2014年4月10日木曜日
良いお天気に誘われて
本当に何ヶ月ぶりでしょうか
実母の手を引き、お散歩を楽しみました。
桜の花がほころび、あちらこちらに列を組んで咲く水仙たち。
チンチョウゲのあまい香りを母に知らせましたが、
痴呆になると匂いに鈍感になるらしく、母はチンチョウゲには興味を
示さなかったことは少し悲しかった。
それでも、久しぶりに出会う、ご近所のおばあちゃんたちに
「ひさしぶりだの、元気だかの、いっぷくしてげさ」と声をかけら
母は軽く、会釈する。
そして、 散歩の途中で「ここは○さんの家だっけ?」「ここはどこんちだっけ?」と
口数の少ない母もお天気に誘われ、一言二言質問をしてきます。
少し高台に上ると久しぶりの歩きに疲れ、しゃがんでしまいました。
しゃがんで休む母を見て、すこし遠くの山がにじんでしまいました。
2014年4月9日水曜日
山のように積まれたものは
山のように、こっちには読みかけの本が積まれています。
おまけに、バックの中にも1冊読みかけ本が入っています。
我が家の部屋も片付けさん(私)が病のため、散らかり放題です。
さて、仕事に行けば、机の上から下まで処理できていない書類が
あっちこっちと…。3月決算のうえ4月から消費税8%とさらに仕事は
増えています。はやく片付けないと大変なことになりそうです。
なのに、今朝は友達に五藤監督作品のDVDを見ませんかと
誘いのメールを送る私。
おまけに、バックの中にも1冊読みかけ本が入っています。
我が家の部屋も片付けさん(私)が病のため、散らかり放題です。
さて、仕事に行けば、机の上から下まで処理できていない書類が
あっちこっちと…。3月決算のうえ4月から消費税8%とさらに仕事は
増えています。はやく片付けないと大変なことになりそうです。
なのに、今朝は友達に五藤監督作品のDVDを見ませんかと
誘いのメールを送る私。
2014年4月8日火曜日
震度4の揺れ
がたっと揺れる、目は覚めていましたがベットの中。
地震とわかっているのに
「地震だよね」と夫に確認する私。
幸いにも、揺れはすぐに収まり安堵しました。
10年前の中越地震を思い出してしまいました。
あの恐怖からもう10年を迎えるのです。
長岡と栃尾を結ぶ道路や陸続きの山古志の道路などの
復旧の早かったこと。さすが日本と思いました。
けれど、今は違います。地震の大きさ、それに伴う見たことのない津波。
そして一番犠牲者をだし、目に見えない敵と戦い続けている「原発」
果たして、私たちは今幸せと言えるのでしょうか
ブログの書き込みの途中に友達からメールが届きました。
「今日は角田に上りました。雪割り草とカタクリがきれいでしたよ」と。
そして「リフレッシュが必要です」と。
難しいことを考えながら書き込んでいたブログでしたが
今、私は友達のメールに心が救われたような気がしました。
地震とわかっているのに
「地震だよね」と夫に確認する私。
幸いにも、揺れはすぐに収まり安堵しました。
10年前の中越地震を思い出してしまいました。
あの恐怖からもう10年を迎えるのです。
長岡と栃尾を結ぶ道路や陸続きの山古志の道路などの
復旧の早かったこと。さすが日本と思いました。
けれど、今は違います。地震の大きさ、それに伴う見たことのない津波。
そして一番犠牲者をだし、目に見えない敵と戦い続けている「原発」
果たして、私たちは今幸せと言えるのでしょうか
ブログの書き込みの途中に友達からメールが届きました。
「今日は角田に上りました。雪割り草とカタクリがきれいでしたよ」と。
そして「リフレッシュが必要です」と。
難しいことを考えながら書き込んでいたブログでしたが
今、私は友達のメールに心が救われたような気がしました。
2014年4月7日月曜日
入園式の思い出
一人娘は2年保育を経験させました。
私たち夫婦は共働きでした。夫は市役所勤め、私は保育園勤務。
でも 、乳幼児から保育園に入園させる必要はまったくありませんでした。
義母が家にいて、農業を主に家事のいっさいを引き受けていたからです。
義母は52歳くらいでした。
今の私を想像したら、あの頃の義母は若かったと感心させられます。
愛情たっぷりの家庭で育った娘ですが
仕事柄集団生活の経験も必要と思い1年目は私の勤務保育園に
通いました。行きは私と娘と一緒です。約50分くらい歩きました。
帰りは義母が迎えに来てくれました。
私も娘も義母も、大変な道のりを歩いた1年間でした。
そして1年が過ぎ、就学1年前学区の同じ自宅近くの保育園に
娘と手をつなぎ入園式に行きました。
娘は「お母さん、今日からお友達にお母さんのこと、先生って呼ばなくてもいいよね」と
新しい制服を着て話しかける娘の笑顔が今も忘れられません。
私たち夫婦は共働きでした。夫は市役所勤め、私は保育園勤務。
でも 、乳幼児から保育園に入園させる必要はまったくありませんでした。
義母が家にいて、農業を主に家事のいっさいを引き受けていたからです。
義母は52歳くらいでした。
今の私を想像したら、あの頃の義母は若かったと感心させられます。
愛情たっぷりの家庭で育った娘ですが
仕事柄集団生活の経験も必要と思い1年目は私の勤務保育園に
通いました。行きは私と娘と一緒です。約50分くらい歩きました。
帰りは義母が迎えに来てくれました。
私も娘も義母も、大変な道のりを歩いた1年間でした。
そして1年が過ぎ、就学1年前学区の同じ自宅近くの保育園に
娘と手をつなぎ入園式に行きました。
娘は「お母さん、今日からお友達にお母さんのこと、先生って呼ばなくてもいいよね」と
新しい制服を着て話しかける娘の笑顔が今も忘れられません。
2014年4月5日土曜日
夫婦
体調を崩してから、食欲もなく・・・・・・。
この辺で、元気を回復せねばと、おもいきって「桜」を訪ね
小江戸川越に夫婦で行くことになりました。
長岡から新幹線に乗ります。電車は空き席多く、3席並んだ座席の中央に荷物を置き
両端に座る中年夫婦。
会話、別になし。
大宮から川越へ
喜多院では、さくらまつりで多くの人たちでに賑わっていました。
初老夫婦はそれぞれの持つカメラにさくらを収め
無言で歩きます。
せっかくだからと以前観た蔵通りを過ぎ、
川辺の桜並木を船下りで観ることに決め
目的地にタクシーで向かうと
3時間待ちとのこと。
断念し、川面にうつる桜をカメラに収めていると
花嫁さんが船に乗り込む、
ちょっと良い風景でした。
また神社でも雅楽の音色が響きわたる
古式豊かな結婚式も見られました。
どの夫婦も遠くから観ていてもしあわせ感が桜の花よりも
あふれて見えました。
さて、我々35年夫婦と言えば、「じゃあ、帰るか」と
また無言で新幹線に乗り、長岡駅に到着すると
一言「いくら使った?」と口を開いた夫の言葉。
夫婦って、時間が過ぎると本当に空気?になってしまうと感じた一日でした。
2014年4月4日金曜日
なかなか敵は手ごわいぞ
体調を崩し10日も過ぎたのに、健康は回復せず
不定愁訴の日々が続きます。
30年くらい寝込んだことや会社を体調不良のために休んだことのない自分
にがっかりしています。忙しく余裕のない、毎日なのか
それとも、これが60歳の壁なのか?
つい弱気になり
「私はイタリアには行けないわ疲れて、あの子たちから
きてもらわんばんね」と。
夫は「一年に1回あったっとしてあと15回くらい会えるのかな」
なんとさみしい会話でしょうか
この敵さえ消えたらきっと元気になるはず
その頃は栃尾も桜が満開かなと想像している今朝でした。
不定愁訴の日々が続きます。
30年くらい寝込んだことや会社を体調不良のために休んだことのない自分
にがっかりしています。忙しく余裕のない、毎日なのか
それとも、これが60歳の壁なのか?
つい弱気になり
「私はイタリアには行けないわ疲れて、あの子たちから
きてもらわんばんね」と。
夫は「一年に1回あったっとしてあと15回くらい会えるのかな」
なんとさみしい会話でしょうか
この敵さえ消えたらきっと元気になるはず
その頃は栃尾も桜が満開かなと想像している今朝でした。
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