2017年5月19日金曜日

看護の先に見えるのは姥捨山

思ってしまいます。人の世話になることなくころりと
あの世に行きたい。

高齢者を抱えると、自分の20年後を想像してしまいます。
いつか自分も病に倒れるはずだと・・・・・・。
夫婦の会話の最後は「あんまり長生きしたくないね」に
たどり着くのです。

実母の突然の入院生活
同居していた妹夫婦にも、私にも
大きな問題となってきました。

誰もが命の期限を宣告されると、とても優しくなります。
それは、家族だけではありません。病院の先生、看護士さんも親切に
してくださります。実際父、叔母、叔父が死に直面した時は
優しい言葉で励まされたり、促されたりしているのを隣で見ていました。

しかし、今回はちょっと違うのです。
「脳梗塞」という病には段階があります。
症状がかなり重くなり、高齢になると、治療もなくなります。
すると、入院しているのに、看護士さんはまるでロボットのように機械的なのです。
忙しくて大変なことはわかります。
でも、患者は無抵抗な弱い人間なのです。
母は、言葉が出ません。意思表示はうなずくかうなずかないかです。
私と妹の言葉は母に伝わります。なぜなら、伝わるように根気よく繰り返し
話すからです。看護士さんには言葉がでないこと、左半身まひという
事実から、寄り添う気持ちを伝えようとはしないようです。
看護ってどういう意味でしょうか

着替えのシャツを持って行く時間が10分遅くて、母はお風呂に入った後、パジャンマだけ
着せられていました。
翌日、母はシャツを着ていません。と看護士に伝えると
そうですね。と言ってシャツをロボット人形にでも着せるように
作業をしました。
話ができなくても、全身全霊で伝わるように話せば
母はわかるのに、なぜ伝わるように話してくれないのか
看護士さんに不信感がつのってしまいます。

高齢者の病の先に見えるのは
姥捨山なのでしょうか


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