令和6年10月13日
豆撰35周年大感謝祭最終日はたくさんのお客様が集まって下さった。特に特大栃尾の油揚げ試食会は大人気であった。子供からご夫婦、親子、お友達といろいろなグループが美味しい美味しいを連呼してくれる。豆撰にとって久しぶりの大賑わいだった。その余韻中に長年の夢であるネパールへ向かって夕方5時に家を出たのである。
気になるのは豆撰のことと夫を残して出発したことであった。
しかし決断したのは私自身である。後ろめたい気持ちが頭の中でぐるぐるする。
私と言う人間の行動はいつもこのようである。
美味しものがあると後先考えずに食べたくなる自己中そして、後悔するのである。
長岡で池田屋さんの駅弁を買い、新幹線で出陣式。少々ビールをいただいた越後3人姫でした。
羽田からは、ボランティア主催者とその仲間達と合流する。死亡保険と傷害保険加入。3800円。ドルが必要とのことで交換に行く。どこのドルですか?うーんアメリカドルだろうが、相棒が確認に行く。そしてまたもやドルの種類は?相棒が確認に行く。そのドルはネパール紙幣との交換ようだから100ドル札でいいとのこと。なるほどそうに決まっている。海外旅行の経験ではカード利用が多いからそんな事もわかっていない老人ふたりである。今回の相棒は妹の友達と一緒。弥次喜多道中はすでにはじまっていたのです。
羽田で待つこと3時間。出発は14日になっていた。
羽田からタイのバンコクに飛ぶ6時間。結構長い時間である。窮屈なエコノミークラスは当然だが窮屈である。一生に一度くらいビジネスクラスでいいから乗ってみたいもんだ。機内でオムレツをいただき、コーヒーを飲む。このコーヒーは意外と美味しい。バンコクからネパールのカトマンズに飛ぶ待ち時間にはレストランでおかゆをいただく。日本のおもゆの感じである。そしてポカラまでの乗り継ぎ5時間待ちには流石にヘトヘトでこのアンアプルナトレッキングは無謀であり無知だと早くも後悔がちらつく。しかし1人では何もできないのだから、ついていくしかない。ポカラにつくと私たちのお世話をしてくださる現地の方が出迎えてくれた。私たちのリーダーは長年のお付き合いのようだ。ハグに信頼と愛情がもろに伝わってくる。ポカラの街をバスで行く。道路事情は昭和30年代私が小学生の頃である。65年くらいタイムスリップするのであった。凸凹道に車とバイクが車線など当然なく迷路のように勝手にすすんむ感じである。街を抜けると栃堀から守門岳に向かっているような狭い道をくねくねと上る。一泊目はホテルであるはずなのに、ただただ山道を上っている。山小屋ホテルをイメージしていたがそのホテルは桃源郷のようだった。広いロビーに広いレストラン、広いお部屋と高級ホテルだった。レストランはバイキングである。この山の中でのメニューは大大ご馳走である。野菜が豊富が何より嬉しい。はじまったばかりのアンアプルナの旅の天国と地獄を体験した初日でした。
続きます。