時間に追われない生活は70歳で初めての経験である。このことがこれほど苦痛とは思わなかった。
昨日は病気のお見舞いに午後から行ってきた。行き届いたお掃除されれたリビングに観葉植物が置かれている。綺麗好きな性格なのだろう。目が真っ赤で痛々しい。梅干しにらっきょ、味噌、煮物、頼まれたみかんをテーブルに出す。彼女の瞳がちょっと曇って見えた。思い切ってお見舞いに来て良かった。
帰宅すると、もっていくはずのおいなりさんの酢飯がそのまま釜にあった。たっぷり時間もあって準備していたはずなのに物忘れは進んでいるようだ。情けない。
夫は友達の招待を受け出かけた。夕飯はひとりだ。お見舞いに持って行った残りの煮物を食べながらテレビをつける。昔の映画のようだ「ホタル」高倉健と田中裕子の作品だ。題名に魅せられて観ることにした。昭和51年頃からはじまり、戦争体験者であり特攻隊の生き残りの話だった。私はこの映画が作られた時20歳くらいだっただろうか。今から50年前だから今この主人公が生きていたら90歳を超えているはず。戦争体験、特攻体験者の苦悩は戦争が終わっても癒えることなく続いていることを訴えている。無口の主人公の表情、その妻の想いがじーんと伝わってくる。政治的背景に戸惑いながら、ロシアとウクライナの戦争のように日本も戦争に朝鮮人を利用したのか?学校では習わなかった。戦争について私は何も知らないのだ。
寒中にホタルは舞うはずがないのにたったひとつのホタルは愛する人のそばに現れる。幻想として捉えたらいいのか、どれとも本当にホタルとなって、再会を果たしたのかわからない。命の使い方があるんだろうか?
何がやりたいのかわからない。やりたいことが見つからないなんて、戦争体験者や戦争で命を落とした人たちに言ってはならない禁句だろう。
日日是好日
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