチン、サポニンは脳の老化防止や美肌づくりになります。
私は毎朝豆乳を飲んでいます。バナナを入れてスムージーにしたり、コーヒーを少なめにして(豆乳8:コーヒー2)飲んでいます。
豆撰の豆乳はここが違います。
豆は煮ません。豆を水に浸します。そして豆乳とおからに分けます。この作り方を「生搾り」と言います。古来中国から伝わった作り方ですが、今では全国でも数件しかこの作り方をしていません。それはどうしてかと言いますと豆を煮てから搾る方が搾りやすいからです。また昭和に入って豆の自由化が進むと同時に簡単に搾れる機械の普及にありました。
ところがこの「煮てから搾る」方法は豆の皮に含まれているえぐみが入ってしまいます。「豆を生のまま搾る生搾り」方法はこのえぐみ、雑味がなくさっぱりとした豆の甘さと香りを楽しめる本物の味です。
次回は豆乳を使ったお料理レシピをご紹介いたします。
日日是好日
人生でやり残したことは?
人生の終わりを意識したら、今何をするべきかと自問する。
今日はお茶のテキストを広げてみた。購入してから何年も過ぎている。買っても読まない本は山のようにある。意味があるのだろうか?ピアノの練習、1月に譜面をもらっているけれど、なかなかどころか1ページも進まない。YouTubeで聴くと天才だらけだ。全く才能がないのにピアノを練習する意味があるのだろうか。
意味がわからないのに続けている私。
娘と話す。豆乳プリンのデザインと成分について。無添加で作りたいと思っている。ビーガンの人にも勧められるプリンを考えていたが生クリームが入らないとコクがない。と私が話す。娘がネットで色々調べてくれた。取り寄せてみることにする。
やりたいことが山ほどあって、行きたいところもたくさんあって、
では人生でやり残し事は何か
まだまだそれがわからない。まだまだ生きたいからか。
映画パレードのテーマはなんだったのか
愛する人にもう一度逢う事。人のために何かをする事。作り続けて仕事をする事。
生きているうちはそれが何か気が付かないのかもしれない。最近よく夢に出てくる父と母。何か言いたいようだ。
たぶん豆撰の事だ。最近のお前は自分のことしか考えていないと言っているようだ。
日日是好日
二日目はロケ地巡り
まさか氷の道を歩くとは思わず、夫にしがみつく。夫は手を差し伸べもせず。行きと帰りでは数が違うお地蔵様たち、体に巻き付いている苔は風や水に耐えて何百年生きてきたのだろうか。いえきっと耐えてきたのではなく黙って見守ってきてくれたのでしょう。昨日のトークの中心は寒さの中の撮影談話だったが、なるほど。こりゃあ寒い。雪の壁がなく氷点下の風が吹いている。そんな中で耐えて耐えて演技する役者根性を感じた。私たちはお地蔵様の数を数えるどころか、93回以上「寒い」を連呼した。
古民家の佇まい「本宮カフェ」さんのコーヒーはまろやかで苦みが上品だった。コーヒーも豆腐も水が決めてである。映画の場面を思い出しながら金継ぎの茶碗を見る。ロケ地巡りに後映画を観たらまた新発見もあるだろう。店主さんが豆撰の油揚げを褒めてくださった。ありがとうございます。是非五藤監督と揚げたてを食べにきてくださいとしっかり営業する。そして教えてもらった椅子の裏サインの言われ。ノーベル賞授与された博士たちはまず第一に椅子の裏にサインをされるそうです。ここ本宮カフェさんにて、たくさんの有名人のサインを見てきました。ワクワクドキドキだった。
昼食は金谷ホテルの150年の味カレーを食べる。歴史ある遺産の建物と文化人の集まる館。若い人たちにとっては古き時代だろうが、70年近く生きている私にとってはそう昔の話でもないような気がしてくる。モノのない時代、経済成長期、自然災害、Aiに左右される時代、未来は宇宙住まいか?
中禅寺湖に向かう途中の男体山のゴツゴツとした力強さが迫ってくる。迫力を感じる。まだ見ぬヒマラヤを想像する。
夫と友と一緒の楽しい映画巡り旅ができることに感謝です。
日日是好日
久しぶりの遠征はもうひとつの日光物語「夜風に吹かれて」を観る目的で朝7時に栃尾出発しました。目的場所は日光紅葉座、到着すると五藤利弘監督と主演俳優さんたちのトークが始まっていました。主演のスネオヘアーさんとは面識がないけれど長岡出身で私の友達の友達と知ってから密かに応援しています。新潟のライブにも行きました。そして万登香ちゃんは以前豆撰で弾き語りしてくださいました。そんなご縁でトークを拝聴しますと、勝手に親近感が湧いて、応援したくなります。もし日光にお知り合いの方がおられたら日光紅葉座にて上映中ですので是非おすすめください。日光物語の主演そして「おかあさんの被爆ピアノ」主演の武藤十夢さんから大きなお花が届いていました。私たちジジババ仲間はちゃっかり可愛さ満点の和泉詩さんと記念撮影。
続きは次回に
日々是好日
ふきのとうが顔を出して
梅が膨らんで
ちょっとウキウキ。
豆撰 ランチいかがでしょうか?
長岡駅近くに新しいできたミライエ長岡に行ってきました。図書館は本棚がおしゃれに並べられ、休憩スペースもゆったり。お弁当を食べている人もいました。
一階のスペースにはグランドピアノが寄贈されていました。自由に弾けます。私は「浜辺の歌」を弾き妹が歌いました。吹き抜けのせいか音が響いていつもより上手く聞こえました。暗譜曲を増やさないとです。今取り掛かっている「夢」は私には難しすぎて無理かもと沈んでいます。三連符に合わせて左指が動きません。8分音符四つに三連符を入れる。左の音をしっかり聴こうとするのですが右手が入ると聞こえなくなります。訓練かな?諦めず何回も練習するしかありません。ここで挫折するか努力するか分かれ道です。
日日是好日
クリスマスローズの展示と即売
冬季間は入場料も駐車料金も無料だった。ポカポカお天気で丘陵公園は大勢の人で賑わっていた。私も一鉢欲しくて、夫に買ってもいいかと聞いてみたら「自分で手入れができればな」と言われた。鑑賞用に買いたかったから育てようとは思っていなかった。
しばらく眺めて買うことはやめにした。私には植え替えや手入れができないだろうと判断した。
日日是好日
昭和45年の冬だった。冷えきった家の中に15歳の私と幼稚園児の妹が私から離れないでいた。そして、私の背中には生まれて1か月の大きな目をした赤子がいた。あたりは暗くて、それだけで不安なのに、私は妹と赤子を守らなければという使命感を感じていた。
赤子が泣いてどうしようもなかったので、私は妹の手を借りて赤子をおんぶした。
私が仏壇の前に座ると妹は片時も離れず私にくっついて座る。不安はだんだん恐怖になって、私の心臓は激しく波打つのだった。
母が息を切らせて家に戻ってきた。置き去りにされた私たちを迎えにきた。母は素早く私の背から赤子をとりおんぶした。雪あかりの坂道を母の後ろを駆け足で下りた。
病室には大勢の人が集まっていた。ベッドに横たわっているのは64歳の祖母。腸閉塞で緊急手術をしたと記憶している。医師が言ったのか父が言ったのかわからないが、手術は成功したが血圧が下がり過ぎた。死んでしまう。私は「バカバカ」と祖母に向かって言った。祖母は目を閉じていた。
祖母は「みなさんこんな夜中に大変です。お引き取りください」と微かな声で言った。
祖母の葬式後に父が話した。「誰にも言わなかったが新大病院で診てもらった時に後一年生きられるかどうかと言われいた。だけれどこんなに長く生きられた」と。肝臓癌で手術をした時は手遅れで何もせずにふさいだらしい。
あれから45年が過ぎる。あの時の赤子は姉妹のように育った叔母の子供だった。その叔母は私が47歳の時に57歳でこの世を去った。
赤子だった従妹は今年55歳になるのだろうか。従妹が結婚をして娘を産んで、その娘は今年20歳になる。
過ぎし日の想い出。
日日是好日
電気釜で作れる鶏肉の煮物 冷凍のままもも肉を釜に入れて。ジャガイモ丸ごととにんじんも大きめに、玉ねぎは4等分。醤油、みりん、生姜、ニンニク、砂糖を少々入れる。あとはスイッチオン。なんと美味しいこと。釜に旨みを封じ込めてしまうのだろうか。
それから
おでん、モツ煮、煮物はオールマイティー。
簡単で美味しい。火加減を見ることなし。まるで魔法使いの気分である。
そこで今日は白インゲンに挑戦。前日から浸しておいた白インゲンはちょうどいい塩梅に膨らんでいる。
釜に入れて水をヒタヒタに。スイッチオン。どれどれできたかな?
なんで、ひじきが混ざっているの。よーく見たらご飯も混ざっている。釜の中に今朝炊いた混ぜご飯が少々残っていたようだ。
どうしてこうなるのですか。はい〜。
それでも豆はいい塩梅に炊けていた。成功でもあるはずだった。
日日是好日
数えで「古希」のお祝いをいただいた。尊敬する人生の先輩の方からです。
70歳になります。しかし「古希」と書くとなんだか重い。今のうちに楽しむべし。いつ訪れるかわからない「死」に対し思い残すことなく楽しみなさいと言う意味だろうか。そこで意を決して「ネパール」行きに参加することにする。大きな冒険である。
古希のお祝いをしてくださったお友達の言葉は冒険なんだからその日までを楽しんだらいい。計画したからと言ってあれこれ心配せず楽しむことです。そして全ての人が計画通りには行くとは限らない。
なるほど、冒険を楽しむことが重要か。野草、野鳥など自然を楽しむ道を想像したらワクワクドキドキする。アップダウンの険し道だけを想像したら後退りしてしまう。雨の日も風の日も自分のペースでゆっくり歩くらしい。これが冒険か。
ヒマラヤのふところ深くへと入り、迫力の巨峰に囲まれた円形劇場アンナプルナ内院を目指すトレッキングコース と書いてある。
冒険である。2170mの地から出発。行けるかどうかわからないが古希への挑戦かもしれない。
どうなることやら 行くとしても出発は10月。
日日是好日
お米の収穫後に大豆の収穫が行われるため、栃尾産の新豆は年明けに農家さんから届きます。猛暑のせいで収穫はだいぶ少なくなりましたがようやく皆さまにお届けできるようになりました。3月いっぱいの限定品となります。この機会にぜひ栃尾産大豆栃尾の油揚げをご賞味ください。
先日栃尾を中心に描いた「ゆめのかよいじ」を久しぶりに見返しました。あらためて栃尾の飾らない風景に感動しました。もし栃尾にお越しの時はアツアツの栃尾の油揚げ作り体験をお楽しみください。そしてお申し出いただければ栃尾の水、自然をご案内させていただきます。
春らんまんも近づいて
日日是好日
金塚音楽教室にて、初レッスン。初老から後期高齢者の「娯楽と挑戦」と言う感じです。大正琴、ピアノにフルート、チェロ、歌とバラエティな集まりです。みんな一生懸命に音楽を楽しんでいます。
さて実はその帰りにいつも通り過ぎたり、閉まっていたりしてなかなか見学ができなかった「椿寿荘」見学ができました。
新潟には豪農が多く、その昔は新潟の人口は日本一だったと聞いていました。なるほどこの豪農の建物を全国から集めるのには相当な資産だけでなく人の手が必要だったはず。今でいう資産運用のようなものだろうか。全国から集められた木材や石を使って全国から集合した職人たちでつくりあげた技術は今も生きて感動を与えてくれる。そしてなんと栃尾のはずれに位置する半蔵金小学校で教鞭をとられたボランティアガイドさんがユーモアを交えてひとつひとつ丁寧に説明してくださった。栃尾と深い関係があったガイドさんとの出会いもまた不思議な縁だった。
日日是好日
裏金作りの技は見事だと思う。なにも今更始まったことではないだろうに!領収証のいらない項目を政治家と官僚が結託して自分たちの都合の良いように法律も作っている。パーティー券って何さ?交通費って何さ!中小企業は支出に対して領収証が必要であり、出張なら運賃やら宿泊明細は必ずいる。またそれに対しての報告書も必要だ。税務署さんは、領収証のないものを経費で認めますか?あまりに酷い政治家と税務署の中小企業に対する扱い方には天と地の違いがある。誰が責任を取るのでしょうか?秘書、秘書と言い訳ばかり。納税者にはそんな言い訳もない。消費税も国税も地方税も言い訳なんか通らない。
教員も医師も弁護士も免許が必要だ。ところが政治家には免許証は必要ない。一般常識は当然だが国民の代表者なのだから世界史及び日本史、現代史については70点は必要だろう。憲法や各省庁の仕事内容、当然ながら経済学は70点以上でなければならない。幅広い教養が必要だ。そして一番大切なことは人間性だろう。AIはその人間性を奪いそうだが、政治家国家試験ならあらゆる観点からAIもありかと思う。AIなら忖度なしのはず。実習も必要だ。他国でも自国問わず、最低一年の実習を取り入れてほしい。身内企業は勿論ダメだ。などなどの政治家国家試験に合格したものが、選挙にはじめて出馬できる。年齢制限はなし。ただし政治家になったら定年はあり。
と言うのはどうだろうか?
そうそう裏金作りの名人さんにもう一言。そのお金を被災地の皆さんに届けてください。
日日是好日
栃尾の空
イタリアの小学校は9月が入学です。日本より半年早く小学生になります。送迎は保育園同様必要です。日本は集団登校と言うことは安全安心の国ということでしょう。ただ共稼ぎの核家族にとっては大変です。娘家族はリモートで仕事をしているので送迎には負担も少ないようです。
さて、先日クリスマスから正月にかけて2週間くらいの休日がありました。その時宿題があったのに孫は机に忘れてきてしまいました。宿題をやらない子は多くいるでしょうが忘れてくる子はいるのか?学校がはじまり、初日にまた宿題を忘れてきたようです。さすがにそに次の宿題は持ってきたようでした。
そんな孫の話を聞きながら、娘は果たしてどうだったか?宿題はあったかどうか覚えていませんが、連絡帳があり、先生と保護者の意思疎通ができていたような気がします。その後4年生からの記憶はほとんどありません。つまり会社を立ち上げ右往左往、製造から洗浄そして荷造り、事務仕事と一人4役くらいやっていましたから、家庭の事や娘の宿題などあったのかどうかさえ知りませんでした。それでも娘は高校大学を卒業し、就職したもののまた大学へ行くことに。海の外ですからそれこそ勉強しているのか遊んでいるのか全く知る由もなく。勉強は環境もあるでしょうが、放任の方が自主的にやるような気がします。
とは言え、孫とライン会話開口一番「宿題もってきましたか」とついつい言ってしまうババです。
日日是好日
小さな国でも、人口が減ってもいく未来を想像すると怖いけど
幸せ度が大きくなるような国作りをしたらいいと思う。赤木ファイのような権力に押しつぶされてしまう時代は終わり、政党の裏金作りもしなくなる。災害が起きたら、直ちに救出に向かう社会になって、コンピュータやAlに支配されない自分の頭で自分の能力で学ぶ学校作りや社会になったらいいと思う。美味しいフレンチもいいけれど、白いおにぎりに梅干しが美味しいと言える家庭があれば幸せ度は高くなるだろうに、
農業者も土木事業者も小さな食品会社もパン屋さんも傘屋さんも、同じに働き幸せを届けてくれる。そんな小さな幸せを感じられる世の中になってほしい。未来に羽ばたく子らのために。
日日是好日
3年前から始めたピアノレッスン。自宅に5人の仲間が集まりソプラノ歌手の真梨子先生から月一回のレッスンを受けています。アベマリアの伴奏曲は私のレベルに合わせて楽譜を簡単にしていただきました。なんとか弾けるようになったので、先生に次の課題曲を探してもらいました。羽田健太郎さんの弾く夢が送られてきました。まさしく幻想でした。「やってみます」と簡単に返信するババさん。しばらくしてドビッシーの夢の楽譜がファックスで届きました。5ページもある。それに生楽譜のようだ。簡単楽譜ではない。曲はYouTubeで聴いていたものの楽譜をひとつひとつゆっくりとひろってピアノを叩いてみると。この曲は音のつながりが不揃いと言うか規則が今まで弾いていた曲と全く違うようだ。まともに楽譜が読めないのだからこれは大掛かりになりそう。一年はかかると腹をくくり、いえ一年かけてやればいいんだから急がないでゆっくりやろうよ。と自分に言い聞かせるものの
なんで左手に8部音符4に右手は三連符?月の砂漠にもあったけど、これは音痴の私には無理だろう。とその箇所は適当に飛ばして、先生から教わるしかない。
こんな日日をだらだら過ごしていました。
何気なく「おかあさんの被爆ピアノ」監督に「ドビッシーの夢ご存知ですか」と尋ねてみた。すると「ゆめのかよいじ」でつかいました。と返信をいただく。
あれまあ
私はゆめのかよいじを何回観ただろうか?少なくとも3回は観ているはずなのに
早速ゆめのかよいじを再度観ることにする。
10年前とは何もかも違っていた。栃尾の風景だから当時も心に残る映画だったけれど、ストリーはおぼろに覚えているけれど、その中身は覚えていなかった。
新たな感動だった。雁木、とどの森、城山など栃尾の風景がこころに沁みてくる。栃尾の風習である石積みは早く亡くなった子供達を思い出し(保育園時代に私のクラスの可愛いTちゃんが交通事故で亡くなっています)涙が溢れます。今生きていたら45歳だろう。
脚本もいい。緩やかな坂道を歩いているようである。坂道にはいろいろなものが落ちていたり風にのって想いが届いてくる。その想いの調べが「夢」であった。
この映画を再度観るきっかけは3年前から始めたピアノを習うことから始まっている。そしてピアノを習うきっかけは被爆ピアノコンサートだった。
もしかしたら10年以上前から今日に至る私の脚本は始まっていたのかもしれない。
日日是好日
かぼちゃスープを作っていた。
ガタと揺れた、まさかの地震だった。と同時だったか少し早くか携帯がけたたましくなった。恐怖は中越地震を思い出させる。足がすくみ、夫に「どうする」と聞く。揺れは大きかった。あの時と同じになると思った。長い時間恐怖を感じた。揺れがおさまると携帯ラインが次から次へと届く。怖かったけれど我が家も栃尾も大丈夫と返信する。テレビはどの局も一斉に津波情報と避難指示を1時間以上繰り返す。この大きな揺れは大惨事になる。火災は家の倒壊は、道路はと神戸の地震と中越地震そして福島沖の大惨事が甦る。
みなさん大丈夫でしょうか。石川県にも豆撰のお客様がおられる。ご無事を祈る。
災害は一瞬で家を壊して、日常を破壊する。戦争なんてしている場合じゃあない。予測ができない。新年早々この恐怖だ。どう生きたらいいのだろうか?どう生かされるのだろうか?
日日是好日 と書いていいのだろうか。