宗徧流のお茶会「十二月茶会」に行く。私の先生が亡くなって3年が過ぎようとしている。茶席には先生の先生が正客として座っておられた。最近耳が少々衰えてきたので問答が聞き取れなかった。もし彼女が生きていたら問答の説明をしくれたであろう。無事と書かれている軸に彼女を重ねて、今生きている自分の大切さに感謝する。
もう一席の軸に仁者寿とあった。(じんじゃいのちながし)と読むとのこと。聖人は常にゆったりとしてあくせくしないから、長生きである。との意味。水の如く山の如くらしい。茶の仲間との話題は決まって、いつまでこのような時を過ごすことができるでしょうかとそれぞれが口にする。結論は健康であること歩けることである。
この日の茶会の重要な点は茶道具や所作よりも深い意味、それはゆったりとすれば長生きし、しいては茶の席に座ることもできるという事。
茶会後の楽しいランチと楽しい会話に長生きの秘訣あり。あせらずゆったりと残りの人生を歩みたいものである。
日日是好日
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