令和7年2月22日
3:27 目が覚めた まだ暗い
寝室の温度は下がっている
お隣さんの落下式の屋根の雪はまだ落ちない
4:00 除雪車のガーガーの音に安堵する
降り続ける雪 雪 雪 雪 雪
ホワイトアウト すれ違う車が雪の中に
15:00 お日様が庭の木々に積もった雪を落とす
あたたかい心で雪はとけていく
あたたかい心がほしい
日日是好日
仕舞うとはどう言うことでしょうか。
娘の面白かったよとメールが届いたのは、半年以上前のことでした。恩田陸著「蜜蜂と遠雷」
上下の単行本をアマゾンで取り寄せたのは、その直後でした。届いて数ページ読んだものの、その後この本は登山用のリュックに置き去りにされたまま。
そうそうあの本どこに仕舞ったかしらと探して見つけたのです。
1ページ目から読みはじめる。Amazonから届いた時に数ページは読んでいたことを思い出す。待て、待ってこれは映画化されていたのではと思い、携帯で蜜蜂と遠雷を探す。松坂桃李が主演で映画化されていた。私は観たのだろうか?いやみみていない。
読み続けていると私の隣に黒くて威張っているような感じさえするピアノがちらつく。11月14日にネパールから帰国して、一度もピアノに触れなかった。そして、2ヶ月が過ぎようとしている今日。この本はピアノコンクールが題材だ。そのせいかピアノが気になりはじめ、私は本を閉じる!そして、ピアノに向かいスタンドをつける。ピアノに威嚇されているようだ。好きではないハノンを練習する。上がって下がっての繰り返しなのに、指がまるで毛糸がほどけなくなったように絡んでしまう。音痴の私には苦労そのものだ。たたく音は違っても指の動きは同じなのに絡まって仕舞う。3回繰り返すと、もう嫌気がさす。うまく指が動かなくて、頭でコントロールしようとするからだ。上流から下流に流れる水のよう流れに添えられたらいいのに。やめた。課題曲「夢」の楽譜を取り出す。去年から練習しているが私にとってはこれは難曲である。逃げてる、逃げたいのにこの本は無理やり私をピアノの椅子に座らせてしまった。本当はピアノをお仕舞いにしたかったのだ。ピアノを弾きはじめて3年が過ぎていた。ネパールから帰国して間もなくのある出来事のせいだ。
「蜜蜂と遠雷」前編を読み終え、後編に入るとドキドキする自分がいた。そのドキドキは私にかかわってくる周りの人たちの苦悩と私の苦悩が何重にも映し出されて仕舞う。
学校に行って勉強しなければ生きていけないの。高校を卒業すると未来が見えるの、大学に行かないとダメなのですか。
今まで私は何を生きがいに生きてきたの。走馬灯のように浮かんでは消える。自分を肯定したり、否定したりする。これでいいの?3食作って、掃除をして、洗濯をする。いつの間にか私は主婦のような毎日を過ごしいる。いつもより早いペースで本を読み、映画を観に行き、Netflixもほぼ毎日観ている。とりあえず一番一緒にいたい人とも1日の大半を一緒に過ごしている。でも、心は満たされない。
本の中の登場人物は偉い人で、ある意味天才的な存在の人が多く描かれている。苦難、難行を乗り越えてこそ的なことも多い。この本はとても面白くはまっていく、いつものペースの倍速で読んでいる。しかしわからない漢字もカタカナの横文字の意味も正直わからないことが多い。 だからソナタロ短調とか聴いたことのないピアノ曲の名前をネットで調べYouTubeで聴いてみる。
耳慣れしていない曲に感動なんてしないよ。それに逆立ちしたって譜読みなんてできない。シャープの数を数えて、楽譜の5線に鉛筆を置きド、レミとか小学生が算数を覚えるように数えている自分にこんな難しい曲はわからない。わかる人はどれくらいいるのと半ば脅迫めいた自分がそこにいる。
後編を読みながら、大雪でエサが見つからないムクドリが庭のエゴの木に止まって餌を探している様を可哀想だと見つめたりする。いよいよ終盤が近づいてきました。耳にはオーケストラのバルトーク3番、本読みとYouTubeで聴くの同時進行。その時ぽろんと届いたメール。豆撰かしらと携帯を覗くと、なんと びっくりしました。心の片隅でいつも待っていた方からの豪雪お見舞いと近況報告。
私はすぐに返信しました。
「ありがとうございます。体調が悪かったのですね。1つ歳をとるごとに私も年齢を感じています。お気をつけてください。今私は「蜜蜂と遠雷」を読みながら、全く知らない曲をYouTubeで聴き、覚えてはいられませんが、この曲なのねとかこんな曲初めて聴くわとか、読書に合わせて音楽を楽しんでいるところでした。だから、あなたのメールが愛しくて、懐かしくて、心が震えています」
今日で3日目の大雪に私は家に閉じこめられている
「1ヶ月ほどイタリアに行ってきます。皆様お変わりありませんか?春になったら泉慶さんに行ってみなさんとおしゃべりしたいです。本当にありがとうございます」と夢中で返信しました。コロナ前に知り合って、私がピアノを習うきっかけの人でした。楽器屋さんで旦那さんは調律師そして彼女は大正琴の家元。知り合ったのは豆撰に良くきてくれるお客様は金髪、おしゃれな服を身にまとっている。「いつもありがとうございます」とはじめて感謝の言葉をかけてみる。そこには外見とは違う人を引き寄せる優しさがあった。音楽家だからだろうかと初めて言葉を交わした時を振り返っていた。
「蜜蜂と遠雷」いつもよりハイスピードで読んでいます。読んでいるうちに、天才とか努力とか感性とか、特別な人間はその特別なものに振り回されて、悩んで、苦しんでいる。才能のない人の方が普通にゴロゴロしていて、いやむしろ普通にできない人の方が多いかもしれない。普通に生きられたらそれでいいのに。普通以下だとダメなの?才能と天才の素晴らしさの中で完成されていく人間像に感動しながら自分の70年の人生を振り返り、私の人生の仕舞い方を考えている。71歳に向かっているのだ。
日日是好日
結構重い雪になってしまった。サラサラ雪ではない、湿った雪だ。私の心もこの雪のように重い感じがする。
イタリアはとても治安が悪いから、携帯は首にぶら下げてきてと言う。あと10日で娘家族の新居を訪問する。そこで今日は携帯の紐を買いに行ってきた。
それからイタリアのトスカーナ地方の映画をNetflixで観る。小さなお城風の館を改装して料理教室をはじめる父と娘のほんわかなハッピーエンドな話。一昨年に連れて行ってもらった。なんとなくスイスっぽい感じがしたような。
1日3食作るということは、1日に費やす時間が約3時間必要である。掃除洗濯を含み。
夕食後にちょっとだけピアノの練習をする。昨日のレッスンで注意されたところを思い出しながら、滑らかに、その音を残して弾く。いやあ、難しい。数回練習して今日のレッスンはおしまい。
さて、本題です。私の好きな作家原田マハさんの「独立記念日」を開く。随分前に購入してキッチンのカウンターに置きっぱなしだった。
ホットケーキではないパンケーキが恋しくなった話。思い出すなー。10歳違いの叔母は料理をしなかった。私の母が嫁としていたからだろう。その叔母が唯一作ってくれたのはパンケーキではなくホットケーキだった。蜂蜜の代わりに砂糖たっぷりだった。60年も前。ケーキもめったやたらに食べられない時代のホットケーキは甘くて最高のおやつだった。ホットケーキのお供は「コンバット」と言う映画だった。天国の姉ちゃん覚えていますか?
さて、私の独立記念日はいつになるやら?
日日是好日