1964年、東京オリンピック開催の年、私は12歳。
4本の細い足が支えるブラウン管つきの厚い白黒テレビを
一家6人で見入る。
テレビを前に、父の声は大きく、特に重量挙げの三宅選手に送る
声援はすごかったように思い出します。
バレーボールの金メダルは、スポーツ少女にとっては花形。
女子は、こぞってバレー部に入部していました。
スポーツは好きでしたが、
背が低いといういいわけとスポーツをやり通す根性のなさを今さら悔いても仕方ない。
はだしの王者アベベの偉業はすごかった。
東京オリンピックは靴を履いていたようですが・・・
ローマの時のエピソードは学校でも教えられ、その精神の強さを
子供心に感じました。
オリンピックの経済効果はすごいものがあったはずですが
子供の私にとって、東京オリンピックは強い根性を持つ事と
愛国心を教わったよう気がします。
今こうして思い出し てみると
あの時22歳の叔母はもういない、父もいない、もちろん明治生まれの祖母もいない。
一緒にテレビにかじりついた人がいない・・東京五輪決定の号外の歓喜に反して
なんだか妙に切なく涙がにじみます。
2020年の東京オリンピックは夫と娘夫婦と一緒にテレビを見たい
と7年後を想像しています。
2 件のコメント:
おはようございます。
久しぶりのコメントになりますね。
2020年東京オリンピック開催が決定して本当に良かったですね。ずーっとテレビ中継を観ていました。
1964年の東京オリンピックでは体操女子のチェコ・チャフラフスカ?選手ががとても印象深く思い出に残っています。東京開催が決まってとても嬉しいですね。今度はどんな選手が活躍してくれるのでしょうか。今から楽しみです。
ありがとうございます。
2回も東京オリンピックがみられるなんて
すごいことです。と言われました。素直にとればすごい経験ですが、年をとったってことですかね。
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