2025年12月16日火曜日

諦めないこと

 ピアノをはじめて早4年目に入りました。レッスンした曲はさくらから悲壮、愛の讃歌、愛の夢などなど十数曲ありますが、レッスンの道のりと並行して人生の道のりもあります。ピアノに没頭できる日もあれば1ヶ月もピアノに触らないこともあります。それは娘家族のところに行くからです。イタリアは遠くて、ピアノはもちろんありません。家族と一緒の時間を優先すると個人的なことはおあずけになります。もう一つピアノを弾く気力が失われた理由は仕事を辞めたことです。無気力状態、絶望感。もうピアノも触りたくないと心は鬱。数ヶ月過ぎ私の心を救ってくれたのはピアノとお茶のお稽古でした。お茶に着いたはまたの機会にしましょう。

さて、そんな中で課題曲ドビッシー「夢」を諦めず一年も練習してきた自分を褒めています。何度も楽譜を置きピアノの扉に鍵をかけてしまったりしました。が、ようやく譜読みと曲想がわかってきました。とはいえ、なかなか指が動いてくれません。ペダルを踏む右足のタイミングがぜんぜん合わなくて、流れが途切れたりまた反対に踏まずに次の小節へ翔ぶテクニックができないのです。練習を繰り返しているのにどうして私にはできないのだろうと落ち込むこともあります。それでも一生懸命頑張ればなんとかなると自分に言い聞かせて師走を駆け回っている老女です。そして寄り添ってくれた夫とN子に感謝しています。

日日是好日


2025年12月8日月曜日

久しぶりのお茶会

 宗徧流のお茶会「十二月茶会」に行く。私の先生が亡くなって3年が過ぎようとしている。茶席には先生の先生が正客として座っておられた。最近耳が少々衰えてきたので問答が聞き取れなかった。もし彼女が生きていたら問答の説明をしくれたであろう。無事と書かれている軸に彼女を重ねて、今生きている自分の大切さに感謝する。

もう一席の軸に仁者寿とあった。(じんじゃいのちながし)と読むとのこと。聖人は常にゆったりとしてあくせくしないから、長生きである。との意味。水の如く山の如くらしい。茶の仲間との話題は決まって、いつまでこのような時を過ごすことができるでしょうかとそれぞれが口にする。結論は健康であること歩けることである。

この日の茶会の重要な点は茶道具や所作よりも深い意味、それはゆったりとすれば長生きし、しいては茶の席に座ることもできるという事。

茶会後の楽しいランチと楽しい会話に長生きの秘訣あり。あせらずゆったりと残りの人生を歩みたいものである。

日日是好日



2025年12月4日木曜日

映画「ツレがうつになりまして」

 タイトルで選んだ今日の映画鑑賞

ツレがカタカナでしたからツレは名前からと勝手に選択して観ました。そうしたらツレは連れのことで夫のことでした。堺雅人さんも宮崎あおいさんも若い。でも2人とも演技派です。そして最近私の観る映画やドラマに登場する大杉漣さん。大杉漣さんが亡くなってもう10年過ぎているかなと思いながら、生きておられたら「おかあさんの被爆ピアノ」の主人公を演じていただろうにと思うと切なくなる。

鬱は心の病気で最近では珍しくない病だと思う。映画を通して鬱は一緒に過ごしてくれる人によって快方に向うような気がする。と思わせてくれる映画だった。本当にやりたいことを描く漫画家を愛らしく演じたあおいちゃんは素晴らしかった。私は宮崎あおいさんのファンでいつもあおいちゃんと呼んでいます。様々な人の力を借りて一冊の本を仕上げる。そしてツレは講師まで勤める。出来過ぎだけど、心が風邪をひいている人や心が風邪気味な人には優しくて心温まる。音楽もいい、耳慣れしたクラッシクが私の心を温めてくれた。月の光、愛の夢その他。

日日是好日


初雪

 朝2階の窓から外を見ると5センチくらい、積もっていた。雪国にとっては全くもってたいしたことはなくホッとする。そして庭の雪の花が落ちないうちにと写真を撮る。雪が降るのは嫌だけれど、綺麗な白い世界はまた格別です。

さて、いとこが遊びに来るので、大根、こんにゃく、里芋など先日収穫した野菜を中心におでんを煮込む。その間にピアノおさらい会の曲「夢」を練習する。ほぼ一年を要した私にとっては難曲だ。いまだに通して弾けない。イタリアに行けば一ケ月はピアノをさわらない。孫が日本に来れば「ババ弾かないで」と私の練習を遮る。と言い訳をします。ですがおさらい会は1月11日です。まだまだ弾けるとまではいかないけれど、肝試しにと、いとこから聴いてもらいましょうかと練習をしていると窓辺からお日様が射す。ピアノ練習はこれにて終了。

外に出てみると山や田んぼ、屋根に積もった雪がまるで真珠のように美しく見える。

美の雪国といったところでしょうか。

気分も上昇!

日日是好日

2025年12月1日月曜日

山本学さんの話

 「徹子の部屋」は出演される俳優さんの好みと私の時間が合う時に結構拝見する番組です。今日は山本学さんでした。予告で認知症であることを告知とある。これは興味深いので観ることに。この方が放浪記に出演していたことは知らなかった。

中断

こげ臭い。さつまいもをふかしがまを使わずにふかしていたのです。つまり少量の水で蒸そうと。タイマーをかけておいたのですが適当に8分にしておいたら、水分はなくなり焦げてしまいました。

元へ

山本学さんの作品を思い出せないのですが、なんだか頭が良さそうな顔が好きだったのかもしれません。頭の良さそうとハンサムさんに弱いのです。

話の中で幻視が現れ、軽度の認知症だと精神科医に診断されたそうで、そこで進行をくい止める方法の一つが運動とのこと。動くことで部屋が綺麗になったとのこと。なるほど。

中断

何をやっているんだ。すごい匂いだ。俺はこれをするために戻ってきたのではないと言いながら、鍋を磨く。まだ大婆ではない、中婆だと言われる。

元へ

山本学さんは死を想定していろいろやっているらしい。葬儀は出さないとか、なるほど。

まだ山本学さんの年までには17年あるのに、なんだか確実に私は認知に進んでいるかも?

日日是好日


2025年11月19日水曜日

「ライオンのおやつ」小川糸

 いとこからのおすすめ本

3冊目は「ライオンのおやつ」小川糸著

小川糸さん 敬称はさんでいいのだろうか?様でもない、氏も合わないような気がする。この方の作品には気負いとか作家であるというこだわりが感じられず、自然体である。だから小川糸さんと呼ばせてもらいます。

一生懸命に生きてきたからと言って、悩みがない人はいないだろうと思う。という私も世間から見たら悩みやストレスのない順風満帆の初老女であろう。しかし、そうでもない。心の中にとどまって動かない灰色の雲が潜んでいて、泣いたり、怒ったりする。

そんな時に小川糸さんは寄り添ってくれる作家さんです。もやもやした気分の時、「ライオンのおやつ」ページを捲る。自然体である。読みはじめに叔父をホスピスに入院させた時を思い出す。叔父に付き添う日々は苦しかった。この本の主人公海野雫さんと叔父が重なる。叔父にも覚悟が感じられた事を思い出す。死期を悟った叔父には不安を感じることがなく穏やかな顔だった。雫さんの最終章にはいろいろな人との出会いがあって、人生を生きたと思う。

ライオンは百獣の王であっても必ず死を迎える。その最後の場所は敵に襲われ心配のない天国に近い安心場所がライオンの家である。つまりライオンの家はホスピスである。死を覚悟してホスピスを選んだ雫ちゃん、そして食することは生きることを教えてくれたライオンの家に深い思いやりと優しさを感じる。私の父は死の間際にケンタッキーとバナナが食べたいと言った。叔父は氷を何回もねだった。雫ちゃんのおやつはミルククレープだった。そしてお父さんと妹さんと人生最後のおやつを食べる幸せに涙が溢れてとまらない。

複雑な親子関係の中で強く優しく生き抜いた雫ちゃんに私もケンパイする。

いとこに勧められたこの本は優しいことがいっぱい描かれていていました。現実的ではないかもしれないけれど私はこの本を読み終えて、心がホッとした。そしてまた小川糸さんの本を読みたいと思っています。

日日是好日


2025年11月17日月曜日

時々曇り、時々晴れ。

 朝目覚める時間が月日と共に早くなって、気が滅入ってしまいます。そんな時は決まって考えることは、まだ訪れていない老後の自分達を想像します。母のように認知症になったらどうしようか、父のように癌になったらどうしようかな?施設入所はどこがいいかと真剣に考えている。隣に眠っている夫も体力と思考能力の減退に日々気を落としているようだ。

働く場所があった数ヶ月前はこんなマイナス思考ではなかった。自由という大きな希望と夢は意外なほど私の心を曇らせるものだと思い知った。つまり体験とは何よりも正しい解答なのかもしれない。

冬囲いの手伝いもほぼほぼ終了する。夫の頭の中は碁盤の目のように同じ形をしている。真四角の長さは絶対に同じなのだ。予定を立て予定通りに行動する。私は大小様々な風船を手に持ってその日を過ごす。卵焼きをオムレツに変えても問題ない。ラーメンを焼肉に変えても問題ない。こだわりがない。だから時々衝突する。パンクするのは私である。

自分の世界から離れて、電車や飛行機に乗り、はじめての道を歩き、はじめての場所に行く。おいしいものをいただき、上げ膳添え膳の非日常は自由から得た心の晴れに思えるがそれはその時が過ぎると綿飴の如し。本当の心の晴れは何気ない日常の中にあって笑みが溢れることだろうと思うとなかなか心の晴れが見つけられない。

朝ピアノに向かって一年かかっても弾けない曲に挑戦していること。月に数回のお茶のお稽古。続けられることが心の晴れかもしれない。

もうひとつ、回数の激減してきた私のブログもその一つかもしれない。

日日是好日