2017年9月13日水曜日

127段の思い出と秋葉神社




雁木通りの続く上谷内に門前通りがあり、両端に、「秋葉山」と「常安寺」と銘が刻んである門があります。
この通りは、毎月24日になると市が並び、遠くは魚沼、見附から秋葉神社参拝と買い物客で賑わっていました。(現在は金町通りです)
私の曾祖母や祖母の姉妹は市日になると栃尾に来て、我が家に泊まっていました。曾祖母はとても私をかわいがってくれるのですが、お歯黒の顔は子供心に、怖くて膝の上に抱かれることに抵抗を感じたものです。今では懐かしく、いろいろな人の面影を追って、歩いてきた道を振り返っている私です。
そして、栃尾のお土産と言えば、栃尾の油揚げです。祖母は泊り客のみなさんに新聞紙に包んだ「あぶらげ」を渡していました。そして市日に買い物をした品々(モンペ、着物生地)を大きな風呂敷に包み、それをしょって帰る老婆たちのまるくなった背中が不思議でした。昭和30年代の記憶です。
今でも門前通りの正面は常安寺、その手前に龍の口から流れる清水があります。秋葉神社に参拝するには、かなり急な127段の石段を上ります。そしてさらに急な坂道を上って栃尾中学校に通うのです。この清水は疲れを癒す、元気のでる水でした。

石段を上ると左に大きな杉の木がありました。お友達と手をつなぎ、その太さを確かめ合ったこと。茶屋があって、入り口にはラムネがいっぱい冷やしてありました。
そのラムネを買いたかったけど、一度も買うことはありませんでした。
龍の水と参拝のための手水舎でずーっと我慢していました。だから、ラムネをみると飲んでみたいと今でも思うのですが、いまだ飲んでいません。

石段を上ると、お百度石があります。
参拝の鈴には太くて長い紐がついています。この場所からお百度石と127段頂上から見える街の一本線は私のお気に入りの風景です。
拝殿の先には奥の院があります。
今では金網で囲まれていますが、子供のころは奥の院の中まで入り、石垣を上ったり、かくれんぼをするには絶好の遊び場でした。
今見上げると、厳かさと栃尾の歴史絵巻が欅の一枚板に力強く掘られている。東側には烏天狗の酒宴、南側には大天狗の前での烏天狗と若武者の試合、西側には烏天狗の敗北の図。
この彫り物を見つめていると石川安兵衛(雲蝶)と熊谷の源太郎の2人が8年間の歳月をかけて彫ったその時代に入り込んでしまいます。それは、きっと、私の父やその父と遡って、先祖もこの場所に佇んだと思うからかもしれません。

9月17日は秋葉公園にて「謙信公祭」も行われます。
是非お越しください。
この続き、栃尾美術館(七曲り)の小高い丘については次回へ・・・・・・。

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