2015年5月11日月曜日

レミゼラブルと花蓮の共通点



40年前に初めて、帝劇にて観劇した「レミゼラブル」も今回で4回目の観劇でした。
今回は過去3回と大きく変わった点は舞台装置でした。
舞台の大道具に変わって使われていたのは、画像です。そして照明。
この二つの大きな違いは、観る人にリアル感を与える効果を意図としているようでした。
見慣れたせいか、舞台に映像の多さは少し疑問を感じてしまいました。
多分私が最新の技術についていけないからかもしれません。とは言え、
空間にあふれる一体感は舞台を観る人の心をとりこにしてくれます。
パン一切れを盗んだ罪と、罪を憎む正義について、4回目の観劇で、
私の心の中の疑問が大きくなっているようでした。
結局、そのことについては、答えはみつかりません。
どちらも自分の心にあるような気がします。
パン一切れの罪から孤児をわが子として育てる。
その子供が大人になり、恋をする。
その恋の相手の青年に命をかけて恋をする娘が登場します。
今回はこの娘に言いようのない哀しさを感じ、
五藤利弘監督作品「花蓮」を思い浮かんできました。
タイから父親探しに、日本にやってきた女性が好きになった青年。
その青年を長年思い続けていた女性が重なります。
この気持ちは女心です。と言うことは、
レミゼラブルの演出家も花蓮の監督も、女性の心を持っていることになります。
彼らは中性かもしれない。
そして、舞台も、映画も共通して言えることはヒロインは
一人でないとつくづく感じました。
見る人の目線では、ヒロインは変わるのではないでしょうか。
演出家や監督が描く物語には、主人公は何人もいて、
 登場人物一人一人に想いを込めて、制作しているのでしょう。
この舞台と映画の共通点を発見できたことは私にとって、
大きな収穫であり、女心でした。


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