2014年8月15日金曜日

記憶の中の戦争

亡き叔母の誕生日は、昭和19年7月です。
私の祖父は戦争に勝つようにと叔母の名前に「勝子」と命名したかったらしいです。
勝子の名前に反対したのは母親である、私の祖母と聞いています。
栃尾からも戦争に駆り出される人は多かったようです。
口には出さないけど、女性たちにとって戦争は死への場所だったのでしょうか
それでも勝子と命名したかった父親の気持ちは「戦争に勝つ」ことが
全てだったのでしょう。
哀しい全てです。
それから10年が過ぎ私が生まれました。
私の記憶があるのですから3歳以上だったと思いますが
栃尾の街に片足で白い着物に黒帯をしめ、松葉杖で体を支え、首からは
賽銭箱をぶらさげている人を時々見ました。
まったく、意味がわかりませんでした。
祖母は私にそばに行ってはいけませんときつく注意しました。
何故、足がないのか?まだ幼い私には、知る由はありません。
ただこの頃、こうした偽善者もいるような事を祖母は私に話していました。
また、農家である我が家には
お米を分けてくださいとやってくる人もまだまだたくさんいました。
この記憶が私の中の戦争でした。

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