2024年2月18日日曜日

 昭和45年の冬だった。冷えきった家の中に15歳の私と幼稚園児の妹が私から離れないでいた。そして、私の背中には生まれて1か月の大きな目をした赤子がいた。あたりは暗くて、それだけで不安なのに、私は妹と赤子を守らなければという使命感を感じていた。

赤子が泣いてどうしようもなかったので、私は妹の手を借りて赤子をおんぶした。

私が仏壇の前に座ると妹は片時も離れず私にくっついて座る。不安はだんだん恐怖になって、私の心臓は激しく波打つのだった。

母が息を切らせて家に戻ってきた。置き去りにされた私たちを迎えにきた。母は素早く私の背から赤子をとりおんぶした。雪あかりの坂道を母の後ろを駆け足で下りた。

病室には大勢の人が集まっていた。ベッドに横たわっているのは64歳の祖母。腸閉塞で緊急手術をしたと記憶している。医師が言ったのか父が言ったのかわからないが、手術は成功したが血圧が下がり過ぎた。死んでしまう。私は「バカバカ」と祖母に向かって言った。祖母は目を閉じていた。

祖母は「みなさんこんな夜中に大変です。お引き取りください」と微かな声で言った。

祖母の葬式後に父が話した。「誰にも言わなかったが新大病院で診てもらった時に後一年生きられるかどうかと言われいた。だけれどこんなに長く生きられた」と。肝臓癌で手術をした時は手遅れで何もせずにふさいだらしい。

あれから45年が過ぎる。あの時の赤子は姉妹のように育った叔母の子供だった。その叔母は私が47歳の時に57歳でこの世を去った。

赤子だった従妹は今年55歳になるのだろうか。従妹が結婚をして娘を産んで、その娘は今年20歳になる。

過ぎし日の想い出。

日日是好日

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