2016年5月31日火曜日

夕暮れの帰り道



帰り道
家並み、遠くに見える守門岳、お花たちはもう少しでお休み色です。
川の音は、哀しい鳴き声です。
私は一日の終わりに、明日の憂鬱な仕事(書類作成)の算段をします。
そのうちに今週のお休みはどう過ごそうかと、あれこれ考えます。
そして、1年後に、この道を歩いているだろうかと・・・・・・。
だんだんと2年、10年15年の先を想像するのです。

でも、今日が最後かもしれないと、やっと車を運転してきた義兄にとって
一日はどうなんだろうか
命の限りを突然、医師から告げられた人の気持ちを神様は
どう思っているのでしょうか

車の窓を半分あけて、わたしと目を合わせると
涙がにじんでいるのです。

「兄さん。あれ飲んでいますか?毎日飲んでね。なくなったらすぐ持って行くから、
免疫力アップして、がんばってよ」と私は強い口調で言います。
義兄はうなずくだけでした。



2016年5月28日土曜日

伝説のスピーチライター

先日読み終えた、原田マハさんの「本日は、お日柄もよく」の主人公はスピーチライター
OL二ノ宮こと葉は、想いをよせていた幼なじみ厚志の結婚式に最悪の気分で出席。ところがその結婚式で涙が溢れるほど感動するスピーチに出会う。それは伝説のスピーチライター「久遠久美」の祝辞。言葉の魅力に取りつかれた、こと葉は久美に弟子入りし「政権交代」を叫ぶ野党のスピーチライターを引き受けることになる。この小説の中にOさんのことが出てきます。Oさんの演説のうまさは「We」にあると書かれていました。「私は!私は!ではダメ」、「あなたたちと一緒にやりましょう」と演説する。そして「チャンス」と「チャレンジ」のキーワードこそ民衆に感動と期待を持たせてくれたと分析していました。私の頭の中では読んだばかりのこの本の余韻が残っている中で、今回の伊勢志摩サミットや歴代大統領で初めての広島訪問がやってきたのです。


このブログを書き始めてから、書き直しの連続でした。それには、理由があります。
書き終わって、「よし、書いた」と思う後から新しい情報が飛び込んできました。
そのひとつは、オバマ大統領が肩をそっと抱きしめた被爆者である「森重昭」さんの記事でした。
40年もの間、森重昭さんは、広島で原子爆弾の犠牲になった14万人余りの人々に含まれていた被爆米兵捕虜12人の記録を探し続けていた、その情報がアメリカのオバマ大統領の耳にいつしか届いたそうです。
被爆者の肩をそっと抱きしめた、アメリカ大統領オバマ氏と自らが被爆者でありながらアメリカ兵士たちを探し続けた森重昭さんの間には、敵も味方もなく、戦争の犠牲者を、もう二度と出してはならない。そんな世界は終わりにしましょう!とお互いの気持ちがひとつに溶け合った瞬間だったのではないでしょうか。もし仮に、これがスピーチライターのシナリオだったとしても、オバマ大統領の真の気持ちが絶対に、ライターに届いたからだと思いました。
もうひとつは、 アメリカ大統領オバマさん自身が広島に来たくて何度も機会を探っていたことを知ったからです。ここまでたどり着くまでは、アメリカ政府と日本政府、それぞれの立場の谷間で、先送りにされていたようです。任期満了前に果たしたかったオバマ大統領の強い信念に感謝します。
このふたつの情報が私に、もう一度ブログを書き直さなければと思った本当の理由です。 みんなの願いは、ただ一つ。核のない、戦争のない平和な世界です。
その架け橋となって、オバマ大統領の広島訪問があったことを私は一生忘れないでしょう。

そしてブログとは自分の反省日記だということを知ることもできました。


2016年5月27日金曜日

中古品に必要なものは自然と夫です。








一日中、取り付けられた心電図の結果は良好でした。
しかし、どうも別の不整脈が出没したようです。
その正体は高血圧です。
そして、根源は肥満にあると夫は言います。
食事については、大豆製品中心の手作り料理を
心がけています。食事には問題はないはず・・・?
あるとしてたら、スイーツの食べ過ぎです。
そして、つまりは運動不足が一番の理由なのです!
(わかっていますよ)
そこで、夫にお願いして、城山散策をしました。
岩の鼻から階段を歩きます。400メートルくらい
木道の坂道を歩きます。
登り始めると、心臓がだんだん高鳴るのです。
ドキドキとハアハアの繰り返し。
無理をしないように、何回も立ち止まり、呼吸を
整えて、上りました。
オットセイのような木、ジャングルにあるような
雰囲気の木が目に留まります。
森の木々はそれぞれが個性をむき出しにして生きています。
頂上に着くと、ヒョウモンらしき蝶がふわふわと
目の前を通り過ぎて行きます。
夫に「早く望遠出して、撮って、Nさんは守門で
ギフチョウとキタテハを撮ったんだよ」と、
ちょっとだけ、ライバル意識を促した私。
「よーく、Nさんは上手に撮っているよな、三脚
か一脚使ってんじゃないかな?」と夫。
「一脚?買ったら」とそっけなく応える私。

中古の体に油を注ぎ、生きていくには、自然と夫
が一番の良薬と再確認しました。



2016年5月26日木曜日

献体とは

FBのお友達Eさんの投稿を読ませていただきました。
Eさんのお母さんは生前、献体をご希望なさり登録なさっていたとのこと。
多くの患者のために捧げたご自分の体、尊敬のふた文字でした。
「献体」の文字と慰霊祭の菊の花から、献体の意味を想像しながら、とても気になっていたのです。

それには訳があります。
もう15年も前のことです。私には姉妹のように仲良しの叔母がおりました。
叔母は56歳のある日、宣告を受けました。
私はその日から、一年間病院と叔母の家に通い、励まし続けました。
それでも、あらゆる場所に転移した細胞は、叔母の骨を食い荒らし、壮絶な痛みを課したのです。叔母の生前の言葉の中に「私は今まで悪いことは一つもしてこなかったのに、どうしてなの?」問われる言葉に絶句でした。「苦しいのは姉ちゃんだけでないよ、家族も私もみんな苦しいのだから」と私は血も涙もないような返答をしました。今なら「そうね」と一緒に涙を流したでしょう。泣き虫の私なのに、叔母が天に召される、その時まで涙を流しませんでした。その、すぐ直後に、家族と私の父に主治医から解剖の要望がありました。家族の出した答えは「no」でした。
父はそっと耳元で「礼子の気持ちはわかる、でもここは子供達の気持ちを優先してやらなければならないぞ」と言いました。私の目には溢れんばかりの涙がいっぱい溜まり、胸が苦しくなったことを昨日のように覚えています。

この経験から15年が過ぎ、FBのお友達の投稿で、知った「献体」について私はどうしたいのか、私の娘はどうするのだろうかと結論の出ない迷路に入っています。

2016年5月24日火曜日

今日が過ぎて、明日が来て、春が過ぎて、夏が来て

悲しそうな顔をしないでください。
切なそうな顔をしないでください。
義兄が全てを覚悟して、「お願いします」と無理を押しながら自分で運転をして私のところにやって来た。
病魔は、患者の気持ちなんて無視して増殖を繰り返す。
何人の身内の病魔を見てきただろうか
祖母、叔母たち、父とみんな同じ種類の病魔だった。
励まし、そして看取って来た時、私はまだ40歳から50歳ころである。
今は60を過ぎている。
いつか必ず私にもやってくる「死」をどう自分はうけとめるのだろうか。
夫に話す。義兄の涙について……。
私たちにできることは、気休めの励ましである。
それでも、私は今日生きられたら、明日も、そして春から夏へと
奇跡を信じて祈る。



2016年5月22日日曜日

餡をたぎる

思いつきで、おはぎに挑戦してみました。
小豆を丹精込めて作っている義母に、一応お伺いを立て、小豆を一晩お湯に浸してもらうようお願いをすると、大事そうに大豆袋をかかえ、「おかあさん、4合でいいかの?」と私に聞く、その声には張がありとても嬉しそうでした。

さて、晩浸した小豆を柔らかくなるまで煮ることは、私の生まれて初めての経験です。レシピだと高圧鍋を利用と書いてありましたが、義母は普通の鍋で火にかけ一晩浸しておいてくれたので、私はそのまま昔のやり方で挑戦。皮を軽く指で押し、豆がビチュと出る感じと動画レシピを見ながら、なるほど。これでいい塩梅。では小豆を潰して、茹で湯を入れ、こします。さらに水を加え、うわ水だけ捨てる。その繰り返しを3回もしました。でんぷんは沈んでいるのか、いないのか?これでいいのだろうかとだんだん不安になり、途中で、数回友達に電話して、伝授してもらいました。
樹木希林さんの映画「あん」を思い出す。そうだった、そんなに簡単にはできなかったな。心で餡を煮るなんて、100年早かった。必死でこすのみ。必死で餡を炊ぎるだけでした。もち米と白米は半々にして炊きました。
餡の味付けは、まあ良し。ご飯も炊けたので、早速ご飯をまるめ、餡をつけ、少し大き目のお皿に並べはじめると・・・。義姉妹を招いては、おはぎ作りを楽しんでいた、元気な頃の実母の顔が浮かんできました。『今日は私が作るからね、待っていてね』と少しだけ涙ぐむ私。
一つ二つ、十個と皿に並べながら何個作ればよかったかと指を数えてみると、11人分のおはぎが必要でした。
あら、まあ、なんだか、炊飯器の中のご飯と餡の量に差があり過ぎです。餡は丁度いいのですが、釜のご飯は半分も残ってしまいました。餡とご飯の分量を確認しなかった私の大失敗。
とりあえず、冷凍にすることにしました。あぶらげ作りも面倒ですが、餡作りも大変。何かを作るって骨が折れることなんだと再度実感した次第です。

出来あがったおはぎを一番先に食べたのは、ディサービスから帰ってきた義父です。
「おかあさん、ようできて、うまい」と嬉しい一言をいただきました。


2016年5月20日金曜日

流す涙の数は同じでした。


 「殿 利息でござる」と「海の上のピアニスト」の二本を観ました。私の少女期には映画と言えば2本立て。何十年ぶりの二本立てだったことでしょうか。
「殿 利息でござる」は映画館で観ました。「海の上のピアニスト」はDVDを朝方3時に起きて観ました。邦画と洋画の違いはありますが、片方が正義ならばもう片方は哀愁でしょうか。
「殿 利息でござる」は日本人好みの内容です。水戸黄門タイプでしょうか。心臓病を患っている私には精神の安定が一番の良薬です。ひと癖ふた癖もありそうな悪人面が、だんだんと良い人になっていくのです。悪人顔なら日本一と言っていい顔立ちの山崎努。
悪人を装っても、どこかに人のよさそうなお坊ちゃん雰囲気の妻夫木聡はやはり良い人だったのです。喜劇タッチで面白い。何よりスケートの羽生さんの友情出演は観る人を楽しませてくれました。
この演出には観客動員を図った話題性もあるのでしょうが、結構いい感じ。スケートの次は俳優もありかと思ってしまいました。
一方「海の上のピアニスト」は最初から重い。ヴァージニアン号に捨てられた赤ん坊はレモン1900と呼ばれる。黒人機関士ダニーに育てられ、「ママってどんな人」と尋ねるところから、切なくなっていきました。ダニーとレモンのコミカルな会話に心が落ち着き、笑いも生まれました。ところが、ダニーは事故に逢い、あっけなくに死んでしまうのでした。「殿利息でござる」のように話が良い方へとは進まないのでした。その後、レモン1900はヴァージニアン号から一度も陸に上がることなく、海の上のピアニストになり、友人マックスと出会う。船上で見かけた女性に恋をして、一度は陸に上がろうとするがタラップを降りることはできませんでした。この映画はなぜ観る人の心をこんなに切なく、悲しくさせてしまうのだろうか、素晴らしい映画とは心を寂しくさせることでしょうか。まったく真逆の世界を表現するふたつの映画。心臓に良い映画は「殿利息でござる」
心臓には少しきついが心に残り、人生の終わりについてを考えさせられるのは「海の上のピアニスト」、どちらも流す涙の数は同じで、感動の映画でした。