2018年6月7日木曜日

私のピアノ

買ってもらったのは今から43年前でした。
壊れてしまったのは・・・・・・。


成人式には振袖はいりません。だからピアノを買ってください。と父にお願いしました。
保育園で子供たちと一緒に遊ぶための大切な私の楽器でした。
それから、ピアノは私の生活の一部となりました。ピアノの引っ越しは3回もありました。
楽譜を読むのも一苦労です。保育園につとめてからもレッスンに通い続けました。
ピアノの練習は朝と夜の2時間くらい続けました。
娘が生まれても、ずいぶん練習を重ねました。今から思うと良く頑張ったものだと自分を
褒めてやりたくなります。
そして、ピアノと過ごした15年の歳月は終了し、豆撰で働くことになるのです。
あぶらげを揚げ、工場のお掃除をし、午後からは伝票つくり、荷物つくりで全く休む暇などありませんでした。
若いって本当に頑張れるものだと思います。

それから2004年7月13日の中越大豪雨の日の出来事は今でも忘れられません。
我が家が私と夫の目の前で土砂に倒されてしまったのですから、その後、暑い日が続きました。
我が家の瓦礫撤退作業の日。
倒壊した瓦礫の中からクレーンで運ばれた
私のピアノは形がなく、鍵盤だけが悲しく怒ったように波を打っていました。
「やめてください」と心の中で叫びました。
20歳から35歳まで私の体の一部だったピアノの姿はあわれで悲しくって
家が壊れた時よりも、涙があふれたことを覚えています。

6/30には栃尾キリスト教会様のおかげで、栃尾第二回被爆ピアノコンサートを
開催します。原爆という恐怖のなかで、生き延びたピアノたちに想いを馳せながら
私は私のピアノを想いだしています。





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