2017年7月24日月曜日

カナリヤを逃したのは母でした

今、娘の家にはイタリアのママと私。
そして孫のYの3人です。
携帯の中に入っている写真をお互いが見せ合い、日本語とイタリア語と英語のちゃんぽん。こりゃあ漫才にもならない。
時々孫を見つめて、ふたりのばばちゃんは愛想笑いをする。
コーヒーを入れ、二人で飲む。
孫は私たちの空気がまだ読めず、スヤスヤと眠り続け、
もう2時間はとうにすぎている。
外は騒音のパレードだ。まるでアメリカ映画のようだ。
バイクにパトカー……。
そうだ、ここはアメリカだから、当たり前のこと。
話も途中で下車。
前もって私は本が好きです。そして携帯で友達とメール交換をします。どうか気になさらないで下さい。と言っておいた。
することが見当たらないので、昨日の続きを書くことにします。
原田マハさんの「永遠をさがしに」の序盤に重要な登場人物いや、正確には鳥が出て来ます。カナリヤの歌そのもの。
娘の和音と母の名前を一文字づついただいた名前、母の時依のと、娘の和音のわです。
トワ ……。そしてその意味はフランス語であなた、日本語では永遠と母が和音に教える。
ここにこの物語の鍵をかくして、読ませて行く原田マハの戦術が好きな私。
映画もそうだけど、最初の場面が人を惹きつけるかどうかで
その物語のうまさが感じられると、のめりこんでしまいます。

ここで脱線
今私は籠の中のカナリアと同じだ。ここが最高の空間であるはずなのに、言葉がわからずに泣けないよ。
とカナリヤと私は一体化してしまいました。
でもこの序盤には涙なし。
羨ましいほどの家庭環境、家族構成は読み始めてすぐにあららとなる。
鳴かないカナリヤがいなくなり、鳴かないカナリヤは必要ないと
逃してしまった犯人は?有名な指揮者の父かなと謎を残し、両親の早々とした離婚。
これでは、私の両親の方が貧乏で、喧嘩の絶えない夫婦であっても、
両親の愛は妹と私に100%注がれて育ったことを思い出す。
今頃、その母は病院のベットでリハビリ最中だ。日本は36度を超えているとか、大丈夫かなと心配になる。
私は自分の思い通りにならなとアメリカに来た早々ストレスのタネを蒔いてしまった。
病院にいる母や一生懸命頑張っている豆撰のみんなのことを思ったらバチが当たりそうだ。
メールの音。
娘から、病院からもうじき帰ります。Yはどう?とメッセージを読む。
彼女はオムツを替えても知らんぷりで眠っていると返信。

続きは ……。続きます。





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