2016年3月9日水曜日

あの日、3月11日から「小さき声のカノン」

長岡アジア祭映画
鎌仲ひとみ監督作品「小さき声のカノンー選択する人々」

映画にもいろいろな種類の映画が存在します。
アジア祭映画の中で一番重かった映画です。
興味と言うより、私たち日本人が真実を知り
受け止め、これからどう考えるべきかを
問うこの作品の感想が一番最後になってしまいました。

3月11日、あの日の東北地方を襲った大地震。
大地震の映像に、深い悲しみ。流される家、車、人。
中越地震の前に大水土砂崩れで我が家を失った私
でさえ目を覆いたくなるテレビ画像が今も焼きついて
います。
しばらすると、当時ドイツで仕事をしていた娘から
悲痛な電話とメール攻撃を受けました。
福島原発はメルトダウンしている。
水の注入を躊躇している東電はお金だけを考えている。
報道が間違っている。
娘の友達は、早く両親を迎えに行きなさい。
などなど・・・・・・。
ドイツの報道と日本の報道のあまりにも違うのに
私の心は張り裂けそうでした。
東電が認めようが認めなくても
あの建屋の映像を見せられたら、だれだってメルトダウン
していると思ったのではないでしょうか。

「小さき声のカノン」に登場するこどもたち
若い世代のご両親の叫びをどう受けたら
いいのでしょうか?チェルノブイリとの対比。
今、症状がなくても、次の世代に放射能は悪魔になって
現れるのですから。
私の死後にしか事実は伝えられないのでしょう。
20年30年100年1000年
その廃棄物はいつになったら消えるのでしょうか。

この映画をみながら、背中がぞっとする。
そして、ふと思いだしてしまいました。
大地震の2ケ後に、娘の卒論研究のために被災地を
回った2日間。
ふと、不安がよぎって私は愕然としました。

この不安は福島の人たち、その他多くの日本人の
声なきカノンなのではないでしょうか 
では、私たちは何をしたらいいのですか
教えてください。



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