2022年7月28日木曜日

その時はジコジコ電話だった



 その時はまだジコジコ電話だった。

今のようにハイカラな音色ではない。

リーンリーンとけたたましく

忙しないような音である。

私が嫁いだ家は水害で跡形も無くなって

今では、土砂崩れ対策の石が

積まれている。


周りは田んぼで、家の脇には

大倉に行く細い道が通っていた。


今から40年位前の話になりますが

時間は夜8時時頃に決まっている。

ジコジコ電話が鳴る。

当時はどこの家も廊下や階段の下に

電話があった。

電話をかけてくる主は

姉ちゃんこと叔母である。

内容は違っても、子どもについての

悩みごとが多かったような気がする。

私は隣室に義母がいる時は

蚊の鳴くような声で

蚊が鳴いているのは聞いたことは

ありませんけれど。

義母が寝床に入ると

ようやく、

普通の音量で会話をしました。

今みたいに、携帯電話があれば

自分の部屋で寝そべっても

話せるのですが

その頃は、黒のダイヤル式でしたから

姑には随分気を使いました。

毎日こい1時間ほど会話

と言ってもほとんどが、聞き役でした。

娘が修学旅行で初めて一泊するんだけど

あの子未だにオネショするでしょ

どうしたらいい?

先生に話して夜中に起こしてもらうしか

ないでしょ!

この話を先日従妹に話したら

おねしょ!は腑に落ちないけど

今は夜尿症といって膀胱が小さい子が

なるんだよ。

おしっこを我慢して膀胱を大きくする

方法や尿を濃くする薬を処方されるん

だよ。

時代の流れでしょうね

と返答がきた。

そうだったのか

知らなかった私。

まあ兎も角

大抵このレベルの話である。

それからも

電話は続いていました。

そして

今から20年前のある日

肩が痛くて

でも腕は上がるけど

50肩かしら

そうね、整形外科に行ってみたら

そうするわ。

この時に整形外科の先生は誤診をした。

手術が必要です。数ヶ月は入院です。

姉ちゃんは命に別状があるわけでない

ことと、家業の忙しさから

手術は拒否、

経過観察となったが

日に日に電話で訴える様子に大きな

不安を感じた。

今日ほどネット社会ではなかったので

医学書を買いあさって読む。

辿り着いたのは肺の病気。

姉ちゃんの旦那さんつまり叔父と

姉ちゃんの娘に(従妹)

すぐに日赤病院に行くように

連絡する。そして私も日赤病院に行く

からと伝える。

私の頭の中はパニックだった。

私は医者でもなんでもない。

私の読んだ医学書内容と

姉ちゃんの病気は違うかもしれないのだ。

その日は検査のみである。

医師はその日のうちに病名を

推察していたはずだが数日後の予約を

入れて、その日の診察は終わった。

姉ちゃんの姉ふたり(叔母)と私たち3人は

診察後待ち合わせて

ランチをすることになっていた。

鰻が食べたいと言う上の叔母と

その下の叔母は鰻だけは嫌だと言う。

まああんなに美味しいものが

嫌いなんて、可哀想な人ね。

私はこの呑気な叔母たちは、一体何を

考えているのだろうと呆れながら

まあまあみんなが好きなものをどうぞ

と言った。

ふたりの叔母はいつも

こんな調子であった。

性格が全く違って

漫才をさせたらいいコンビに

なったであろう。

さて、それぞれが好きなのものを注文

して、一件落着。

それから私は、肩を見せて

痛さを堪えて片方の袖を脱いで

私に見せた右肩。

その瞬間に私は私の思っていた不安が

不安ではなく、的中したと

思った。

それから私は何を食べたのか

何を話したのか

どうして帰ったのか

全く覚えていない。

検査結果の日、叔父と私は先生に呼ばれ

結果報告を受けた。

予期していたはずであるが

医師の説明に

心はここにあらずだ。

待合室で待つ姉ちゃんの切なく

不安な表情は今まで見たことがない。

大きな瞳がさらに大きくなって

どうだった?と私を覗き込む。

入院してもっと検査しなくっちゃだって

と言うなり

私はトイレに逃げ込んだ。

号泣した。堪えられなかった。

今まで生きてきて

一番悲し日だった。

姉ちゃん57歳、私47歳。

あれから20年が過ぎた。

私の手にはいつも携帯電話がある。

仕事も、日本はもちろん

世界のことも調べられる。

魔法の辞典のような電話になった。

地球の裏側の人とも話せる。

なんでも調べられるし便利だ。

でも

何かが違うような気がする。

それがまだよくわからなくて


あなたに会って

相談したいことがあります。

今度は私の話を聞いてください。


日日是好日












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