2024年11月13日水曜日

自然とハグをする

 ネパールから戻って、すごい偉業を果たしたように自分を讃えてから、すぐに白内障の手術に入り、慌ただしい日日を過ごしていた。

ネパールへ向かった日から数えたら1ヶ月が過ぎる。突然の来客だった。私を誘ってくれた人生の先輩はなんとまあ、私を救ってくれた整体師ご夫婦とネパールに連れて行ってくれたリーダーを連れてきたのです。まるで戦友にでもあったかのようにリーダーに抱きつく。そして整体師ご夫婦とも抱き合う。その後、我が家で私の写した写真をテレビ画面で観る。感動と行ってきんだよね。本当に。と嘘のような夢のような錯覚になる。

アンナプルナベースキャンプの思い出の会話がはずむ。参加したから会話に入り感動を味合うことができ、共有できる。ハグなのだ。

日々是好日


2024年10月31日木曜日

ピアノを弾くことが怖かった「

 ネパールから帰国し

私を待っていたのは夫とピアノ。

夫にはありがとうの言葉が言えた。

リビングで私を待っていたピアノには目もくれず

私は久しぶりにあった我が子のように、異様な目でチラリと

みるだけ。

帰国した翌日夫が「ピアノを弾かないのか」と言ってくる。

「うんーん」と首を横にちょっとふる。

怖いのだ。半月もピアノを忘れていたことで私はピアノが好きではなかったような気がして、いや怖かった。覚えているだろうかという不安とピアノはこれからの残りの人生にどんな影響があるんだろうか?

今さらこの年で練習をしても上達しない。この気持ちは仕事に対する意欲とも言える。代弁しているのだろうか?

ネパールの人々の暮らしと自分の暮らしを対比させているのだろうか。

ネパールで出会った人々は生きている。自分の人生を。私は?

そして、今朝

ピアノの蓋を恐る恐る開けて、一枚の楽譜アヴェ・マリアをゆっくりと弾いてみた。間違いもあったが

優しい音色を感じた。


日日是好日

2024年10月25日金曜日

エベレストビューに立つ

 世界の屋根ヒマラヤ山脈、その最高峰エベレストを見るためにシャンボチェの丘標高3880mにはヘリコプターを利用しました。ところが私たちの乗るはずのヘリは待てど待てど来ない。朝5時半にホテルを出発しポカラで待つ事半日。お昼を過ぎた頃ようやくヘリに乗り込む。が点検に要する時間も長い長い。それは当然だろう。命がかかっているのだから。パイロットの隣りに載せていただき、ちょっと怖いと思ったが、操縦のうまさで、ほとんど揺れない。山を次々にこえ、街を見下ろし、雲の上を飛ぶ、雲の上は青い空でした。私は美しい空、エベレストを満喫してます。先陣たちは私たちの遅れに心配度が膨らんでいたのでしょう。世界で最もエベレストに近い「エベレスト ビュー」ではリーダーのハグが非常に嬉しかった。ヒマラヤ山脈に聳え立つエベレストはまさに聖母峰。後で知ったのですがヘリの遅れはレスキュー隊として活動されていたようです。

そしてこの地に夢を叶えた逸材宮原氏とともに設立に尽力したこのツアーを企画して下さったMさんと誘ってくれた友Kさんに感謝します。

私のこの無謀とも言える旅も今日1日で終わります。足腰が痛くてリタイアしそうになった時、マッサージをしてくれたAさん、Yさん本当にありがとうございました。

みなさんからいただいた感謝を今度は私のできる事でお返しできたらと思っております。

そして私のわがままを容認してくれた、豆撰スタッフと夫に感謝感謝です。


日日是好日


2024年10月22日火曜日

羊の大群でひと休み

 チョムロンに着くまでの辛い道のり、石段が続く。来た道を帰っているのに、下りはきつくてただただ気力で足を前に出すのみである。途中に3本の橋をわたる。丸太だけだったり、泥と木で出来た揺れる橋、最後の橋を渡り切ったところで羊の大群に出会う。山からの下山です。メエーの鳴き声も大群となると大大合唱である。小さな子羊は、まるでぬいぐるみのようにかわいい。橋の隙間に足を突っ込んでしまった子羊。なんとか自力で頑張っていました。羊の群れに足を止め、しばしの休憩になり心が和む。

さて、大群は去り再び歩き始めると1匹の子羊が崖下に転落している。私たちのツワーのサポートをしてくれる通称マルちゃんが、ささっと崖下に降り救出。マルちゃんに抱えられて、やれやれ一安心。

ちなみにこの羊たちは生贄になりネパール民族のお祝い時に食べられる事が多いそうです。

この日の夕食後にガイドさんからネパール事情をお聞きしました。若者の出稼ぎや留学が多く、人口は減り国は大変である事。身分制度が現在も続いている事。私はこの大地で生きる彼らの生活。塾やゲームのない世界が羨ましいとさえ思っていたが、現状をお聞きすると絶句してしまった。

日本も少子化は続き農業従事者は激変している。しかし豊かである。特に食生活は贅沢極まりない。エネルギー問題は大きな課題であるが水も電気も今のところ彼らには十分である。山ではソーラー電気で貯めた電気が大切に使われている。

貧富の差と政治。無言になってしまう。

続く

2024年10月21日月曜日

目的地に立つ

 お日様を背に、汗だくになりながら途中で山の渓谷から見えるマチャプチャレの美しい姿に感動する。かと思えば急に雨が振り出し雨具を取り出す。天国と地獄のような道のりでした。目的地アンナプルナベースキャンプに着きパノラマで見渡すアンアプルナ連峰は雄大で圧倒される。氷河は100年前までこの地に存在していたそうです。同行された方のお話では300m下は氷河だそうです。この先生のおかげで、ゆっくりゆっくり歩き、深呼吸を促していただき高山病にもならずにすみました。もちろん他のメンバーにも励まされ、相棒と一緒に4130mの地に立つことができました。

続く

2024年10月19日土曜日

恐怖のはじまり アンアプルナトレッキング

 高級ホテルからバスでnew bridge まで行きます。バスは楽ちんと思うなかれ、年代物でドアの鍵は鉄の棒をかけるだけ、もちろん天然クーラーです。道幅はバス一台が通れるかどうか?と心配になりそうなアップダウンで一歩間違えば転落人生。ところが運転の技はマリリン並のウルトラC。バイクにジープとのすれ違いは素晴らしい、やれやれさて終点。あそこに見える吊り橋の長さにびっくりしてスマホを取り出すと、写真は今から渡るからその時に!えっえっ、ギョ。渡るの?谷底高さは?、渡れませんよ。でもロバたちは黙々と渡っている。では私も。足がすくむ。案内役のネパールの方は親切。リュックの紐につかまって大丈夫です。

いやはや命拾い。そして歩き続ける旅がスタートしたのです。行きは良い良い帰りは怖い。違います。

アンアプルナトレッキングの天国と地獄の始まりでした。追伸電力は水力発電だそうです。

続く


2024年10月16日水曜日

アンナプルナトレッキングに挑戦

 令和6年10月13日

豆撰35周年大感謝祭最終日はたくさんのお客様が集まって下さった。特に特大栃尾の油揚げ試食会は大人気であった。子供からご夫婦、親子、お友達といろいろなグループが美味しい美味しいを連呼してくれる。豆撰にとって久しぶりの大賑わいだった。その余韻中に長年の夢であるネパールへ向かって夕方5時に家を出たのである。

気になるのは豆撰のことと夫を残して出発したことであった。

しかし決断したのは私自身である。後ろめたい気持ちが頭の中でぐるぐるする。

私と言う人間の行動はいつもこのようである。

美味しものがあると後先考えずに食べたくなる自己中そして、後悔するのである。

長岡で池田屋さんの駅弁を買い、新幹線で出陣式。少々ビールをいただいた越後3人姫でした。

羽田からは、ボランティア主催者とその仲間達と合流する。死亡保険と傷害保険加入。3800円。ドルが必要とのことで交換に行く。どこのドルですか?うーんアメリカドルだろうが、相棒が確認に行く。そしてまたもやドルの種類は?相棒が確認に行く。そのドルはネパール紙幣との交換ようだから100ドル札でいいとのこと。なるほどそうに決まっている。海外旅行の経験ではカード利用が多いからそんな事もわかっていない老人ふたりである。今回の相棒は妹の友達と一緒。弥次喜多道中はすでにはじまっていたのです。

羽田で待つこと3時間。出発は14日になっていた。

羽田からタイのバンコクに飛ぶ6時間。結構長い時間である。窮屈なエコノミークラスは当然だが窮屈である。一生に一度くらいビジネスクラスでいいから乗ってみたいもんだ。機内でオムレツをいただき、コーヒーを飲む。このコーヒーは意外と美味しい。バンコクからネパールのカトマンズに飛ぶ待ち時間にはレストランでおかゆをいただく。日本のおもゆの感じである。そしてポカラまでの乗り継ぎ5時間待ちには流石にヘトヘトでこのアンアプルナトレッキングは無謀であり無知だと早くも後悔がちらつく。しかし1人では何もできないのだから、ついていくしかない。ポカラにつくと私たちのお世話をしてくださる現地の方が出迎えてくれた。私たちのリーダーは長年のお付き合いのようだ。ハグに信頼と愛情がもろに伝わってくる。ポカラの街をバスで行く。道路事情は昭和30年代私が小学生の頃である。65年くらいタイムスリップするのであった。凸凹道に車とバイクが車線など当然なく迷路のように勝手にすすんむ感じである。街を抜けると栃堀から守門岳に向かっているような狭い道をくねくねと上る。一泊目はホテルであるはずなのに、ただただ山道を上っている。山小屋ホテルをイメージしていたがそのホテルは桃源郷のようだった。広いロビーに広いレストラン、広いお部屋と高級ホテルだった。レストランはバイキングである。この山の中でのメニューは大大ご馳走である。野菜が豊富が何より嬉しい。はじまったばかりのアンアプルナの旅の天国と地獄を体験した初日でした。

続きます。