2023年11月8日水曜日

69歳 生きる1

 生まれた時の記憶は誰もないだろう。私もない。産婆さんが母の実家でとりあげてくれたそうだ。母の実家にっとて私は初孫だった。祖父が作ってくれたつぐらが今も実家にあるはずだ。それから時々、母は私を連れて母の実家に行った。大きなお屋敷で、トイレは別棟にあった。夜になると怖くて仕方なかった。豚と緬羊と鶏が飼育されていた。種豚を飼育していたので、子供が生まれると5、6頭我が家の小屋に連れてこられていた。その豚を屠殺場に連れていく日は特別の日だった。少量の横流しで豚肉をいただく。野菜がメインの豚汁を食べた。緬羊は毛を刈り取られ私のセーターになった。このセーターは小学一年生の発表会に着て行ったことを覚えている。お金持ちの子が主役のお巡りさんだった。私はその他大勢の猫役だった。まいごの子猫のお話だったかもしれない。白黒の写真があったはずだ。

その頃から私は母の実家に行かなくなった。よく覚えていないけれど、我が家の祖母は私を溺愛していた。3歳違いの妹が生まれると私は母の手から離れて祖母と常に一緒の生活になっていた。そのせいで私は母との思い出が少ない。妹は残念ながら生まれてすぐに死んだ。このことが私の一番古い記憶である。その日、大勢の人が集まった。お膳が並んでいる。座敷の天井は低くかった。父は背の高い人だったので、父が立ってうなだれているのは父の頭が天井にぶつからないようにしていると思った。父は娘の死を心の底から悲しみ、そこで挨拶をしていたのだが私には死んだという意味がよくわからなかった。その時、あたりを見回すと母の姿がなかった。探し回って、2階に行く。この2階は多分、父と母のために作られた部屋だっただろう。吹き抜けの家、つまり平屋の大きな家の一角を2階にしたようだ。その小さな部屋の隅で母は泣いた。母に「どうしたの」と聞くと母は小さな声で「あっちに行っていて」と言う。この時私は人が死ぬことは悲しいことなんだとはじめて知った。

69年の歳月を思い出して書いて(1)

日日是好日

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