真正面に海が広がっている。ベランダの白い椅子に腰掛けて寄せる波を見つめる孫は大喜びである。「ババ素敵だよ。こう言う感じが好きなんだ。世界で一番だよ」と興奮は止まらない。踊ったり跳ねたりしている。「早く海に行こう、ババもだよ」
短パンに着替えて砂浜に行くと色々な貝殻がある。海は綺麗だけどイタリアにはこんなにたくさんの貝殻はないよ。と娘と孫は貝殻拾いに夢中だ。浜辺にはたくさんの廃棄物もある。ガラスの破片まで角が取れてまるで宝石のようにも見える。
佐渡のむこうを見つめると北朝鮮の木船が浮かぶ。この平和の中で拉致された人たちと拉致する人が交差する。人間の死は病や事故が多い、死んだ人への愛情や感謝、残念な気持ちは大きいが、覚悟や諦め、仕方ないと日に日に悲しみは薄れていく。けれど、拉致に関しては生きているかもしれない。いや生きているはずと思う被害者家族にとっての憤りは果てしなく続いているのだと思うと、みな子ちゃんのお母さんの顔が浮かぶ。戦争も拉致も何も解決していないのだから。
雲に隠れて夕陽が沈む絶景はみられなかったが雲の切れ間からお日様が海を照らし砂浜に顔を描いてくれる。妹が歌う「浜辺のうた」を私は伴奏する。孫は浜辺を歩き浜辺に城を築く。
いよいよクライマックスだ。孫はすすんでビールやお皿を運ぶ。炭を起こしお肉にエビ、シジミ、豆撰の栃尾の油揚げ、夫製作のナス、ピーマン、などなどに孫は「めっちゃ美味しい」を連発。日本の家族と一緒のバーベキューは最高のようだ。終盤に近づくと地面にムカデが出没!田舎育ちの娘は、簡単に捕まえて、火の中に。「ママどうして、可哀想だよ。逃がしてやればよかったのに」と大泣き。ここで般若心経を唱え一件落着。
4:40分いつもよりよく眠り1時間遅い起床。ベランダに出るとまだ薄暗く西の空にまんまるく光っている、月である。昨日の夜見た位置と随分違う。東の空は赤く染まっていた。あいにく太陽は雲に隠れて見えない。昔話「ねずみのよめいり」を思い出す。そして地球が回っていること月が地球を回っていること。イタリアとの距離と時差などを考えていると、やっぱり宇宙から地球を見たら模型でなく本物を感じるだろうと思った。あたりが明るくなると孫も起きてきて、女3人で貝殻拾い。自分の手のひらサイズの貝殻を見つけて耳に当てる孫。「海の声がする」と私の耳に貝殻を当てる。海の声が確かに聞こえた。親子3代こんなに幸せな時を聴かせてくれてありがとうございます。と私は思った。辛いことも苦しいこともお金がなくて困ったこと。貝殻から聞こえる声は「よく頑張ったね」と言っていた。
しばらくすると娘は砂浜に投げ出されているプラスチック拾い。夫は砂場に降りる階段の草刈り。
どれくらいの効果があるのだろうか。父娘はよく似ているものだ。
日日是好日