朝目覚める時間が月日と共に早くなって、気が滅入ってしまいます。そんな時は決まって考えることは、まだ訪れていない老後の自分達を想像します。母のように認知症になったらどうしようか、父のように癌になったらどうしようかな?施設入所はどこがいいかと真剣に考えている。隣に眠っている夫も体力と思考能力の減退に日々気を落としているようだ。
働く場所があった数ヶ月前はこんなマイナス思考ではなかった。自由という大きな希望と夢は意外なほど私の心を曇らせるものだと思い知った。つまり体験とは何よりも正しい解答なのかもしれない。
冬囲いの手伝いもほぼほぼ終了する。夫の頭の中は碁盤の目のように同じ形をしている。真四角の長さは絶対に同じなのだ。予定を立て予定通りに行動する。私は大小様々な風船を手に持ってその日を過ごす。卵焼きをオムレツに変えても問題ない。ラーメンを焼肉に変えても問題ない。こだわりがない。だから時々衝突する。パンクするのは私である。
自分の世界から離れて、電車や飛行機に乗り、はじめての道を歩き、はじめての場所に行く。おいしいものをいただき、上げ膳添え膳の非日常は自由から得た心の晴れに思えるがそれはその時が過ぎると綿飴の如し。本当の心の晴れは何気ない日常の中にあって笑みが溢れることだろうと思うとなかなか心の晴れが見つけられない。
朝ピアノに向かって一年かかっても弾けない曲に挑戦していること。月に数回のお茶のお稽古。続けられることが心の晴れかもしれない。
もうひとつ、回数の激減してきた私のブログもその一つかもしれない。
日日是好日
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