2025年4月5日土曜日

くまさんのハンカチ

 このお話はババのお友達のお話です。

お友達の犬のボニーが天国に召されました。

お友達は悲しくて、寂しくて、仕方がありませんでした。

ボニーと一緒に散歩した小道をひとりで歩くと元気だった頃のボニーを思い出して、涙があふれました。

ある日、ボニーと一緒に歩いた道に、ポリ袋やタバコの吸い殻、空き缶がいっぱい落ちている事に気がつきました。

そこで、お友達は小さなキャリーバックとトングを用意しました。

そしてボニーと散歩した道に落ちているゴミを拾いはじめました。

ある日、電信柱の隅に小さなハンカチを見つけました。ハンカチにはくまさんの絵が描いてありました。とてもかわいいハンカチだったので、トングで拾わずお友達は腰を曲げて、自分の手で拾いました。そして、ゴミ袋に入れることはやめにしました。

もしかしたら、このハンカチを落とした人がこのハンカチを探しにくるかもしれないと思ったのです。

そしてそばにあった杭の上にくまさんのハンカチを広げてみました。

すると自転車に乗った少年がやってきて、言いました。

 「おばあさん、そのハンカチ僕のです」

少年はお家に帰ってポケットの中にハンカチが入っていなかったので帰ってきた道を急いで戻ってきたのです。

「僕のハンカチを見つけてくれて、ありがとうございました」

おばあさんも少年もとても嬉しそうに微笑みました。

ババはこのお話を聞いてハートがドキドキジャンプしました。








1個から2個そして8個

 いとこからいただいたアマリリス

一個の球根から

2本の芽が出て

膨らんだ

そしたら4個の花が咲いた

もう一個も4個の花が咲きそうだ

心がフワフワになって

ご褒美をいただいたようだ

美味しいものを食べたみたいな気分

ありがとう ありがとう ありがとう

あなたの優しさが8個の花を咲かせてくれた

ありがとう

2025年4月4日金曜日

リンゴ四分の1

 ひとりの朝

冷蔵庫の冷凍ご飯と

白菜菜花をザクザク

味噌とたまごを入れて

出来上がり

メールが届く

「今日はラーメンを食べて帰る

8時頃になる」

それからリンゴ四分の1だけ切って

皮を剥き食する

四分の3をラップに包み

冷蔵庫に


2025年4月2日水曜日

長岡空襲

明治生まれの祖母の言葉をおもいだす。山に登って見る長岡の空は夕日のように綺麗だった。と言った。生まれたばかりの赤子をおんぶして、子どもらを連れていったのだろう。

その日から10年後に私は生まれた。父は24歳母は23歳だった。あの日の父は14歳、母は13歳だったことを今数えてみた。今は祖母はもちろんだが父も母もあの時の赤子も死んでいない。

下記記事をあらためて読む。いつまでもいつでも戦争を繰り返す人間は一体何者であろうか?

8月1日の午後9時6分、長岡の夜空に警戒警報のサイレンが鳴り響きました。続いて午後10時26分、警戒警報は空襲警報に変わり、直後の10時30分にB29による焼夷弾(しょういだん)爆撃(ばくげき)が始まりました。


 B29は一機また一機と焼夷弾を投下しました。夜間低空からの容赦無い無差別爆撃によって、長岡のまちは瞬(またた)く間に炎に包まれていきました。
 猛火の中を、母の名を呼び、子の名を叫んで逃げ惑う人びと。多くの人が炎に飲み込まれていく様子は、地獄絵さながらだったといいます。
 空襲は、8月2日の午前0時10分まで続きました。1時間40分に及ぶ空襲で、市街地の8割が焼け野原となり、1,488人の尊(とうと)い生命が失われました。
 925トンものE46集束(しゅうそく)焼夷弾等が投下され、163,000発余りの焼夷爆弾や子弾(しだん)が豪雨のように降りそそぎ、長岡を焼き払ったのです。当時の市域で、焼夷弾の落ちなかった町内はないといってよいほどすさまじい空襲でした。

2025年3月26日水曜日

ひとりごと

一喜一憂 暇と倹約を決意して半年 食洗機をやっぱり回す

年金満額もらい5年 ありがたいと思いながら 通帳をながめる

昼寝をしないと体力がもたない どうして体重は成長するのか

ピアノの練習 時間ではない 集中力なし

自分は自分 自分らしく 修行が足りない

昭和の歌の歌詞が今になってわかる

明日からと何度誓ったことか 暴飲暴食

買わないはずのものが届くらしい アマゾン 確かめることが面倒だ

気にしない 気にせず 気にしている

明日はいい日になりますように

日日是好日







2025年3月18日火曜日

別れ

 別れの夜は、孫にとっても娘にとっても、もちろん老夫婦にとっても寂しものです。学校の送り迎えも最後になって、孫とふたりで洋服選びも寂しさが手伝って、一つの約束が増えていきます。娘の手料理を食べる。「ジジ、今日はレストランでないからお家だからズルズル食べてもいいよ」なんて言われ、かわいそうでもあり嬉しくもあるジジ。ババのプレゼントしたドレスをまとい日本のアニメソングを熱唱する孫。「ちょっとはずれているね」と思ったけれど、上手上手と褒め称えるババの気遣い。朝孫を起こしに行くと小さな声で「どうしてもっと長くいられないの、今年はもう来ないの?」と言う。なんとしおらしく。今までさんざんババはおデブとかイタリア語の発音が悪いとかババをコケにしていた孫だったが、この一言に胸がジーンとする。「また来年来るよ」と不確かな指切りをする。

ミラノまで送ってもらい、老夫婦はスイス経由成田へと向うはず、何よりなんで来る時はパスしたじゃん。充電モバイルが荷物検査でひっかってしまった。容量が大き過ぎとか言っていた。交渉の余地なし。あたしゃ帰国したいんだよ。えええどうぞ、置いていきます。きっと転売するかもとブツブツ独り言。顔は愛想よく残念そうなふりをする。まあしょうがない。

とにかくイタリアとさらば。飛行機座席隣りの女性はイエメンの人。東京と京都一人旅だそう。旦那様は仕事でアメリカだそう。油揚げ作りの写真を見せ「日本で有名」と大口を叩くババ。もちろん会話はでたらめ英語。それでもなんとか会話になるもんだて。ジジは長岡に迎えにきてくれた友達に「俺は恥ずかしくてしょうがなかった」と。

あれまあ、今度は日本で時差ボケで眠れない。

日日是好日

2025年3月15日土曜日

イタリアの決まり

 イタリアといえばパスタとpizzaと思いがちですが、地域の郷土料理はたくさんあります。牛肉、豚肉、とり肉にしても煮込みもあれば、ステーキもあり、カツレツもある。リゾットもサフランを使ったものやひき肉を使ったものなど、今回は娘の家にいることが多かったので家庭料理が堪能できた。マナー違反が多くて注意を受けてばかりでしたが。

パスタとサラダのメニューならば、パスタを先に食べる。パスタが伸びないうちにらしい。甘いものとしょっぱいものがあったら、交互には食べない。味が移ってしまうから。孫にも「そうしちゃあだめなんだよ、ババ、ジジ」と指摘される。いやはや疲れるもんだよ。食事くらい勝手にさせてよ。と心の中で叫ぶ。

交通マナーも随分違う。信号のない横断歩道は止まってサッサと渡る。車は歩行者を優先にするのです。日本とは違う。これはドライバーとしては見習う必要あり。だが路駐が多くて右も左も車で埋め尽くされている。多分100年以上の建物が多くて、建て替えることがないせいだろう。車社会の方が遅くて駐車場が少なすぎるのである。と推察した。

日日是好日