老眼に白内障、おまけに乱視まで授かりました。
それを理由に、読んでもらえない本が寝室、リビング、娘の部屋にも放り投げだされている。なんとなく本を買うと頭が良くなった気になる。だから本を買うことは無駄使いではないと思っているおかしな老人です。
暇な時間をどう過ごすかが問題の老人。写真を撮るか、雪国は晴れの日が少ない、今はその季節ではない。
白内障手術を終えたばかりの老人にはゴミがよーく見えるようになった。暇な時間の使い方その一は掃除だ。風呂場はよくまあこんなに汚れたものだ。その脱衣所にある洗濯機はすごかった。白壁には蜘蛛の巣点在。冷蔵庫から台所のシンクとこんなに汚れているのか、今まで気がつかなかったのは目のせいだけではない。暇がなかったからである。と老人はこと如く言い訳を繰り返し掃除に没頭してみた。しかし掃除もだんだん飽きてくる。まあいいか、一つずつやればいいさ、時間はたっぷりある。
休憩時間は当然多くなり、おやつの時間がすぐにやってくる。9時の次は11時だ。YouTubeとNetflixで何か面白いものはないかとリモコンをいじり回しているとピアノが老人に声をかけてきた。『挑戦をやめるのですか』と大きな体で老人を威圧する。いいじゃん、ピアノなんて弾かなくても今さら70歳老人には先がないんだから楽しいことをするべきだとものの本にも書いてあるではないかとピアノに反論するものの、なんだかほったらかしのピアノが可哀想になってきて、ちょっと練習再開しはじめた今日この頃。
話を元に戻すと、本はインテリアのようにあっちこっちと置いてあるだけ。
ところが、先日いとこが一冊の本を老人に勧めてきた。人に勧められると読まないわけにもいかず、きっと暇をどう過ごしたらいいかという謎解きかヒントが書かれていると推察し、勉強が嫌いな人が明日は試験だからと教科書を広げるように老人は読むことを決意する。
なるほどこの老人にピッタリの話である。何がピッタリかと問われても、多分色々なパターンに当てはまるようだ。読み手の解釈はいく通りもある。書を小さい時から指導された主人公がいろいろな人と出会うきっかけはお手紙代行職である。なるほど習字を習うのも良い。しかし主人公は幼い時から叩き込まれて今はその腕で仕事ができる人。今さら70歳の老人がはじめてもどうなるでもないし、ピアノと同じに上達するには練習という二文字が大きくのしかかる。無理無理無理。
主人公のお手紙代行にはいろいろなドラマがある。ありがとうのお手紙。恋の架け橋お手紙。絶縁状のお手紙と様々だ。そのお手紙には紙を選び、筆を選び、想いを伝えていく。
こんな職業があるとはこの歳になるまで知らなかった老人。
老人は指を折りながらひとつ着付け教室3ヶ月で辞めた。ふたつペン習字はAmazonで取り寄せたものの開いただけで廃棄した。体操教室は3回で辞めた。そして今はピアノに挫折しかけている。
挫折しそうで挫折しなかったものは70歳まで続けてきた仕事とブログ日記である。そして今はこの自己中日記のみである。
これだけは続けられそうだ。練習しなくて良いからである。それでも、できるなら、その仲間に読書とピアノ練習が入ったらこれまた良しなのだが、練習と勉強は嫌いな老人だからさてどうなることか?
日日是好日
0 件のコメント:
コメントを投稿