2025年3月3日月曜日

想い出アルバムはここにも

 2025/2/28

夜中の12時近くになってしまった。娘夫婦の新居は白くて、洋風の小さな館だ。夫婦と子供ひとりの新居としては十分すぎるくらいに広い。壁には思い出の写真がいっぱい飾ってある。

どの部屋に行っても娘夫婦の出会いから去年、日本で撮影された孫の七歳のお祝いまでがびっしりとかけられている。その中で小さい額縁の写真に目が止まる。そこには若き日の父がいた。髪は黒く、村一番の美形だった。私は残念な事に母そっくりだ。背は低く、鼻は上を向いている。10歳違いの叔母は父の妹で美人に生まれ、栃尾の三人娘クレオパトラか楊貴妃か小野小町かと言われたそうだ。美人は薄命なりだった。

それはどうでもいい事で、まさかここに父がいて孫たちに囲まれている写真があるとは思いもしなかったので、「どうして、泣いているの」と孫に見つけられた私はそくさくとその場所から離れた。娘は多分十歳で姪っ子は四歳、甥っ子は生まれたばかり。33年前の写真だ。この頃は丁度豆撰を立ち上げたばかりで、死に物狂いで朝早くから夜遅くまで働いていた。休日もなく家族と一緒に過ごすこともできなかった。だから父は娘を頭に3人の孫の世話人だった。私にはこの頃の思い出がほとんどない。込み上げる涙が堪えきれなかった。そして亡き父に感謝した。

思い出のアルバムはどこで見つかるかわからないものだ。

心地よいベッドルームを与えられ、70歳この上ない幸せを感じながら眠りにつく。

普段から寝ることが不得意の私である。3時間後には目覚めてしまい、日本に残した心の重い扉を開いていた。

朝食は新居の目の前にあるパン屋さんに孫から連れて行ってもらい、クロワッサンを買う。生ハムにコーヒーが用意されている。家族団欒の朝食に感謝する。

今日は婿殿のご両親に謁見だ。5年ぶりだ。婿殿の父親は病後、リハビリを拒否をしたため杖なしでの歩行は無理でせいぜい数十歩であった。

私たちは婿殿の母上から手作りのお料理を振る舞ってもらい、ボーノの連発。食器類は結婚祈念のお花のお皿やクリスタルのグラス、この日のために新調したテーブルクロス。そしてコーヒーカップは新婚旅行で求めたギリシャもの。思いっきりの歓迎に感謝する。そして、特に野菜たっぷり煮込んだスープに孫は「見た目はあんまり良くないけど、めっちゃおいしいんだからね」と私に一生懸命伝える。ノンノと孫の血のつながりの深さを感じ、感謝するババでした。

さて、この晩餐のために45年前のクリスタルグラスの一つがどうなったのか、ミステリーは翌翌日に続きます。あとで書きましょう。

翌日は婿殿の別荘へ。くねくね道はどこまで続くのか尾道のようないやそれよりも長くて狭い道を登ること30分。別荘の木の壁、タイル貼り、家具など全て婿殿の父上が手造りで仕上げたらしい。ここにも思い出アルバムがたくさん並べられていた。庭には黄色の妖精がいっぱい咲いていた。幸せ色を届けてくれる水仙さんありがとう。山の上はまだまだ寒くて、別荘を後に街のレストランへ直行する。海の幸がずらーり。アンチョビ、タコ、真鯛などが並ぶ。浦島太郎のように竜宮城でもてなしを受けて、その上ビールにワインに大喜びする我が夫。この国は飲酒しても車の運転は問題なし。自分で自分に合う量のみ飲むからだ。パスタもムール貝にエビ三昧。わたしゃあ、もう食べれれません。

半島に出て入江を歩き、海猫にご挨拶。イタリアはどこに行っても観光地である。

夜は日本の家族だけでレストランにいく。小高い丘の上に1000年前に建てられた教会がある。装飾品などなく実にシンプルであるが古きものの良さを醸し出している。大理石をはじめイタリアは石造りだ。日本の明治時代に建てられた館で見る石畳は木の中に異質が混じるので目立ち感激するが、ここの地では当たり前なので感動はもうちょっと薄れている。

この続きミステリーは明日書けるかな

時差ボケは続き今はイタリアは夜明け前の3:43

日日是好日



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