2018年2月12日月曜日

栃尾の油揚げ作り体験学習



 

栃尾の油揚げ作り体験学習と栃尾巡りに
広島と水戸の方たちをお迎えいたしました。
広島の方は大きな栃尾の油揚げを2枚ペロリと食べてくださりました。
こんなに嬉しいことはありません。
そして、いよいよ本番です。作り方の説明は社長が出張のため
若いスタッフが頑張っていました。はたしてうまくいったのか否か?
これも経験です。スタッフの体験学習でしょうか?

低温から高温に油揚げの生地を移すタイミングによって、栃尾の油揚げの厚みが変わってしまいます。油揚げの顔をじっくり見ながら、ひっくり返すことは職人の技です。
約20分かかる揚げ作業から、最終ラウンドは串に刺すこと。
一枚一枚丁寧に、そして素早く一串に10枚さします。
油揚げの重みは、片手で支えるにはかなりのコツが必要です。
熟練のスタッフは10秒で串に刺していきます。
この過程の体験は、お客様にとって興味深々となります。
3人のお客様はご満足そうな、そして神妙な顔つきで体験なさっていたようです。

その後、裸押し合いの場所巣守り神社に詣で、
いつもは入れない機神様を運よく見学できました。
実は私も初めの体験?でした。生きているうちに見ることができて、お客様以上に興奮しました。秋葉神社と同じく雲蝶作です。さて夜の部を待つこと1時間。
そして、いよいよです。
上杉謙信公が1570年代、先勝や五穀豊穣などを願ったのが起源といわれております。
神社拝殿に重さ20キロの巨大なロウソクがふんどし姿の男衆によって持ち込まれ
「福札」を求めて激しく押し合う様は、熱気があふれていました。

2日目は賽の神見学でした。

雪の上に竹や藁でほこらを作り、中にご神体を祀る。大勢の住民が、古いしめ縄やお守りなどを持ってお参りに来て、新しいお守りのお札をもらって帰る。
そして豊作祈願や無病息災、家内安全を願い、目隠しされた人がほこらの周りを3回まわってほこらに火をつけます。 賽の神は目が見えなかったから、火をつける人は目隠しをするようです。
今年一年元気に過ごせますように…と、燃えた後にスルメを焼き子供たちも大人もほおばっています。

栃尾人のように栃尾を知り尽くされている五藤利弘映画監督もご一緒していただき、楽しい二日間の栃尾体験を無事終えることができました。

栃尾体験ご希望の方は是非是非お待ちしております。

怒りです。みなさんみてください。原爆の子。

 昭和27年の映画
新藤兼人監督、主演乙羽信子
「原爆の子」
妹が新藤兼人作品を一度も見ていなかったと知って
お友達から届いたDVDです。妹は仙台に出張の為、一足早く観させてもらいました。
白黒です。
えくぼの可愛い乙羽信子の帽子と半袖姿に初々しさと清々しさを感じたはじまり 。
でも、映画は重くて、切なくて、つらい。

物乞いをしながら生き残り、それを恥じる老人
孫のために老人は死を選ぶ
孫を引き取る先生
原爆の被害で死を覚悟しながらベッドに横たわる少女が毎日祈る姿に
憤りのない怒りがこみ上げてくる。

二度と原爆が使われてはいけない。と必死に描いている。この監督の想いが
戦争を知らない私に伝わる。
被爆国日本が世界に訴えなければならないことがこの映画にいっぱいいっぱい
描かれている。

たくさんの戦争映画の中で、一番怒りを感じたこの映画。
何故だろうかと思った。
それは、今までは戦争は過去の歴史だと思っていたからです。
オバマ大統領が広島に来て演説したあの日
私は心から信じた。
原爆のない未来がくると。
ところが今はそう思わない、思えない自分がここにいるのです。
悲しくて、切なくて、苦しくって
戦争のない世界、二度と戦争をしない日本であるべきだと思うのです。
重くて辛い映画です。でも戦争を知らない私達こそ観るべき映画だと思いました。
どうかこの映画を観て下さい。
それが私のこの映画に対する感想です。みなさん観て下さい。


2018年2月8日木曜日

昭和56年の大雪から

昭和56年以来の大雪とニュースは言い続けています。
大きなお腹で保育園から自宅まで歩いたあの年です。
よく覚えています。娘が生まれた年ですから。
毎日、毎日降り続く雪、雪、雪・・・・・・。
保育園は小高い丘の上にあります。お寺に隣接していました。
とても広い園庭です。私の記憶では旧栃尾市の中で一番広かった。
門には大きな石塔が建ち、その門から保育園の玄関まではかなりの距離でした。
また、園庭を横切りお寺の脇道と四方八方から園児の通う道がありました。
大きなお腹を抱え、かんじきを付けて雪を踏みつけている自分を
思いだし、なんと雪国の女性は強かったのだろうと
可笑しくなります。

昭和56年の3月に娘を出産しました。
春の陽射しが差し込む病室から 眺める西谷川には雪がいっぱいで、
こっちの岸から市役所側の岸まで
わたしはまるでこどものように、雪の山を飛び跳ねて、夢想しました。
我が子を抱きしめた、あの年は
私が生きてきた63年間で一番幸せだったと振り返っています。

そして、今年も、西谷川は雪で埋め尽くされています。




2018年2月6日火曜日

縁で「元気をもらいました」

昨日から降り続いている雪の量は50センチは超えています。
夫は、まだ暗いうちに起きて除雪です。

朝食を終えると
歩いての出勤を覚悟して
リュックに荷物を入れ、いつもより長い長靴を準備。
七時過ぎに家を出ました。
大通りは除雪されているものの、横道は足跡もなく、かすかに
輪だちが見えるか見えないか。
刈谷田川沿いはホワイトアウトの世界です。
川に雪を運ぶ老人を見つけました。
今は東京でお仕事をしていて、栃尾に帰ってくると豆撰に
来てくれるT君のご両親です。
(40年前は私の勤務先の園児でした)
他の人に挨拶するよりも
大きな声で「おはようございます」と声をかけます。
すると、完全武装の私をだれかわからなかったのでしょう
小さな声でT君のお父さんは「お・は・ようございます」
私は「礼子ですよ」とめがねをはずしました。
すると「可愛い傘に元気をもらいました」とT君のお母さんが
遠くから微笑んでくれました。
私も元気をいただいて、豆撰に向かいます。
彼は足が速く、いつもリレーの選手だったこと、泣き虫だったこと
いろいろなことが頭に浮かんできて、楽しい通勤となりました。
縁っていいなあ・・・・・。







2018年2月4日日曜日

ほうれん草とバター

義母の買ってきたほうれん草は
あまり新鮮ではなかった。早めの調理必要。
そこで今朝、簡単にバター炒めにする。
作りながら、思い出したことは
小学校5年生の調理実習でした。
エプロンはひらひらもついている可愛いものを母は縫ってくれました。
ところが三角巾は
父も母もてぬぐいにしろというのです。
あんまり私が嫌がるので、根負けした母は白い布を買ってきて縫ってくれました。

わくわくドキドキのはじめての調理実習です。
ほうれん草は、よく食べていました。でも、きっとおひたしだったと
記憶しています。
この日の調理実習では「バター」を使いました。

バターを使うなんて、まるで西洋料理ではないかと思いました。
私の友達はこのようにバターを使った料理はよく食べているようでした。
だから、わたしは「はじめて」の経験をはじめてとは顔に決して出しませんでした。
そして、その味付けが、なんと塩と胡椒です。
塩、砂糖、鰹節、昆布は知っています。そしてその頃、化学調味料とは知らず
魔法の調味料だった味の素も知っていました。
知らなかったのは、コショウでした。
先生は「赤い根っこに栄養があります。固い茎の方を先に入れて、葉っぱの方は
後に入れます」と教えてくれました。
出来上がった料理名は「ほうれん草ソテー」この名前、「ソテー」も
ハイカラな名前です。これがレストランで食べる料理なのかと思ったものです。
そして、コショウは摩訶不思議な調味料だと思いました。
今では、塩とコショウが一番シンプルで大好きな味付けです。
「ほうれん草ソテー」が西洋料理だったのです。

半世紀は長いのでしょうか?短いのでしょうか?
終戦から10年過ぎて生まれた私の食生活は随分豊かになりました。
豊過ぎて「もったいない」ことを忘れています。
今日の「ほうれん草ソテー」はいつもと違った懐かしい味になりました。





2018年2月3日土曜日

お父さん鬼に泣き続けた娘





節分の朝、お天気です。青い空。

節分に晴れると、今年は雪も終わりに近づくと信じているおばさんです。
ところが気象情報によると、寒さは厳しく、大きな寒波が近づいているらしい。
どっちが本当かな?と思いながら
今日の定食は「油揚げロール巻き恵方巻き」に、そして恵方巻きお買い上げの方に
豆まき用の大豆をプレゼントすることにしました。
さて、お店の宣伝はここまでにして
節分と言えば鬼登場です。
保育園時代・・・・・・
保育園では本物そっくりの鬼が
金棒をふりあげ、園児の待つお遊戯室に 登場します。
「泣き虫はいないか、給食を残す子はいないか、お昼寝をしない子は
どこだと」叫びます。
お遊戯室で楽しく踊っていた子供たちは
「ふくわうち、おにはそと」と豆を鬼に向かって投げることを
前もって練習しておいたはずなのに、ビビッてしまいます。
一斉に保育士のところに集まり、泣き叫び、抱きついてきます。
懇願です。涙ぽろぽろ・・・「なかない、たべる、おひるねする」と泣きながらの
返答も一生懸命でした。
この行事ほど子供たちの信頼を100%感じ、保育士として幸せ気分を味合うことはなかったかもしれません。
そして、私はその鬼の被り物を自宅にもって帰ったある日。
にぎやかな家族団らんの夕食を終え
玄関からお父さん鬼の登場です。

娘は3歳くらいだったと思います。鬼の顔を一瞬見るなり、もう眼は開きません。
泣き叫ぶ声も声にならず、息が止まるような驚きようでした。
大粒の涙が洗面器いっぱいになるほど流れました。
お父さんは娘がかわいそうになり、すぐに
お面をとり「お父さんだよ」と優しく声をかけるけれど
お面をとった素顔のお父さんを見ても
しばらく泣き続けていました。

あれから34年が過ぎてしまいました。1年はあっという間に過ぎてしまいます。
そして、34年も本当に短く感じる今日この頃です。




2018年2月1日木曜日

如月…の朝。

習慣は実に恐ろしいものです。
4時になると体内時計が稼働します。
寒いのでもっと寝ていたいのです。
寒さの中でできることは
携帯いじり他ありません。本を読むことも、テレビを見ることも

となりで、すやすや眠っている夫を起こさないように気を使っている
古女房です。それなのに
「今、何時だと思っているんだ?」と怪訝な声
さっきまでは4時は早いと思っていた古女房の返事は
「もう、4時過ぎてるよ」
そこから始まった古狸と古女房の会話。
「2月はなんていうんだっけ?如月だよね」
「一月は?」「お正月だよ」なんて会話が始まるのです。睦月、如月、弥生・・・・・
霜月、師走と携帯でカンニング。
そのうち英語は・・・・・・
「これってさ、中学一年で覚えたことだよね。脳の中身はどんどん減るのにさ
私のお腹だけは急ピッチで増えるんだよね」

ダイエットの話は月に一度は聞きます。「明日からダイエットします」と
古女房には実行力がないのです。
もう、明日は休日だからランチはどこにするかな、
なんて考えているのですから・・・・・・。