胸椎圧迫骨折をして
47日目です。
歩けるようになり、
家事も休みながらゆっくり
ゆっくりとはじめました。その間に
イタリア家族が帰省して10日が
過ぎました。
孫の日本語は
想像以上に上達していた。
接続詞や感嘆符やら
時々、使い方が変である。
がそれがまた愛嬌で面白い。
孫は父親と話す時はイタリア語である。
父親も、たまには日本語でコミニュケー
ションを取ろうと精一杯の気兼ねをする
それを聞いて、孫は
「パッピー日本語上手になったね」と
言う。
父親は苦笑いする。
頭で考えてしゃべるには時間がかかる。
イタリア語から日本語に置き換える
回路を通るからだ。
私の英語などはその回路に
大きな石があったり、交通止めになってい
たりするから、非常に難儀で
思い出した時には会話不成立。
ところが、孫には
置き換え回路がない。
例えば美味しいとボーノは同じ意味で
あることを自然に習得している。
勉強しなくてもいいのである。
孫は回路なしでイタリア語も日本語も
英語も会話においては
今の所、勉強をしなくていいのだから
随分得をしている。
さて、この療養期間は
仕事はさておき、
せっかく、1年半習ってきたのに
ピアノのレッスンを一時休まなければ
ならなかったことは
悲しみ深く、お財布を落としたような
気分であった。
実は
簡単楽譜ではあるが
大きな壁にぶつかっていたから
なおさら、焦ってしまう。
ピアノは二刀流と思っていたら
まさか!なんと3刀流だった。
右手と左手の弾き方が違うだけで
四苦八苦、
そばで仕方なく聴いている夫や妹
曰く何の曲?とか
ああやっとわかったとか言う。
そりゃあ、そうでしょう。
弾いている本人もこれで弾けるのか
自信がなくなってくる。
一ヶ月くらいの
地道な努力で、ようやく音符を正しく
見分け、なんとか音符の長さを
理解できるようになって
心な中では
やった感100%。の
ところがです。
ペダルの踏み方ですが
「上げて、踏んでにしましょう!」
はいーおおー
今まで踏んで上げていたのに
操り人形のような動き
できません。
先生が弾くと確かに
ペダルの音響は天井まで響き渡る。
でも、
修正不可能な年齢である。
一度間違って覚えた習性は
修正できなかったのである。
ここでタイムに入ってしまったレッスン。
そのレッスンを無理をしないように
再開できて、
自主練したいのです。
できるようになりたいのです。
67歳の頑張りをしたいのです。
ところが
あの孫が私のレッスンを邪魔するのです。
ババピアノ弾いちゃあダメ!
孫が寝たら、こそ練しようと
思っても孫より先に寝てしまう
ババであります。
日日是好日
0 件のコメント:
コメントを投稿