2019年9月3日火曜日

水戸へ出張です。

プレゼンの経験と言ったら
片手でも余ってしまうほどの未経験者です。

私は一体何をどう話したらいいのか悩み
目が覚めてしまいました。

栃尾の油揚げは30年前は
今ほど有名ではありませんでした。
35歳だった私は現実の厳しさを全く感じることなく
ただただ、本物の栃尾の油揚げを作りたかったのです。

材料選びはキーポイントでした。
栃尾あぶらげと堂々と地名をうたっているのに
外国産の輸入豆ばかりでした。
中国、アメリカ・・・・・・。
その価格は商売にはもってこいの安さ。
しかし、私たちはアメリカや中国の豆畑を見ることは
創業当時は思いもつかなかったのです。

しかし新潟の朝日連峰の大地で育つ豆なら
この目で見ることができます。
なにより生産者の方とじかにお話ができるのですから
化学肥料を極力使わずに鶏ふんを使用していました。
鶏ふん工場も視察できました。
刈り取り前には農家のお母さんたちによる草取りを見ることもできました。


余談ですが機会があって大連.の大豆畑を見ることができました。
日本と違い、広大な大地に広がる青々とした豆畑には
草一本、虫一匹もいないのです。
その不思議な畑にたつと
震えました。
私の使っている大豆畑は草が生えている。、虫くいの葉っぱもある。
だから私は安心してあぶらげを作ることができるとひそかに喜びました。

それから今ではさらに、栃尾の地域でも、豆を作ってもらっています。
栃尾の大豆の肥料は循環型です。つまりあぶらげを作るうえにでるおからは
廃棄処分しなければならない。
その、おからを再利用して肥料にしているのです。
いかしこのおからの再利用も大手企業の撤廃で行く末には少し不安があります。
日本ほど再利用、エコ、オーガニックの進んでいない国はないと思います。
もっと真剣に農業に取り組んでもらいたいものです。

さて目標のひとつは大豆を選ぶことでした。
そして、今度は昔ながらの製法にこだわることでした。
栃尾でかつて先人たちは豆を絞ってから豆乳を煮たのです。
その香りと風味の美味しさはこの生搾りにありました。
ところが残念なことに、
豆を煮てから豆乳とおからに分ける生産性だけを戦後は取り入れたのです。
ですから昔ながらの生搾り製法で栃尾のあぶらげを作っているのは
豆撰だけです。
全国でも数少ないと聞いております。

あぶらげを食べる前に一度生搾りの豆乳をぜひ飲んでいただきたいと思います。

最後に心を込めて手で揚げる意味について
お話させてください。
私たちの二本の手は、目と一緒に行動します。
大きなフライヤーの中で小さなあぶらげ生地は変化して大きくなります。
低温での返し、高温でのタイミング。
均一なものではありません。それはこの生地が生きているからです。。
ひとつひとつに個性があります。
私はそれを子供だと思っています。
その子供をわるい子供に育てないように、見逃さないようにするのが
親の務めだと思っています。
愛情をもって修正してやれば均一にならないあぶらげも
たいていはいい子になるのです。

機械で揚げる生産性も、今の世の中では必要なことかもしれませんが
豆撰では一枚一枚を育てるあぶらげつくりを守り続けたいと思っています。

さて、出発です。ドキドキハラハラですが
みなさん行ってきまーす。

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