2022年7月31日日曜日

 


繊細な美 しとやかな恋人

の花言葉にちょっと驚いた。


大輪で色鮮やかだから

高貴な感じがしていた。

波のような花びらは透けて見える。

朝咲いて、夜にはしぼんでしまう

ところから考えると

この花言葉にもうなづける。

4時に起床し

コヒーを入れ、なかなか弾けない

浜辺の歌のピアノ伴奏を

YouTubeで聞きながら

朝食準備。

窓から芙蓉の花がお日様の方を向いて

咲いている。

私の一日のはじまりだ。

日日是好日




2022年7月29日金曜日

寂れゆく場所 八方台






 家を一歩出れば

物が溢れ、見るもの全てが

はじめての陳列棚である。

当然のごとく、ほしいの連発。

お願いとせがむ孫。お菓子におもちゃ

が知らず知らず増えていく。

その結果、食べきることもなく

おもちゃもその場限りで

投げ出されている。

そこで、お店のないところで

自然がいっぱいのハ方台に

手作り弁当を持っていくことにする。

栃尾から一之貝を経て

山道に入ると、両脇は草で覆われて

車一台がやっと通れる狭さだ。

ようやく、いこいの森に到着。

山ゆりが咲く森、池にはひつじくさの

花が一面を覆っている。

広大な森である。

いこいの看板文字を見つけた孫は

どいう意味と質問してくる。

みんなが仲良く楽しむ森って言う

意味だよ。と教える。

いこい、いこいはたのしいね

ババとジジとママとパパと

わたしは

楽しいね。

と即興で歌いスキップする。

草むらを駆け回る。


ここは遊歩道が管理されている。

しかし、昔と違って

私たち家族の他には誰もいない。

草刈りの私世代の老人が

ふたりいただけである。

夫はコクワガタを見つけ、

お弁当を広げると

ブンブンクマンバチが飛んでくる。

大丈夫だよ。慌てないで。

何もしないから。

キツツキ発見。

お弁当を食べ、森散策。

いろいろな種類のキノコを発見。

なめくじがいた。

赤くなり始めた漆の葉を見つけ

触ってはいけない事を娘は娘に

教える。

熊注意の看板が結構多い。

管理人の老人に聞いてみると

熊はいるようだが

夜と朝早くしか現れないようだ。

私たちは見たことがないと教えてくれる。

孫は、安心してひとりで

森の道を歩く。

アナログ人間の私は

この自然が大好きだ。

孫とここはトトロの森だよ。と会話する。

今日の新聞コラムに

熊が出るようなところに税金を使う必要

はない。と大物政治家が言った記事が

書かれていた。

長岡も商業化による開発はいくつか

進められている。

それも、経済優先である。

必要な事でもあるだろう。

しかし、森や自然を守る事と

そこで、遊び学ぶ事は

心の栄養になるはずだと思う。

帰りにトドの水を汲んで

ババはトドの水が好きだね!と孫は

言う。

日日是好日




2022年7月28日木曜日

その時はジコジコ電話だった



 その時はまだジコジコ電話だった。

今のようにハイカラな音色ではない。

リーンリーンとけたたましく

忙しないような音である。

私が嫁いだ家は水害で跡形も無くなって

今では、土砂崩れ対策の石が

積まれている。


周りは田んぼで、家の脇には

大倉に行く細い道が通っていた。


今から40年位前の話になりますが

時間は夜8時時頃に決まっている。

ジコジコ電話が鳴る。

当時はどこの家も廊下や階段の下に

電話があった。

電話をかけてくる主は

姉ちゃんこと叔母である。

内容は違っても、子どもについての

悩みごとが多かったような気がする。

私は隣室に義母がいる時は

蚊の鳴くような声で

蚊が鳴いているのは聞いたことは

ありませんけれど。

義母が寝床に入ると

ようやく、

普通の音量で会話をしました。

今みたいに、携帯電話があれば

自分の部屋で寝そべっても

話せるのですが

その頃は、黒のダイヤル式でしたから

姑には随分気を使いました。

毎日こい1時間ほど会話

と言ってもほとんどが、聞き役でした。

娘が修学旅行で初めて一泊するんだけど

あの子未だにオネショするでしょ

どうしたらいい?

先生に話して夜中に起こしてもらうしか

ないでしょ!

この話を先日従妹に話したら

おねしょ!は腑に落ちないけど

今は夜尿症といって膀胱が小さい子が

なるんだよ。

おしっこを我慢して膀胱を大きくする

方法や尿を濃くする薬を処方されるん

だよ。

時代の流れでしょうね

と返答がきた。

そうだったのか

知らなかった私。

まあ兎も角

大抵このレベルの話である。

それからも

電話は続いていました。

そして

今から20年前のある日

肩が痛くて

でも腕は上がるけど

50肩かしら

そうね、整形外科に行ってみたら

そうするわ。

この時に整形外科の先生は誤診をした。

手術が必要です。数ヶ月は入院です。

姉ちゃんは命に別状があるわけでない

ことと、家業の忙しさから

手術は拒否、

経過観察となったが

日に日に電話で訴える様子に大きな

不安を感じた。

今日ほどネット社会ではなかったので

医学書を買いあさって読む。

辿り着いたのは肺の病気。

姉ちゃんの旦那さんつまり叔父と

姉ちゃんの娘に(従妹)

すぐに日赤病院に行くように

連絡する。そして私も日赤病院に行く

からと伝える。

私の頭の中はパニックだった。

私は医者でもなんでもない。

私の読んだ医学書内容と

姉ちゃんの病気は違うかもしれないのだ。

その日は検査のみである。

医師はその日のうちに病名を

推察していたはずだが数日後の予約を

入れて、その日の診察は終わった。

姉ちゃんの姉ふたり(叔母)と私たち3人は

診察後待ち合わせて

ランチをすることになっていた。

鰻が食べたいと言う上の叔母と

その下の叔母は鰻だけは嫌だと言う。

まああんなに美味しいものが

嫌いなんて、可哀想な人ね。

私はこの呑気な叔母たちは、一体何を

考えているのだろうと呆れながら

まあまあみんなが好きなものをどうぞ

と言った。

ふたりの叔母はいつも

こんな調子であった。

性格が全く違って

漫才をさせたらいいコンビに

なったであろう。

さて、それぞれが好きなのものを注文

して、一件落着。

それから私は、肩を見せて

痛さを堪えて片方の袖を脱いで

私に見せた右肩。

その瞬間に私は私の思っていた不安が

不安ではなく、的中したと

思った。

それから私は何を食べたのか

何を話したのか

どうして帰ったのか

全く覚えていない。

検査結果の日、叔父と私は先生に呼ばれ

結果報告を受けた。

予期していたはずであるが

医師の説明に

心はここにあらずだ。

待合室で待つ姉ちゃんの切なく

不安な表情は今まで見たことがない。

大きな瞳がさらに大きくなって

どうだった?と私を覗き込む。

入院してもっと検査しなくっちゃだって

と言うなり

私はトイレに逃げ込んだ。

号泣した。堪えられなかった。

今まで生きてきて

一番悲し日だった。

姉ちゃん57歳、私47歳。

あれから20年が過ぎた。

私の手にはいつも携帯電話がある。

仕事も、日本はもちろん

世界のことも調べられる。

魔法の辞典のような電話になった。

地球の裏側の人とも話せる。

なんでも調べられるし便利だ。

でも

何かが違うような気がする。

それがまだよくわからなくて


あなたに会って

相談したいことがあります。

今度は私の話を聞いてください。


日日是好日












2022年7月25日月曜日

母の一周忌

私には三つ違いの妹がいた。

その妹は数ヶ月でこの世から

さようならをした。

父は座敷に並べられている

たくさんのお膳を前にして

少し前かがみで立っている。

父は昔の人にしては背が高かったので

幼い私は父の頭が天井に続くのでは

と思った。

父は白いワイシャツを着ていたように

思う。ネクタイをしていた。

お膳についている大勢の人に

悲愴な顔で何か挨拶していた。

その時、私は母がいないことに気がついて

2階に上がってみたら

母が泣いていた。

私がそばに行くと

あっちに行っていなさいと

言っただけだった。

母が私に見せた最初の涙だった。

実は母が泣いたのはこの時から

15年くらい後の2回だけだった。

もう一回は、いつか書ける時が

きたら・・・・・・。

話を戻します。

私の記憶は曖昧である。

なにしろ3歳だから

父母は生まれたばかりの

赤子を毎日風呂に入れていた。

この時の風呂は大きな木の桶で

割木を焚べていた。水棚と並んで

床はセメントに目ザラが敷いてあった。

赤子の頭に腫れものがいっぱいできて

祖母はその腫れ物のことを

胎毒と言っていた。

赤子の名前はまりこと名付けられていた。

数ヶ月でこの世から消えてしまった。

まりこのことを祖母は

父と母のせいにして

訳のわからない幼児の私に

腫れものをいじり回し石けんをつけて

洗ったせいだと言い続けた。

何が原因だったのか

聞く人もみんな居なくなった今では

わからない。

多分、今なら治せる程度の病気だと思う。

それから4年が過ぎて妹ができた。

この妹はふたりの姉(私とまりこ)と違って

病気らしい病気はしたことがなく、

近所でも有名なわんぱく小僧

いや、小僧は男の子だから

小娘だろうか

元気の塊のように

丈夫で賢かった。

祖母はよく言った。

この子が男の子だったらよかったのに。

幼稚園の運動会には園児代表挨拶を

堂々とした。と父母は大喜びで

帰ってきた。

みかん箱は妹のステージである。

水前寺清子さんの涙を抱いた渡り鳥

はお箱で、親戚中の人から喝采を受けて

いた。

そりゃあそうです。

泣き虫で、人の前に立てず

どこに行っても祖母の後ろに隠れている

引っ込み思案の私とは対照的存在でした。

私と違って運動も良くできた。

父母は母に懐かない私を祖母に

任せ、中学三年まで姉ちゃん(叔母)と

私と祖母の3人と父母と妹と言う

2組の組み合わせ家族のようだった。

妹は母に可愛がられ、私は祖母という

関係がは幼少の時は気にしなかったけれど

だんだん成長していくにつれ

寂しかったかもしれない。

いつも母と一緒に寝床に入っている

妹が羨ましくて

私は母に愛されていないと思っていた。

今日は母の一周忌だった。

後を継いでくれた妹夫婦、妹家族と

私の娘家族とお寺に行き

読経を上げてもらう。

母は母に懐かない私をみて

さぞかし、寂しかっただろうと

私は娘を授かった時に

初めて母の気持ちがわかったような

気がした。


だから、私は娘が生まれた時

絶対に娘を手離さないと

心に誓って、絶対義母とは寝床を一緒に

させなかった。

それでも娘はばあちゃん子に育った。

住職の唱える読経に合わせ

妹の読経に

母が優しくありがとうと言っている。


私が67歳 妹60歳 

母の命日は7月8日 忘れないように

書いておこう。

日日是好日






2022年7月24日日曜日

馬市 夜店に行く

 

孫と娘は浴衣を着て

娘婿は日本風に、

金魚が描かれたシャツを着て

ウキウキ気分で夜店に向かう。

保護者は妹の息子夫婦に娘家族

そして、私たち老人ふたりである。

何十年ぶりだろうか?

店の内容も変わっていた。

わたあめ、金魚すくい、りんご飴

焼き蕎麦、お好み焼きなど露天商は

変わらなかったが

地元のお店は一軒も見当たらず

銀座通りと言われた

谷内通りはシャッターが降りている。

有名料理屋さんの入り口には

売地の看板がある。

67年の間に町は随分変わった。

そして

私の隣を歩く白髪の夫が小さく霞んで

見えた。

そんな感傷は若いものには関係なく、

孫は金魚すくいで二匹すくうことができ

大喜びだ。

でもあまりにも小さくて

家で飼っている金魚にたべられるかも

と心配している。

もう一つの最大目的は

わたあめである。

ちびまる子ちゃんのアニメに

わたあめが登場するらしく

孫はちびまる子ちゃんのように

わたあめを食べることが

日本でやりたい最大目的だった。

ババはわたあめを買ってやり

老夫婦は先に帰る事に

骨折の痛さもあって、ちょっと

寿司屋さんに寄り道。

孫たちもそろそろ帰るだろうと

急いで自宅に戻る。

コロナ感染予防のため

立ち食いは禁止で

わたあめ一色の孫は

もう、自宅に帰っていた。

私たちが戻るとわたあめを取り出し

最高の笑顔でわたあめをなめて

感激のポーズをとる。

あまりにも小さい金魚は

別部屋に入れられた。

そして、今朝

一匹はあの世に旅たち

他の二匹は川に

という結果になった。

日日是好日







2022年7月19日火曜日

早起きして見せたかった蓮





 毎年の恒例である。

吉水の先、みどり保育園の隣に

2反ほどの蓮田んぼがある。

濃いピンク色の蓮田んぼに

目を奪われる。

是が非でも、イタリアの孫に見せ

たかった。

この日は運良く従姉妹の娘も我が家に

泊まって、孫の誕生日を祝った

翌日である。

私はあまりにも、誕生日プレゼントの

多い孫に、これでいいのかと疑問を

抱いていたから

品物のプレゼントはしなかった。

その代わりにこの蓮の花の

想い出をプレゼントするつもりだった。

最初は綺麗と言ったが

そのうち、朝露の小道をサンダルで

歩いたものだから

花は綺麗だけど、もう帰ろうと

さっさと車に向かう。

5歳の誕生日には

おもちゃではない

心に残る何かを与えたかった

ババである。


日日是好日




2022年7月16日土曜日

快復とピアノ

 胸椎圧迫骨折をして

47日目です。

歩けるようになり、

家事も休みながらゆっくり

ゆっくりとはじめました。その間に

イタリア家族が帰省して10日が

過ぎました。

孫の日本語は

想像以上に上達していた。

接続詞や感嘆符やら

時々、使い方が変である。

がそれがまた愛嬌で面白い。

孫は父親と話す時はイタリア語である。

父親も、たまには日本語でコミニュケー

ションを取ろうと精一杯の気兼ねをする

それを聞いて、孫は

「パッピー日本語上手になったね」と

言う。

父親は苦笑いする。

頭で考えてしゃべるには時間がかかる。

イタリア語から日本語に置き換える

回路を通るからだ。

私の英語などはその回路に

大きな石があったり、交通止めになってい

たりするから、非常に難儀で

思い出した時には会話不成立。

ところが、孫には

置き換え回路がない。

例えば美味しいとボーノは同じ意味で

あることを自然に習得している。

勉強しなくてもいいのである。

孫は回路なしでイタリア語も日本語も

英語も会話においては

今の所、勉強をしなくていいのだから

随分得をしている。

さて、この療養期間は

仕事はさておき、

せっかく、1年半習ってきたのに

ピアノのレッスンを一時休まなければ

ならなかったことは

悲しみ深く、お財布を落としたような

気分であった。

実は

簡単楽譜ではあるが

大きな壁にぶつかっていたから

なおさら、焦ってしまう。

ピアノは二刀流と思っていたら

まさか!なんと3刀流だった。

右手と左手の弾き方が違うだけで

四苦八苦、

そばで仕方なく聴いている夫や妹

曰く何の曲?とか

ああやっとわかったとか言う。

そりゃあ、そうでしょう。

弾いている本人もこれで弾けるのか

自信がなくなってくる。

一ヶ月くらいの

地道な努力で、ようやく音符を正しく

見分け、なんとか音符の長さを

理解できるようになって

心な中では

やった感100%。の

ところがです。

ペダルの踏み方ですが

「上げて、踏んでにしましょう!」

はいーおおー

今まで踏んで上げていたのに

操り人形のような動き

できません。

先生が弾くと確かに

ペダルの音響は天井まで響き渡る。

でも、

修正不可能な年齢である。

一度間違って覚えた習性は

修正できなかったのである。

ここでタイムに入ってしまったレッスン。

そのレッスンを無理をしないように

再開できて、

自主練したいのです。

できるようになりたいのです。

67歳の頑張りをしたいのです。

ところが

あの孫が私のレッスンを邪魔するのです。

ババピアノ弾いちゃあダメ!

孫が寝たら、こそ練しようと

思っても孫より先に寝てしまう

ババであります。

日日是好日

















2022年7月13日水曜日

パンチの笑顔




 私の姪っ子には

2歳の男の子がいます。

孫はその子がだーいすきです。

ふたりのこどもは9ヶ月ぶりの再会。

お互いに、名前を呼び合っています。

姪っ子の子どもは

随分言葉が出てきて、孫のパパを

パッピーと呼びます。

イタリア人も日本人も

関係ありません。

そして、もう一匹の仲間の存在。

生まれて三ヶ月の子犬とご対面!

私もやっと会えました。

愛らしい瞳

無邪気な瞳

甘える瞳

吠える瞳

ご主人は妹です。

妹の言葉を聞き分けています。

孫は英語がわからないババとジジを

みているので

子犬が英語を聞き分け

待つ、伏せなどの行動する様を見て

孫はパンチは凄いね。と言います。

天使が舞い降りてきたようです。

先代のパンチもきっと喜んでいること

でしょう!

姪っ子の旦那さんは

子供たちが喧嘩すると

「みんなで一緒に遊んだら楽しいんだよ」

と優しく子どもたちに言葉かけします。

私は

「お姉ちゃんでしょ」と年上の孫を

叱ってしまいます。

保育園勤めをしていた

なんて言えない私です。

パンチの愛らしさも

子供たちの愛らしさも

大人次第かもしれません。

日日是好日

2022年7月8日金曜日

ハートがドキドキしたの

羽田到着の知らせの携帯電話がなる。

ババ日本に着いたよ。弾む声。

無事イタリアから日本に到着

出来ホッとしました。

孫は少し沈黙し

ハートがドキドキしたよと

話す。

まだ会っていない、羽田での携帯会話。

それから3時間後

長岡駅改札口に向かってくる孫たちは

迎えの老夫婦を見つけると

長時間の飛行は期待と疲れが

入り混じって、いつものお調子者の

顔から、なんだか真面目くさっていて

ちょっと照れた顔で

かけてくる。

ちょっと涙目の孫と私

目と目を合わせ、ぎゅうをして(ハグ)

今度はジジとぎゅうをして

ババはこっち、ジジはこっち

私は真ん中と

3人はこの道は私たちの道とばかりに

長岡の駅を歩きました。

日日是好日


会えなければできないのです。



2022年7月5日火曜日

極めなければならないものはない

 


4時半起床

2杯分のコーヒーを入れる。

2合のお米をといで

仏様と三畳の間のお花を生け直す。

と言っても散りそうな花を取り

花瓶と水盤に水を足すだけ。

歩く分には背中の圧迫骨折背痛みは

ほとんどない。

立ったり座ったりが難儀だけである。

あと一ヶ月の辛抱と

自分に言い聞かせ

3日目の般若心経を声を出して

読む。

お経に関心があったわけでも

仏教心があるわけでもない。

ちなみに私は20歳から35歳までの

15年間をお寺様経営の保育園に

勤務していた。

月曜日は必ず朝集会がある。

3歳未満児から年長までお遊戯室に

集まる。

年長さんは順番にお数珠を手に下げて

お線香とお水とお花を持って、

50センチくらの仏像(のの様)

が祀られているステージに向かって

しずしずと歩く。

献花の花は、その前に保母が

準備しておく。

若い頃、給食のおばちゃんが

私が椿の花を上げていたのを

見つけ、椿のように花がポトンと

落ちるのは縁起が悪いから

上げてはならない、とげのある花も。

と教えてもらった。

園長先生は衣と袈裟を身に纏い

子供らの後ろから入り

子どもたちから、お線香とお水とお花を

受け取り供える。順番は忘れました。

それから真ん中に園長先生、両脇に

子どもたちが座り

般若心経が唱えられる。

33年前のことです。

私はこの儀式を何回見てきたのか

この儀式を何回子供たちと一緒に

行ってきたのか

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩

行深般若波羅蜜多時

ここまでは何とか読めるけれど

この先は全く読めず

自分の学習能力のなさに

呆れるやら笑ってしまう。

では、なぜこのような信仰心も

学習能力もない私が

たった3日とはいえ

我が家の仏壇の前に座り

ひらがなと睨めっこし読んでいるのか

不思議である。

妹は実家の仏壇にお経を毎日唱えている。

その影響もある。

それよりも私は父母、叔母の写真に

ただただ手を合わせるだけで

心が軽くなるような気がするのです。


日日是好日






2022年7月2日土曜日

三つ子の魂は?



を干す

 三つ子の魂は百までと言いますが

満年齢では1歳です。と

保育書に書いてあった。

流石に満1歳の

記憶はない。

しかし性格は造られていたのだろう。

小学一年生の時

ひらがなのテストが毎日あった。

今の子供と違って、

小学校に入学するまでに自分の名前が

書ければそれでいいと思っている

父母はひらがなを教えようとは

しなかった。

小学校入学式まじかになって、

母の実家から赤いランドセルと

アノラックが届いた。

アノラックはグリーン系で

女の子の好みではない。

ランドセルもぺっちゃんこで

私好みではなかった。

せっかく母の実家が揃えてくれたのに。

母は10人兄弟の一番最初に生まれた双子

姉妹の妹である。

だから私がランドセルとアノラックを

買ってもらった時は

母の妹ふたりがまだ高校生でした。

それに、中学生の弟がひとりいたわけです

から

随分お金がかかったことだと思う。

孫への入学祝いを買うのは

大変だったはずである。

それなのに、こともあろうか私は

わがままで、

祖母にこのアノラックは着たくないと

言って、上店に行って赤と白の格子

模様で、赤い毛のついたかわいい

オーバーを買ってもらったのである。

それは私のお気に入りになり

小さくなって従姉妹にあげた時は

とても、悲しかった。

何年かして、そのお気に入りのオーバーは

妹のところに戻ってきた。

とても嬉しかった。

小学生になって、三年生の時に

ついに私は、ランドセルに難をつけて

とうとう、ふっくらとした

本物の皮で作ったランドセルも

買ってもらった。

今思うと、母の実家から届いたアノラック

とランドセルは母の母がリヤカーを引いて

野菜売りでコツコツ貯めたお金で買ってく

たに、決まっている。

ばあちゃんがリヤカーを引いている顔

が浮かんで

涙が溢れてしまう。

性格の悪い子でごめんなさい。

さて話を最初に戻します。

流石に入学式目前になって

急に

おおはしれいこのひらがなを

家族全員で教え込む。

スパルタだ。

それでも、私も6歳ですから

結構早くに書け、家族みんなは

この子は頭がいいと褒めてくれた。

意気揚々小学校に通うと

名前だけでなく、たくさんのひらがなを

先生が教えてくれる。

名前しか書けなかった私は

天にも登ったような気持ちになって

勉強が楽しかった。

ところがひらがなテストがあって

先生の言う言葉を紙に書くテストだった。

簡単、簡単。

みんなできた。と思ったら

バツが一個あった。

ゆでたまごと書かなければならないのに

私はゆれたまごと書いた。

父と母に

私は間違っていない。

私にはゆれたまごと聞こえた。

と言い張った。

こうした聞き間違いは大人になっても

多くて、夫にいい歳して何言ってるんだと

言われる。

性格も勉強も満1歳で造られたのです。

と言い訳する私。

日日是好日






2022年7月1日金曜日

孫のためにメロン作りました。

 

     猿柵の中はメロンです

もういくつ寝ると

後1週間でイタリア家族が帰省します。

明日とその次ともう一つ次と

次と次の次と

そうしたらね、飛行機に乗って

日本に行くんだよ。と

目を輝かせ話す孫。

私はジジの畑にはジャガイモ、

ピーナツ、キュウリにナス、トマトも

あるよ。

そうそう、メロンもあるよと

話すと

ババ、私メロンは好きじゃあないんだよ

あら、じゃあ食べないの?

うーん、でもジジのメロンはスーパーのと

違うかもしれないから

食べてみるね。

子どもながら、孫は結構ジジに気をつ

かっているようです。

私は、快復に向かってはいますが

なかなか思うようには

動けず、イタリア家族を迎える準備は

できていません。

これまた、なんと良い口実でしょうか?

お昼はどこかで食べましょう

朝ごはんはおにぎりだわ

お掃除はできないから

お願いします。

なんていい口実!

しめしめと一人で、昔話に出てくる

意地悪婆さんを演じています。

いえいえ、そうではありません。

実は、無理はしないようにと

ドクターから言われているのです。

長野一泊入院の時

師長さんが言いました。

チャンスですからねと!

なんと素晴らしい師長さんでしょうか

この際です。忠実に守ります。

日日是好日