2023年12月26日火曜日

秋刀魚の味

 仕事をしながら見始めた小津安二郎監督映画。終わってからさて、この映画に秋刀魚はでてきたかな?と疑問符がついたけれど、見返すことの意欲は湧かなかった。時間的に。

有名俳優さんのオンパレードである。女性陣の岡田茉莉子さんや岩下志麻さんの美貌は現代っ子の可愛らしさとあまりにも違いすぎている。凛とした高級感とでも言うのだろうか。気高さと言うのか?でも、セリフの言い回しなどに違和感を感じる。音声技術もあるだろうが今の映画人の方が、若くてもリアルに演じていて、役作りがとても上手だと思えた。服装やヘアスタイルの違いもあるかもしれない。

しかし、その時代の風景が心に染みる。家も家具も、茶碗も今の風景とはかけ離れている。看板のデザインもデザインらしさがない。それなのになんだか懐かしく、心の扉が開いたような感覚になる。戦後の高度成長の日常と家族の関わりを表現しているのだろうか。この時代の普通の家族のあり方が秋刀魚の味なのかな。鱧では高級すぎるってことだろうか。

脚本に色付きがなくその時代をありのままを映画化している作風なのだろうか?

物語のラスト、娘を嫁がせた笠智衆父親の気持ちがひしひしと私の胸に突き刺さる。私の亡き父母は私の結婚式では一度も笑顔を見せることなく泣いていた。

私も泣きどうしだった。

43年前になる。

日日是好日

2023年12月16日土曜日

やりはじめて続けたことと辞めたこと 

 絵本集めを5年くらい前からはじめてみました。月に1冊の絵本。孫が小さかった時は読んでやりました。我が家に集まった仲間にも読んでみました。コロナ事情からだんだん絵本集めをやめてしまいました。

着付け教室に通いはじめたのに仕事があってと言い訳をするようになって、今はお休みしています。年齢と着物を着る回数を考えると意欲は薄れています。

お茶のお稽古はなんとか続けていますが、先生であるお友達がいなくなってから、お茶熱は冷めて安いお道具集めもやめてしまいました。

ピアノレッスンは仲間がいるから今も続いている唯一の楽しみです。一日30分から1時間です。お友達や妹が一緒だとやる気が出ます。

Netflixを入れてまだ半年くらいですが週に2、3本ペースで観ています。昔は外国ものしか観なかったけれど、年とともに字幕が面倒になり、今は日本作品が主流になりました。

やめてしまったことは多い。一年を振り返っています。

ブログ日記は続いています。(3072回)

日日是好日

2023年12月11日月曜日

家族

 


「かそけきサンカヨウ」

「護られなかった若者たち」

2本の映画を観ました。

私の家は土砂に埋まった経験をしています。でも、この映画「護られなかった若者たち」とは違う。家を失って、想いでも流されたような絶望感だったけれど、今は暖かい家で生活ができる。この映画の震災は私の何百倍も大変だった事をあらためて知った。多くの犠牲者の霊は彷徨い、家族の悲しみは続いている。残された者同士がいたわりあい血のつながりはないけれど、絆は深い愛情に変わる。

震災の救済、役所の役割などこれからの社会問題を投げかけている。私の夫はかつて生活保護担当職員だった。夫の立場、仕事はどうだったのだろうとふと思う。

「かそけきサンカヨウ」透き通った花の名前とかそけきをかけたもう一つの映画。かそけきの意味も知らなかった。泡い恋と血のつながりのない親子、家族の愛。偶然にもふたつの映画の共通点だった。ただ「かそけきサンカヨウ」には心がホッとし安堵する。二作とも心に残る映画だった。

眠れない夜に観た映画でした。

日日是好日

2023年12月9日土曜日

ひだまりの中で

 


我が家でのピアノ発表会は12月とは思えないあたたかいひだまりの中で、それぞれの音を奏でました。お友達ご夫婦をお迎えしました。そして、スペシャルゲストはフルート歴3年の大正琴家元。楽しく和気あいあいの家族的な発表です。徐々に緊張感もほぐれてきました。

私の出番は妹の歌うアメージングとアベマリアの伴奏です。でも妹は豆撰の配達でなかなか登場せず。そこで、なんと恐ろしく嬉しい事に、ソプラノ歌手の私たちの先生から歌ってもらうことに。私の伴奏ですよ!そしてです、私はいつもより緊張の度合いは低く、ミスタッチはあったもののなんとか弾き通す。それは歌う先生が伴奏に合わせてくれると言う逆転劇があったからです。

妹もようやく参加、「私、着替えますから」と私たちの大先輩お友達が縫ってくださったドレスに衣装替え。気合い入っています。私も気合い入れて、練習不足で暗譜できていないので、心配です。今回はとにかく楽譜を読んでと自分に言い聞かせて伴奏をしました。妹の徐々にのびる声に合わせてなんとか無事伴奏を努めることができました。自分で点数をつけたら70点かな?

その後はイタリア歌曲を先生はピアノを弾きながら歌ってくださる。我らの先生は素晴らしい。我が家に響きわたって屋根をつっきって天空に届く。

クリスマスランチは私ともう一人の生徒さんふたりの手作りです。おせいじも半分でしょうが、豆撰の「ざる豆腐白和え」は美味しいと絶賛してもらう。豆撰の味に自信を持ってレシピを得意そうに皆さんに伝える。豆撰のスタッフのみんなに感謝。

ひだまりの中楽しい一日でした。

日日是好日

アベマリア

 




ピアノを習って3年が過ぎました。

メンバーは75歳から61歳の元気バアさんの集まりです。初めてピアノを弾いた方から高校までレッスンした方、現役保育士の方と色とりどり、人生も色とりどりです。


そして今日は各自が自分の好きな曲を弾きます。歌います。まだ1ヶ月足らずの練習ですが「アベマリア」の伴奏をする予定です。お歳暮時期で豆撰は忙しく、私なりにお手伝いしているので、なかなか練習できませんでした。言い訳上手ですね。

優しく弾こうとすると小指の音が出ない。強く弾こうとすると楽譜と違う音を弾いている。

昨日はいつもなら就寝しているのに、30分ピアノと格闘しました。

そして出した結論は「まあいいか」弾けても間違っても妹よ気にせずに歌ってください!


日日是好日

2023年11月30日木曜日

愛おしさ

 時差が私と孫のコミニュケーションをさえぎる。仕方のないことです。朝学校に行く時にちょっとだけおしゃべりしています。でもその時間は日本の3時です。仕事でどうしても電話に出られないこともしばしばあります。

こちらの朝は(4時)イタリアはお休み時間です。おやすみのボイスメッセージを入れておくとおやすみ前の孫から電話。たくさんのぬいぐるみを並べて、ひとつひとつ名前を教えてくれる孫です。

「おやすみ」と言うババ「明日はお出かけしない?」と孫。「大丈夫だよ」とババ。

電話を切ると愛おしが胸を熱くする。

日日是好日

2023年11月29日水曜日

木枯らし吹く頃

 昨夜はとても綺麗な月夜だったが夜中になると風や雨の音が窓ガラスの向こうから聞こえてきました。

半世紀以上前のことが懐かしく浮かんできました。母は囲炉裏のそばで私の手袋を編んでいます。手袋を編む母の手は赤切れで膨れ上がっていました。

囲炉裏には大きな鍋がかけられて、ことこと煮ているのは「煮菜」です。栃尾の油揚げと干しこのだし。

木枯らしが母の思い出を運んできてくれました。

日日是好日

2023年11月28日火曜日

冬支度

 

囲いの時はまだ赤く色づいていました。

今はだいぶ葉が落ち茶けて冬を感じます早起きの私も、布団の中から飛び出せず、ぬくぬくとしています。孫からメールが届いていました。父親が英語の本を読み聞かせています。孫はイタリア語で通訳しているようです。

子供の能力は自然体で学べる。私は日本語以外の言葉をいつ知ったであろうか?確かABCもわからずに中学校に入学しました。私以外の生徒はほとんどアルファベットは知っていましたから、驚きました。こんな状態ですから少し一生懸命に勉強をしました。ただ、その勉強は半年も続きませんでした。

ところが孫はヨーロッパに住んでいるので英語もイタリア語も自然体で覚えるようです。日本語を書くことはまだまだですが、おしゃべりは流暢です。

日本の子供たちも自然体で英語を学べる環境が必要だと思います。耳コピーは歌や楽器と同じはず?

雪だるまの写真が撮れるのはもうすぐかしら。ババは雪が降るのは困るけれど孫は雪だるまの写真を待っているはずです。

日日是好日

2023年11月27日月曜日

スタニスラフ・ブーニン



 2023年11月26日

長岡市立劇場は満員。開演のブザーが鳴る。ブーニン登場の前の静けさは異次元の空間に存在していた。ステージに黒く輝くfazioliの文字。

黒いスーツにステッキを手に歩き、ピアノに向かう。ステージ中央の椅子に腰掛けステッキを置き、ハンカチをおき、椅子の位置を確認して鍵盤を見つめる。右手が前髪に触れた後にブーニンの音色が始まった。

YouTubeで聴く音色に心が動かされ、ブーニンが大好きになって、長岡でのコンサートを知りチケットを購入した。本物の奏でる音色は今まで聴いたことがない音色だった。この音色はどこから来るのだろうか指と鍵盤とブーニンの心が一体になっている。ピアノは魔法にかかったようだ。

一部の途中で数分の休み、舞台の袖に歩く。行かないでと叫びたくなった。ステッキと靴の音が聞こえる。すぐに戻って椅子の高さをちょっとだけ調整した。ショパンの音色が再び聴こえる。不思議の国に来たのだ。素晴らし音色を奏でる魔術師に耳も心も釘つけになった。

丁寧に頭を垂れる動作の後、20分の休憩。なんなの、この音、この人は神なの?感動を通り越した奇跡のような演奏に聴衆はざわめく。

2部はシューマンの小作品。初めて聴く作品が多いのに、惹きつけられる。ピアノコンサートで涙が自然と頬を伝うなんて。

演奏終了後のアンコール曲は聴けなかったけれど、舞台袖から向かって左端に姿を見せて、満足そうな笑みに復活と感謝の気持ちが背中のちょっと丸くなった姿勢に感じられた。

過去に目を向け

現在に集中し

未来を夢見る

パンフレットに書かれた言葉通りのコンサートだった。

パンフレットのはじめに「ネイガウス流」を伝えていこうと思っています。と記してあった。知らなかったから調べてみました。https://ameblo.jp/yuji1205pf/entry-12545556014.html

ここにあの素晴らしい音色の秘密があったようだ。次回ピアノレッスンの時にこの事について私のピアノの先生に教えてもらいたいと思っています。

ピアノと私を惹きつけてくれた映画「おかあさんの被爆ピアノ」、金塚楽器店から授かったピアノ、そして妹と友達と一緒にブーニンのコンサートを聴くことができた私の69歳に感謝です。

みなさんありがとうございます。

日日是好日

2023年11月8日水曜日

69歳 生きる1

 生まれた時の記憶は誰もないだろう。私もない。産婆さんが母の実家でとりあげてくれたそうだ。母の実家にっとて私は初孫だった。祖父が作ってくれたつぐらが今も実家にあるはずだ。それから時々、母は私を連れて母の実家に行った。大きなお屋敷で、トイレは別棟にあった。夜になると怖くて仕方なかった。豚と緬羊と鶏が飼育されていた。種豚を飼育していたので、子供が生まれると5、6頭我が家の小屋に連れてこられていた。その豚を屠殺場に連れていく日は特別の日だった。少量の横流しで豚肉をいただく。野菜がメインの豚汁を食べた。緬羊は毛を刈り取られ私のセーターになった。このセーターは小学一年生の発表会に着て行ったことを覚えている。お金持ちの子が主役のお巡りさんだった。私はその他大勢の猫役だった。まいごの子猫のお話だったかもしれない。白黒の写真があったはずだ。

その頃から私は母の実家に行かなくなった。よく覚えていないけれど、我が家の祖母は私を溺愛していた。3歳違いの妹が生まれると私は母の手から離れて祖母と常に一緒の生活になっていた。そのせいで私は母との思い出が少ない。妹は残念ながら生まれてすぐに死んだ。このことが私の一番古い記憶である。その日、大勢の人が集まった。お膳が並んでいる。座敷の天井は低くかった。父は背の高い人だったので、父が立ってうなだれているのは父の頭が天井にぶつからないようにしていると思った。父は娘の死を心の底から悲しみ、そこで挨拶をしていたのだが私には死んだという意味がよくわからなかった。その時、あたりを見回すと母の姿がなかった。探し回って、2階に行く。この2階は多分、父と母のために作られた部屋だっただろう。吹き抜けの家、つまり平屋の大きな家の一角を2階にしたようだ。その小さな部屋の隅で母は泣いた。母に「どうしたの」と聞くと母は小さな声で「あっちに行っていて」と言う。この時私は人が死ぬことは悲しいことなんだとはじめて知った。

69年の歳月を思い出して書いて(1)

日日是好日

1

2023年11月1日水曜日

10月も終わって

 



あっという間にハロウィンも終わってしまいました。
昨日は夫は能登に旅行。
私は冷蔵庫の残り物を食べながら、
アニメ「ピアノの森」をいっきに観ました、そして最終回に感動。
私のおすすめアニメになりました。



2023年10月30日月曜日

出雲大社から鳥取砂丘へ

 



旅の最終日 

松江城の見学はなかったけれどお城の長いお堀を船で回る。いくつもの橋の下を通り抜け45分のお堀下りを楽しむ。松江城のお殿様に徳川家康の孫が入城しているとガイドさんの説明を聞きながら、越後の高田城は徳川家康の息子が納め、伊達政宗の娘が嫁いでいたNHKの大河ドラマを思い出す。島根から越後、いや全国制覇していた徳川家康とは凄手の政治家だったに違いない。戦国の時代を経て明治維新、昭和の戦争時代に生まれていなくて本当に良かったと思う。でも今でも、世界は戦争中である。私には宗教戦争や領土問題はよくわからないが、幼い子らや民間人の命を奪うことは許せないと思う。随分脱線しましたがこのお堀巡りの素晴らしさはなんと言っても船頭さんの話術です。乗船した私たちを操って「はい、前の奥さん、そこで一言、皆のもの頭がたかい、ひかえおろうと言ってください」とか「では生カラオケ行きます」と橋の下でエコーをきかせた歌。橋の下を過ぎると乗船客はやや爆笑。船頭さんみたいな先生だったら日本史も楽しかっただろうに!

次の目的地を前に、バスガイドさんが因幡の白兎の話をする。明治生まれの祖母を思い出す。このお話を毎日毎日語ってくれた。嘘はつくとバチが当たると本当に信じていた。でもこのお話にはウサギの寂しさと優しさが入り混じっていたことをことは知らなかった。白兎海岸を背に兎の気持ちが伝わってくる。遠い海のまた向こうに住む娘の気持ちと重なって。

今回の旅の最後は鳥取砂丘。砂浜を歩きたかったけれど、雨のため砂丘を眺めるだけ。それでも波打つ砂丘は綺麗だった。砂の美術館「エジプト展」も良かった。大きな建物にスフィンクス像やエジプトの暮らしが造られている。芸術って素晴らしい。2泊3日の楽しい旅行はこれで終わり、米子空港から新潟空港に戻る。神様にありがとうございました。と感謝して

日日是好日


2023年10月28日土曜日

出雲大社参拝

 


一泊目は玉造温泉でした。

大きなお風呂にゆったりとつかって、お湯加減もちょうど良く、いい気分。玉造温泉宿の前にはそのお宿の橋が架けられ、同じ橋は絶対ないらしい。橋を巡ってみたかったが、湯に浸かってしまっては外に出る気分にはならず、断念。

さて美味しいお夕飯とちょびっとビールをいただき。もうダメ!睡魔には勝てず8:30就寝。翌朝はいつものように4時起床。朝風呂に浸かり、これまたいい気分!朝食をいただき、いつもの3倍は食べた。お腹が空いたのではなく、単に欲張りであった。

さて、稲佐の浜にて砂を頂戴してから、いよいよ本番です。目的地は出雲大社。ああ雨。傘をさして本殿というのでしょうか?参拝にいざいざ出陣。まずは拝殿入り口にてニ礼四拍手し祈祷。厳かな祝詞に導かれ、各人の名前が唱えられる。これはなかなかありがたきこと。巫女さんによる鈴の舞。大国主大神を彷彿する。神が仰せになったことは、働くつまり稲作。疲れたら湯に浸かり体を休める。そして薬を飲む事。薬とはお酒である。なるほどとうなづく私でした。仕事をして湯に浸かり少々の酒をいただく。いいではないですか。その後新楽殿の「大しめ縄」を拝観。その大きさは日本一。全長13、6メートル、重量5、2トン。圧巻。その大しめ縄をバックに記念撮影。

皆生温泉にてゆっくりと体を休め最後の宿泊。

最終日は鳥取砂丘です。続きは最終章へ

日日是好日




2023年10月26日木曜日

出雲大社の旅

一生に一度はお参りしたかった出雲の旅。

新潟空港から米子空港までわずか1時間ちょっと。お茶を一杯頂いている間に到着。国内線に乗るのは20年ぶり北海道の旅以来である。イタリアやアメリカに飛ぶのと違って腰も痛くならない。日本国内の旅もいいもんだ。

米子からは足立美術館へ観光バスで行く。これまたいいまもんだ。なんといっても日本語オンリーはラクチン。

お庭は素晴らしい。落ち葉ひとつ落ちていない。1ミリの狂いもなく刈り上げてある木々。大きな窓から眺める。庭に出ることはできないのは、残念である。

茶室は移転され、そこには魯山人の陶器がびっしりと展示されている。魯山人はいろいろな焼き方を試みた人だった。中でも砥部焼の平茶碗に目がとまる。これほど高さのない平茶碗は初めて拝見する。お茶を入れ、茶筅で点てたらどんな感じかと想像する。下手な私はこぼすかもしれない。いや、茶人はそんなヘマはしないであろう。これだけの品を所蔵している足立美術館の創始者は随分お金持ちに違いない。でも我が家にある楽の紅葉茶碗にも想いがある。妹が京都から買ってきてくれた柔らかく優しい茶碗もいいもんだ。

続いて横山大観の日本画、展示室正面に紅葉の大作。素晴らしい。そういえば景色は違うけれど長岡の駒形十吉美術館にこの大作と同じ大きさの桜の景色があったようだ。桜と紅葉。私的には桜の方が好きである。素人だから好き勝手にものを言うけど。

この美術館には素敵な喫茶室もありお庭を見ながらお菓子が楽しめるのだが、残念なことに時間がなかった。私は花より団子のこの機会を逃したことが一番残念無念であった。

続き 出雲大社は次回に書きます。

日日是好日



2023年10月19日木曜日

谷村新司さんの歌声で

 http://tamionet.com/blog/2011/09/2011-09-23-tanimura/

谷村新司さんのご冥福をお祈りします。

ココロの学校

あの日は認知症の母を私と妹で連れて行きました。歌が大好きな母ですが、谷村新司さんの歌は聞いたことがなかったので、中盤にはあきてしまい、退屈そうでした。

ところが後半に童瑶、確か「ふるさと」だったと記憶しています。母は口ずさみそれはそれは楽しそうな笑顔でした。亡き母は今また天国で谷村新司さんの歌を聞いいるかもしれません。

素晴らし歌声とトークで私たちの心を癒してくださった。

谷村新司さんありがとうございました。

日日是好日


2023年10月17日火曜日

歌の翼に

 優しさが広がるこの曲「歌の翼に」

この曲をブーニンが弾いている。流れるように弾く。ブーニンの顔と天使の顔が重なるほどに幸せのメロディが聴こえる。

夫曰く、「違う曲のようだ」

そりゃあ、そうだ。天才と習いはじめて3年目なの私である。それも70歳目前。10分でもいいから毎日ピアノを弾くことが目標である。背骨骨折の後遺症のせいでピアノを弾いた後は背中が痛くてたまらない。フジコさんも言っていた。ピアノを弾く人は腰が痛いと。そこだけはピアニストのようだ。

本題に

この曲には歌があった。だいぶ弾けるようになったので妹に歌ってもらうことにした。歌の楽譜とピアノの楽譜が合わない。

されど妹は耳がいい。「ここを延ばせばいいかな」と2回目で伴奏に合わせる。音痴の私とは血が繋がっているのに、どうして歌えるの妹の耳コピーに感心するかる。

「歌の翼に」

辛いこと、悲しいこと、どうしようもないことが毎日あるけれど、この曲を弾くと天使が私の肩に止まって「大丈夫です」と囁いてくれる。

日日是好日


2023年10月9日月曜日

忘れられし愛

 俳優も監督も知らない映画だった。なんとなく観てみた。

妻の不倫で理性を失う外科医を強盗が襲った。その結果記憶喪失になってしまう主人公。たどり着いたところで医療を施し村人たちを助けていく。その村に15年前に別れた娘がいた。父とは知らない。もちろん娘とも知らず。主人公に想いを寄せる女性の想い。娘に恋する青年。ロミオとジュリエット版のような一面。主人公を見捨てた友。人間模様はドロドロなのに、なぜか悲劇とは思えずに観入ってしまう。そこには誰かのためにと言う愛が感じられるからだ。ラストは主人公と娘の合同結婚式。記憶を取り戻すことができたのも、父と娘の目に見えない絆、忘れられし愛にたどり着いたからであろう。

最近にはない愛と絆の物語であった。知らない俳優だったけれど演技力のある実力俳優さんに違いない。

そして、優しく心が温まる映画に心が癒された。

日日是好日

2023年10月8日日曜日

大感謝祭祭 終盤です

 



残すところ後2日になりました。

栃尾寿司も好評いただき、8日、9日

50セットずつご用意いたしました。

本日12:00より特大栃尾の油揚げ

無料サービスです。

みなさまお待ちしております。

https://mamesen.jp/


日日是好日


2023年10月4日水曜日

FM長岡さんの取材

 


秋の大感謝祭に毎年駆けつけてくださる。

FM長岡の佐藤様と豆撰工場長の掛け合い

録画でした。

7日、8日、9日のイベント内容の紹介を

素敵な声で誘導してくださる。

ホカホカパパになったばかりの甥っ子は

新潟産大豆使用と生搾り製法を力説。

一本の苗から300個の身をつけた冬瓜

プレゼントやお惣菜を紹介。

取材が終わって、アツアツ油揚げと自慢の

栃尾寿司の試食をしてもらう。

えっ!美味しいと一言だけ言ってなんと

3分足らずで完食。

このスピードにびっくり!

アナウンサーはおしゃべりも早いが食べる

のも早い!

でっかいあぶらげを無料で、

おぼろすくいはタッパーをご用意して

栃尾寿司は1日50セット限定販売。

たくさんの特別企画で

感謝の気持ちで皆様をお迎えします。

日日是好日


2023年10月3日火曜日

秋の大感謝祭開催中




 
恒例の秋の大感謝祭開催中です。

色々な特典があります。

10月8日は特大あぶらげサービス

10月9日はおぼろすくいも‼️

皆さんお立ち寄りください。

日日是好日

2023年9月29日金曜日

天使を抱く

 赤子が私の腕に抱かれ、私の胸の音を聞く。小さな顔、小さな手、小さな足を優しく撫でる。まるで真綿のようである。頬に触れる。全てが天使のようにかわいい。

こんなにも愛おしく、かわいいものだったとは、不思議な感情である。生まれる子らは全部天使っだたことに気づく。

羽のない天使は、これから親の愛情、まわりの愛情に育まれ、羽が生えていくだろう。

三歳のあーちゃんは「ババ!ぼくの妹だからね。ママに返して」と頬にキスをする。

日日是好日

2023年9月24日日曜日

夏の想い出

 


孫から送られてきた

カメラ日記

たくさんの想いでの中に

ババと孫の城山登りがあった。

涼しいうちにと登りはじめたが

「暑いよ、もう帰ろう。

もう帰る」と何度も孫は言いました。

その度に「あきらめないで、もう少しだから頑張ろう」とババはなかば脅迫めいた言い方をする。

ようやく頂上に着く。

秋葉公園、原信、ババのうちへの道路、遠くには守門山が見える。

少しだけ喜ぶ。

そこへ大きなオニヤンマが登場

あれっと言う間に飛んでいってしまった。

水筒の水を分け合って

一休み。

かと思うと帰ろうコールが始まった。

城山の裏から近道を下りる。

待っていたのはパパとママ。

孫にとって暑くて疲れた城山登りだったけれど

夏の想い出のひとつになって

絵のカメラ日記に収められていた。

日日是好日


2023年9月23日土曜日

生まれる

 新しい命が生まれた。

姪の旦那さんと妹から同時に、その喜び

画像が送られてきた。

パパそっくりの元気な女の子だ。

私の周りは死を迎えた人だらけだったから

この赤子の誕生は特別に嬉しい。

彼岸花の咲く季節に赤子が生まれた

誰の生まれ変わりだろうか

父と母の誕生月に生まれた

天国でもお祝いのパーティーに

先祖様が集まってお祝いしているだろう

生まれるは先祖様のおかげ

ひとり大叔母は浜辺の歌を口ずさむ。

日日是好日



2023年9月20日水曜日

生きる



来年は70歳を迎える。夫と二人暮らし。子供一人。孫一人。

私の人生の宝物である。

そして、その宝物と並行して色々な人に出会って、別れて、の繰り返し。

この日は、ピアノレッスン仲間のお友達とミュージカル「生きる」を観ました。黒澤明映画と重ねながら、そして亡き父や母、お友達のことを思いながらの鑑賞でした。一度の人生をどう生きるか、主人公演ずる市村正親さんの後半のブランコシーンは映画と同じく心に響く。

命短し恋せよおとめの歌詞とメロディに涙が頬を伝う。癌と宣告された絶望感。絶望感の中で、彼は区民の要望である「公園」作りに取り組み、それをやり遂げる。命の限り誰かのために頑張る主人公と子供の絆が描かれていた。自分の子供がブランコに乗った時の笑顔が忘れられないからこそ公園を作りたかった主人公の想いが伝わり涙が止まらなくなった。ブランコに揺れて彼は天に召されて逝った。

親の気持ちは若い息子には伝わらない。私もそうだった。親がこの世にいなくなって初めて親に感謝した。死は親の心と子供の心を通わせることにもなる。

役者の素晴らしさとセリフに合わせた生の演奏の迫力はすごい。特にバイオリンとテンパニーは素晴らしく心に響いてグッときた。

映画とはまた一味違う。役者と演奏者と観客がひとつになるライブ感がたまらなく好きだ。特にカーテンコールに寄せる拍手は素晴らしいの連打だ。立ち上がる観客のひとりになる。

帰りの新幹線では舞台の素晴らしさはもちろんだが、夫を亡くした友達とこれからの人生をどう生きるかを夢中で話し合う。苦しいこと辛いこといっぱいいっぱいあったけど、今日こうして新幹線で東京まできて観劇できることに二人とも感謝だね。の結論だった。

ゴンドラの唄を伴奏して、妹に歌ってもらおうかと思った。映画ももう一度。

日日是好日

2023年9月18日月曜日

敬老の日に

 イタリアに戻った孫から動画が送られてきた。牛の次に「ババがいたよ。ババって呼んだら はい って言っている」

動画に映っているのはまるまる太った豚だった。

孫「今日はババの夢を見たの」

私「どんな夢?」

孫「ババと迷路に入っちゃって」

ババは道に迷うのかな、いい加減なのかな、安心感がない存在かな?

日日是好日

2023年9月4日月曜日

台風が去って残ったのは寂しさ

 


台風一家が去って、

残ったのは寂しさだけ。

毎日毎日喧嘩していたのに、

喧嘩さえ楽しかったと思う。

きっと、寂しさの数は幸せの数と同じくらいかもしれない。

日日是好日


かもめ食堂でいいヒント

 


孫たち家族が一ヶ月半我が家に滞在している間、私の自由はほとんどなかった 。

娘家族は勝手気まままである。私は朝から山ほどの洗濯にリビングの片づけ朝食準備に追われる。

そこで途中から起きる時間を早めて4時前にした。洗濯や電気釜のスイッチを入れる。孫や娘たちがちらかした後片付けはYoutubeをつけてピアノ課題曲を聴きながらである。「歌の翼に」はブーニンが一番好きだ。

それからは何がいいかなと探す映画。今回探した映画は「かもめ食堂」私の個人的分析によるのだが美人揃いでない方が女性には関心度が高くなる。主人公サチエ(小林聡美)はフィンランドでかもめ食堂をはじめる。そこに集まる奇妙な出逢いみどり(片桐はいり)、まさ子(もたいまさこ)と個性派女優の3人は絶対にいい人に違いないと言う安心感が生まれるのだ。この背景や脚本は誰が書いたかは調べていなかったが目線からして、絶対女性と思った。

この映画の中で一番感動したのは人に握ってもらう「おにぎり」は極上だと言うことだ。手のひらにあるパワーがおにぎりに伝わり、おにぎりから食べる人のハートに響く。なるほど納得、だから母ちゃんのおにぎりの味は忘れられない。籾殻で炊いたご飯(まんま)の香りだけでも美味しい味だ。おにぎりは昔握り飯と言った。真ん中に梅干しがひとつ入っていた。海苔1枚で包むおにぎりはでっかい。

孫もおにぎりが大好きだ。私はまんまるで小さなおにぎりをおやつにだすと、ペロリと食べる。私が母ちゃんに作ってもらったおにぎりとはだいぶ違う、中身も梅干しからいくらに代わっているけれど、にぎることは同じだ。

豆撰の栃尾寿司も「にぎる」これだと思った。肉厚の甘塩っぱい味も母ちゃんの味がヒントだった。

日日是好日










2023年9月1日金曜日

最終旅行は寺泊

 






真正面に海が広がっている。ベランダの白い椅子に腰掛けて寄せる波を見つめる孫は大喜びである。「ババ素敵だよ。こう言う感じが好きなんだ。世界で一番だよ」と興奮は止まらない。踊ったり跳ねたりしている。「早く海に行こう、ババもだよ」

短パンに着替えて砂浜に行くと色々な貝殻がある。海は綺麗だけどイタリアにはこんなにたくさんの貝殻はないよ。と娘と孫は貝殻拾いに夢中だ。浜辺にはたくさんの廃棄物もある。ガラスの破片まで角が取れてまるで宝石のようにも見える。

佐渡のむこうを見つめると北朝鮮の木船が浮かぶ。この平和の中で拉致された人たちと拉致する人が交差する。人間の死は病や事故が多い、死んだ人への愛情や感謝、残念な気持ちは大きいが、覚悟や諦め、仕方ないと日に日に悲しみは薄れていく。けれど、拉致に関しては生きているかもしれない。いや生きているはずと思う被害者家族にとっての憤りは果てしなく続いているのだと思うと、みな子ちゃんのお母さんの顔が浮かぶ。戦争も拉致も何も解決していないのだから。

雲に隠れて夕陽が沈む絶景はみられなかったが雲の切れ間からお日様が海を照らし砂浜に顔を描いてくれる。妹が歌う「浜辺のうた」を私は伴奏する。孫は浜辺を歩き浜辺に城を築く。

いよいよクライマックスだ。孫はすすんでビールやお皿を運ぶ。炭を起こしお肉にエビ、シジミ、豆撰の栃尾の油揚げ、夫製作のナス、ピーマン、などなどに孫は「めっちゃ美味しい」を連発。日本の家族と一緒のバーベキューは最高のようだ。終盤に近づくと地面にムカデが出没!田舎育ちの娘は、簡単に捕まえて、火の中に。「ママどうして、可哀想だよ。逃がしてやればよかったのに」と大泣き。ここで般若心経を唱え一件落着。

4:40分いつもよりよく眠り1時間遅い起床。ベランダに出るとまだ薄暗く西の空にまんまるく光っている、月である。昨日の夜見た位置と随分違う。東の空は赤く染まっていた。あいにく太陽は雲に隠れて見えない。昔話「ねずみのよめいり」を思い出す。そして地球が回っていること月が地球を回っていること。イタリアとの距離と時差などを考えていると、やっぱり宇宙から地球を見たら模型でなく本物を感じるだろうと思った。あたりが明るくなると孫も起きてきて、女3人で貝殻拾い。自分の手のひらサイズの貝殻を見つけて耳に当てる孫。「海の声がする」と私の耳に貝殻を当てる。海の声が確かに聞こえた。親子3代こんなに幸せな時を聴かせてくれてありがとうございます。と私は思った。辛いことも苦しいこともお金がなくて困ったこと。貝殻から聞こえる声は「よく頑張ったね」と言っていた。

しばらくすると娘は砂浜に投げ出されているプラスチック拾い。夫は砂場に降りる階段の草刈り。

どれくらいの効果があるのだろうか。父娘はよく似ているものだ。

日日是好日

2023年8月29日火曜日

放任主義です!


夏祭り民謡流しを孫は楽しみにしていた。浴衣を着て盆踊りの練習もする。私は疲れと腰痛のため行くつもりもなかった。だがその時が来ると「ババ一緒に行こうよ、お願いババと踊りたい」と訴える。頼まれたら仕方がない「ジジに聞いてきて、夕飯は遅くなるけど待っていられるか」孫は喜び勇んでジジに聞きにいき、了承を得る。返答は「大丈夫だよ。待っていられるって」というわけで娘夫婦と孫と私で民謡流しに行く。実は夫はババと盆踊りに行くからジジも行こうよと行って欲しかったらしいことを翌日告白しています。

初めての雰囲気に圧倒されていたところに神楽が出現。固まる。怖いと手を握ってくる。それからは踊りどころでなかった。私は腰痛のため退散することに、すると孫はババ待ってと大きな声で私を呼び止め、パパとママを置いて自宅に帰る。待っていたジジは一人酒。孫は神楽から逃れ餃子を食べ元気を取り戻しリビングでひとり盆踊り。非常に疲れるババはゴロリ。孫も浴衣のままゴロリ。いいではないか疲れた時は、それにうるさく喚かない、喧嘩もない。こんな日は滅多にない歯磨きもパスできる。もう疲れ切っているのだから育児は放任が一番!

日日是好日

2023年8月26日土曜日

ミッドナイトスワンと孫

 日本アカデミー賞作品賞主演男優賞映画「ミッドナイトスワン」を観る。

ついこの間の作品だったのに、もうNetflixで観られる。田舎の映画館が流行らないわけだ。

孫がイタリアから滞在して1ヶ月が過ぎようとしている。時差で仕事をしている孫の父親は私の茶室用の部屋を独占している。私の映画鑑賞時間は朝の4時から家事をこなしながらである。それ以外の時間は孫にテレビを独占されてしまった。それでも仕方ない、孫が静かな時はアニメを見ている時だけだから、テレビは孫にとって最高のおもちゃであり最悪のおもちゃである。しかし平和を保つにはなくてはならない最強の必需品となっている。

さて、本題今回の映画についてはサバカンとは全く違う。貧乏という意味ではおなじであるけれど。現代の社会の流れというか昭和生まれの老人には理解できないジェンダーについてなんと納得させるというか、あり得る事として主演男優賞の草彅剛は表現していた。バレーのシーンが多いのは、人との関わり、親子、母性を語る上で大切な部分であるが私にはバレーを踊る少女に美しい動きとやすらぎを感じた。

孫は5歳の時ほんのちょっとバレーを習っていたから、手や足の動きがしなやかだ。残念ながら、1年で終了してしまった。集団の中で遅れを感じたのか、何が理由かはよくわからないが、バレーはピアノと同じように昭和生まれの私には憧れだった。そんな思いもありバレーのシーンは本物を見ているように美しいと思った。女性として生まれたかった男性と母親に乱暴され、自虐しなければならない少女の間には愛があった。愛って不思議である。

孫は反抗期となんでもしたい自主性期である。思い通りにならないと泣く、怒る、叩くの三拍子である。手に負えない毎日だ。だが何不自由のない生活を送っている。今の所は。これでいいけれど将来は?

映画の中の人は葛藤の中で自分探しをしていく。苦難がいいとは決して思わないが、苦難が人を救ってくれることもあるような気がする。楽しい映画とは違うが現代の社会を浮き彫りにしていたように思う。

あと9日でイタリアに戻る私のもうひとつの家族と悪戦苦闘の生活も終わる。

日日是好日


2023年8月24日木曜日

孫ととんび

安曇野で戯れる孫とお友達

 1ヶ月が過ぎた。娘夫婦と孫の5人暮らし。ようやく孫の「手」がわかりはじめた。そんな日々の中で早起きの私は「とんび」を観た。

全く予備知識なく映画鑑賞に入る。幕開きから涙が溢れてしまう。幸せになっちゃいけないの、と阿部寛演じる父親の必死な愛情に涙が止まらない。映画序盤で息子を助けるために死んでしまう妻。号泣しちゃう。まだ子供のアキラと父親ヤスを海に連れ出し片親のぬくもりとアキラには大勢のぬくもりが背中にいっぱいあることを教える和尚の説法に観る側にも幸せってこれだよと、また号泣する。人生の幸せを考えさせてくれる、泣き続ける映画だった。

孫は日本語もイタリア語も上手だ。アニメを一緒に観ると孫は英語を聴く。私は字幕を読む。この頃の子供は天才である。なんでも覚える。理屈も達者である。そのため1日に数回喧嘩をする。まだ子供だとわかっていても喧嘩をする。

アキラは大人になっていく過程で思いやりのある人に成長していく。父親の存在に距離を置きながら成長する。編集の仕事につき伴侶を得る。バツイチの恋人でも、その人に子供がいても愛は変わらない。そうであってほしい。いやどうかな?と親の立場は複雑だ。

孫は「⚪︎⚪︎しなさいの言葉が言わないで」と言う。命令言葉が心に突き刺さるようだ。妹の孫を抱っこするママには「抱っこしないでヤキモチになる」と泣きながら訴える。

6歳の子供にしたら日本はなんでもしてくれる優しい家族がいる国と期待して飛行機に乗ったであろう。だが降りてみたら道徳心の塊でこれはダメが多いジジとババである。ジジとババにとっても孫は優しく無邪気で老人の言う事を素直に聞いてくれる孫のはずだった。孫もジジとババもはずれた。

映画「とんび」は親子、友達の絆を愛情たっぷりに描いている。愛情を注いでも、期待通りにはならない。それでも深い愛である。

もし孫が20歳になるまで私が生きていていたら、どんな事を話すだろうか。

日日是好日


2023年8月20日日曜日

半澤鶴子氏講演に思う



 半澤鶴子氏の茶事講演に何を思ったか

80歳を過ぎても精力的に活動する姿に、残りの人生「かって気ままに生きよう」と思っている私にとってはショックだった。

公演中に何度も繰り返される「水と茶葉があればそれでお茶を楽しめます」と言い切るゆい髪と着物姿が、とても似合ている。

その昔は、利休さんは商人である。だから茶事に侘び寂びを取り入れ権力に屈しない姿勢を見せたと話す。茶事を武士の教養とした意味はそこにあるのだと。信長から秀吉へ家康と受けつがれた茶の道は現代まで受け継がれている、そして半澤さんも茶人として全国を回っている。求めているものは美味しい茶とおもてなしの心の伝道師である。そしてその姿は年齢には関係なくイキイキとしている。「まあいいか、歳だから」と逃げている自分が恥ずかしいと思った。

美味しい水こそが茶を極めるとおっしゃる。あるではないか栃尾には素晴らしい名水の数々が、もう一度栃尾人よ、水の観光を考えて!栃尾には美味しい酒蔵が2軒もある。美味しい水のあるところだからあぶらげ屋も栄えたのであろう。

日日是好日




2023年8月17日木曜日

無言館とは

 




上田の森はくぬぎの木で囲まれていた。真正面にこじんまりとした館が無言で立っている。

静かなはずの森に響き渡る蝉の音は若人の生きたいと祈っている叫に聞こえる。

館に向かう坂道を孫は無邪気に楽しむ。まだ青い小さなどんぐりを手のひらにいっぱ集めて、こぼれそうになると私のバックに押し込む。

館の扉は西洋の小さな教会のようだ。厚くて重く腱鞘炎の右手に左手を添えて開ける。薄暗い十字架の画廊に集められた戦没画学生の絵が剥き出しのコンクリートの建物にかけられている。まるで島に閉じ込められたように自由が奪われるような空間だ。それとも燃料がなくなった機内に閉じ込められたような。

原田新 「婦人像」着付けがしっかりしている。帯留がややしたに留められている。うつむいた瞳、膝前に組んだ手。足袋に下駄。このポーズをとる婦人を描く原田青年も生きることを祈って筆を握っていたはずだ。


太田章 和子の像 

白地の絞り浴衣に三つ編みは当時の女学生スタイル。戦争の時代に描いた夢はあったのだろうか。

恋をしましたかと尋ねてみたが無言だった。

前田美千雄

妻への絵葉書フイリピン島スッケッチと重なる亡き父の「栃尾を一周してくれ」と覚悟の再々入院の日を思い出す。

佐久間修 静子像 この絵をみた瞬間に目が動いた。待って!行かないでとでも言ったように。

この館の名前は無言館。

日日是好日





2023年8月14日月曜日

お迎えに虹の橋

 


先祖様をお迎えするお墓はふたつある。

そのひとつは実家のお墓である。ピカピカに磨かれてあった。すでに妹家族が先に先祖様を迎えていた。お花と蝋燭とお線香が添えられてあった。娘が聞く。曾祖父さん達が入っているの?もちろんだ。13代続いたこの家に14代目がもうじき誕生するのだ。ただの百姓であっても続いたことには間違いがない。妹夫婦に感謝するのみだ。

このお墓には分骨された叔母も眠っていることを教える。叔母の願いだった。周りを見渡すと誰も訪ねる人がいないお墓が散散して草の中に埋まっている。

もしお父さんが先に逝って、最後がお母さんだったら墓じまいしてほしい。永代供養の必要もない。更地にしてくれたらそれでいいからと伝える。

それから山を下りる途中に、守門岳の手前に大きな虹に橋がかかっていた。娘が見つけると孫が大喜びする。大ババと大ジジを迎えに来てくれたんだね。ありがとうと無邪気にはしゃぐ。

実家のお墓をお参りして今度は嫁ぎ先43年目の墓参り。先祖様も義父母もまさかイタリア婿殿からお参りしてもらうなんて夢にも思わなかっただろう。孫の手には提灯の火が灯り、浴衣姿でしずしずと歩く。

家に迎えた先祖様に枝豆、焼き肉をせっせと運ぶ孫にありがとう。

日日是好日

2023年8月13日日曜日

カラス天狗がいた





日本昔ばなしの上映がトチオーレであった。孫を連れていく。畳の部屋はちょっと辛かったが、絵や声に懐かしさと時代の変化を感じる。ジブリ映画もそうなんだが最近の作品には馴染めない。私の心の中は時代についていけないからだ。CGが作る映像より切り絵や水彩画が好きなのだ。登場人物もセリフも進化しすぎて馴染めない。日本昔ばなしはよかった。

上映後に春祭りの道具が展示されていた。60年前の私がそこに立つ。

目を引くのはカラス天狗。母の後ろに隠れて小さな手だけを恐る恐るカラス天狗に差し出す。その手は震える。掴んだ飴玉は最高の夢お菓子だった。

かあちゃんと心の中で呼んでみた。母がいた。

今は私の隣に6歳の孫がいる。世界を知らなかった頃の私と世界や宇宙の話をする孫が一緒にいる。

日日是好日


2023年8月6日日曜日

8月6日 母の3年忌と父の17年忌

 


実家の法事

住職の挨拶の中

「供養の度に家族が増えておられることにご先祖様も喜んでおられることでしょう」

甥っ子の結婚そしてもうじき甥っ子にも子供が生まれる。姪っ子にも二人目の子供がもうすぐ生まれる。家族が増えることは幸せが増えるってことだろうと思う。

実家で見つけた母と父の笑顔写真

いろいろあったけど写真は最高の笑顔である。写真撮影の瞬間は仲良し夫婦であっただろう。

2人姉妹の家族が集まると最年長は夫、次は私となる。私たちはどんな笑顔が残るだろうか?

日日是好日


2023年7月21日金曜日

いよいよです。今日孫が日本行きます!


 孫は後いくつ寝たら日本に行くかこの1ヶ月を指折り数えて楽しんでいました。そしてようやく飛行機に乗り今日本に向かっています。もう嬉しくて嬉しくてたまらない様子が伝わる写真が送られてきました。

フランスで乗り換えがあることを知ると「フランスには行きたくない」と言う。娘が乗り換えの意味を教えるとホッとする。

去年に引き続き4回目の来日である。日本の家族との思い出も去年からはしっかりと孫の胸に刻まれている。「ジジの畑にもし猿がまたいたら追っ払う」「いくらを10よりいっぱい食べたい」「イルカショーまたいく」などなど孫にとって日本はもう一つの国である。私たち夫婦には子どもひとりそして孫ひとりしかいません。忘れていました義理の息子がいました。ですから束の間の5人家族を楽しみたいと思っています。リモートで孫とよく喧嘩をするババですが日本に来たらババが大人になって喧嘩をしないようにと思っています。

日日是好日

2023年7月20日木曜日

おかあさんの被爆ピアノと私

 


きっかけは映画「おかあさんの被爆ピアノ」だった。平和への祈りと「戦争は絶対してはいけない」を心に秘めて制作された映画をスクリーンで観る。心に響く被爆ピアノの音色。

30年以上も私にとってピアノは必要なものでなかった。私の仕事とは遠く離れた異次元の世界であった。それなのにどうしたのだろうか、映画の主人公菜々子のひたむきな心に引き寄せられた。純粋な気持ちの中に凛とした信念が感じられる。こうした心の演出は五藤利弘監督の人間性が溢れている。

この映画が絶対にあり得ないはずの不思議を起こした。

ピアノが弾きたくなった。お友達でもある楽器店さんに頼んで中古のピアノを探してもらった。運が良く丁度いいピアノがあった。65歳を過ぎての買い物としては高額であった。「私、ピアノが欲しいの」と夫に承諾を取ろうとしたら「いいんじゃあないか」とまさかの回答にびっくり。おまけに代金まで出してくれた。これこそ奇跡であった。ピアノレッスンは、先生から我が家へ出張してもらうことにする。私一人では申し訳ないので妹は歌を、70歳を過ぎたMさんを誘って月一回のレッスンが始まったのである。今では5人の仲間が月一回集まってレッスンを楽しんでいる。もう少しで3年の月日が過ぎていく。

おかあさんの被爆ピアノはその間何回も上映され3回目の上映に新な感動を感じる。佐野史郎さんの演技力は1回目で誰もが絶賛した。そして3回目にして菜々子さん役の武藤十夢さんの演技が変わって見えた。心の動きが感じられる。「武藤さん、上手くなったね」と私がつぶやくと妹は「映画は同じだよ。変わったのはあなたでしょ」と言われる。

1回目より2回目そして3回目と見る方に余裕ができる。ストリーはわかるがそれぞれの配役の心の動き、心の描写にたどり着くには時間と回数が私には必要である。そして監督の訴えたいことが自然と見えてくる。それは一人でも多くの人がこの映画を通して戦争について考えてください。と訴えているようだ。

観る人がどう感じるかは誰にもわからない。観ていない方に是非おすすめする私の映画の一つです。


日日是好日

2023年7月17日月曜日

被爆ピアノコンサートとおかあさんの被爆ピアノ

 




被爆ピアノコンサートと

映画「おかあさんの被爆ピアノ」

長岡美術館講堂はこじんまりとした空間だった。ステージに置かれたピアノはその存在の意義を訴えているように千羽鶴と並ぶ。

今日のピアノは「和子さんのピアノ」と名前がつけられていた。妹の名前と同じだ。平和の和であることにあらためて気がつく。7月は私の両親の命日月である。両親は妹誕生に平和を祈り願って命名したのだろうと思う。両親の青春は戦争の中にあったのだから。

子供らの演奏は被爆ピアノ和子さんの音色を引き出し奏でた。見事に78年間の想いを願いを平和へと導いた。

素晴らし演奏だった。

映画「おかあさんの被爆ピアノ」上映前に映画監督五藤利弘さんのトークに胸が熱くなる。制作前の大事故。車は大破したが自分は助かった。助かった命を映画に注ぐと誓った監督の決断に。

映画のモデル矢川光則さんとこの映画に全身全霊の力で制作に取り組んだふたりの想いはまさに「和子さんのピアノ」を通して平和を願っているのではないだろうか。平和とは大きく言えば世界へ向けて戦争はしてはいけないと力強く訴えている。そして司会者大桃美代子さんの言葉に「この映画は観ている人が観ていない人に伝える責任があるのでは」と締めくくっておられたが、それこそ平和への種まきだあろうとしみじみ思う。

映画のテーマは作り手の想いを離れて観客の想いに変わる。制作から何度も繰り返し上映されるには意味がある。観客の心に映しだされ、生きていく意味を考えることがが私たちの責任でありそれをひとりでも多くの人に伝えていかなければと思った。被爆ピアノは永遠に生きて平和の歌を奏でるあろう。

もう一人の主人公菜々子ちゃんのピアノを聴きながら私もピアノを頑張りたいと思った。簡単楽譜でなく、きちんと「悲愴」を弾きたいと思った。それが私の平和へのメッセージになるような気がして。

日日是好日



2023年7月11日火曜日

ブーニンは素晴らしすぎ

 アニメの「ピアノの森」に流れる最初の曲が大好きです。

でもクラッシクにうとい私は曲目がわからずにただ繰り返し聴いていた。

ある日長岡駅の広報にブーニンのコンサートが長岡市立劇場で11月に開催との記事を見つける。

確か若くしてショパンコンクールで優勝した人だったよな?と記憶の彼方から取り出してYouTubeで検索する。

すると私の大好きな曲を弾いている。すごすぎだ!今まで聴いていた曲なのかと思うほどのショックと感動で胸がいっぱいになる。

まるで大きな葉っぱの中で水玉が魔法にかかったように舞う。その曲は「アラベスク1番」だった。

そして「悲愴」を聴く。何?何?えっ、この盛り上がりをこんなふうに弾くの?私が弾いていた悲愴と同じ曲なの?ペダルなしだよ!なぜこんなに人の心に響き聴こえるの?

というわけで私はブーニンの大大ファンになったのです。

ピアノを習って2年半、まだまだ2年半だ。頑張ろうと思う今日この頃。

日日是好日






2023年7月2日日曜日

父の命日

 

    畑へ向かう途中、父を思い出す。


妹は大橋家を継いでくれた。そして仏を守ってくれています。

感謝です。

妹からラインが入り今日は父の命日と書いてありました。

そうだった。それで納得です。私が命日を忘れていたので父が「礼子思い出しておくれ」とささやいたのです。

畑の散歩途中、私は父に怒られたことがなかった。唯一あるとしたら、結婚したいと言った時だった。怒っているというより、深い悲しみが声にならず震えていた。今は大橋から多田になりその年月は43年になる。父は結婚式の日に「いつでも帰ってきていいぞ」と言った。

しばらくして私は実家に毎日通うことになった。そして父母を見送ることができた。せめてもの親孝行だった。

命日に「歌の翼に」を練習する。

父に届いたかな

「頑張れ礼子」って父が手をふっていた。

日日是好日

2023年7月1日土曜日

The days

 最近Netflixを入れた。

その理由は単純だ。家で映画を楽しむことができる。スクリーンでの映画は最高だが、時間の節約と好きな映画を選べるの2点に重点をおきNetflixを入れたのである。

2日続けて視聴した「tha deys 」は深い。あの日がよみがえる。日本の情報より当時ドイツに住んでいた娘の情報の方がリアリティで真に迫っていた。娘の友人は日本に留学していたが即ドイツに帰国した。

ドラマは私がその時に見ることのできなかった福島原発の内部の様子が再現されていた。これをみたら誰だって原発反対になるであろうと私はあの日の胸の震えとどうすることもできない無力の自分に気づく。

主人公演じる役所広司さんの静かな表情はその深刻さを物語っている。自分に何ができるかと極限の中でリーダーとは、判断力が問われる。まさにその人吉田所長その人だった。

観る側の立場や年齢、社会環境もあるだろうが、一度は観てもらいたいドラマだった。そして、考え続けなければと思った。

7月17日には長岡で被爆ピアノコンサートと「おかあさんの被爆ピアノ」映画が開催されます。原発の恐ろしさと同じくこの映画も静かに訴えている。戦争はしてはならないと。是非見てほしい。

そして未来は原発も戦争も無くなることを願う。

日日是好日




2023年6月29日木曜日

人生いろいろ

 






その土にあった植物ほど美し花はないと思った。

様々な品種に紫陽花が植木鉢に収められている。

薔薇の花に似ている。どこかの王妃のような冠のような花、正確にはがくだろうか。

色も青、紫、ピンク、赤と鮮やかである。

1鉢1鉢に愛情が込められている。子育てのようだ。でも何だか温室で育つ立派な花のようだ。根を土に下ろしている花は自分に合う環境の土で育つから生き生きしているような気がした。

ごめんなさい。あなたは気高く凛として私を楽しませてくれましたよ。

いろいろある。いろいろな生き方が。

日日是好日




2023年6月27日火曜日

栃尾のシモツケ草

 




梅雨の合間、午後からちょっと晴れ。

1時間のドライブに栃尾道院高原へ行く。

栃堀から刈谷田ダム脇を通る。

この時期は花がずいぶん少なくなっている。

細い道を少し走ると「シモツケ草」の群れ

に出会う。花言葉は「儚い」泡のように

消えて行くイメージだろうか。

花は儚い。ゆえに野に咲く花は愛おしいの

だろうか。

日日是好日