扇沢からバスに乗って黒部ダムに着いたのは、9月30日。200段の階段を登ると前方に立山連峰が広がる。丁度雄山のてっぺんに雲がかかっていたが、それはそれでいい景色であった。
22年前のことだ。叔母は一年の闘病生活に疲れ死を覚悟し、遺言を残した。叔母の夫には「N子は強い子だから大丈夫だけどHのことは頼みます」と叔母の娘と息子を叔母は夫に託した。そして「母ちゃん、父ちゃん、姉ちゃん達を頼む」と姪の私に託した。母ちゃん父ちゃんは私の父母のことである。姉ちゃん達とは叔母の姉と兄のことだった。一番末っ子の叔母にとって自分が看取るはずの番狂せだった。今では父のふたつ下の叔母だけになってしまった。
癌という病は若かった叔母を容赦なく蝕みあっという間に命を奪ってしまった。
叔母の自宅2階のテラスから陽が昇ると叔母は手を合わせ大きな瞳の中に祈りを映していた。
ある日今まで生きてきて一番嬉しかったことはと尋ねたら「N子が生まれたとき」とこたえた。
もう一度行きたい所はと二度といけないと知りながら私は質問した。「立山かな」と弱々しい声でつぶやいた。
「行こう、つれて行くよ」と叶うはずのない返事は何故か力がこもった。
そして叔母の死から半年過ぎの秋 叔母の写真を持って線香を持って立山の石碑に飾って手を合わせた。
同行したのはN子と私の娘そして夫の4人だった。
黒部ダムから立山連峰を望む。23年前の記憶が走馬燈のように甦る。今まで生きてきて一番辛く悲しかった叔母の死も、いつのまにか心の中で溶けて悲しさというより懐かしい想い出となっている。
日日是好日
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