2014年2月28日金曜日

努力の人

日本中に感動を与えてくれた浅田真央選手を支えた
佐藤コーチの浅田選手についてのインタビューで
「彼女は、努力の人である」おっしゃっていました。
努力の人を見守り、技術を一歩一歩教える。
期限はないと・・・。

また、ある解説者の話の中に
キムヨナの演技力は曲の主人公を完璧に演じ滑る人
浅田真央はどんな曲にも浅田真央を演じてしまうこと
と書いてありました。

凄いと思う、人を感動させる才能は努力であり
それは自分を表現すること、とても真似ができない。

自分の仕事がいっぱいいっぱいで頭のが中くちゃくちゃで
迷路に入ってしまうと
些細なことで爆発する自分が情けない。





2014年2月25日火曜日

大きな失敗は大きな喜びに

昨日のことです。
常連のお客様にお届けするはずの栃尾の油揚げの出し忘れがありました。
気がついたのは、お客さまからの確認のお電話でした。
豆撰のミスです。発送していなのですから
届いているわけはありません。
電話での応対を隣で聞いている私はハラハラドキドキでした。
いつ、代わったら良いかと、タイミングを見計らっているうちに
お客様は激怒なさいました。
当然の激怒です。対応の仕方「すみません」の 言葉に
本当に悪かった、忘れてしまいましたの気持ちが感なじられなかったのですから
電話を若いスタッフから交代しました。
ただただ申し訳ございませんと何回も誤りました。
そして、お届けする荷物にもお詫びの言葉を書きました。
私の責任であること、そして大切な大事なお客様なのに本当に申し訳なかったことを書きました。
その後は、若いスタッフに電話の応対その他を教えました。
失敗して覚えることの大切も含め「豆撰」の看板をしょっていることなど
結構くどくどと説教をしてしまいました。
そして、今日今朝一番のお電話は「ありがとうございました。今届きました。昨日はすまなかったね、とても大切なお客様だったので、豆撰のあぶらげがないわけにはいかなかったんだよ。豆撰は一番美味しいあぶらげやさんだかね」とわざわざお電話をいただきました。
また、泣き虫の私は泣いてしまいました。
昨日、お店の方は地下鉄に乗って豆撰の油揚げを買いに行ってくださったのです。

2014年2月24日月曜日

老々介護

老夫婦と私たち夫婦の4人家族生活が10年くらい続いております。
義母は買い物からお洗濯、お料理と昔とあまり変わることなく
家事をこなしています。しかし、やはり88歳を過ぎているので
耳はだいぶ遠くなってきました。
一番年をとったなと感じることは、感情を読み取ったり、コントロールすることが
少し苦手になってきたようです。


義父は少し歩くことが大変のようです。足が上がらないので
なかなか思うように、歩けません。なるべく歩くようにと
食事を運んだり、大好きなお酒の燗は義父にしてもらっています。
しかし、義母は義父が、ゆっくりなペースにやきもきして
自分で運んでしまうのです。

となんだかんだ言いながらも88歳以上の老夫婦が元気でいることは
ありがたいことです。感謝しなければと思いつつも、時々鬼嫁になる私です。

2014年2月21日金曜日

何かあったら先生が助けに行くから

浅田選手のショートの演技は、想像できなかった。そして、演技終了後の呆然とした姿に、
彼女の命のことまで考えてしまいました。
あなたが金メダルをとることより、あなたが一番大切なんだって、何度も何度も画面の浅田選手に言い続けました。
そして、今朝のフリーに向けて、浅田選手に佐藤コーチは
「あなたに、何かあったら先生が助けに行くから」というような言葉を掛けてくださったと聞きました。
私は佐藤コーチこそ一番苦労をして彼女を育てあげた「親」だったのではと
涙がとまらなくなりました。

2014年2月20日木曜日

お母さんなら、休ませてほしかったはず。

オリンピックでは、金を取ることが目標になっている日本の重圧は
浅田選手の体と脳を固くしてしまったような気がしてなりません。
その結果、以前から心が風邪を引いていたのでしょう。
潜伏期間があったはずです。
彼女のように頑張りたいと思う気持ちの大きな人は
心が風邪を引いている事さえ隠し続けて、練習に励んでいたのではないでしょうか
子供を持つ母親として
子供が頑張りたいと必死にもがいている様子を見たら
次に、何が起きるか想像できます。試合でいい点をとることより
あなたが一番大切です。あなたの心が風邪を引いていることを見つけます。
もし、浅田選手のお母さんがおられたら
練習ばかりしないで、あなたが一番大切なのよ。とささやいたのではないでしょうか?



2014年2月19日水曜日

日本農業新聞さんの取材

今日は、日本農業新聞社さんからの取材が朝からありました。

社長の仕事は朝5時前からはじまります。
その、朝一番からの撮影をしてくださったのはとても若い方です。
油揚げ造りの取材は時々ありますが、朝一番社長が動き出すところからは
めったにありません。
私も、いつもより少し早く 家を出て豆撰に到着しました。
すると、青年はカメラを持ち、社長の仕事を追いかけていました。
私はいつもの10倍くらいの大きな声で青年と社長に「おはようございます」と
声をかけました。

私も社長のインタビューの後、少し雑談をさせていただいた時に
「すごく、元気のいい人がいるんだなあって思いました」と私の大きな声に
びっくりしたようです。
私は「私より早く来てくださったあなたへの感謝の気持ちで、大きな声で御挨拶させていただきました」と言ったら嬉しそうな笑顔を見せてくださいました。
さあ、どんな記事になるのでしょうか?楽しみです。

2014年2月17日月曜日

100年に一回を何回経験するのだろうか

五藤監督とご一緒するはずの河口湖映画祭はこの雪のため延期となりました。
もちろん、予想通りでした
河口湖の雪の量は栃尾の雪に負けない昭和56年の時、一晩で降った雪を思い出しました。
娘がお腹にいた時ですから、鮮明に覚えています。それでも私たちは雪国生まれの雪国育ちですから、大変でもなんとかなりました。
今回関東を中心に襲った大雪のもたらす被害は経済的には、とてつもなく大きな損害となることでしょう。地震、大水、原発、大雪と続く緊急事態に私たちは、教訓を得るどころか、次々にやってくる緊急事態に戸惑うばかりです。まるでなすすべのない日々は非常に切ない。
今日も荷受不可の電話に対して言葉もでませんでした。
ただただ皆様のご無事を祈り、明日の回復を願うばかりです。

2014年2月16日日曜日

これじゃあ、どうしようもない

関東を中心に、観測史上初の大雪は
小さなお店にも大きな影響がでております。
連日の配送業者の荷受停止連絡に頭を抱えてしまいました。

栃尾の雪は例年に比べやや少ない感じです。
また、この程度の雪は雪国栃尾にとってはたいしたことはありません。
お店にお越しのお客様は、例年と変わりないことが救われています。

さて、くよくよしてもしかたありません。
今日は春に向けてのお便りを作りましょうか?



2014年2月13日木曜日

弓と禅


福村出版社に勤務のSさんに送ってもらった「弓と禅」
なかなか私には手ごわい本でした。
ただ、私が弓道を少しやったことがあった事と
59年の生きてきた人生を振り返りながら、読み進めると
良い本のひとつになってしまいました。
著者の言いたいことを自分流に解釈しながら読みました。

もうじき、定年年齢を迎える私にとって、意味ある一冊であったようです。
私の目的は定年年齢できめることではない。私自身の迷いを正当化するために
60歳は定年の年と位置づけていたような気がします。
仕事は楽しいと辛いの両方があります。常に楽しい方が大きいとは限りません。
辛い事の方がむしろ大きいのです。
この本は私の今後に、待ちなさい、もっと考えてと忠告してくれたようです。
さあ、私は私の的に何を放つのだろうか
何を放つのか楽しむことにしましょうか?







2014年2月12日水曜日

大町の雁木通りは


例年になく、雪の少ない大町雁木通りです。
その昔はこの通りは米屋さんが、たくさん並んでいたようです。
栃尾には船着場もあった事を考えたら、米屋の商人の多かったことも
納得いきます。また船着場近くに日通さんがあり、馬で荷物を運んでいたとも聞きます。
栃尾鉄道のない時代、山を越えて荷物を運ぶより 川の方が効率的だったのでしょうか


雁木通りが木で出来ていることは、谷内通りに比べ趣があります。
米屋、竹屋、傘屋、小間物屋とたくさんのお店が並んでいたのに・・・
子供たちの集る雑貨屋さんもありました。
昔のお店を思い出すとゆったりとした不思議な気持ちになります。



2014年2月11日火曜日

一番贅沢なものは何か?

昨日ブログにイタリアに住む娘の散歩が微笑ましくもあり、
羨ましいと書き込みました。
ブログのコメントに「いいですよね。一番、時間を贅沢に使えることですから。」と
書かれていました。
私にとって、一番の贅沢はこの空間だったとあらためて気づきました。
ほしいものは本当にのんびりとした時間なんだって・・・。

そして、娘の散歩には時間の贅沢とその贅沢の時間を共有する人が
隣にいることかもしれません。
一番贅沢なことは、一番大切な人と
同じ時間を過ごすことなのかもしれません。

2014年2月10日月曜日

イタリアからの便り






ミラノに住む娘からの便りに

「風邪の具合もだいぶ良くなり、公園で散歩をしました」と公園の風景が
フェイスブックで届きました。
お日様にあたり、のんびりと散歩を楽しんでいる人々の写真です。
栃尾では、のんびり散歩する風景はあまりみられません。
健康のために、ジョギングや歩いている人は見かけるのですが
ゆったりと散歩を楽しむことは私に限らず、なかなか見かけないような気がします。
娘の散歩が微笑ましくもあり、羨ましくもあり・・・
のんびりはいいなあ・・・。




2014年2月9日日曜日

進むしかない道

ソチオリンピックの注目はなんと言っても
浅田真央選手であろう。
団体戦だから今回は「跳べる」とその瞬間に願ったが
結果は「失敗」。そして失敗の報道。
失敗である・・
朝食の準備をして、こうしてパソコンに向かうと
人生は失敗の繰り返しでしかないと思える。
道路は人間の手で作り直したり、壊したりできるが
人生の道は過去には絶対戻れない。
苦しい時は、前にある道さえ目に入らない。
彼女は前にある道を進むしかない。


2014年2月7日金曜日

二つの赤いランドセル

昭和29年生まれ、うま年。
54年前のこと・・・
今思えば、戦後10年しか過ぎていない時代でしたが
子供の私には戦争の傷跡を感じることなく
ランドセルを背に、母と栃尾小学校入学式に参加しました。
赤いランドセルは母の実母つまり私の
おばあさんが買ってくれました。
喜び勇んで、入学式に参加した私は
同級生の持つランドセルと私のランドセルの違いに
気がついたのです。私のランドセルは薄いのです。
入学式から帰って、私はそのことを父の母、つまり同居している
おばあさんに泣きながら訴えたような記憶があります。
そして駄々をこねて、友達と同じランドセルを買ってもらいました。
二つのランドセルにはそれぞれの家族の想いがあったはずです。
おばあさんの買ってくれた薄いランドセルを思い浮かべると
あの時、母の気持ちがどんなだったかと思うと
せつなく涙があふれます。
母とふたりのおばあさんに、「ごめんなさい」と言いたいけど
ふたりのおばあさんはもういません。
そして、痴呆の母はもちろん覚えていません。

今日は私の腰痛治療をかねて、母を連れて温泉に行くことにしました。












2014年2月6日木曜日

ぎっくり腰かしら

2日前の朝起きた時点から、急に腰が痛い。
あれ?いつ?なぜ?
ベットから勢いよく起きたせいかもしれない、それとも
骨盤矯正枕のせいか?
椅子から立ち上がる時の痛みは、今日は特に強く痛くなってきているようです。

今朝、歩いての通勤は大丈夫だったのに・・・
いえいえ、そういえば、今朝3回転んでしまった。
道路は凍てつき、雪道でした。何故転んだか、それは携帯でメールをしていたからです。
車の通らない道だからと、安易な気持ちで携帯のメールなどほとんどしない私が
雪道でメール送信・・バチが当たり、治りかけた腰の痛みが再発したようです。
なれないことはすべきでないと自分の愚かさに気づき、腰をさすっています。

2014年2月4日火曜日

40分のドラマ

家を出て、平橋を渡り堤防にでると
小学生の男の子に手袋を渡すおばあちゃんに
出会いました。男の子は手袋をしながら道端の雪を
つかみ走っていきました。雪を見ると触りたくなる気持ちは
今の子も昔の子もおんなじだなって ・・

しばらく歩くと、川向こうに2羽の鴨が寄り添って泳いでいます。
川の雪も少なく、泳ぎ心地もよさそうです。
旭橋を超えると、昨年の夏に積まれた石積みの一つが目に入り
夏の想い出が冬に残っていることに、
白黒写真や白黒テレビを見ているような
懐かしさを感じました。

約40分の道のりの間に、いくつものドラマを見ながら歩く通勤も
この年になるといいものです。
明日はどんなドラマが目に入るのだろうか?




2014年2月3日月曜日

節分の思い出

節分の日の夜は、ひなた〔囲炉裏〕で豆を炒ります。
炒るのは母の仕事です。私は枡に入った豆をつかみ
「福はうち」と、ひなたのある神棚の下の板の間にまきます。
続いて「鬼は外」と玄関や縁側など、鬼が入りそうな出入り口から外に向かって豆をまきます。
年の数しか食べてはいけないと父は言いました。
10歳違いの姉ちゃん(叔母)は「礼子は○個だけだよ」と
私よりたくさんの豆を食べるのです。
早く年をとらないかなあと真剣に思ったものです。
あれから何年過ぎたのでしょうか
57歳で逝った姉ちゃん
今年は私は59個豆が食べられます。
姉ちゃんよりも2個いっぱい食べられるんだよ。でも、
どうして、こんなことになったのでしょうか
姉ちゃんよりいっぱい食べられることが、こんなに悲しく、涙が止まらなくなりました。

2014年2月1日土曜日

しみわたりのできる朝


土曜日は私の休日日です。
いつもより、ゆったりとした気分で朝を迎えました。
朝食作りの前に娘に依頼した仕事についての
行き違いの説明を電話で説明する。
国際電話であっても、まったく距離感はありません。
すぐそこに娘は存在しているようです。
そして、イタリアと日本でも、親子の距離も同じです。
思ったことをズバズバと話す娘に
納得してみたり、悲しくなったりしながら電話を切りました。
それから、朝食を作り、家事を終え、娘のほしいもの探しに
買い物に出かけようとしたら
先に外へ出ていた夫が
「しみわたりができるぞ」と私を雪の上に誘う。
「あら、そう?デジカメ持ってくるから歩いている私を写して」と依頼する。
子供のころも保育園務めの時もそして、娘の小さかった時も
しみわたりを楽しんだ。
59歳の私は雪の上で昔を思い出し、しみわたりをする。
デジカメをもつ夫の髪は雪の色になってしまって・・・・。

娘のほしいものはジブリ映画のDVDを2本、海苔、抹茶
ついでに抹茶のお茶碗などを買いそろえ、
一日は早い
もうしばらくしたら、夕飯作り…59歳も早かったけど69歳は
私の髪も雪色になり、しみわたりをするのだろうか?