2025年10月14日火曜日

誰かのために 辻井伸行様

スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインこの日のピアノはスタインウェイだった。

バイオリン奏者にチェロ、フルート、トランペット、コントトラバスとの共演は素晴らしいの一言であった。

盲目のハンデの中、どうして88鍵盤をあのスピードで弾けるのか?不思議でなりませんでした。それも他の演奏者と合わせてです。天才です。

彼は自分のピアノを通して観客が喜ぶ顔が拍手が見えるのです。彼の演奏で幸せになってほしい、今苦しくっても悲しいことがあっても、大丈夫ですよ。って囁く笑顔は神様を超えてグーッときます。

ハンデを背負って生まれても、そのハンデをものともせず、いえそのハンデを天才に変えて人に感動を与え、人に幸せを分けてくれる音色は映画や本、景色とは一味違う不思議な魔法です。

はじめて辻井伸行さんのコンサートを聴いてから10年が過ぎようとしています。今回は3回目。その間に色々なことが起きていたけれど、今では過去の出来事となっています。そして現在は新たなる出来事が起きているけれど、辻井伸行さんはただただ不思議な音色を聴かせてくれる。なんだかわからないけど、涙があふれて仕方がなかった。私の中の邪念や欲望を洗い流してくれる音色だった。

日日是好日

追筆 私も誰かのために何かしたいと思う。それは家族でも、友達でもいい。たったひとりのためでもいいのだから。


2025年10月8日水曜日

ゴッホと原田マハ

 ゴッホ展開催をFBで知った。行ってみたかった。上野なら日帰りが可能である。

バスツアーが続いていたので新幹線の速さと快適さを改めて感じる。

さてはて会場は東京都美術館はと歩き出し、西洋美術館を過ぎ国立博物館の横と思い歩いたが、田舎者にはわかりにくく、通り過ぎること2回。スマホ持って歩いているのに、5分の距離に辿り着かない。老人は哀しや。

3周目でゴッホポスターに遭遇。ここじゃあん、この茶色の建物だった。やれやれと会場に。チケット購入。65歳以上1600円とは、なんだか歳をとるのもラッキーである。

何故ゴッホ展がみたかったかと言いますとゴッホの絵が特別好きと言うわけではない。実は原田マハさんの「リボルバー」と重なっていたからです。

展示室には画商だったゴッホ兄弟の集めた有名どころの絵から始まっていた。ミレーや浮世絵の収集とゴッホへの影響などなど、ゆっくりペースで一つ一つの作品と解説を読み進む。だいぶ混雑だった。

これだ。この木の中にピストルが隠されていたはず。私が本の中で想像していた林と同じだった。そんなことあるかと不思議に思ったが、多分この絵はどこかで見ていたのかもしれないと思い直す。私に透視能力があるわけではないから。

精神のダメージは天才を生むのだろうか。

もし、若くして死することがなかったら、どんな画風になっていただろうか。世界史に残る画家の物語は生まれていなかったかもしれない。

ゴッホを守ってくれた親族の力あってゴッホの物語が完成し、絵についてなんら知識のない私をもこの会場に足を運ばせている。


日日是好日


2025年10月5日日曜日

今まで生きてきて一番辛かったことが想い出に

 扇沢からバスに乗って黒部ダムに着いたのは、9月30日。200段の階段を登ると前方に立山連峰が広がる。丁度雄山のてっぺんに雲がかかっていたが、それはそれでいい景色であった。

22年前のことだ。叔母は一年の闘病生活に疲れ死を覚悟し、遺言を残した。叔母の夫には「N子は強い子だから大丈夫だけどHのことは頼みます」と叔母の娘と息子を叔母は夫に託した。そして「母ちゃん、父ちゃん、姉ちゃん達を頼む」と姪の私に託した。母ちゃん父ちゃんは私の父母のことである。姉ちゃん達とは叔母の姉と兄のことだった。一番末っ子の叔母にとって自分が看取るはずの番狂せだった。今では父のふたつ下の叔母だけになってしまった。

癌という病は若かった叔母を容赦なく蝕みあっという間に命を奪ってしまった。

叔母の自宅2階のテラスから陽が昇ると叔母は手を合わせ大きな瞳の中に祈りを映していた。

ある日今まで生きてきて一番嬉しかったことはと尋ねたら「N子が生まれたとき」とこたえた。

もう一度行きたい所はと二度といけないと知りながら私は質問した。「立山かな」と弱々しい声でつぶやいた。

「行こう、つれて行くよ」と叶うはずのない返事は何故か力がこもった。

そして叔母の死から半年過ぎの秋 叔母の写真を持って線香を持って立山の石碑に飾って手を合わせた。

同行したのはN子と私の娘そして夫の4人だった。

黒部ダムから立山連峰を望む。23年前の記憶が走馬燈のように甦る。今まで生きてきて一番辛く悲しかった叔母の死も、いつのまにか心の中で溶けて悲しさというより懐かしい想い出となっている。

日日是好日


2025年9月26日金曜日

淳子のてっぺん 

 淳子のてっぺん 完読

いろいろ共鳴するところと、登山家の生き方に温度差を感じたのはなぜだろう

世界初の偉業は素晴らしい業績であるがその影にシェルパの存在無くしては果たせない。

ポーターも欠かせない。その他多数の人々も欠かせない。

偉業とはなんと犠牲の多いことか、登頂を目指して死んでしまった人達も多いと知り自分とはかけ離れた次元だと思った。

この小説の中の

一歩一歩という言葉は私のアンアプルナトレッキングと重なって足が震え、重度の脚気にでもなったかのように機械的に動いた苦しい一歩だったことが昨日のように蘇ってきた。

生きるってことは誰かの犠牲の中にある。そしてこの最終章エピローグこそが一番私を納得させてくれた。

田部井淳子さんの真髄にホッとしたのです。

一番後尾で励まして笑顔を送る田部井淳子夫妻と笑顔をもらって、諦めずに登っていく子供らの姿が映画のように浮かぶ


人は皆偉業を成し遂げることはできない

最高のドレスで着飾る人もいれば、ドレスを一度も纏うことなく終焉を迎える人もいるだろう

てっぺんは人それぞれである。

登山家、小説家、映画監督、医師、様々な偉業者がいる

だが大半は生活のために働き生きている。

どう生きるかは70を超えてもわからない。

アンアプルナトレッキングの時のように一歩一歩足が前に出ますようにと願う日々。

今朝この本を完読する、ちょっと前朝6時にゴルフに行く夫におにぎりを食べさせお茶を飲ませ、「気をつけて」と送り出せる幸せを噛み締めて

日日是好日


2025年9月22日月曜日

遠い山なみの光

 国宝と違って人気がないようで

Tジョイ8番シアターはガラ空きだった。そのおかげでI席の中央に指定席を選ぶことができた。

過去と現在が交差して話は進む。主人公の過去は広瀬すずさんが演じ、現在は吉田羊が演じる悦子と二階堂ふみ演じる佐和子が表現する戦後の日本をミステリーに描いている。原作はノーベル賞作家のカズオイシグロである。映画を観る前に原作を読んでおくべきだったかと謎めいたストーリーに頭の中がもやもやになってスッキリしない。わざと謎かけにしている演出は老人を悩ませてしまった。その謎かけをうまく演じる3人の女優の演技は圧巻だった。ただ広瀬すずさんと吉田羊さんの同一人物には少し温度差を感じた。この映画が観たかった理由は実はこの3人の演技が見たかったのではない。脇役の悦子の義父役の三浦友和さんがどんな役でどんな演技をするのか観たかったからだ。なるほど戦前と戦後の教育方針が180度違っても、信念の変わらない教育者もいたのかとあらためて知ることになった。間違ったことを教えていたとは思っていない正義を演じていたようだ。人の役目とか信念は時代と共に変化するのが当たり前の社会と民主主義のもとで育った老人はそう思っていた。だが戦争時代を生きた人にとっては全部が「あんぱん」の主人公たちとは違うということか?脇役かもしれないが三浦友和演じる義父はこの映画のテーマを訴えていたようだ。なぜならラストシーンで二階堂ふみ演じる佐和子と広瀬すず演じる悦子が入れ替わっていたからだ。戦後に子供背負って女ひとつで生きるのは並大抵ではなかっただろう。そんな佐和子の生き方を否定しながらも悦子は心の底で羨ましいと思っていたような気がする。だからイギリスに渡ったのは悦子だったのではないだろうか?佐和子の子は悦子の子とダブル。悦子の子がどうして自殺したのか自殺を認めたくない母親の気持ちが切なく映っていた。

何もかも戦争のせいにするわけではない。しかし戦争が与えた影響は今も続いているような気がする老人です。

説明もナレーションもなく観る側がどう感じるかわからないミステリアスな映画だった。

被曝の傷なのか虐待の傷なのか、なぜ黒い影が悦子なのかわからない。

結論は出ないままである。原本を読むべきか悩む老人。そして虚しさだけが残る。

日日是好日




2025年9月12日金曜日

老木と老人

 畑仕事もひと段落して、老人夫婦はカラダと心の静養に舞子高原ホテルにやってきました。

途中の風景の活気を失ったスキー客用のロッジや宿泊施設が映ります。夫はリフト待ちで大変だったよな!と半世紀前の懐かしい想い出に浸りながら、車の中のテレビに目をやり、いまだに終結しないロシアとウクライナは馬鹿げていると呟く。また夫の口癖になっている温暖化に続く、これからもっと大変になるよなと言う。毎年の畑仕事事情に密接な関係があるからである。朝、夕と2回の水やりは結構な手間である。だが育てた限り最善を尽くさないと気が済まない性格。私も同行して草取りをする。アスパラ畑の草取りはいつのまにか私が担当になりました。

どうなるのだろう

戦争と温暖化

食糧状況はもちろ住宅もレジャーも変わって、おまけにAI社会になり老夫婦はそれについていけず、右往左往している。スマホなしでは生きていけない世の中になるとはため息だらけだ。若者が同居していればすぐに教えてもらえるだろうが私たちは老人2人きりだからなかなか時代についていけない。など2人で一人前を確認しながら目的地に到着する。


せっかく高原に来たのだから

散歩をしましょう。嫌がる老兵を引っ張って、小高い丘を上る。

道の脇には大木の桜並木。

私は「あらあ同級生!」と老木に語りかける。

あなたはここでどれだけの人々と語り合いましたか?

私は幹のむけた老木の皺にたくさんの人たちと語る勇姿が見えるようだ。

今日ここにくる前に叔母を見舞ってきました。

すると叔母はこう言いましたよ。

相談する人がみんないなくなってしまった。ひとりだと孤独になる。寂しいと涙を流して、お昼までいてほしいと私の手を握って離さなかったのよ。叔母は93歳です。ベッドに横たわる叔母は大橋家の人々を支え助けてくれた縁の下の力持ちだったのよ。

老木は背の低い私を見下ろして優しく微笑みながらいつか通る道ですよ。と言いました。

日日是好日







2025年9月9日火曜日

人生8年と70年の差

 孫はジジとババに長生きしてね。と言います。

ババそんなに長生きしたくないよ。と言います。

孫はババはいっぱい生きたって言うけど私はまだ8年しかババと一緒じゃあないんだよ。

それでもいいの?

ババはじゃあ、あと30年くらいかな?

孫曰く

うん、それなら私は38歳だから、まあいいよ。

「ちょっちゃんがいく」のNHKドラを見て

お父さんが死んでしまった。

ドラマのお父さんが夫と重なってしまった。

健康であれば100歳も良しだが病に倒れたり、認知症になったら、孫の言うことは聞かないで、父ちゃん母ちゃんの待つところにいきたいものだ。

日日是好日