2016年4月18日月曜日

生きていればこそ

カテーテル治療を終え
部屋に戻って安堵し、迎えてくれたのは夫、妹夫婦、実母
ベットの脇で、私を見守ってくれていました。
かすかな言葉しかでない、生きてきた61年分の疲れが私の全身をおおい、「ありがとう」と囁くのみでした。
とにかく眠りに就きたかった、休みたかった。次第に意識も遠くなり 、これで全てが終わるはずだったのに、固定されたからだの緊張と腰の痛みに苦しめられ、申し訳ないと思いつつ、ナースコール。背中に手を入れてもらうこと数回、3センチくらいの隙間角度をつけて少しだけ体をずらしてもらう。すると再び嘔吐の繰り返し。
夜どうし、腰の痛みと嘔吐に苦しめられました。病室のカーテンの隙間から、うっすらと明かりが見え始めたので、夫に電話をして早く病院に来てもらうように懇願しました。
腰の痛みに、我慢に限界はあるのでしょうか。何十本の注射も我慢できました。辛かったカテーテル治療もなんとか乗り切ることができました。後はこの体が動かせたら、それでいいのです。直立不動で足には鉛のような重いものが私を押さえつけています。夫を待つ時間の長いこと、ようやく夫は病室へ、腰に手を入れてもらい、できる限りのわがままな注文をしました。朝8時半までの地獄の道も主治医の診察で終了です。
「心電図を見ていると全く不整脈はありません。よかったですね。辛い思いをさせたね」と微笑む優しい目は天使のように思えました。解き放された私の体、まな板の鯉は水に戻され生き返ったようでした。すべての先生、看護士さん、私を見守ってくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
夫は私が欲しがっていた望遠カメラのカタログを持ってきて、どれがいいかとあれやこれやと説明してくれました。遠くに見えていた、鳥たちよ、虫たちよ
しっかりと観察するからね。

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