2016年4月20日水曜日

陽だまりの中であの日を思い出す映像

病室から我が家に帰っても、変わらない映像が次から次へと映し出されています。
この屋根の崩れよう……。
あの日の朝、ゴーゴーと滝のような雨。雨の音は大きな石の音。我が家に押し寄せる雨はまるで映画のようだった。家の脇には細いアスファルトの道が山に向かって傾斜している。その脇には大きな杉の木がずらりと並んでいる。50年以上の大木だった。傾斜に土嚢を積み、水が我が家に入らないように試みた。無駄。私の足もすくわれそうな勢いだ。ただ見ているだけ。成す手立てなど一つもない。諦めと不安の中での避難勧告。時計は9時を回っていたような気がします。近所の家に残っているのは老人ばかりです。私はトラックの荷台に老人たちを乗せ避難所へ。お昼の炊き出しの手伝いを終えたころ、妹からの電話。両親の住む家の庭が崩れ落ちたとの連絡が入る。私は避難所から膝よりも高い水が上がった洪水状態の道路を通り抜け、実家に急ぎました。水の勢いは私の足を奪い、前進を拒否する。それでも必死で歩き、たどり着く、豆撰。今のところ異常なし。安堵の気持ちと今度は実家はどうなのかと恐怖を抱きながら、両親の家にたどり着く。両親と妹家族はうなだれ放心状態で庭が落ち、玄関まで来た崖くずれを見ている。
声もでない。ただただ、仕方がなかった。実家がこの状態ならば、我が家はいったいどうなっているのだろうかと、引き返す。
我が家の屋根に、大きな大木が二本倒れている。瓦は傷んでいるが、なんとか家はたもたれ、朝とは違って、水は我が家に流れていない。市役所から駆けつけた夫と、遠く離れた場所から我が家を見つめる。家の中には愛猫が残されている。夫に助けて来てと叫ぶ。その時です、ドドドッ、メキメキと鈍い音。「行かないで」と夫の手を掴んだ瞬間、我が家は土砂におしだされ、潰されたのです。この瞬間は鮮明に覚えています。私の頭に浮かぶ、娘を授かり、 親子で過ごした、映像が、早送りに回るのです。
熊本の悲惨な家々、道路破壊、避難場所を見ては、どうか、地震が収まりますようにと願っております。大切な命が一瞬に奪われる悲劇。心が痛み、あの日が蘇ってきます。
どうか、気を落とさないでください。この悲しみは、消えることはないでしょう、でもいつか、きっと私たちのように心が和らぐ日が必ず、必ずやってくるはずです。諦めないでください。どうか、神様、これ以上の被害を私たちに与えないでください。
そしてどうか、もしかしたらと思えるような原発は停止してください。私たちの住む場所が無くなってしまったら、日本がなくなったら!子供達の未来はどうなるのですか?と誰に訴えたらいいのでしょうか?
一握りの欲望のために、継続してほしくない……。と願う。

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